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嵐のあと、互いに忘れて

嵐のあと、互いに忘れて

作家:  トウモロコシ88完了
言語: Japanese
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概要

切ない恋

ひいき/自己中

愛人

妻を取り戻す修羅場

後悔

台風上陸の夜、暴風警報が最高レベルに引き上げられたばかりの頃、未亡人の義姉の冬野美月(ふゆの みつき)からもう一度電話がかかってきた。 受話器越しに聞こえる、か細くて力ない泣き声。私、斉藤清乃(さいどう きよの)は黙ってスマホを、ベランダの補強をしようとしていた夫の須田雷雨(すだ らいう)に手渡した。 向こうが何を言ったのか、彼は「わかった、わかった」と何度も答えながら、レインコートを羽織りながら、申し訳なさそうに私に言った。 「清乃、美月さんの家の窓が割れたらしいんだ。女ひとりじゃ大変だろうから、ちょっと直してくるよ。風が一番強くなる前には必ず戻るから」 まただ。相談なんかじゃない。一方的な報告だった。 結婚して5年、彼はこういうことを毎日のようにしていた。 雷が鳴って、少しでも雨が降れば、決まって彼女から電話がかかってくる。 昔は悔しくて言い争ったこともある。でも彼はいつもこう言うのだ。 「兄貴は早くに亡くなったし、彼女は女手ひとつで子どもを育ててるんだ。大変なんだよ。できることは助けてやろう。 君はしっかり者から、きっと君自身とひろしをちゃんと守れるだろ」 彼が出て行った後、強風で窓ガラスが割れ、私のふくらはぎは破片で切り裂かれ、血が流れ出た。 すぐそばにある、編みかけの赤ちゃんの小さなセーターをそっと撫でながら、私はつぶやいた。 「今夜から、私たち親子には、もうあなたなんて必要ないの」

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第1話

第1話

大きな轟音とともに、もともとぐらついていたベランダの掃き出し窓のガラスが、ついに完全に吹き飛んだ。

風速60メートル超の暴風が豪雨とともに、一瞬でリビングへ吹き込んできた。

部屋の中のあらゆるものが、またたく間に倒れ散らばり、足の踏み場もない惨状になった。

ベビーベッドでは、生後2か月にも満たない息子のひろしが物音で目を覚まし、激しく泣き叫び始める。

私は産後間もない衰弱した体を引きずり、暗闇の中、ガラスの破片を踏みしめながら必死にベビーベッドへ駆け寄り、わが身で子をかばって、吹き込む風を遮った。

「怖くないよ、ママがいるからね。ママがそばにいるから……」

私はひろしをぎゅっと抱きしめ、声は震えていたけど、倒れるわけにはいかなかった。

ついさっき、ほんの10分前のことだ。

私の夫、雷雨は、義姉の美月の「窓が壊れて、一人で怖い」の一言で、ためらいもせずレインコートを羽織り、暴風雨の中へ出ていった。

去り際、私は彼の袖をつかみ、外の暴風を指さして、ほとんど懇願するように言った。「雷雨、ベランダのガラスにもうひびが入ってる。風が強すぎる。残ってくれない?」

けれど彼はただ面倒くさそうに私の手を振りほどき、眉をひそめた。

「清乃、美月さんの家の窓はすでに割れてるんだ。女一人で子どもを抱えて、どれだけ心細いと思う?

君は昔からしっかり者だろ。俺が帰るまで家で頑張れるって信じてるよ。

兄貴が早くに亡くなって、俺は美月さんをちゃんと面倒を見るって約束したんだ。こんな時にわがまま言うな」

――しっかり者?

私は出血が止まらない自分のふくらはぎを見つめ、急にすべてがひどく馬鹿らしくなった。

運命の相手だと信じていた夫は、私のことを守る必要のない、鋼のように強い女だと思っていた。

ひろしをなだめて、ようやく泣きやませると、私は足を引きずりながら洗面所へ救急箱を取りに行った。

窓の外でときおり光る雷の明かりを頼りに、ヨード液をめくれた傷口に直接かけた。

簡単に包帯を巻き終え、ソファにもたれかかっていると、家族3人でお揃いに着ようと編んでいたセーターが泥水に浸かりきって、元の色もわからないほど汚れているのを目にした。

まるでこの5年間の結婚生活そのもののように。

交際2年、結婚5年。

雷雨は、義兄が最期に残した「美月のことは、頼む」という言葉を、絶対の掟みたいに奉っていた。

電球が切れた、トイレが詰まった、甥っ子の授業参観がある――美月から電話が来れば、私たちが映画を見ていようと、妊婦健診中だろうと、結婚記念日を過ごしていようと、雷雨はすぐに飛び出していった。

昔の私は泣いて訴えて、悔しがった。

でも今は、腕の中で眠るひろしを見つめていると、最後に残っていたかすかな期待すら消えていく気がした。

SNSに愚痴を投稿する必要もない。雷雨に電話をかけて責める必要もない。もう、何もかもがどうでもよくなってしまった……

私は静かに、離婚弁護士をしている大学の先輩にメッセージを送った。

【先輩、離婚協議書を作ってください。財産分与は通常の手続きに従って進めますが、子どもの親権は必ず私が取得できるようお願いします】

送信を終え、私は心の中で静かに自分に言い聞かせた。

――雷雨、子どものために、あと3回だけあなたにチャンスをあげる。その3回をすべて無駄にしたら、私たちの縁は、ここで断つ。

午前2時を過ぎて、ようやくスマホの画面が一瞬だけ光った。

雷雨からのメッセージだった。

【清乃、美月さんの家の窓がひどく割れてて、彼女がすごく怖がってるんだ。外は風が強くて帰れないから、今夜は美月さんの家のソファで一晩寝るよ。戸締まりして、早く寝てな】

私はこの空々しいメッセージに目を通し、返事はせず、そのまま画面を閉じた。

ひろしを抱きしめ、吹き荒れる風雨の音のなか、一睡もせずに朝を迎えた。

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第1話
大きな轟音とともに、もともとぐらついていたベランダの掃き出し窓のガラスが、ついに完全に吹き飛んだ。風速60メートル超の暴風が豪雨とともに、一瞬でリビングへ吹き込んできた。部屋の中のあらゆるものが、またたく間に倒れ散らばり、足の踏み場もない惨状になった。ベビーベッドでは、生後2か月にも満たない息子のひろしが物音で目を覚まし、激しく泣き叫び始める。私は産後間もない衰弱した体を引きずり、暗闇の中、ガラスの破片を踏みしめながら必死にベビーベッドへ駆け寄り、わが身で子をかばって、吹き込む風を遮った。「怖くないよ、ママがいるからね。ママがそばにいるから……」私はひろしをぎゅっと抱きしめ、声は震えていたけど、倒れるわけにはいかなかった。ついさっき、ほんの10分前のことだ。私の夫、雷雨は、義姉の美月の「窓が壊れて、一人で怖い」の一言で、ためらいもせずレインコートを羽織り、暴風雨の中へ出ていった。去り際、私は彼の袖をつかみ、外の暴風を指さして、ほとんど懇願するように言った。「雷雨、ベランダのガラスにもうひびが入ってる。風が強すぎる。残ってくれない?」けれど彼はただ面倒くさそうに私の手を振りほどき、眉をひそめた。「清乃、美月さんの家の窓はすでに割れてるんだ。女一人で子どもを抱えて、どれだけ心細いと思う?君は昔からしっかり者だろ。俺が帰るまで家で頑張れるって信じてるよ。兄貴が早くに亡くなって、俺は美月さんをちゃんと面倒を見るって約束したんだ。こんな時にわがまま言うな」――しっかり者?私は出血が止まらない自分のふくらはぎを見つめ、急にすべてがひどく馬鹿らしくなった。運命の相手だと信じていた夫は、私のことを守る必要のない、鋼のように強い女だと思っていた。ひろしをなだめて、ようやく泣きやませると、私は足を引きずりながら洗面所へ救急箱を取りに行った。窓の外でときおり光る雷の明かりを頼りに、ヨード液をめくれた傷口に直接かけた。簡単に包帯を巻き終え、ソファにもたれかかっていると、家族3人でお揃いに着ようと編んでいたセーターが泥水に浸かりきって、元の色もわからないほど汚れているのを目にした。まるでこの5年間の結婚生活そのもののように。交際2年、結婚5年。雷雨は、義兄が最期に残した「美月のことは、頼む」という言葉を、
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第2話
台風一過の朝、団地全体が停電し、断水していた。昨夜、逆流してきた雨水がリビングに溜まり、さらに悪いことに、恐怖と寒さのせいで、生まれたばかりのひろしの小さな顔が赤く火照り、呼吸が速くなっていた。手を伸ばして額に触れると、ぞっとするほど熱い。体温計で測ると、38度2分だった。乳児の発熱はただごとじゃない。私は一瞬で頭が真っ白になった。腫れて炎症を起こした足を引きずり、水浸しの部屋で脂汗を流しながら、棚をひっくり返して冷却シートを探した。探しながら、バッテリーがほとんど残っていないスマホで、雷雨の番号に電話をかける。「おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていません」機械的なアナウンスが、がらんとした部屋に響く。私は諦めきれず、2度、3度とかけ直した。午前中ずっと、20回は電話をかけた。すべて不通だった。外は倒木だらけで、道路は胸の高さまで冠水していた。家に車もない、足も怪我をしている。こういう状況で発熱した赤ん坊を一人で抱えて病院に行くことなんて、到底できなかった。私は残り少ないペットボトルの水でタオルを濡らし、ひろしの額、脇の下、手のひらを何度も何度も拭き続けることしかできなかった。汗で寝間着はぐっしょりと濡れ、傷口は歩き回ったせいでまた開き、血が滲み始めた。心の中で1秒1秒、時間を数えながら、絶望がじわじわと広がっていく。昼近くになって、ようやく玄関のドアが開き、雷雨が全身ずぶ濡れで、疲れきった顔で入ってきた。「清乃、このひどい天気には参ったよ。そこらじゅう水浸しでさ……」彼は家に入ると文句を言う。何か救援物資を持ってきた様子はなく、水の1本も、電池1個すら持っていない。でも、胸に高級そうな保温容器だけは、大事そうに抱えていた。リビングの惨状と、私の足の血が滲んだ包帯に気づき、雷雨は立ちすくんだ。彼は早足で歩み寄り、その目にようやく動揺が浮かんだ。「清乃、その足どうしたんだ?部屋はなんでこんなことに?」私はベッドに腰掛けたまま、彼を見もせず、温かいタオルでひろしの顔を拭き続けながら言った。「あなた、昨夜は風が強くて帰れなかったんだよね。じゃあ今朝からお昼まで、どこにいたの?どうしてスマホの電源を切ってたの?」雷雨の視線が一瞬泳ぎ、無意識にその保温容器を背に隠
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第3話
午後2時、団地にようやく電気が戻った。エアコンが動き出し、ひろしの熱も37度5分まで下がって、ぐっすりと眠りについた。雷雨も、午前中の自分の行動があまりにひどかったと気づいたのか、懸命に動き始めた。床に溜まった水を拭き取り、割れたガラスを掃き集め、壊れたベランダを段ボールでどうにか塞いだ。さらには台所に行ってお粥を炊き、私の前に運んできた。彼は床に片膝をつき、水と血でぐっしょりと濡れたふくらはぎの包帯を、慎重に解いて薬を塗り直してくれた。「痛いか?」彼は目を赤くして私を見上げ、その目には深い愛情と後悔の念があふれているようだった。「ごめん。家のガラスが割れてたなんて本当に知らなかった。ひろしが熱を出してたのも知らなかった。もし知ってたら、絶対に行かなかった。誓うよ。これからは必ず、君たち親子を何よりも最優先にする。美月さんのところへは少しずつ距離を置くようにするから。今回だけは許してくれないか?」彼の罪悪感は本物かもしれない。でも、本末転倒な価値観と、線引きのできない愚かさもまた、本物だった。私が口を開こうとしたその時、ローテーブルの上に置いた雷雨のスマホが、突然また鳴り出した。画面を見ると、美月だ。雷雨の動きがぴたりと止まり、綿棒を持った手が宙に浮いたままになる。彼は私に視線を向け、それからスマホへ目を落とし、少しの間迷ったあと、私の目の前で通話ボタンを押した。わざわざスピーカーにまでして、隠し立ては何もないと示そうとしたんだ。「雷雨!助けて、雷雨!」電話に出るなり、美月の身を裂くような泣き叫ぶ声が飛び出し、その向こうから小さな男の子の激しい泣き声も聞こえてきた。「美月さんさん、どうした?とにかく落ち着いて!」雷雨の声がたちまち張り詰めたものに変わる。「家に水が入って滑ってね。息子がさっき転んで、頭を切っちゃったの。血がたくさん出てる!私一人じゃとても抱えて階下に降りられないし、外は雨もひどい……雷雨、私どうしたらいいの!夫がまだ生きてたら、私たち親子がこんなつらい目に遭うことなんて……」雷雨は勢いよく立ち上がり、血の気が引き、手にしていた綿棒が床に落ちた。ベビーベッドでまだ微熱の続くひろしをちらりと見て、それから私を見た。その目にあったわずかな罪悪感は、焦りと責任感に、一瞬で塗り替え
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第4話
台風の余波はまだ続いていて、窓の外では相変わらず大雨が降っていた。ひろしの微熱は上がったり下がったりを繰り返し、午前2時を回った頃、突然、高熱による痙攣に変わった。全身が激しく引きつけ、小さな顔は青紫色に変わり、両目は上を向いて白目を剝き、泣き声さえも出せない。「ひろし!ひろし、ママを驚かさないで!」私は完全に取り乱し、手足が冷たくなり、夢中で119番に電話をかけた。けれど悪天候のせいで救急車はすべて出払っていて、一番早くても40分はかかると告げられた。40分――高熱の乳児にとっては、致命的だった。私は震える手で、雷雨の番号にかけた。今度は、彼は電話に出た。子どもが痙攣を起こしていると聞き、彼も明らかに肝を冷やしたようで、声が震えていた。「清乃、慌てるな!すぐに車で戻る。毛布でひろしを包んで、1階のエントランスで落ち合おう!」10分後、私は雨具を身につけ、痙攣の続くひろしを胸にしっかり抱き、怪我をした足を引きずり、転がるようにして1階へ駆け下りた。雷雨の車はもうエンジンがかかっていた。私が助手席のドアを開け、まだ乗り込む間もないうちに、ダッシュボードに置いてあった雷雨のスマホが、突然また鳴り出した。また美月だった。雷雨は反射的にハンズフリー通話に切り替えた。「雷雨!助けて!家は漏電してる!」美月が電話口で金切り声をあげた。「さっき水を汲もうとして、滑って転んじゃったの。足が折れたみたいで、もう全然動けない!水がもうすぐコンセントの高さまで来ちゃう、コンセントから火花が出てる!私、感電して死んじゃう、助けて!」ハンドルを握る雷雨の手に、一瞬で青筋が浮き、彼は急ブレーキを踏み込んだ。私は雷雨をじっと見つめ、その腕を必死につかんだ。涙がついに決壊して、ほとんど哀願するような声を絞り出した。「雷雨!お医者さんは、痙攣は脳に損傷を与えるし、命に関わることもあるって言ってた!お願い、先に息子を病院に連れて行って!ここから病院まで車でたった10分なんだから!」電話の向こうからは、美月の泣き叫ぶ声がさらに大きく、さらに痛ましく響いてきた。「雷雨!水がどんどん来る、私、怖いよ……」雷雨は、私の腕の中で土気色の顔をして、まだ引きつけている息子を見た。それからスマホの画面を見た。彼は苦しそうに目を閉じ
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第5話
雷雨は震える手で、その半開きのドアを勢いよく蹴り開けた。部屋の中の笑い声と話し声が、ぴたりとやむ。「きゃああっ――!」親友がいち早く反応し、悲鳴を上げ、手にしていた箸が床に落ちた。美月は全身をぶるっと震わせ、手にしたワイングラスをタイルの床に落とし、赤い液体が彼女の足に飛び散った。「らい……雷雨?」美月は慌てて顔のフェイスパックを剥がし、顔色は一瞬で真っ青になった。どもりながら立ち上がろうとする。「な、なんでこんなに早く来たの?話を聞いて、さっきは本当に……」「本当に、感電して死にそうだったんだろ?」彼はずかずかとリビングへ入っていった。全身ずぶ濡れで、雨水が髪の先から、顎から、狂ったように滴り落ち、床に水溜まりを作っている。彼は美月をじっと見据えた。その目は血走り、まるで視線だけで彼女を引き裂かんばかりだった。「死んだ夫の遺言を持ち出しさえすれば、発熱している実の息子さえ放ったらかして」雷雨は美月のさっきの言葉を、そのまま繰り返し、突然笑い出した。「冬野美月、俺はお前の目に、そこまで完璧な大馬鹿者に映ってたのか!?」「ち、違うの雷雨!彼女よ!」美月は恐怖に駆られて親友を指さし、支離滅裂なことを言い始めた。「彼女が勝手に言ったの!私は本当に滑って転んだし、さっきは本当に漏電だと思ったの……」「黙れっ!」彼は勢いよくテーブルへ歩み寄り、そのテーブルを思い切り蹴り飛ばした。熱々の鍋のスープが美月の全身に降りかかり、彼女は火傷で赤くなった腕を押さえて床をのたうち回る。甥っ子は驚いてゲーム機を放り出し、わんわんと泣き喚き始めた。「兄貴が死んで5年、俺は命がけでお前を守ってきたんだ!」雷雨は床でのたうち回る美月を見下ろし、全身を震わせた。「俺の息子の命を、お前の見栄のために使わせたのか!?」彼は手を振り上げ、目の前の女を思い切り殴ってやろうとした。けれど、彼は振り上げた手を、空中で無理やり止めた。なぜなら彼の脳裏に、駐車場に置き去りにした妻と子どもの姿が突然よぎったからだ。「もし俺の息子に何かあったら、冬野美月、お前に命で償ってもらう」雷雨はそう言い捨てると、転がるように部屋を飛び出し、狂ったように大雨の中へ走り去った。
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第6話
市立小児病院、集中治療室の扉の前。私は静かに長椅子に座っていた。着ている服は元の色もわからず、泥水と雨水、そして息子が痙攣を起こした時、私が唇を噛み切って流した血の跡にも染まっていた。私のふくらはぎは、激しく走ったせいで傷口が完全に裂け、包帯は途中で外れてしまい、今は黄色い浸出液がにじんでいる。けれど、もう痛みすら感じなかった。廊下の突き当たりにあるエレベーターの扉が「チン」と音を立てて開き、雷雨が狂人のように飛び出してきた。彼はよろめきながら長い廊下を走り、濡れた床に足を取られて激しく転び、這うようにして私の前にすがりついた。「清乃!清乃!」彼は「ドサッ」と両膝を硬いタイルの床に力任せに打ちつけ、声は震えて言葉にならなかった。「ひろしは?ひろしはどうなった!?先生はなんて!?」私はこの男を見ようともしなかった。ヒステリックな非難も、涙ながらの糾弾もなかった。ただ吐き気がして、彼を一目見るだけでも目が汚れる気がした。私が何も言わないのを見て、雷雨は完全に崩壊した。彼はひろしがもう亡くなったのだと思い、突然、悲痛な叫び声をあげると、手を上げて、左右からめちゃくちゃに自分の頬を何度も叩き始めた。パシッ!パシッ!パシッ!彼の顔は瞬く間に腫れ上がり、口元から血が滲んだ。「俺は畜生だ!人間のクズだ!清乃、俺が間違ってた。あのくそ女に騙されてたんだ!漏電も骨折も全部嘘だった。あの女、鍋を食べてたんだ!兄貴の遺言を盾に、俺をバカみたいに弄んでたんだ!俺が人を見る目がなかった。どうして俺は君たち親子を置き去りにできたんだ……清乃、俺を殴ってくれ。ナイフで刺し殺してくれてもいい。頼むから、何か一言、話してくれ!」彼は床に膝をついたまま、手を伸ばして私の服の裾をつかもうとした。私は後ろに身を引き、彼の手を避けた。彼の泣き叫ぶ声が少しずつ弱まるのを待ってから、そばに置いた鞄をゆっくりと開け、中からきちんと折り畳まれた書類を取り出すと、静かに彼に差し出した。離婚協議書には、すでに私の署名がしてある。雷雨の泣き声がぴたりとやみ、彼は愕然としてその書類を見つめた。「3回のチャンス、あなたは使い果たしたよ」私はついに、一度だけ跪く彼を見下ろした。「ひろしは、なんとか一命を取り留めた。でも先生は、運び込
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第7話
雷雨は離婚協議書をじっと見つめ、顔色は紙のように白かった。彼は必死に首を横に振り、両手でその書類を私のほうへ押し戻した。「いやだ……サインなんてしない!清乃、死んでもサインしない!」彼は顔を上げ、目を真っ赤にして、最後の悪あがきをしようとした。「清乃、この5年間、俺だって被害者だったんだ!冬野美月が兄貴を利用して、兄貴の遺言でずっと俺を縛ってきたんだ!彼女が本当に命の危険があると思ったから、俺は……君たち親子への気持ちは本物だ!俺はただ義理人情に厚すぎただけで、兄貴の代わりにあの二人の面倒をちゃんと見ようとしただけだ。俺のどこが悪いんだ!?」「義理人情に厚い?」私はおかしな冗談を聞いたみたいに、思わず冷たい笑いがこみ上げた。私は身をかがめ、彼の目をじっと見据えた。「須田雷雨、責任を全部あの女に押し付けるのはやめて。冬野が最低な女なのは確かよ。でも、私たちの家庭を本当に壊したのは、あなただ。あなたが何度も何度も私とひろしを置き去りにしたのは、本当に義兄の遺言のせいだったの?」雷雨ははっとしたように固まり、唇を震わせたまま言葉が出てこない。私の一言一言が、まるで彼の胸に突き刺さるようだった。「違う。あなたは義兄のためじゃない。あなたは自分のためだったんだよ。あなたはただ、冬野に過剰に頼られる快感に酔いしれてたんだよ!彼女の前で救世主や頼れる男を気取る、その虚栄心に酔ってたんだよ!だって私は、あなたから見れば昔からしっかり者で、自分の考えを持った強い女でしょ。私はあなたにトイレの修理も頼まないし、排水管の詰まりを直すことも頼まない。あなたは私の前では、望むようなマッチョな男の快感を得られなかった。だからあなたは、自分の妻子を傷つける代償を払ってまで、他人の目に映る『義理堅くて頼りになる男』という偽りの姿を演じてたんだよ!」私は彼の顔色がみるみる土気色に変わっていくのを見ながら、さらに言葉を続けた。「昨日、うどんを買うためだけに、スマホの電池が切れるのもかまわず、停電と断水の家に私を置き去りにした。これを義理人情に厚いって言うの?甥っ子がちょっと擦り傷を負っただけで、熱を出した実の息子を放り出して、聖人君子ぶって駆けつけた。これを義理人情に厚いって言うの?今日、実の息子の生き死にがかかったそ
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第8話
雷雨はその場に崩れ落ち、両手で顔を覆った。けれど私は彼に、ぐずぐずと言い訳をしたり、しつこく縋りついたりする隙を一切与えなかった。「3日以内にサインしなければ、あなたが台風の夜に重体の息子を置き去りにして冬野に会いに行った監視カメラの映像と病院の記録を持って、裁判所に離婚を申し立てるから。それが広まって、あなたの会社の大口取引先が、義理堅い須田社長のことをどう見るかは、自分でよく考えることね」雷雨は私の性格を知っている。言ったことは必ずやり遂げる女だ。最後の体面を守るため、そして風前の灯火となった会社を守るため、彼は震える手で、離婚協議書に名前を書いた。そして役所に提出すると、私たちは完全に赤の他人になった。私は息子を連れて実家に戻り、一方で雷雨への報いは、まだ始まったばかりだった。私という完璧な支えを失い、美月の本性も見抜いたことで、雷雨の心の奥に溜まっていた怒りが一気に爆発したんだ。彼は怒りの矛先をすべて美月に向けた。離婚の翌日、雷雨は弁護士を連れて、現在美月が住んでいるあの家を明け渡すよう要求した。あの家は義兄が生きていた頃に住んでいたものだが、不動産登記簿上の所有者は雷雨になっていた。それだけじゃない。雷雨は毎月美月に渡していた20万円の生活費も即座に打ち切り、その上この5年間、美月の親子に使った金を、すべて明細に書き出し、全額返済するように要求した。人の善意を利用することに慣れきった人間が、一度食いついた利益を簡単に吐き出すわけがない。美月は偽りの弱々しい仮面を完全に剥ぎ取った。彼女は雷雨が本気だと知るや、いっそ甥っ子を連れて、雷雨が創業した会社へ押しかけていった。「みなさん見てください!これがあなたたちの須田社長です!兄の妻を死に追い詰め、実の甥まで路上に放り出して物乞いさせようとしてるんですよ!」美月は会社のロビーの床に座り込み、太ももを叩きながら喚き散らし、甥っ子もそれに合わせてわんわんと泣きわめく。「あなた、天国から見てくださいよ!あなたが死んで、弟は私たち親子を見捨てたんです!彼は恩知らずですよ!」雷雨がフロントからの電話を受けて駆けつけた時、ロビーはすでに社員と来社中の顧客で人だかりができていた。美月のあの悪女のような形相を見て、雷雨は全身を怒りで震わせ、飛びかかって彼
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第9話
かつて雷雨が一から会社を立ち上げた時、すべては私の父が裏で人脈をつなぎ、資金面で保証をしてくれたからこそ、どうにか会社の枠組みを作ることができたのだ。彼の自尊心を傷つけないために、私は彼の前で実家からの援助について口にしたことは一度もなかった。だが、危うく命を落としかけた息子を連れて実家に戻り、事の次第をすべて包み隠さず話した時、父は激怒した。「こんな畜生が、まだこの斉藤家の力を借りる資格があると思ってるのか!?」父は数本の電話をかけた。わずか1週間のうちに、雷雨の会社にとって主要サプライヤー3社が、同時に「会社の戦略調整」を理由に、下半期の供給契約の更新を拒否した。それに続いて、銀行側で話がついていた、会社の資金繰りを支えるための6千万円のつなぎ融資が、最終審査の段階で緊急停止された。理由は「企業経営者として重大な倫理上の問題がある」。資金繰りは一気に悪化した。雷雨は焦りながら、方々を駆けずり回って助けを求めた。彼はかつて親しくしていた提携先に、厚かましくも頼み込んだが、相手のオフィスにすら入れてもらえなかった。彼は私の父に許しを請おうとしたが、実家の警備員にそのまま門の外へ放り出された。わずか2ヶ月で、雷雨の会社は破産した。莫大な借金を返済するために、彼はすべてのオフィス機器を売り払っただけでなく、美月から取り戻したあの家も、自分の車も、すべて二束三文で売り払った。借金を完済したその日、雷雨はまったくの一文無しになった。一方で、「夫を亡くした今、あんただけが頼りなの」と口癖のように言っていた美月は、雷雨が破産し、さらには多額の借金まで背負ったと知るや、その夜に逃げ出した。彼女は家にあった金目のものすべてを根こそぎ持ち去っただけでなく、かつて雷雨が甥に買ってやった高価なデジタル製品さえも置き去りにはしなかった。雷雨が疲れ果てた体を引きずって美月の家を訪ね、わずかでも最後の情けにすがろうとした時、その部屋はすでに、もぬけの殻だった。彼は美月に電話をかけた。けれど聞こえてきたのは、冷たいアナウンスだけだった。「お客様の電話番号は着信拒否されています」ブロックされていたんだ。深夜、雨が激しく降りつける。雷雨は一人、家賃2万円の狭い部屋で、身を縮めていた。天井裏の配管から水が漏れ、カビ
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第10話
半年後。騒動は完全に収まり、時間がすべてを静かに風化させていった。幸いなことに、ひろしの痙攣による後遺症は残らなかった。私と両親の手厚い世話のもと、彼は今ではすくすく成長し、もう「あうあう」と喃語を話しながら私に笑いかけてくれるようになった。私は結婚してから5年間伸ばしていた髪をばっさりと切り、以前妊娠のために保留にしていた海外留学の手続きを再開した。両親も私について海外へ行き、ついでにひろしの面倒を見てくれることになった。出発の日は、めったにないほどの良い天気だった。陽光が空港の巨大なガラス張りの壁を通して差し込み、あたたかく包み込む。私はベビーカーを押しながら、両親と笑い合い、談笑しつつ、VIP専用の保安検査場へと向かった。ふと、何気なく顔を向けたその時、ロビーの隅の柱の陰に、見慣れていたはずなのに、もう別人のように感じる姿を見つけた。雷雨だった。たった半年会わなかっただけなのに、彼は10年も歳を取ったかのようだった。彼は手に、色褪せたでんでん太鼓を握りしめていた。あれは息子が生まれた時、彼がたった一つだけ買ってくれたおもちゃだった。雷雨も私に気づいたようだった。彼の目には一瞬だけ光が戻り、唇が激しく動き、無意識のうちに前に踏み出した。でも彼は、私のそばに立つ威厳のある父の姿を見て、私の全身から滲み出る余裕と幸せそうな姿を見て、踏み出しかけたその動きを、無理に引っ込めた。彼はまるで日の当たらない場所に潜むネズミのようだった。もう二度と光に触れる勇気などなく、ただ惨めさと果てしない後悔を滲ませた目で、私とベビーカーの中のひろしをじっと見つめることしかできなかった。その頬には、音もなく涙が伝い、疲れ切った顔を濡らしていた。「どうしたの、清乃?」母が私の視線の先を追って、眉をひそめた。「何でもないわ」私は視線を戻し、ベビーカーを押して、一瞬たりとも立ち止まることなく、振り返りもせずに保安検査場へと入っていった。あの泥沼に沈んだ男を、永遠に過去へ置き去りにして。数時間後、飛行機は厚い雲を突き抜け、空高く舞い上がった。窓の外には、果てしなく続く紺碧の空。ひろしは私の胸に顔をうずめ、気持ちよさそうに眠っていた。小さな手は私の指一本をぎゅっと握りしめ、口元にはよだれが垂れている
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