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第3話

ゴブリン
翌朝、菜々子はトイレの床で目を覚ました。

最近、病状は日に日に悪化していて、意識が遠のくこともあれば、激痛で気を失うこともあった。

ただ、大量に血を吐き、便器が赤く染まっていた光景だけがぼんやりと残っている。

菜々子はレバーを引き、濁った赤い水がゆっくりと流れていくのを見つめた。

その時、インターホンが鳴った。

真司か?

菜々子は慌てて片付け、口をゆすぎ、床に残った血の跡を拭き取ると、玄関へ向かった。

「真司……」

だが、立っていたのは真司ではなく、菖蒲だった。

菖蒲は高級なブランド服に身を包み、メイクも髪型も完璧で、顔色も良く、つい最近までうつ病で自殺騒ぎを起こしていたようには見えなかった。

彼女は唇に笑みを浮かべて挨拶をした。「菜々子さん、初めまして。奥山です」

菜々子はなぜ菖蒲が突然来たのか分からなかったが、淡々と言った。「奥山さん、私を呼ぶ時は、奥様と呼んで」

菖蒲は鼻で笑った。「どうせあなたはもう長くないんでしょう?奥様なんて肩書きも、じきに私のものになるのに、そんな呼び方にこだわる意味あるの?」

「あるわ」菜々子ははっきりと頷いた。「少なくとも、あなたの前ではね」

菖蒲はあざ笑った。「今のうちに私に取り入ったらどう?ここが私の家になったら、物置にでもあなたの位牌を置いて、腐った果物くらいはお供えしてあげるわ」

菜々子の視線が、ふと菖蒲の手首に落ちた。

そこには女性用の腕時計とブレスレットがあるだけで、傷跡など、どこにも見当たらなかった。

菜々子は、先週、彼女が自殺未遂を装ったことを覚えていた。飛び降りではなく、リスカだった。

あの時、生々しい写真も見た。それなのに、たった数日で傷一つなく綺麗になっているなんて。

「手首の傷はどうしたの?」

「あんなこと、本気でするわけないでしょ。傷なんて残したくないもの。最初からやってないわ」

菜々子は息をのんだ。「うつ病も……芝居なのね?真司を騙したの?」

菖蒲はますます勝ち誇ったように笑った。「彼が信じてくれさえすればいいのよ。男っていうのはね、女が自分のために病んだと思えば、心が満たされて罪悪感を抱くものよ。私が具合が悪いフリをすれば、彼は私を心配して、何よりも優先して駆けつけてくれる……」

「奥山菖蒲!」菜々子は憎しみを露わにした。「そんな嘘で彼の愛を奪って、家庭まで壊して、恥ずかしくないの?」

菖蒲は負け犬を見るような目で菜々子を見下ろした。「菜々子さん、あなたの方がよっぽど滑稽よ」

そう言って、襟元をゆっくりと引き下げた。首筋には、くっきりとしたキスマークが残っている。

「……こういうの、あちこちにあるの」

彼女は一歩前に出て、菜々子の手を無理やり引き寄せ、その痕に当てさせた。「見る?胸にも、お腹にも、足元にも、それと……」

菜々子の耳元で、わざとらしく、口にするのもはばかられるような言葉を囁いた。

「どこを見たい?菜々子さん。言ってごらんなさい。真司がどれだけ私を愛し、求めているか、教えてあげる……」

菜々子は必死に手を抜こうとしたが、菖蒲は強く掴んだまま離さない。

突然、彼女のさっきまでの余裕は消え、怯えた表情に変わる。

気づけば、菜々子の手は、まるで首を絞めているかのような形になっていた。

菖蒲は大声で泣き叫んだ。「奥様、お願いだから離して!殺される!」

「菖蒲!!!」

冷たい風が吹き抜け、菜々子は突き飛ばされ、後ろのソファに背中を激しくぶつけ、床に転がった。

激痛のあまり、菜々子は口から血を吐いた。

顔を上げた瞬間、目に入ったのは、真司が菖蒲を抱きしめ、心配そうに「大丈夫か」と声をかけている姿だけだった。

菖蒲は涙をこぼしながら真司にすがりつく。「真司、すごく怖かったわ……」

「もう大丈夫だ。俺がついてる」

「うん、あなたさえいれば、なにも怖くないわ」

真司は菖蒲をお姫様抱っこして、床に倒れ込む菜々子を完全に無視し、寝室へ向かった。

そこは二人の寝室だ。

そして、扉が激しく閉ざされる。

壁越しに真司の自分を責めるような声が聞こえてくる。「家で休めって言っただろ、なぜここに来たんだ?あいつは最近おかしいんだ。君だって体調が悪いのに、何かあったらどうする?」

「あなたに会いたくて、ここしか行く場所がなかったの……」

菜々子は皮肉な笑みを浮かべ、手で血を拭いながら、何とかソファに寄りかかった。

抗がん剤の影響で、身体は限界まで弱っていて、今や、ソファに座ることさえ楽ではない。

真司が寝室から出てきた時、ちょうど菜々子がソファに這い上がろうとしているところだった。

彼は見下ろし、冷たく言い放つ。「いい加減、その芝居はやめろ」

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