Masuk京と長髪の男が対峙する。
「俺は勝ったらあの同居人をいただく ! 」
「ん。俺が勝ったらその腰のナイフを貰う」
レフェリーはいない。
有刺鉄線の中。二人は観衆に宣言をする。 そして観衆の囚人たちは、それをギラついた眼差しで魅入っている。『おう、京に賭けた奴いるか ? 』
『俺ぁ、今回はパスだよ。オッズが偏って意味がねぇ』 『皆が京に賭けたら意味がねぇもんな』 『俺はペコラに賭けたぜ』 『チャレンジャーすぎるんだろ』そんな会話が飛び交ってくる。
涼は周囲を見渡し、フェンランに教えを乞う。「賭けって、ここでは何を賭けるんだ ? 金……とか、あるのか ? 」
フェンランは唇から煙管を離すと、難しそうに首を傾げた。
「金なんてないさ。賭ける相手を探して……賭けてもいい物を提示する。それで成立さ。
あたしら女は賭け事はしないけどねぇ」「じゃあ、フェンラン達の稼ぎってなんなんだ ?
最初に翡翠ってやつに欲しいって言ったのか ? 」するとフェンランは急に顔色が変貌する。なんとも雨模様の曇り空のような色を漂わせた。
「ああ。あんた、まだ翡翠の旦那と面会前だったね。
いいかい ? 何を取引したかなんて、誰にも言うんじゃないよ。あたし達の事を嗅ぎ回るのもおよしなさい。 そうさね。世間話くらいにしておきなよ。あたしはあんたたちが言う世代より、ずっと前の時代の人間らしい。人種も色々」「日本人だけじゃないのか……。
フェンランは、もしかして戦前の人 ? 」「デカい戦があったらしいね。
あたし以外の女に年齢なんて聞くんじゃないよ ? 生前を探る事になるからね」「エイジハラスメントとかより、そっちの方が大事か。女性はなんで年を気にするんだろ」
「さてね。あたしは女性であることが、何よりも武器だと思うけど」
着物姿の派手めな女囚。
フェンランの言うことに涼は焦燥感を覚える弱い立場の人間が、性を武器に太刀打ちする事は決して公平で等価交換とは思えなかったからだ。「俺は……」
一度言葉を飲み込み、表現を探す。
「フェンランのように女性の華やかさはないけど……。そういうのは……」
意味を悟ったフェンランも、笑みは浮かべるものの氷のような笑みで涼から視線を逸らす。
しかし、こんな話題がすぐに出てくる男というものもおかしいとも思えた。「あんた。ソレで死んだ口かい ? 」
涼の顔色が曇るのを見て、フェンランも更に気落ちしたように睫毛を伏せた。
「いつの世も、男女なんて関係なく虐げられる者がいる。難儀なものよねぇ。
いいさ。あんたがどうなろうと知らないが、ひとつだけ教えてやるよ。いいかい ? 大抵の物はここで物々交換で手に入るものが多い。例えばあの長髪はナイフを持ってるね ? それを京は奪おうとしている。あの男が翡翠の旦那にねだった、ただ一つの物だと思ったからだろうね。京は相手の武力とアイデンティティを削ごうとしてるんだ。
この階層の雑貨屋を見なよ。鋭利なナイフでなくとも、武器になりそうな物は並んでるだろ ? あの男はたった一度の願い事で手に入れたものが、慣れれば『城』の中で買えることを知らなかったんだ」「……意味は分かった。けど、俺は何を翡翠に言ったらいいか分からないままだよ……」
「そこは考え方次第だね。
あのパーツ屋の主人はこういう試合で破損したパーツを、回収して売る『権利』を要求したんだ。そして誰もが長く暮らす『城』の中で欠損したパーツはあいつから買う他ない。 あいつは商売の権利と引き換えに、身の保身を買ったのさ」「……なるほどね。んー、難しいね。ああいう専門的な技術、俺にはないし」
「まずは京の戦いをご覧よ。一応あんたの保身もかかってるんだろ ? 話はそれからでもいいさね」
「あ、うん」
□
京はのらりくらりと涼しい顔をして、ペコラと皆が呼んでいる長髪男の前に立つ。
「ルールが欲しいかぁ ? ガキんちょ」
「別に。要らないかな」
ペコラは気丈に京を煽るが、この時外野で見ている涼の眼は恐ろしいものに気づいていた。
京の持つ『楽』の感情色が吹き出し闘技場全体に漂うくらいに揺らいでいた。煙のように京から流れ出たものは、ペコラを飲み込んでも誰も気付かない。
涼だけに見える人の感情。涼はこの状況で『楽』の感情を出し続ける京に恐ろしさと同時に、強烈な魅力を感じ初めていた。
「一撃で沈むなよ〜 ? 」
「随分ストレス溜まってんね。
ほら、来なよ」京には『恐怖』の色がないのだ。ただの見栄でないことが涼には色でわかる。
思わず鉄線に掴みかかり、その姿に目を見張った。「はは……やっぱり気になる ? よね。京は ライターを貰ったんだっけ ? 」「あぁ。まぁね。お互いプライバシーは大事だよな。悪ぃ。じゃあ別の質問にしようかな。 俺がお前の手に触った時、変な感じがした。なんか全部どうでもいいっていうか、無関心……とは違うな……。強いていえば……気分爽快 ? スッキリしたな。 あ、勘違いすんなよ。俺の好みは清純系の美少女だから」「勘違いはしてないよ。 えっと、それには確かに俺のせいだけど。順を追って話すと……」 涼は脳内をフル回転させる。「俺、昔から……変な力があってさ」「……霊界で言うのも悪ぃけど、スピリチュアルとか神様とかマジで興味ねェんだけど」「俺も好きで持ってる力じゃないし、スピリチュアルでも無いよ。 とにかく、相手の気分を好転させることが出来たんだ」「それって、ノイローゼが消えるとか ? 」「そこまで重大な人と関わったことないからなぁ。俺が出会った連中はロクな大人じゃ無かったし」「それは俺も一緒だな」 京はしょうもなさそうに笑う。 涼も気にせず続けた。「最初は母親の連れて来た男と、手を繋いで歩いたんだ。それが凄くストレス解消になったって、リピーターになった。単なる変態かと思ってたけど、他にも色々。 それで気付いたんだ。 俺、人のストレスとか悩みを吸い取れるみたい。『核』に欲しいものを聞かれた時、この能力なら、盗まれる心配ないから安心だなって。 高価な武器を持ったところで使えないしさ」「ふーん。ストレスと悩みねぇ。 もぅ一回触ってもいい ? 」「いいよ。でも、『核』の奴、予想より強いアップデートしてきたせいで、すげぇ酔うんだ」「ここでゲロ吐かれても&h
中庭に出るには、まず一階の闘技場があった場所まで階段を降りる。 グレーチングの冷たい材質に京の履いた黒いブーツの靴底がガツガツと音を立てる。そして誰もがこの慣れた狭い世界の中で、この足音が誰の物か判別が付いている。 しかし、ついつい振り返って見てしまうのは後ろにちょこちょこついて行く涼の姿だ。 ふわふわした銀色の髪に、顔付きより幼く見える体付き。ここに来る者のほとんどは成人で、京と涼は互いに最年少クラスの幼年だ。 それも一人は凶暴。一人は翡翠が目に掛けている、となれば自然と興味の対象になる。「散歩かい ? 袋をやろうか ? 花瓶が割れちゃいかんだろ ?」 それでもこういう者はいる。「要らねぇよ ! 」 京が呆れたように老人を睨む。「涼、こういうの簡単に受け取るなよ ? じゃあ袋くださいなんて、今の話に乗ったら「代わりにそのナイフを寄越せ」とか言われるかんな ? 」「おじいちゃん……」「し、しねぇよ〜」「いや、頻繁にやってんだろアンタ。とにかく、物の貸し借りとかマジで。俺、最初しか言わねぇかんな。 その後で起きたトラブルでお前がどうなっても知らねぇから」 そう言いつつ、京は涼がここへ来た時から世話を焼き続けている。そんな京の後ろ姿を追いながら、涼は平常心を装いながら内心ドキドキしていた。 京の体に纏わり付く金色にも似た輝かしい色。『楽』の感情。 房の中で涼の体に触れ、京は既に何かを感じ取っている。それからだ。この感情が吹き出すように大きく肥大して、中庭に誘われたのだから恐怖しかない。 それでも涼は断ったら不自然と自身に言い聞かせ、行く他の選択肢がない。 闘技場まで降りると、周辺にある商売房の中心に短い廊下があった。 どう見ても先にあるのはエントランスルーム。その奥には大きな扉が見える。 出口だ。「なんか欲しいもんある ? 」 商売房を親指でクイッと指しながら京は涼に尋ねた。「それだけど、ここは金ってないんだ
翡翠の後に付いていこうとした涼の足が縺れ、体が宙に浮く。「痛たたた……。え ? 」 その体をしっかりと翡翠が受け止めていた。「随分副作用があるようだな。それとも俺の感情は毒でもあるというのか ? 」 涼を抱えあげる眼差しは穏やかさまである。初めて会った時、恐ろしい程に冷酷な印象は消えていた。獅子の牙が折れたとはまさにこの事か。 触れられている事で更に涼は翡翠の感情を吸わされる。これは涼の意思に関係なく起こる現象だった。「ダメだ……。触らない方がいい……」「気にするな。好都合だ」 翡翠の微笑みを目の前にして、涼は深く微睡みの中に落ちていく。 □ 涼を抱えて囚人塔へ戻ってきた翡翠の姿を見て、皆が一斉に頭は下げるも驚きを隠せなかった。「怪我でもしたんか ? 」「んな訳ねぇだろ」「翡翠様と面談中に居眠りこいたんか ? 」「そんな馬鹿な事ねぇだろ。大事な一生物の道具を選ぶって時によぉ」「じゃあ、あれだ。睡眠導入剤とか、ヤク中か ? 」「ここじゃそんな物、認められないの知ってるだろ ? 」 ザワつく塔の異変。 涼を抱えた翡翠が房の前に来て、ようやく京は鏡の中に写る自分から格子の外を見る。「失礼。同居人が昏睡してしまってね」 寝込んでいる涼をそっとベッドに降ろす。「……」 昏睡とはおかしなものだ、と京の眉が跳ね上がる。 そもそも起きるまで部屋に寝かせておけばいいものを、わざわざこれ見よがしに連れてくるのも不自然だと早々に京は見抜く。「では、あとはよろしく頼む」「こいつ、何したの ? 」「なかなか興味深い囚人だ。時折また、話を聞くかもしれん」 そう言い出ていこうとする翡翠の背に京は態とらしい溜息をつく。「翡翠さん。囚人の一人を特別扱いするなんてアンタらしく
「何それ。お前の……スペアか ? 」 翡翠はすぐにその箱をしまい込む。「初代管理人は人間だった。俺の遠い親族の尼僧だ」「人間が霊界にこんな場所を建てたってのか ? 」「勿論、他の僧侶もいたらしいが全て人間だ。その時、この『城』の全てのキーは、その尼僧の網膜スキャンとパスワードの打ち込みだけ。年配のせいか、全てを同じキーで賄っていたそうだ。 その頃、俺がここに来た。身内の情なんて無かったな。この『城』は裁かれる場所だから。当時の俺は酷くそいつを恨んだよ。 そして、脱獄に賭け、その尼僧の目を抉って剥製にした」「え !? じゃあ、ここに来て一日経たずに管理人の親族を……」「……当時の俺にとってはなんでもないことだったからな」 なんでもない、とは。 目を抉る事か。 それとも身内を殺める事なのか。 どちらにせよ、翡翠の罪状も重いものなのだと察した。「目玉は囚人の剥製職人に依頼し加工した。後にイチャモンを付けて、俺は『ドールアイ』に関わった者全てをファイトで葬った。他の管理人達も囚人のドールも全て。そして今の俺がある。 だが、ある日呆気なく、この『ドールアイ』の片目は盗まれてしまった」「それで……」 翡翠の絶望と哀しみ、後悔の色。 これは『ドールアイ』を失くし、ここにいるしかなくなった囚人としての末路に悲観した結果だった。「『ドールアイ』は両眼が揃わないと意味が無いんだ」 その言葉に涼の眉が寄る。「え ? じゃあ、盗んだやつはなんの為に盗ったんだ ? 」「さあな。 涼。そいつを見つけて欲しい。『幻のドールアイ』……これが揃えばここから出れる。 お前は感情を読める。長く生活すれば恐らく犯人が視えてくるだろう」「脱獄……出来るなら……
「つまり、『相手の感情が視える』。その中でも『負の感情だけを吸い取ることが出来る』というわけか……」「多分。あんたみたいなお堅い管理人は自分の心なんて覗かれたくないだろうけど、でも見た感じ、今は『好奇心』の色が強い……薄い橙色で『楽』に似てるけど、違う。 どっか触っていい ? 」 翡翠が返事をする前に涼は方に手を置く。「『好奇心』は消えた ? 消えてないよね ? 多分、人の持つ感情の中で、『吸えるものと吸えないものがある』んだ」 翡翠は眉を寄せると思わず涼の肩を揺さぶる。「俺から吸った負の感情ってなんだ ? 俺には別にそんなものは !! 」 突然取り乱した翡翠に驚きながらも、涼は一度深呼吸をして翡翠の手を握り返す。「はっきり言えば、貴方からは深い『哀しみ』を感じたから。 普段はそんな事を吐き出せない立場なのは分かるけど、俺も分かってしまうんだ。 だから……」 言いかけた涼の言葉が途中で止まり、自分が握り返した翡翠の手の違和感に気付く。「…… ??? 」 白い手袋の下。 温もりこそ感じるものの、人の手の感触では無いと気付いてしまった。 思わずパッと手を離し、不味いものを見てしまったと翡翠を見上げた。 だが、それには翡翠は冷静だった。「そうか。つまり……お前には詰まらん意地や虚勢は見え透いてしまうということか」「……そ……言う事……ではありますが……。別に俺も悪意は……」「ああ。『城』で生き残るために自分の感情を視る力の補正を望んだお前に、『核』はその力を『相手の負の感情を吸う』所までバージョンアップさせたわけだ」「こんな力で……どうやって…&helli
「終わったか ? 」 近付いて来た足音に翡翠の方から扉を開けて迎え入れられる。「うん。魔法使いは本当に駄目だった」「はは。まさか本当に言ってみるとはね。 さぁ、これから『城』での生活が始まる。殆どの者はここへ来ることは二度と無いが……お茶くらいはご馳走しよう」「……まるで最後の晩餐みたいだな」「君は突然死では無かったな。最後の晩餐を済ませて死んだか ? 」 翡翠の質問に悪意を感じた涼は、肩に置かれた大きな手を思い切り振り払う。 その瞬間── ヒュウ……──── 一凪の風が二人の間を駆け抜けるように。 何かが起きた。「 !? 」「今のは…… ? なんだ…… ? 」 涼と翡翠、それぞれに走る感情の流れ。 強制的に感情を捻じ曲げられるような感覚。 涼も体感したことのないものだったが、『城』に要求した事を思い出す。『人の感情が視える力の強化』 それは。 今目の前にいる翡翠を見れば一目瞭然だった。 執務室に来た時に視た翡翠が持つ絶望と哀しみの暗く深い青色が、今はなんとも薄まって視える。 そして気付いた。 翡翠の手を払った自分の人形の指先から、不必要な程伝わる快楽的感覚。それは人の行う性的快楽とは別の種類のなにかであった。「うぅ……」「大丈夫か ? 」 しゃがみ込んだ涼を翡翠が支え、ソファに座らせる。「なぁ、触んないで。なんかこれ、おかしいかも……」「身体に異常は無さそうだが ?」 翡翠は無遠慮にペタペタと確認するようにまさぐって来る。「違う。そうじゃない……。俺の……能力だ…&he