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優しすぎる執事

last update publish date: 2026-10-01 01:17:37

「ちょっ、ちょっと待って!」

 思わず声を上げると、背中に触れていた唇がぴたりと止まった。

「……どうされましたか、リヒト様」

「どうされましたか、じゃなくて! 今、何した?」

「傷の処置でございますが」

「処置って、舐めたよね!?」

「はい」

 あまりにも平然と答えられて、僕は言葉を失った。

 いや、待て。待ってほしい。僕がおかしいのか? 異世界では傷口を舐めるのが一般的な治療法なのか?

 そんなわけがない。

 少なくとも、僕の知っている医療では絶対にやってはいけない行為だったはずだ。

「薬は?」

「リヒト様がお嫌いですので」

「だからって舐める必要ないだろ!」

「……申し訳ございません」

 背後で衣擦れの音がした。

 恐る恐る振り返ると、男はベッドの脇に片膝をつき、深く頭を下げていた。

「ご不快な思いをさせてしまいました」

「え、いや、そこまでしなくても」

「私の配慮が足りませんでした。どうか、お許しください」

 その声が、ひどく沈んでいる。

 まるで僕が取り返しのつかないことを言ってしまったかのようで、胸の奥がきゅっと縮んだ。

 顔を上げてほしい。

 そう思った瞬間、僕は自分が何を考えているのか分からなくなった。

 だって、その顔は夏樹なのだ。

 僕の告白を最後まで聞かず、別の女の子のところへ行ってしまった、あの夏樹。

 なのに今、同じ顔をした男が僕の前で頭を下げている。

「……怒ってないから」

「ですが」

「本当に。ちょっとびっくりしただけ」

 男はゆっくりと顔を上げた。

 その瞳に浮かんだ安堵を見て、僕はますます困ってしまう。

 夏樹なら、こんな顔はしない。

 きっと「お前、何勘違いしてんの」と笑って終わりだ。

 そう考えた途端、胸の奥に小さな痛みが走った。

「……あのさ」

「はい」

「名前、聞いてもいい?」

 男の表情が、わずかに強張った。

「私の、でございますか」

「うん」

「……クロードでございます」

「クロード」

 口の中で、その名前を繰り返す。

 夏樹ではない。

 分かっていたはずなのに、改めて別の名前を聞くと、妙に寂しかった。

「クロード、さん」

「どうか、いつものようにお呼びください」

「いつも?」

「クロード、と」

 その声があまりにも優しくて、僕は思わず目を伏せた。

「……クロード」

「はい、リヒト様」

 たったそれだけで、彼は嬉しそうに微笑んだ。

 ずるい。

 そんな顔をされたら、何も言えなくなるじゃないか。

 夏樹と同じ顔で、夏樹が一度も僕に向けてくれなかった表情をするなんて。

「では、改めて傷を拝見してもよろしいでしょうか」

「あ、うん。でも、舐めるのはなしで」

「承知いたしました」

 クロードは立ち上がると、傍らの机から小さな陶器の容器を取り上げた。

 蓋を開けた瞬間、薬草のような青臭い香りが広がる。

「少々しみるかもしれません」

「……分かった」

 僕は枕を抱え、うつぶせになった。

 背中に冷たい感触が触れる。

「っ……!」

「申し訳ございません。痛みますか」

「だ、大丈夫」

 大丈夫なわけがない。

 背中全体が焼けるように痛いし、腕だって少し動かすだけで悲鳴を上げそうになる。

 けれど、これ以上クロードに心配をかけたくなかった。

 僕が唇を噛んでいると、彼の手が止まる。

「リヒト様」

「……なに」

「我慢なさらないでください」

 その一言に、思わず息が詰まった。

「痛いときは、痛いとおっしゃってください」

「でも」

「私の前でまで、強がる必要はございません」

 どうして。

 どうして、この人はそんなことを言うのだろう。

 僕はずっと、夏樹の前では平気なふりをしてきた。

 どれだけ酷いことを言われても、笑って受け流して、傷ついていないふりをするのが上手になった。

 だって、面倒くさいと思われたくなかったから。

 嫌われたくなかったから。

 なのに、会ったばかりのこの男は、僕が隠そうとしている痛みを、簡単に見つけてしまう。

「……痛い」

 小さく呟くと、背中に触れていた手が止まった。

「すこしだけ我慢してください」

「だってすごく、痛いよ」

「大丈夫ですから」

 クロードの唇が僕の傷にそっと触れた。

「あ、」

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  • 嫌われ公爵に転生したら初恋の人にそっくりな執事の愛が重すぎました   最後の告白

      真っ白なシーツに、赤い血が散っていた。 (なんだよ、これ)  ぽたり。 ぽたり、と。  真っ白なシーツは一面の銀世界のようで、その上に咲いた血は曼珠沙華を思わせた。 その赤が自分の身体から落ちているのだと気づくまで、少し時間がかかった。僕は震える掌を見つめ、指先から手首へ伝う生温かな感触に、遅れて息を呑んだ。 (……僕、死んだはずじゃ)  身体を起こそうと腕へ力を込めた瞬間、皮膚を引き裂くような痛みが走る。(痛っ……) 両腕には、何かに強く縛られていたような傷が残っていた。擦り切れた皮膚の間から鮮血が滲み、腕を動かすたび、新しい赤い血が白い寝具へ落ちていく。 痛みがある。(痛覚があるということは、もしかして生きているのか?)  肌へ張りつくシーツの感触も、荒く上下する胸の苦しさも、夢だと片づけるにはあまりに生々しかった。  僕は息を整えながら、見覚えのない部屋を見回した。  天井はやけに高く、淡い金色の装飾が複雑な蔓草模様を描いている。窓を覆う深紅のカーテンは、僕の部屋にある安物とは比べものにならないほど重厚で、壁際には天井へ届きそうな書棚が並んでいた。 病院ではない。 もちろん、僕の部屋でもない。 「ここ、どこだよ……」 呟いた途端、さっきまでぼんやりと見えていた景色が、いっきに鮮明に映る。  ――数分前、僕――妹尾晶は、車にはねられて死んだ、はずなのだ。 ————————————————————————————  二十二歳。 四月からは県外の会社へ就職することが決まり、生まれてから一度も離れたことのない町とも、今日でしばらくお別れになる。  だから、今日だけは、どうしても伝えたかった。  物心がついた頃からずっと隣にいた、幼馴染の夏樹に。 ――好きだって。  返事なんて勿論期待していない。 付き合ってほしいなんて、最初から望んでいない。 そんなことあるわけがない。  ただ、一度だけ。 たった一度だけでいいから。 この胸の奥へ押し込め続けた想いを、自分の言葉で伝えたかった。 玉砕覚悟。 幼馴染以上の何物でもない。 とっかえひっかえ変える、セフレにすらなれない。  だから、今日を逃せば、きっと僕は一生言えない。 ――弱虫で、

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