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帰る日はなく

帰る日はなく

Oleh:  七月金Tamat
Bahasa: Japanese
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「宝来さん、あの婚約は、まだ有効ですか?」 温品南緒(ぬくしな なお)の口から婚約の話が出た瞬間、電話の向こうの男はわずかに驚きを見せた。 「もちろんだ。あの婚約は永遠に有効だ。ただ、こっちでまだ片付けなきゃならないことがある。半月後に京栄市まで迎えに行ってもいいか?それとも京栄市に留まりたいなら、そっちで一緒に暮らせるよう手配しようか……」 南緒は顎を伝った雨粒をぬぐい、静かに言った。 「大丈夫。私も、そろそろ新しい環境に移りたいと思ってますから」 電話を切ると、鏡に映る濡れた服と髪を整え、振り返って個室へ向かった。

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第1話

「宝来さん、あの婚約は、まだ有効ですか?」

温品南緒(ぬくしな なお)の口から婚約の話が出た瞬間、電話の向こうの男はわずかに驚きを見せた。

「もちろんだ。あの婚約は永遠に有効だ。ただ、こっちでまだ片付けなきゃならないことがある。半月後に京栄市まで迎えに行ってもいいか?それとも京栄市に留まりたいなら、そっちで一緒に暮らせるよう手配しようか……」

南緒は顎を伝った雨粒をぬぐい、静かに言った。

「大丈夫。私も、そろそろ新しい環境に移りたいと思ってますから」

電話を切ると、鏡に映る濡れた服と髪を整え、振り返って個室へ向かった。

ドアノブに指先が触れた瞬間、からかうような声が耳に飛び込んできた。

「礼瑠、温品はお前のこと、兄妹だなんて思ってないんじゃないか?子どもの頃から体の弱かった彼女が、お前の胃痛を聞いただけで、この大雨の中、薬を持って駆けつけたんだぞ。あの顔、凍えたのか驚いたのか、真っ白だった」

「たぶん驚いたほうだと思うな。あれだけお前に惚れ込んでるんだ、礼瑠さん、本当にそれに心が動かないの?」

その言葉に、南緒は無意識にソファの中央に座る礼瑠へと視線を向けた。

彼はグラスを手に、うつむいたまま何かを考え込んでいる。

その横に寄り添っていた夏川月枝(なつかわ つきえ)は、彼がなかなか口を開かないのを見て、唇を噛み、背筋を伸ばすと、手にしていた酒杯をテーブルに音を立てて置いた。

その場にいた者たちは皆、空気を読める人間だから。すぐに彼女を宥める声が上がる。

「何を馬鹿なことを言うんだ。一条家に預けられた孤児なんて、夏川お嬢さんと比べられるわけがないだろう。誰だって知ってる、礼瑠さんの心にいるのは夏川お嬢さんだけだって」

一条礼瑠(いちじょう らいる)もようやく我に返り、月枝の不満げな表情を見て、笑みを浮かべながら彼女を腕の中へ引き寄せた。

「南緒の両親は一条家に恩があった。だから引き取って育てただけだ。彼女になんて興味があるわけないだろう」

少し間を置き、さらに言葉を重ねた。

「妹と呼んでやるだけでも、十分な待遇だ」

最後の一言は小さな声だったが、一言一句が南緒の胸を鋭く突き刺した。手足は痺れ、全身が一気に冷えきっていった。

ふと、初めて一条家に来た日のことが脳裏をよぎった。あの日も礼瑠は、彼女を「妹」と呼ぶのを拒んでいた。

両親を事故で失い、幼い頃から体の弱かった南緒は、厄介者として親戚の家をたらい回しにされ、人間の冷たさを嫌というほど味わってきた。

また嫌われたのだと思ったその時、十五歳の礼瑠が彼女の手を取り、笑ってこう言った。

「俺は妹なんて呼ばない。これから南緒をお嫁さんにするんだから!」

その時の南緒は、ただの冗談だと思った。

だがその後の日々、礼瑠は行動でずっとその言葉を証明し続けた。

十年もの間、変わらず大切にされれば、誰だって心は動く。ましてや南緒にとってはなおさらだった。

一か月前の今日、彼女が一条家に来てちょうど十年目の日、想いを告げるつもりでいた。

ところがその日、礼瑠は月枝を大々的に家へ連れて来て、皆の前で「この先一生、妻にするのは月枝だけだ」と宣言した。

そして今日、二十五歳になった礼瑠が、人前で「妹と呼んでやるだけでも、十分な待遇だ」と口にした。

心の奥で十年間彼女を縛りつけていた鎖は、その瞬間、粉々に砕けた。

……これでいい。これで、安心して離れられる。

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第1話
「宝来さん、あの婚約は、まだ有効ですか?」温品南緒(ぬくしな なお)の口から婚約の話が出た瞬間、電話の向こうの男はわずかに驚きを見せた。「もちろんだ。あの婚約は永遠に有効だ。ただ、こっちでまだ片付けなきゃならないことがある。半月後に京栄市まで迎えに行ってもいいか?それとも京栄市に留まりたいなら、そっちで一緒に暮らせるよう手配しようか……」南緒は顎を伝った雨粒をぬぐい、静かに言った。「大丈夫。私も、そろそろ新しい環境に移りたいと思ってますから」電話を切ると、鏡に映る濡れた服と髪を整え、振り返って個室へ向かった。ドアノブに指先が触れた瞬間、からかうような声が耳に飛び込んできた。「礼瑠、温品はお前のこと、兄妹だなんて思ってないんじゃないか?子どもの頃から体の弱かった彼女が、お前の胃痛を聞いただけで、この大雨の中、薬を持って駆けつけたんだぞ。あの顔、凍えたのか驚いたのか、真っ白だった」「たぶん驚いたほうだと思うな。あれだけお前に惚れ込んでるんだ、礼瑠さん、本当にそれに心が動かないの?」その言葉に、南緒は無意識にソファの中央に座る礼瑠へと視線を向けた。彼はグラスを手に、うつむいたまま何かを考え込んでいる。その横に寄り添っていた夏川月枝(なつかわ つきえ)は、彼がなかなか口を開かないのを見て、唇を噛み、背筋を伸ばすと、手にしていた酒杯をテーブルに音を立てて置いた。その場にいた者たちは皆、空気を読める人間だから。すぐに彼女を宥める声が上がる。「何を馬鹿なことを言うんだ。一条家に預けられた孤児なんて、夏川お嬢さんと比べられるわけがないだろう。誰だって知ってる、礼瑠さんの心にいるのは夏川お嬢さんだけだって」一条礼瑠(いちじょう らいる)もようやく我に返り、月枝の不満げな表情を見て、笑みを浮かべながら彼女を腕の中へ引き寄せた。「南緒の両親は一条家に恩があった。だから引き取って育てただけだ。彼女になんて興味があるわけないだろう」少し間を置き、さらに言葉を重ねた。「妹と呼んでやるだけでも、十分な待遇だ」最後の一言は小さな声だったが、一言一句が南緒の胸を鋭く突き刺した。手足は痺れ、全身が一気に冷えきっていった。ふと、初めて一条家に来た日のことが脳裏をよぎった。あの日も礼瑠は、彼女を「妹」と呼ぶのを拒んでいた。両親
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第2話
南緒は大きく息を吸い込み、ドアを押し開けて中へ入った。先ほどまで笑い合っていた人々は、彼女の姿を目にした途端、一瞬で声を止め、互いに顔を見合わせ、誰も口を開かなかった。今の南緒の姿は、あまりにも惨めだった。濡れた服はしわくちゃになって肌に張り付き、顔色からは血の気が完全に引いている。真っ先に反応したのは月枝だった。立ち上がり、彼女の前まで歩み寄ってきた。「ごめんね、南緒ちゃん。さっきゲームをしてて、冗談で礼瑠に『薬を持ってきて』って言っただけなの。本当に大雨の中来るなんて思わなかったわ。許してくれる?」両手を胸の前で合わせ、月枝の精緻な化粧を施した顔には、何も知らない無垢な表情が浮かんでいる。だが、同じようなことが何度も繰り返されるうちに、南緒はもう彼女を信じなくなっていた。半月前、月枝は彼女のサンドイッチにピーナッツバターを塗り、急性アレルギーを起こさせて試験を欠席させた。胸の奥に溜め込んでいた悔しさがついに溢れ、南緒は泣きながら「なぜわざわざ私を傷つけたの」と問い詰めた。しかし礼瑠は冷たい顔で、泣きそうな月枝を抱き寄せ、こう言った。「月枝は純粋なんだ。お前みたいに汚い考えはしない。ただ試験を一度逃しただけで大騒ぎして、みっともない。今すぐ彼女に謝れ」彼は知っていたはずだ。その試験のために南緒が半年も準備してきた。そして今、南緒はもうすぐここを離れる。月枝が故意であれ無意であれ、礼瑠が彼女を庇うのなら、争うだけ無駄だ。南緒は視線を落とし、淡々と言った。「もう用がないなら、私は先に行く」月枝はたちまち目を潤ませ、声まで泣きそうになった。「南緒ちゃん、まだ怒ってるの?本当にわざとじゃないの……」月枝の芝居じみた態度に、南緒はもう関わる気がなかった。「怒ってない。ただ、雨に濡れて具合が悪いだけ」だが月枝はなおも引き下がらず、腰をかがめて二つの杯に酒を注ぎ、その一つを南緒の手に押し付けた。「今日、雨に濡らしちゃったお詫びに、一杯ご馳走するわ。これを飲んでくれたら、本当に許してくれたって信じる。いいでしょ?」南緒は反射的に断ろうとした。しかし、入ってきてからずっと黙っていた礼瑠が、その時ふいに口を開いた。「南緒、月枝はお前の未来の義姉だ。彼女が自ら酒を注いでくれてるのに、お前が飲まな
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第3話
南緒が目を覚ましたのは、すでに翌日の昼だった。記憶はまだ、昨日の個室で意識を失う直前……誰かが慌てた声で自分の名を呼んだ場面で止まっている。……あれは、礼瑠だったのだろうか。その思考を、ドアの開く音が遮った。礼瑠がコップを手に入ってきて、彼女が目を覚ましているのを見ると、一瞬だけ表情を止めた。「起きたのか。じゃあまず、この薬を飲め」まだ頭がぼんやりしている中、「薬」という言葉を聞いた瞬間、南緒は反射的に彼のポケットへ手を伸ばした。昔は毎日たくさんの薬を飲み、舌の根まで苦くなった。そのたびに礼瑠は、ポケットに飴をいくつか用意してくれていた。しかし、その手ははたかれた。彼は冷たい顔で一歩下がり、鋭い声を上げた。「何をしてる」手の甲の痛みで意識がはっきりし、南緒は慌てて手を引いた。「……ごめんなさい、寝ぼけてた」思わずこぼれた謝罪に、二人とも一瞬動きを止めた。礼瑠は彼女の手の甲の赤みを見つめ、一瞬だけ後悔の色を浮かべたが、それもすぐ消えた。「母さんにはちゃんと説明しておけ。昨日は俺が頼んで、お前に雨の中薬を届けさせた。月枝とは関係ないってな。意味は分かるな」その言葉に、南緒は顔を上げた。彼の瞳に宿る警告を見た瞬間、信じられない思いで包まれた。礼瑠の母親の一条真由美(いちじょう まゆみ)は、月枝を妻として迎えることを絶対に許さないと明言していた。今の言葉はつまり……礼瑠が、真由美が月枝を嫌う理由を、南緒のせいだと思っているということか。……南緒が間に入って二人を引き裂こうとしている、と?十年も共に過ごしてきて、彼の心の中で南緒はそんな卑劣な人間だったのか。胸の奥から怒りが一気にこみ上げた。南緒は視線を落とし、感情を隠しながら、冷え切った声で答えた。「分かった」答えは得られたはずなのに、南緒のあまりに静かな様子に、礼瑠の胸はなぜかざわついた。「それと、寒吉に礼を言っておけ。昨日は俺、月枝と食事に行ってた。お前を送ったのは彼だ」そう言い残し、彼は部屋を出て行った。南緒は小さく息を吐いた。やはり、あれは勘違いだった。何しろ、わざと彼女を雨に濡らし、さらに酒を飲ませた男が、あんなふうに慌てて名を呼ぶはずがない。むしろ、そうでないほうが余計な感情を抱かずに済んだ
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第4話
南緒は、礼瑠がこんなにも早く戻ってきたことに、少し驚いた。どう言い繕おうかと頭の中で考えているうちに、彼はすでに話題を切り替えていた。「さっさと着替えろ。病院に連れて行って検診だ」南緒は一瞬きょとんとし、ようやく今日が健康診断の日だということを思い出した。少し間を置き、低い声で言った。「大丈夫。あとで私一人で行くから」その言葉に、礼瑠は意味ありげな視線を投げた。「……母さんが、俺が検診に付き添わずに月枝と旅行してたと知ったら、誰のせいにすると思う?」彼の眉間に浮かんだ苛立ちを見て、南緒は口にしかけた「私、おばさんに告げ口なんてしない」という言葉を飲み込む。どうせ信じてもらえないだろう。彼が月枝の評判を守りたいなら、彼女は運転手が増えたと思えばいい。南緒は、何の感情も見せず、二人の写真を詰めた箱を彼の目の前で階下のゴミ箱に放り込んだ。底にぶつかって響く「ドン」という鈍い音。なぜかその音とともに、礼瑠の脳裏に、先ほど答えを得られなかった問いがふとよぎった……だが南緒はごく自然な動作で後部座席のドアを開け、そのまま腰を下ろした。この十年間、彼女はいつも助手席に座っていた。バックミラー越しに、静かに後ろに座る彼女を見て、礼瑠は妙な違和感を覚えた。道中、二人は一言も交わさなかった。車中で、南緒のスマホに真由美からメッセージが届いた。【南緒、こっちは今手が離せないから、今日は礼瑠に付き添ってもらって検診してね。結果は忘れずに送ってちょうだい】その言葉に、胸の奥がほんの少し温かくなった。【分かりました。おばさんも休養をとってくださいね】病院に着くと、礼瑠は「ロビーで待つ」とだけ言った。南緒は一人ですべての検査を終え、結果を待っている間、知り合いの中村先生に声をかけられた。「南緒、一人なの?彼氏さんは一緒じゃないの?」一瞬固まったが、それが礼瑠のことだと気づいた。これまでの検診はいつも彼が付き添っていたのだから、中村先生が勘違いしても無理はない。「誤解です。彼氏じゃありません。ただの……友人です」本当は「兄さん」と言うつもりだった。礼瑠への気持ちを手放そうと決めたとき、確かに彼を家族のように思おうとした。だが、言葉が口をつく直前、あの個室で耳にした言葉が脳裏をよぎ
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第5話
車に乗り込むと、礼瑠は何気なく一つの箱を差し出した。「月枝がお前が今日検診だと聞いて、特別に海鮮チヂミを頼んでくれた。熱いうちに食べろ」南緒はちらりと見ただけで視線を逸らした。「要らない。今は食欲がない」二日前、彼女は月枝のSNSで、この見覚えのある包装を目にしたばかりだった。それは月枝のゴミ箱に捨てられていたものだ。【このまずいチヂミ、誰が食べるのよ!】礼瑠は、拒まれるとは思わず、不快そうに眉をひそめた。「南緒、これは月枝の気持ちだ。どうしてお前はいつも彼女に逆らうんだ」「私、海鮮アレルギー」その一言で、礼瑠の口はぴたりと閉じた。南緒は彼の反応など気にも留めず、俯いたまま検診結果を真由美に送った。真由美は異常がないと知ってようやく安心し、しばらく雑談したあと、今年の誕生日はどこに旅行に行きたいかと尋ねた。南緒の指先がわずかに震えた。毎年の誕生日は、真由美が彼女と礼瑠を連れて旅行に行ってくれた。だが今年の誕生日は、彼女が婚約者の宝来時雨(ほうらい しぐれ)と共にここを離れると約束した日だった。少し考えた末、真由美が戻ってからきちんと話すことに決め、「まだ決めてません」とだけ濁した。幸い、真由美は特に異変に気づかなかった。車が停まり、南緒がドアに手をかけたとき、目の前の景色は一条家ではないと気付いた。「車の中で待ってろ」それだけ言い残し、礼瑠は彼女に口を開く暇も与えず、車をロックして大股で立ち去った。そして、その待ち時間は丸二時間に及んだ。華やかに着飾った月枝が車に乗り込むと、南緒を見るなり唇を噛み、申し訳なさそうに言った。「南緒ちゃんも来てたんだ。長く待たせちゃったでしょ?私、服を選ぶのに迷っちゃって……礼瑠、なんで急かしてくれなかったの」最後の一言は、叱るようでもあり、甘えるようでもあった。礼瑠は彼女のシートベルトを締めながら、笑って髪を撫でた。「気にするな、大して待ってない」南緒の唇に皮肉な笑みが浮かんだ。ふと、一条家に来たばかりの頃のことを思い出した。当時、礼瑠の友人の一人が彼女を嫌い、遊びの口実でわざと車に閉じ込めたことがあった。たった十五分のことだったが、礼瑠は烈火のごとく怒り、その場で絶交を宣言した。その時、彼は彼女を抱きしめ「二度
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第6話
南緒はその場に固まったまま、全身が凍りつくようだった。礼瑠は険しい表情のまま大股で近づき、彼女の手首を掴んで力ずくで月枝の前に引き立てた。「ほんの少し離れただけで、月枝を突き飛ばして地面に倒し、さらに車のドアで福ちゃんの足を挟むなんて……すぐに月枝と福ちゃんに謝れ!」月枝は片足を引きずりながら近寄り、泣き声を含ませて口を開いた。「礼瑠、南緒ちゃんを責めないで。悪いのは私よ。南緒ちゃんが犬を怖がるって聞いたから、こんな方法で克服させようと思ったの。でも、南緒ちゃんがこんなに大きな反応をするなんて思わなかったの。私は平気だけど、福ちゃんが……」そこで彼女は唇を噛み、顔をそらすと、一筋の涙が頬を伝い落ちた。あまりに馬鹿げた話に、南緒は思わず笑い出しそうになった。人と犬を無理やり閉じ込めて恐怖を克服させる……そんなやり方があるなんて、初めて聞いた。「夏川、私が犬を怖がるって知ってたのに、何度も出してくれって頼んだのを無視して、車のドアをふさいでいたでしょう。それに、私はそもそもドアなんて閉めていない。犬が怪我をしたのは、いったい誰のせいだと……」「もういい!」礼瑠は鋭く怒鳴り、瞳に深い失望を宿した。「月枝はお前を助けようとして怪我をしたんだ。それなのにお前は反省もせず、責任を押し付けることしか考えてないか。南緒、お前はいつからそんな人間になった?月枝と福ちゃんに謝れ」一拍置き、低く重々しい声で続けた。「南緒、一条家の顔を汚すな」その一言が、南緒の強張った背を押し潰した。溢れる悔しさと無力感が、押し寄せる波のように全身を飲み込んだ。南緒は歯を食いしばり、「……ごめんなさい」と搾り出すように言った。月枝の顔に一瞬、勝ち誇った色が浮かんだが、口から出たのは堂々とした声だった。「大丈夫よ、南緒ちゃん。あなたを責めてないわ」礼瑠は南緒の真っ赤になった目を見て、胸の奥に湧き上がる異様な感情を押し殺し、冷たく言った。「こんなことは二度と見たくない。自分でよく反省しろ」そう言い捨てると、彼は南緒の反応を一切顧みず、月枝を横抱きにして車へ乗せた。車は南緒の前を勢いよく走り去り、彼女は口元に皮肉な笑みを浮かべ、反対方向へ歩き出した。それから数日、礼瑠は家に戻らなかった。誕生日の前日、南緒は宅
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第7話
南緒はひとりでタクシーに乗り、南野町へ向かった。二か月前、彼女はドレスの店で自分用のドレスを注文していた。誕生日当日にこのドレスを着るため、デザインの細部から色の決定まで、さらには京栄市中を駆け回って理想の布地を探したのだった。そして今日は、店主と約束して受け取りに行く日だった。しかし、南緒が予想だにしなかったことに、そこで礼瑠と出くわした。「月枝が最近、新しいドレスがほしいって言ってて、ちょうどお前のこのドレスが出来上がったから、試着させに連れてきた」その言葉に、南緒は眉をひそめた。店には他にも完成品のドレスがたくさん並んでいるのに、なぜわざわざ彼女のものを試着させる必要があるのか。まだ何も言う前に、月枝が試着室から出てきて、何事もなかったかのように礼瑠の胸に飛び込んだ。「礼瑠、このドレスすごく素敵!本当に気に入ったわ」男性は自然に手を伸ばして抱きしめ、口元に笑みを浮かべた。「気に入ったなら、そのまま着ればいい」南緒は彼女のドレス姿を見つめ、指先をぎゅっと握りしめて口を開いた。「このドレスは私のサイズに合わせて作ったものだ。もし欲しいなら、代金を払ってもう一着作ることもできる」このドレスには彼女の心血が注がれている。簡単に月枝に譲るわけにはいかなかった。言葉を告げると、月枝は唇を噛み、少し寂しげにうつむいた。それを見た礼瑠はすぐに表情を曇らせ、冷たく南緒を一瞥した。「月枝にはぴったりだ。お前は他の二着を選べ。代金は俺のカードで払え」その言葉を聞いて、南緒は深く彼を見つめ、言いたかったことを飲み込んだ。「結構だ」一方、月枝の顔はいつもの純真無垢な表情を保っていた。ただ、瞳の奥には隠せない得意げな色が浮かんでいた。月枝は手を伸ばして礼瑠の腕を組んだ。「南緒ちゃん、後でご飯おごるわ。このドレスをくれてありがとう」南緒は心の中の感情を押し殺し、冷淡な表情で手を振った。「用事があるの。二人でどうぞ」そう言うと、周囲の視線も気にせず、ためらうことなく振り返り、ドレス店を後にした。拒絶された月枝は視線を落とし、顔に少しばかりの悲しみを浮かべた。「南緒ちゃん、怒ってるのかな……礼瑠、やっぱりドレスを返そうか……」しかし、今回は礼瑠はいつものように彼女を宥めず、一歩前
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第8話
南緒は自分のスーツケースを取り出した。グローゼットから数着の服を抱えたそのとき、寝室のドアが蹴り開けられた。反応する暇もなく、茜が指を差して怒鳴った。「温品、恥知らずにもほどがあるわ!道理で月枝ばかりいじめてるのね。もし今日、礼瑠さんの寝室でこの手紙を見なかったら、あなたが自分の兄に恋してるなんて、誰も知らなかったわよ!」言い終わるや否や、彼女は手に握った紙を、茫然と立つ南緒の頭に叩きつけた。手紙は頬をかすめて床に落ちた。南緒は見慣れた文字に目を凍らせた。そんな……この手紙は一か月前に書いたもので、告白の日に礼瑠に渡すつもりだった。しかし、彼が月枝を家に連れてきたとき、南緒は告白を諦めた。だが、手紙はどこかで紛失してしまっていた。ところが茜は、それを礼瑠の寝室で見つけたという……南緒は顔を上げ、目の前の礼瑠をじっと見つめた。「つまり、あなたはこの手紙をずっと前から見てたのね」彼女の口調には疑いの余地がなかった。礼瑠が突然態度を変えたことを思い返せば、何が起きたのかは明らかだった。その言葉を聞いた礼瑠の顔には一瞬慌てが走ったが、すぐに冷静さを取り戻した。「そうだ。母が好意でお前を預かってきた。俺もこの数年、お前を妹のように可愛がってきたのに、まさかこんな気持ちを抱いていたとはな。温品南緒、気持ち悪いんだ」ドアの傍で見物していた人々の視線は、軽蔑、嫌悪、嘲笑で南緒に注がれた。「こんな気持ち悪い人がいるなんて、礼瑠は妹として大事にしてるのに、本人は兄のベッドに上がろうだなんて、ほんとに厚かましい!」「身の程知らないわ。こんな身分のくせに礼瑠さんに相応しいと思ってるの?」「こんな恥知らずな人、初めて見たわ、気が狂ってたかもね!」……一言一句が、針のように南緒の心を突き刺した。そのとき、月枝の涙が糸の切れた珠のようにこぼれ落ちた。「南緒ちゃん、ずっと自分に何か悪いところがあるから、私を嫌いなんだと思ってた。でも今日になって初めて分かったの……あなたは礼瑠を好きだったんだ……ずっと兄妹だと思ってたのに、あなたが彼を愛してたなんて、私には受け入れられない。ごめん、私がここに来るべきじゃなかった」泣きながらそう言い終えると、彼女は礼瑠を一瞥し、顔を覆って走り去った。顔色を
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第9話
十年ぶりに、南緒は宝来時雨と再会した。彼は黒のスーツをきちんと着こなし、髪型も完璧に整えられ、顔立ちは深くはっきりしていた。近づいて初めて、彼が自分よりずっと背が高いことに気づいた。時雨は自然に、彼女のスーツケースを受け取った。「すまない。本来なら一条家に挨拶してから一緒に戻る予定だったのだが、便の遅れで少し時間がかかってしまった」その目にたっぷり込められた申し訳なさを見て、南緒は先に口を開き、彼をなだめた。「大丈夫です。一条おばさんはまだ海外で戻っていませんし、一条家にも……」昨日の礼瑠が吐いた「気持ち悪い」という言葉を思い出しながら、淡々と続けた。「一条家にも、今、訪ねる必要のある人はいません」……ホテルの中。外はすっかり暗くなり、礼瑠の心はますます焦燥していた。月枝は彼の異変に気づき、思わず手を伸ばして彼の腕に触れた。「礼瑠、昨日のこと、南緒ちゃんを責めすぎないで。長く一緒にいたから、つい家族愛を恋人の愛と勘違いしてしまっただけかもしれないわ」少し間を置き、礼瑠の顔色を見て、抵抗がなさそうだと分かると、さらに続けた。「南緒ちゃんを一度、海外に送り出してみたらどうかしら。そうすれば依存心も少し減るし、彼女は自分の気持ちを整理できるかもしれない」女性としての直感か、月枝は初めて南緒を見た時から、南緒が礼瑠に特別な感情を抱いていることを感じ取っていた。だからこそ、何度も南緒を意識的に挑発し、礼瑠の心の中での自分の地位を確認しようとしていたのだ。幸い、毎回、礼瑠は彼女を選んだ。今回も、月枝は自信満々だった。礼瑠の傍に残るのは、自分だけだと。礼瑠は長い沈黙の末、月枝の忍耐が尽きかけた頃、手首の時計をちらりと見た。「考えておく。もう遅い、先に帰る」その言葉を聞いた月枝は慌てて手を伸ばし、彼を引き止めた。礼瑠の疑問の視線を受け、彼女はぎこちなく笑顔を作った。「礼瑠、今日は帰らないで。昨日あんなことがあったから、南緒ちゃんもどう向き合っていいかわからないでしょう。少し冷静にならせてあげて」その言葉を聞き、礼瑠の目にわずかな迷いが走った。その様子を見て、月枝は唇を噛みしめ、体を彼に寄せた。今日はわざと薄着をしており、細い腕を礼瑠の腰に絡め、温もる体を彼の胸にぴったりと押し
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第10話
部屋は静まり返り、誰も応答しなかった。過去に南緒が傷つくと部屋に籠もっていたことを思い出し、礼瑠は少し考えた後、そっとドアに手をかけ、押した。だが、目に飛び込んできたのは、空っぽの部屋だった。礼瑠はしばし茫然とし、息を呑んだ。一度後ろに下がり、もう一度確認して、自分が間違った部屋に来たわけではないと確かめる。なぜ南緒の物が、何もなかったのか……礼瑠は大股で寝室に入り、部屋をぐるりと見回した。見れば見るほど胸が早鐘を打ち、嫌な予感が脳を突き抜けていく。本棚、化粧台、クローゼット、引き出し……すべてが空っぽだった。壁角に置かれた段ボールの中には、ここ数年、彼が南緒に贈ったプレゼントがすべて並べられていた。記念品、ネックレス、そして二人で作ったマグカップ……礼瑠の呼吸は荒くなり、心臓は激しく打った。机の上に置かれた一枚のカードを見た瞬間、頭が真っ白になった。南緒はこのカードを残して、一条家での生活費を清算し、完全に縁を切ろうとしているのか……怒りと焦燥が心を駆け巡り、礼瑠の視界は暗く沈み、そのまま床に倒れ込んだ。駆けつけた執事は、空っぽの部屋を見て一瞬呆然としたが、すぐに倒れた礼瑠の元へ駆け寄った。「若様、ご無事ですか!」正気を取り戻した礼瑠は、まるで命綱を掴むかのように執事の手首を強く握りしめた。「南緒はどこだ、南緒はどこに行った!」執事も異変に気づき、もう隠すことはできず、今日の出来事をありのままに話した。「本日、温品さんは早くに出かけ、戻った後はスーツケースを持ってタクシーに乗りました」礼瑠の陰鬱な顔色を見て、さらに説明を続けた。「例年、温品さんは誕生日に旅行に行かれます。今年は奥様が海外で、若様は夏川さんの相手もしておられたので、温品さんもおそらくご自身で旅行に出られたのではないかと」その言葉を聞き、礼瑠はようやく正気を取り戻した。胸の中の慌てを抑えつつ、口の中で自分に言い聞かせた。「そうだ、そうだ、今日は南緒の誕生日だ、きっと自分で旅行に行ったんだ……」慌ててポケットからスマホを取り出し、南緒の番号にかけた。しかし、何度かけても、相手は全然出なかった。執事は、険しい顔をした礼瑠を恐る恐る見つめ、注意した。「若様、温品さんにブロックされているようです」
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