LOGIN社長である松浦竜也(まつうら たつや)と内密に結婚して6年。やっと彼が、私たち夫婦の関係を公表してくれる気になった。 会社のパーティーでは、もう知らないふりなんてしないで、みんなに私のことを紹介してくれた。 竜也が、柴田遥(しばた はるか)のために家に帰ってこなかったり、私との約束をすっぽかしたりすることも、もうなくなった。 竜也の態度が変わったおかげで、義母の松浦穂花(まつうら ほのか)からも、もう嫌味を言われなくなった。 竜也があからさまに特別扱いしてきた、遥からでさえ、メッセージが届いた。 【あなたの勝ち。6年も添い寝もなしの生活に耐えて、やっと彼の気が変わったってわけね】 こうして私は、やっと名実ともに竜也の妻になった。 でも、思ったほどうれしくはなかった。 竜也が、結婚式のプランを差し出してきた時、私は思わず黙り込んでしまった。 私の様子がおかしいことに気づいた竜也は、眉間にしわを寄せて問い詰めてきた。 「周りにもちゃんと紹介して、結婚式もやり直す。これって、お前がずっと望んでいたことじゃなかったのか? 絵美(えみ)、また何をすねてるんだ?」
View Moreおせっかいな人はどこにでもいるもので、様々なルートで竜也と遥のニュースを送ってきた。【絵美、聞いた?松浦さんは、本当に柴田さんを助けに行ったんだって。屋上で揉み合ってる写真がネットで話題になってるよ!】【信じられない、柴田さんって、本当にやり方が汚いわよね。助けられた直後、すぐ気絶して、松浦家が経営する病院にまんまと入院したんだから】【最新情報だ!松浦さんの母親が、わざわざ病院まで柴田さんのお見舞いに行ったらしいぞ。どうやら、腹の子を認めたようだな】そんな知らせが、耳障りなノイズのように頭の中でこだました。最初はイライラしたけど、そのうち何も感じなくなった。竜也と遥の物語は、大げさで、別れたりより戻したりを繰り返して、まるで終わりのない昼ドラを見ているようだった。私はただ、途中で席を立った観客にすぎない。それから半年後、私はS国を旅していた。その日、雪山のふもとで絵を描いていると、スマホが一度震えた。送られてきたのは、一枚の写真だった。そこには、竜也と遥がぴったりと寄り添っている顔写真が写っていた。どうやら二人が入籍した時の写真らしい。写真の下には、遥からの挑発的なメッセージが添えられていた。【絵美さん、見た?何年も争ってきたけど、最後に勝ったのは私。あなたは負け犬よ】私がそれを消す間もなく、今度は竜也からメッセージが届いた。十数件も立て続けに送られてきて、あっという間に画面が埋まった。【絵美、誤解しないでくれ!俺は脅されたんだ!】【遥が子供を盾に母さんを脅してきて……母さんは心臓が弱いから、ショックで入院してしまったんだ】【これは一時しのぎなんだ!信じてくれ!】【もうしばらく海外にいてくれ。遥が子供を産んだらすぐに離婚するから!そしたら、すぐに迎えに行く!】【絵美、返事をしてくれないか?頼むから……】私は無表情で、二人の電話番号をまとめてブロックした。それから一年、私は国内との連絡を一切断って、絵に集中した。現地でささやかな個展を開くまでになった。個人的な事情で、一時帰国せざるを得なくなるあの日までは、竜也たちのことも、かつての出来事も、すべて永遠に時の流れの彼方へ置き去りにしたつもりだった。飛行機が着陸した瞬間、スマホがネットに繋がり、溜まっていたニュース通知
私は、「竜也、ほら見て。本当は私のこと、愛してるんでしょ。ただ、忘れちゃっただけなのよ」と言った。でも、竜也はどうしたと思う?竜也は指輪をひったくると、一瞥もせずに、ゴミ箱に投げ捨てた。そして私の顎を掴んで、軽蔑するような冷たい目で言ったわ。「絵美、二度とこんなものを俺に見せるな。あの頃の話も、二度と俺の前でするな。さもないと、お前を俺の妻でいられなくしてやっても構わないぞ」その日、外はひどい雨だった。私は雨の中へ飛び出し、徹夜で歩き続けた。なのに今、竜也はこの指輪を持って、覚えているかと私に尋ねた。なんて皮肉なの。「お、俺は……絵美、俺は……」竜也は口ごもり、唇を動かしたけど、一言も説明できなかった。その時、甲高いスマホの着信音が、この気まずい空気を切り裂いた。竜也はまるで救いの船を見つけたかのように、慌ててスマホを取り出した。画面が光って、着信表示には「遥」という名前があった。竜也は思わず電話を切ろうとしたけど、一瞬、その動きがためらった。私は竜也を見つめて、冷たく言ったわ。「出ればいいじゃない。後悔しないようにね」竜也は私の言葉にカチンときたみたいで、画面を消した。そして私の手を掴むと、必死に自分の気持ちを訴えてきた。「絵美、聞いてくれ、遥とは本当にもう何もないんだ!今、俺の心にはお前しかいない、お前だけが欲しいんだ!」その言葉が終わらないうちに、スマホがまたしつこく鳴り響いた。今度は、知らない番号からだった。竜也はその番号を見て、眉をひそめて、ためらっていた。彼がまた電話を切る前に、私は手を伸ばして、代わりに通話ボタンを押して、ついでにスピーカーフォンにした。あまりに素早い動きだったから、竜也は反応できなかった。電話の向こうから、冷静で真剣そうな男の人の声が聞こえた。「松浦竜也さんでいらっしゃいますか?柴田遥さんが、星見ヶ丘プラザから飛び降りようとしています。柴田さんは精神的に不安定になっており、あなたに会いたいと指名しています。至急こちらへ来ていただけますか?」竜也はかっとなって、電話に向かって怒鳴ったわ。「死なせておけ!あいつが死のうが生きようが、俺の知ったことか!」次の瞬間、強い風の音に混じって、電話から遥の甲高い泣き声が聞こえて
竜也は必死になって説明した。「あの事故のこと、ちゃんと調べたんだ。お前には全く関係なかった!ブレーキの故障だった。ただの事故だ!遥に騙されてたんだ!それに高校の時のことも!遥をいじめてたなんて、全部うそだった!全部、遥が俺をだますための作り話だったんだ!あいつは俺たちを引き離したかっただけなんだ!」竜也は私の目をじっと見つめながら、後悔に満ちた声で言った。「俺がバカだったんだ!あんな女にだまされるなんて、俺はどうかしてた!」なんて、滑稽なんだろう。かつて、私が泣き叫んで説明しても、竜也は聞いてくれなかったのに。竜也の元を去った今になって、やっと信じる気になったなんて。私が無反応でいると、竜也の目にはさらに焦りの色が浮かび、その声は懇願するような響きを帯びていた。「絵美、ごめん、お前のことを信じてやれなくて……最低なことをした。もう一度、チャンスをくれないか?遥の正体はもう分かったんだ。あいつとは、もうきっぱり縁を切った!俺と一緒に国内に帰って、もう一度やり直そう。誓うよ。これからはもっと大事にする。お前が望むものは、なんだってしてやるから……」そう約束しながら、竜也の目には期待の色がかすかに光っていた。でも、私が欲しかったものは、もう竜也には与えられない。「真実がどうかなんて、私にとってはもうどうでもいいことよ。あなたが騙されたのか、それとも自分の意思だったのか。どちらにしても、もう私には関係ない。ただ、もう二度と私の前に現れないでほしい」私は、自分の手首を掴む竜也の指を、一本一本引きはがした。「そんなはずない!お前がそんなこと思ってるわけがない!絵美、意地を張るなよ!絵美、お前は子供の頃から俺の後ろばっかりついてきて、何年も俺に片思いしてたじゃないか。そんなお前が、俺をいらないなんて言うわけないだろ?」竜也はふと何かを思い出したように、慌ててコートのポケットからベルベットの小箱を取り出した。箱を開けると、中には少し不格好な銀の指輪が収められていた。私が手作りしたもので、内側には歪んだ「絵美」の文字が刻まれている。それは、竜也が記憶喪失だった頃、私を誘って手作りアクセサリーの店で、不器用ながらも二人で一日がかりで作ったものだった。これは私に贈る、世界で
竜也は考えているうちに、胸のなかの得体の知れない怒りが、また燃え上がってきた。母が絵美を無理やり追い出したに違いない。絵美はあんなに自分を愛してたのに、自分からいなくなるなんて、ありえるはずがない。だから、なんとしても絵美を見つけ出して、直接問いたださなければ気が済まない。……1月のE国は、想像していたほど寒くはなかった。湿った空気には、草や土の匂いが混じっていた。からっと乾燥した国内の冬とは、全然ちがう。ここへ来たばかりの頃は、どうも馴染めなかった。注文する時は言葉に詰まるし、電車も乗り間違えたりした。それに、時々夜中に、どうしようもない孤独感に襲われることもあった。でも、このまったく知らない場所で、だんだん気持ちが楽になっていくのを感じた。もう誰も私を「松浦さん」とは呼ばない。実家の体面を保て、なんて言う人もいない。私は、ただの私でいられた。あれほど毎晩私を苦しめて眠れなくした心の病も、この知らない土地に来てから、ずっと楽になったみたい。穂花は約束を守ってくれた。出国したとき、私の口座に4億円を振り込んでくれたの。でも、ただ何もしないで、お金を食いつぶすのは嫌だった。だから、大学のころにやっていた絵の腕をいかして、道端で小さな画架を立てて、人の肖像画を描き始めた。最初は、顧客なんて誰も来なかった。そのうち、イーゼルに立てかけた絵に惹かれて足を止める観光客や、学校帰りの子供がぽつぽつと現れた。一日がんばっても、大したお金にはならなかった。だけど、この穏やかな時間が、時の流れが苦痛じゃないってことを思い出させてくれた。筆と絵の具の世界に没頭していると、久しぶりに穏やかな気持ちになれた。竜也と一緒にいた日々のことも、喧嘩も、涙も、期待と絶望も、全部、まるで前世の出来事みたいに感じられた。竜也に再会するまでは……その日は天気がよくて、トラファルガー広場にはのどかな日差しが降り注いでいた。私は、ギターを抱えたストリートミュージシャンの絵を描いていた。描くことに夢中で、聞き慣れた声が、頭の上から聞こえてくるまでは、誰かがずっとそばに立っていることに、まったく気づかなかった。「絵美?」私の筆先がぴたりと止まり、紙に一本、不自然な線が入ってしまった。でも、すぐには顔を