LOGIN皆の見世物になるわけにはいかない。文月自身は構わないが、博之の立場がある。博之がためらっている間に、文月は彼の顔を引き寄せ、マスク越しにその唇にキスをした。蓮の悪戯か、カメラはしばらく二人を映し続け、ようやく切り替わった。文月はほっと息をついた。頬は火が出るほど熱くなっていた。「ごめんなさい、博之さん。こうするしかなくて」博之は黙り込んでいた。やがて彼は冷たい水のボトルを文月に手渡した。「冷やすといい。茹でダコみたいになってるよ」その言葉で、文月の顔はさらに赤くなった。刺激が強すぎた。これほど大勢の前で、自分から男性にキスをするなんて初めてだったのだ。しかも相手は直属の上司だ!蓮、なんて意地悪な男なんだ。「君を責めたりしないよ」低い笑い声が聞こえ、文月が横を見ると、博之の瞳が楽しげに笑っていた。「実は、頬にキスするだけでもよかったんだけどね」文月は絶句した。やはり、こういうライブ会場は自分には合わない。……舞台裏で、蓮は博之の肩を叩いた。「どうだ、刺激的だっただろう?」博之はマスクを外し、冷ややかな視線を蓮に向けた。「彼女が怖がってただろ。こういう悪ふざけは、二度とやるな」蓮は軽く笑った。「俺はお前のために一肌脱いだんだぞ。恩を仇で返すなよ。博之、もし俺が本気で邪魔する気なら、二人の間に割り込んでるさ。そうすれば、お前も俺と一緒に独身貴族を貫いて、一生マブダチでいられるからな」ドアノブに手をかけていた文月の手が、びくりと震えた。ネット上には確かにそんな噂があった。蓮と博之のカップリングを推すファンたちがいて、グループチャットでも盛り上がっているのを、文月も知っていた。それに、二人の間に流れる空気はどこか奇妙なものがある。博之は蓮の腕をねじ上げ、テーブルに組み伏せた。その時、文月がドアをノックし、顔を覗かせた。「お邪魔でしたか、続けてください」文月はきびすを返して立ち去ろうとした。博之が低い声で呼んだ。「文月!」文月が足を止めると、彼は大股で歩み寄り、彼女の腕を引いて言った。「夜食でも食べに行かないか?」文月は断ろうとした。蓮と親しいのは博之であり、自分は部外者だ。気にする必要はないのだが、博之の瞳に見つめられると……文月
「何をぼーっと突っ立ってるんだ?」博之は片眉を上げた。今日は珍しく、博之はカジュアルな服装をしていた。下ろした前髪が額にかかり、少し幼く見える。まるで二十代前半の青年のようだ。文月は、博之の年齢を疑いたくなった。ずっと、自分よりかなり年上だと思っていたからだ。それは勝手な思い込みか、あるいは普段の堅苦しいスーツ姿のせいかもしれない。確かに、ライブに行く格好だ。文月は空気が抜けた風船のようにソファに座り込んだ。「私……」彼女が言い淀んでいると、博之が先に口を開いた。「何か悩み事か?」「これ以上、援助していただくわけにはいかない。施設への支援は、もうやめてください」文月は意を決して言った。「北澤グループは毎年多くの施設を支援している。ここもその一つに過ぎない。一つ増えようが減ろうが、大した問題じゃないさ。文月、君のためだけにやっているわけじゃない。わかったか?」博之は立ち上がり、文月に近づくと、彼女をソファの隅に追い詰めるように座った。文月は呆然と彼を見つめた。博之が身を乗り出し……「ピンポーン」チャイムが鳴った。博之は身を起こし、ドアを開けに行った。ドアの外には、派手な化粧をした美しい女が立っていた。彼女は艶然と微笑んだ。「こんばんは。お客様、スペシャルなサービスはいかがですか?」博之の顔色が瞬時に曇った。「いらない」だが、女は諦めようとしなかった。これほどハンサムで、金を持っていそうな若い男を逃したくないのだろう。一晩共にできれば、あわよくば……という下心が見え透いている。「そんなに急いで断らないでよ。タダでいいわよ。むしろこっちがお金払ってもいいくらい」博之はドアの前に立ち尽くしていた。全身から冷気を発しているのに、女は図々しくも中に入ろうとする。その時、一本の手が博之の腕を掴んだ。文月が彼の腕にすがりつき、女に向かって眉を上げた。「すみません、何か御用でしょうか?」女は顔を真っ赤にし、しばらくしてようやく言葉を絞り出した。「あんた、同業者?客を横取りする気?」博之の瞳が凍りついた。「失礼なことを言うな。彼女は僕の恋人だ」バタン、と音を立ててドアが閉められた。彼はすぐにフロントに電話し、対処を求めた。文月は、そっと彼から離れた
梨沙子は萌々花の方を向き、言い聞かせるように言った。「萌々花、蒼介のために、ここは我慢しなさい」萌々花は怒りで全身を震わせた。かつての文月がこれほど弁が立つとは、思いもしなかった。「急いでいるの。白石さん、謝罪をどうぞ」文月は口角を上げた。「楽しみにしているわ」萌々花は歯ぎしりした。「もう見逃してやるって言ったじゃない。どうしてまだ謝らせるのよ!」文月の瞳が、一瞬で冷ややかになった。「二度は言わないわ」社会に出たばかりで、両親もおらず、頼れる人も助けてくれる人もいない。そんな環境で育った文月は、温室育ちのか弱い花ではない。ある意味、彼女の心は鋼のように強かった。萌々花は視線を逸らした。「……ごめんなさい」屈辱感に押しつぶされそうだった。この瞬間、萌々花は本気で文月を引き裂いてやりたいと思った。時間だ。文月は相手に考える隙も与えず、きびすを返して立ち去った。彼女が去ると、小夜子は鼻を鳴らした。「人違いかしら?あの子、どうしてあんなに怖くなったの?」梨沙子は鼻で笑った。「今まで猫をかぶっていたのが、化けの皮が剥がれただけでしょ。最初にあの子を見た時からわかっていたわ。蒼介の嫁には絶対にふさわしくないってね。あなたは、大人しく静養していなさい」梨沙子は萌々花のお腹を一瞥した。生まれてくるのが男の子であることを願っていた。もし女の子なら、美代子がまた難癖をつけてくるだろう。深津家の内情は複雑だ。昨夜、夫の浩文とも話し合ったが、萌々花が蒼介と結婚すれば、彼の格を下げることになる。深津家の基盤は外から見るほど盤石ではなく、やはり政略結婚で地盤を固める必要があった。梨沙子は、かつて文月にそうしようとしたように、萌々花にも手切れ金を渡して身を引かせるつもりだった。文月は足早に病院を後にした。予定していた子供たちへの訪問は諦め、業者に注文して、直接施設へ配送してもらうことにした。その時、スマホに着信があった。文月は画面を見て、動きを止めた。「博之さん……」博之の低く魅力的な声が響いた。「『ヴィクトリアホテル』で待っていてくれ」ホテルに来いという、いかにも艶めいた誘いなのに、彼の口調はいたって真面目だった。文月の頬がカッと熱くなる。「澄川市に出張なの?」その可能性を考
小夜子は、まだ過去のことを根に持っていた。彼女は萌々花を睨みつけた。「誰があんたを深津家の人間だと認めたの?私は認めてないわよ!運良く弟の子を孕んだだけじゃない。まだ入籍もしてないし、子供も産まれてないのに、家族面するなんて笑わせるわ。蒼介を繋ぎ止める努力もしないで、外で遊び歩いて……同窓会にブランド服で着飾って高級車で乗り付けて、玉の輿に乗ったって見せびらかしたいだけでしょ!全部お見通しよ」文月は、思わず吹き出してしまった。萌々花は唇を噛んだ。「小夜子、もうやめなさい」梨沙子が口を開いた。「文月、萌々花に謝りなさい。そうすれば、この件は水に流すわ。あなたは天海市に帰りなさい」梨沙子は相変わらず、自分だけは損をしたくない性格だ。文月は立ち上がった。「いいですよ。私も急いでいますから。彼女が私に謝ったら、すぐに帰ります」「なっ、私が謝るですって?」萌々花は身をよじって立ち上がった。「厚かましいにも程があるわ!悪いのはそっちでしょう、どうして私が謝らなきゃいけないの!」「私が悪い?」文月は眉を上げた。「私が普通に買い物をしていたところに、絡んできたのはそっちでしょう?私の時間はタダじゃないのよ。精神的苦痛の慰謝料を請求しないだけ、感謝してほしいくらいだわ」梨沙子は呆気にとられた。小夜子に至っては、まるでお化けでも見たかのような顔をしている。以前の大人しくて、何を言われても口答えしなかった文月はどこへ行ったのか?これが本当にあの文月なのか?彼女たちの知る文月は、いつも従順で、御しやすい存在だったはずだ。萌々花は息を荒げた。「まだ蒼介の恋人気取り?何様のつもり?深津家が本気になれば、あんたなんて蟻のように踏み潰せるのよ。お義母様、私がこんなにコケにされているのを黙って見ているんですか?」梨沙子も苛立ちを隠せなかった。萌々花がどうであれ、蒼介と結婚式を挙げた相手だ。世間から見れば、彼女こそが深津夫人なのだ。「文月、これが最後のチャンスよ。謝るの、謝らないの?そもそも悪いのはあなたよ。あなたが彼女をぶったのは事実でしょう。謝罪するだけで済むのよ。そんな簡単なことができないの?」文月は言った。「それなら、マスコミとゆっくりお話ししましょうか。深津家の御曹司の浮気スキャンダルなん
文月は萌々花を無視し、そのまま通り過ぎようとした。次の瞬間、萌々花が突然床に座り込み、お腹を押さえて叫び出した。「痛い……!松村さん、早く警察を呼んで!突き飛ばされたの、お腹が痛い!」爽子はそれが演技かどうかなんてお構いなしに、すぐに電話をかけ、その後で萌々花を支えた。萌々花の様子は、あまりに真に迫っていた。文月は一瞬ためらったが、手を貸した。ようやく病院に送り届け、立ち去ろうとした時、爽子が文月を呼び止めた。「星野さん、白石様の容態が落ち着くまで、お帰りいただくわけにはいきません」明らかに、爽子は責任を負いたくないのだ。誰かに罪を擦り付けたいのだろう。文月は唇を引き結んだ。「深津家の人たちって、本当に滑稽だね」どう表現すればいいのか。まるで強力な接着剤のように、一度張り付いたら振り払っても離れない。特にこの萌々花だ。以前からヒステリーを起こして騒ぐのが得意だったが、妊娠してからはその演技に磨きがかかり、もはや名人芸の域に達している。梨沙子が慌てて駆けつけてきた。小夜子も一緒だ。小夜子は目をこすった。見間違いかと思ったのだ。「蒼介とよりを戻すことにしたの?」文月が戻ってくる理由は、それしか思いつかなかった。「私用で来ただけです」小夜子はあのパーティーのことをまだ根に持っていた。彼女は口を尖らせて言った。「この間、どうして私を助けてくれなかったの?あんたのせいで、みんなの笑い者になったじゃない!私の味方のはずなのに、どうして二階堂なんかの肩を持つのよ!あの女狐の!」文月は呆れた。よくもまあ、そんな厚かましいことが言えるものだ。彼女には恥という概念がないのだろうか。梨沙子の方を見ると、彼女は眉をひそめていた。「文月、澄川市に戻ってきたのは、私の孫に危害を加えるためなの?」「監視カメラを確認すればわかります。突き飛ばしてなんかいません。ただ、平手打ちを一発お返ししただけです」文月は淡々と言った。梨沙子は羞恥と怒りで顔を赤らめた。「ぶったですって?彼女は妊婦なのよ!」「私だって人間です。黙って殴られるのを待つわけにはいきません。そうでしょう?」文月は顔を上げ、鋭い視線を向けた。梨沙子のこめかみがピクピクと引きつる。すると小夜子が口を尖らせた。「
本当のところ、文月はあの子が工藤の姓を名乗れればいいのにと思っていた。文月は病院を後にした。飛行機に荷物を持ち込むのは不便なため、ショッピングモールで子供たちへのプレゼントを調達し、配送してもらうことにした。前回の絵の売り上げがまだ手元に多く残っており、懐は潤っていた。蓮のファンたちは非常に熱心で、すでに文月に個人的なイラストの依頼や、グッズ用のイラスト、アクリルスタンドの制作などを求めてきていた。まさか自分がこれほど多才だとは、文月自身も思っていなかった。ある大手のファンサイト管理人が彼女をグループに招待し、個人的に感謝のメッセージを送ってきたほどだ。彼女の画力は素晴らしく、蓮の国宝級の美貌を損なうことなく描けていると絶賛された。ネット上の有象無象の絵師たちとは比べ物にならないという評価だった。「文月?」探るような声が響き、文月が振り返ると、そこには驚愕に目を見開いた萌々花が立っていた。「あなた……どうして戻ってきたの?」萌々花は少しどもっていた。恐怖さえ感じているようだ。まさか、蒼介が本当に彼女を説得して連れ戻したのだろうか?文月が蒼介を奪い返しに来たに違いない!自分は身重の体だというのに、蒼介に捨てられるわけにはいかない。「ただの里帰りよ」文月は淡々と言った。「私に何か用?」萌々花はすぐに表情を引き締め、大きなお腹を突き出すようにして、傲慢な態度で言った。「別に。ただ、私と蒼介の子供がもうすぐ生まれるから、ベビー用品を買いに来ただけよ。深津家には何でも揃っているけれど、母親になる身として、やっぱり自分の手で選んであげたいじゃない?」「おめでとう」文月は眉一つ動かさなかった。まるで蒼介のことなど知らず、萌々花の存在など眼中にないといった様子だ。実際、文月にとってはどうでもいいことだった。だが、その態度が萌々花を苛立たせた。まるで暖簾に腕押しで、いくら自慢しても相手は無傷、自分だけが鬱憤を溜め込むようなものだ。「本気なの、それとも強がり?本当にこの子の存在を無視できるわけ?」萌々花は彼女を弄んでやろうと考えた。「私は今や深津家の若奥様、深津夫人なのよ。私が一言命じれば、デパートのマネージャーがあなたを追い出すわ。試してみる?」以前の文月はいつも高嶺の花の







