Short
捧げた想いは、届かなくて

捧げた想いは、届かなくて

By:  ちょうどいいCompleted
Language: Japanese
goodnovel4goodnovel
12Chapters
25views
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

Synopsis

切ない恋

愛人

ひいき/自己中

婚姻生活

不倫

妻を取り戻す修羅場

誕生日当日。 六年付き合った恋人、柏木恒一(かしわぎ こういち)は、私にプロポーズするはずだった。 だが現場に駆けつけた私が目にしたのは、本来なら私のために用意されていたはずの指輪を、別の女に差し出す彼の姿だった。 恒一は、悪びれる様子もなく淡々と言った。 「恩師の奥様が不治の病なんだ。最期を迎える前に、優月(ゆづき)の花嫁姿を見たいそうなんだ。いい子で待っていてくれ。長くても三か月だ」 ――その一か月後。 私は栄都市随一の富豪と盛大な結婚式を挙げた。 式場に駆け込んできた恒一は、息を切らして復縁を懇願した。私は薬指に輝く十カラットのダイヤをひらりと掲げ、微笑んだ。 「悪いけれど恒一。私、もうあなたに割く時間はないの。どうぞ大人しく列に並んでちょうだい。来世なら、まだチャンスがあるかもしれないわよ」

View More

Chapter 1

第1話

今日は二十八歳の誕生日。私・高梨美咲(たかなし みさき)と柏木恒一(かしわぎ こういち)は、付き合って六年になる。

そして彼は、ようやくこの特別な日に、私へプロポーズしてくれるはずだった。

「キスして、キスして!」

華やかで上品なイブニングドレスに身を包み、会場の扉の前まで来た私は、中から響いてくる囃し立てる声に足を止めた。

主役の私がまだ来ていないのに、いったい誰と誰がキスをするというの?

そう思いながら扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、恒一が小林優月(こばやし ゆづき)を抱き寄せ、深く唇を重ねている姿だった。

優月の指にはめられたダイヤの指輪が、灯りを受けて目に痛いほどの輝きを放っている。それは、恒一が私に贈ると約束していた婚約指輪だった。

私が現れたことで、さっきまで熱気に満ちていた場の空気は、一瞬で冷えきった。恒一は平然とした顔で優月から身を離し、私のもとへ歩み寄ってきた。

「先生の奥様が不治の病なんだ。最期を迎える前に、優月の花嫁姿を見たいと望んでいるようで、優月に頼まれたんだ。先生の奥様の願いをかなえてほしいって。全部、芝居だよ。演技に決まってるだろ」

私は彼を見つめたまま、問い返した。

「唇まで重ねておいて、それも芝居だっていうの?」

恒一は背後にちらりと目をやり、悪びれもせず言った。

「先生の奥様が見ているんだ。なら、ちゃんと本物らしく見せないといけないだろ。いい子で帰って待っていてくれ。三か月あれば十分だ」

そのとき、周囲からひそひそと声が上がるのが聞こえた。

「この女、なんでこんなに気合い入れて来てるの?知らない人が見たら、まるで自分が柏木教授の恋人みたいじゃない」

「ほんとよ。こういう女に限って出しゃばるのよね。自分の立場もわきまえないで」

「柏木教授と小林さんこそ、お似合いの二人じゃない。片や小林教授の一番弟子、片や実の娘なんだから」

「そうそう。小林教授は彼をずいぶん可愛がっていたそうよ。生前も、ずっと力になっていたって聞いたわ」

恩に報いるにしても、恒一のやり方はずいぶん行き過ぎている。結婚まで引き受けるなんて。

彼にとって、小林家はやはり特別な存在なのだろう。

「そう。三か月じゃ足りないわね。いっそ、一生仲良くしていればいいじゃない」

唇の端をわずかに吊り上げ、私はそのまま背を向けた。

「美咲、そんなふうに言うな……」

恒一が私を引き止めようと手を伸ばしかけた、そのとき。背後で、優月の悲鳴のような声が上がった。

「お母さん、お母さん、どうしたの!」

騒然とする物音を背に、私は一度も振り返ることなく、その場をあとにした。
Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters
No Comments
12 Chapters
第1話
今日は二十八歳の誕生日。私・高梨美咲(たかなし みさき)と柏木恒一(かしわぎ こういち)は、付き合って六年になる。そして彼は、ようやくこの特別な日に、私へプロポーズしてくれるはずだった。「キスして、キスして!」華やかで上品なイブニングドレスに身を包み、会場の扉の前まで来た私は、中から響いてくる囃し立てる声に足を止めた。主役の私がまだ来ていないのに、いったい誰と誰がキスをするというの?そう思いながら扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、恒一が小林優月(こばやし ゆづき)を抱き寄せ、深く唇を重ねている姿だった。優月の指にはめられたダイヤの指輪が、灯りを受けて目に痛いほどの輝きを放っている。それは、恒一が私に贈ると約束していた婚約指輪だった。私が現れたことで、さっきまで熱気に満ちていた場の空気は、一瞬で冷えきった。恒一は平然とした顔で優月から身を離し、私のもとへ歩み寄ってきた。「先生の奥様が不治の病なんだ。最期を迎える前に、優月の花嫁姿を見たいと望んでいるようで、優月に頼まれたんだ。先生の奥様の願いをかなえてほしいって。全部、芝居だよ。演技に決まってるだろ」私は彼を見つめたまま、問い返した。「唇まで重ねておいて、それも芝居だっていうの?」恒一は背後にちらりと目をやり、悪びれもせず言った。「先生の奥様が見ているんだ。なら、ちゃんと本物らしく見せないといけないだろ。いい子で帰って待っていてくれ。三か月あれば十分だ」そのとき、周囲からひそひそと声が上がるのが聞こえた。「この女、なんでこんなに気合い入れて来てるの?知らない人が見たら、まるで自分が柏木教授の恋人みたいじゃない」「ほんとよ。こういう女に限って出しゃばるのよね。自分の立場もわきまえないで」「柏木教授と小林さんこそ、お似合いの二人じゃない。片や小林教授の一番弟子、片や実の娘なんだから」「そうそう。小林教授は彼をずいぶん可愛がっていたそうよ。生前も、ずっと力になっていたって聞いたわ」恩に報いるにしても、恒一のやり方はずいぶん行き過ぎている。結婚まで引き受けるなんて。彼にとって、小林家はやはり特別な存在なのだろう。「そう。三か月じゃ足りないわね。いっそ、一生仲良くしていればいいじゃない」唇の端をわずかに吊り上げ、私はそのまま背を向けた。
Read more
第2話
私はタクシーで、恒一と暮らすはずだった新居へ戻った。道中ずっとこらえていた涙は、玄関の扉を開けた瞬間、堰を切ったようにあふれ出した。耳の奥によみがえったのは、恒一が初めて私をここへ連れてきた日の言葉だった。「美咲、鍵も通帳も、これからは全部君に預ける。この家のことは、これから先ずっと君が決めていい。どんな雰囲気にするかも、どんな家具を置くかも、全部好きにしていい。君が喜んでくれるなら、それでいいんだ」けれど今、私が心を尽くして整えたこの部屋を見渡すと、何もかもが滑稽に思えた。私は結局、誰かのために嫁入り支度をしていたようなものだ。六年のあいだ注いできた想いも、待ち続けた時間も、返ってきたのはこんな結末だった。涙を拭い、私は手早く荷物をまとめた。ちょうど玄関を出ようとしたときだった。扉が開き、恒一が入ってくる。その後ろには、優月の姿もあった。「美咲、何をしてるんだ?」私は顔を上げ、淡々と答えた。「別れたんでしょう?だったら、出ていくしかないじゃない。小林さんに場所を空けてあげないと」すると恒一は私の腕をつかみ、そのままベランダへ引っ張っていった。そして、気が気でないといった顔で私を見つめた。「さっき、ちゃんと説明しただろう?優月だって、今日になって急に俺を訪ねてきたんだ。俺もあの人たちとは、ずっと連絡を取っていなかった。小林教授には、本当に世話になったんだ。今はもう、奥様に残された時間が少ない。心残りを抱えたまま逝かせるなんて、そんなことできるわけがないだろう。なあ、美咲。頼むから、これ以上騒がないでくれ」小林家が彼を助けてきた。そんなこと、私だってわかっている。でも、彼を支えてきたのは小林家だけではない。身の回りの世話をし、生活を支え、彼が二年間海外へ留学しているあいだも、私は必死に働いてお金を工面した。それすら彼には、当たり前のことに思えているのだろうか。しかも、彼がその留学の機会を手に入れられたのも、もとはといえば私が奔走したからだった。ただ、それを口にしなかっただけだ。感謝を盾にして、二人の関係をつなぎとめたくはなかったから。私が黙っていると、恒一は手を伸ばし、私の髪に触れようとした。以前なら、私が少し意地を張ったとき、彼がこうしてくれさえすれば、それだけで機嫌を直していた。けれど今回は、
Read more
第3話
優月は私に言い返され、たちまち顔を真っ赤にした。「美咲さん、そんな言い方、あんまりです。私だって、こうするしかなかったのは……お母さんのためで……」「どうした?」そこへ恒一が駆け寄ってきた。目を潤ませた優月が、大げさに言いつのるように自分へ訴えるのを見るなり、恒一は冷たい目を私へ向けた。「美咲、どうして優月を責めるんだ?彼女こそ、本当の被害者じゃないか」私に何があったのか、一言も確かめようともしないまま、彼は優月をかばった。――これが、私が六年も愛してきた男なの?あれほど私を信じてくれていた彼は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。もう、彼の心は私にはない。優月が被害者だというのなら、私は何なのだろう。どうしてこんな理不尽な扱いを受けなければならないのか。私は小さく息を吸い込んだ。これ以上、彼と言い争う気にはなれない。深い失望を抱えたまま、私は背を向けた。「美咲、どうしてそこまで意地を張るんだ?じゃあ、しばらくは親友のところにでもいればいい。頭を冷やしたら戻ってこい」私の決意の固さを見て取ったのか、今度の恒一は引き止めようとはしなかった。「恒一さん、美咲さんが本当に怒って帰ってこなくなったりしない?」「まさか。何日かすれば、あいつのほうから戻ってくるさ」私はこれまで、恒一の前ではずっと聞き分けがよく、物分かりのいい女でいた。明るくて、大らかで、彼を困らせない恋人であろうとしてきた。ただ一度だけ、本気で腹を立てたことがあったが、それでも親友の家に一晩泊まっただけで、翌日には、恒一がちゃんと自分の面倒を見られないのではないかと気になって、自分から帰ってしまった。それに、この家には私の時間も思い出も、あまりにも多く注ぎ込まれている。だから彼は、私が手放せるはずがない、必ず戻ってくると高をくくっているのだ。けれど、彼は何ひとつわかっていなかった。これまで彼の前で素直で従順でいたのは、ただ彼を愛していたから。でも、もう違う。彼は私を欺いただけではない。別の女と結婚までした。恒一の体に残っていた香水の匂いが、その何よりの証拠だった。マンションを出ると、ちょうど兄が高級車で迎えに来たところだった。「高梨家のお嬢様、ようやく遊びは終わったか?やっと家に帰る気になったんだな」その声を聞いた瞬間、目の
Read more
第4話
「まさか、このままで終わらせるわけないでしょう?今の私は、もう恒一の知っている高梨美咲じゃない。御影(みかげ)市の名家、高梨家の令嬢なのよ」「わかった。何か手伝えることがあれば、ひと言ちょうだい」彼女は病院で働いている。私は優月の母親の病状が本当なのか、調べてほしいと頼んだ。それからどれくらい時間が経ったのだろう。私はふらつく頭のまま立ち上がり、外へ向かった。だが、廊下で足元がもつれ、よろけた拍子にひとりの男の胸へぶつかってしまう。「ごめんなさい……あつ」慌てて顔を上げると、整った目鼻立ちの男が目に入った。――うそ。今どきのホストって、こんなに格好いいの?顔立ちがいいだけじゃない。この体つきも、この雰囲気も、文句のつけようがない。ここ数年、自分を閉じ込めすぎていたのかもしれない。ほんの狭い世界しか見えていなかったのだ。私は手を上げ、彼の頬から胸元へと指先を滑らせ、軽くつつく。そして、英語で話しかけてみた。「ねえ、イケメン。一晩いくら?あなたを一晩、買いたいの」「二十万だ」男は深い眼差しのまま答えた。「いいわ。二十万で」そう言うなり、私は彼の首に腕を回し、その唇へ顔を寄せた。男は私の腰を抱き寄せ、そのキスをさらに深くした。翌朝、目を覚ますと、隣には見知らぬ男が寝ていた。驚いて、ベッドから転げ落ちそうになる。昨夜の記憶が、途切れ途切れによみがえってきた。――嘘でしょ。完全に、酒の勢いでやらかしたじゃない。私、まさか……ホストと寝てしまった……?あまりにも無茶苦茶すぎる。だめ、早くここを出ないと。昨夜、いくらで話をつけたのかも思い出せない。私は仕方なく、手持ちの現金を全部置いて、その場をあとにした。ホテルに戻ると、すぐに護衛へ連絡し、帰国の便を手配させた。予定より早く帰ってきた私を見て、兄は驚いた顔をした。理由を聞かれ、私はしどろもどろになりながら答える。「ひとりで海外にいても、ちっとも楽しくなかったの。それに、もう気持ちの整理もついたし」「それならよかった。うちの美咲は、見切りをつけるときは早いからな」兄は笑いながら私を見て、こう続けた。「ちょうどいい。実はじいちゃんがお前の見合いを決めていてな。明日はちゃんと身支度して行けよ」――は?いくらなんでも、展開
Read more
第5話
優月は、小鳥のようにしなだれかかりながら、恒一の腕にぎゅっとしがみついた。「美咲さん、そんなに男に飢えてるからって、少しは人目を気にしたらどうですか?こんな人前で、そんなことをするなんて――」玲司はゆっくりと身を起こし、訝しげな目で二人を見やった。私は冷笑し、目の前の飲み物を手に取ってひとくち含んだ。「お二人とも、お節介が過ぎるんじゃない?私が何をしようと、あなたたちに関係あるの?」「あなた……」優月は私をにらみつけた。「美咲さん、そんな言い方ひどいです。私たちはあなたを心配してるんですよ。だって、あなたは恒一さんの元恋人だったんですから」――元恋人。そこだけ、わざと強く言った。「じゃあ、お礼でも言えばいいの?」私はまぶたを上げ、二人を見やった。そのとき恒一は、テーブルの上の鮮やかな薔薇の花束をじっと見つめたまま、黙り込んでいた。私はさらに言葉を重ねた。「私はお見合い相手と会ってるの。堂々とね。何をしようが私の勝手でしょう。口を挟まれる筋合いはないわ」「お見合い相手?美咲、俺が言ったことをもう忘れたのか?その男のことを何も知らないだろう。何者かもわからないくせに、もうキスまでしたのか?」お見合い相手という言葉を聞いた瞬間、恒一は露骨に取り乱した。そして、いきなり私の腕をつかもうと手を伸ばしてくる。だが玲司がすぐに私の前へ立ち、礼儀正しく片手を差し出した。「はじめまして、柏木さん。自己紹介が遅れました。榊原玲司と申します。先日F国から戻ったばかりで、現在は榊原グループの新任社長を務めています」私は思わず彼を見上げた。榊原グループといえば、栄都市随一の名門だ。まさか祖父が、こんなにも条件のいい男性を私に紹介していたなんて。しかも彼は、目の前の男が恒一だと最初から知っていた。お見合いの前に、それなりに調べてきていたのだろう。恒一と優月の顔に浮かんだ驚きも、私と同じか、それ以上だった。けれど恒一はその手を取ろうとせず、両手をポケットに突っ込んだまま言った。「F国帰りだから何だっていうんだ。あっちは妙な病気も多いと聞く。初対面で女にあんな馴れ馴れしい真似をするなんて、普段からよほど女慣れしてるんだろうな。どうせ体だって……」「恒一、いい加減にして!」私は勢いよく立ち上がり、そのまま彼をひっ
Read more
第6話
恒一は、私が玲司と関わるのを止めたいのだろう。だったら、なおさら彼の思いどおりになんてしてやるものか。三か月待てと言われたからって、どうして私が従わなければならないの?私はもう、以前の高梨美咲じゃない。私たちはもう別れたのだ。私が誰と付き合おうと、彼にとやかく言われる筋合いはない。それなのに、どうしてあんな傷つくことまで言われなければならないのか。六年間一緒にいて、彼はずっと穏やかで落ち着いた人だと思っていた。あんなふうに毒舌な一面があるなんて、今まで一度も気づかなかった。今日は何かおかしかったのだろうか。「さっき言ってたホテル、どこですか?ナビに入れますよ」不意に響いた玲司の声に、私ははっと我に返った。いつの間にか、私は彼の車の助手席に座っていた。視線を落とすと、彼のスマホの画面には地図アプリが表示されている。「え?本当に行くの……?」情けないことに、私の声は蚊の鳴くように小さかった。玲司は真顔のまま、わずかに口元を歪めた。「あなたが自分でそう言ったんでしょう。まさか高梨さん、利用するだけ利用して、あとは知らないふりをするつもりじゃないですよね?」「い、いや、私は……」私は言葉に詰まった。さっきは恒一を怒らせることしか頭になくて、そのあとの収め方まで考えていなかった。まさか、この人が本気にするなんて。私は唇を軽く噛みしめ、しどろもどろになりながら弁解した。「榊原さん、さっきのことは本当にごめん。巻き込んでしまって……申し訳ないわ。あの二人が急に現れるなんて、私も思っていなかったの。お見合いに乗り気じゃなかったのは事実だけど、榊原さんの人柄を疑ったわけではないわ。よかったら……別のところで食事でもご馳走させて。お詫びの代わりに」玲司はしばらく黙って私を見つめ、それから口を開いた。「前の彼氏に後をつけられるかもしれない、とは思わないんですか?だったら、もう少し芝居はそれらしく続けたほうがいいんじゃないですか」「まさか。彼には、あのか弱い後輩を守るので手一杯でしょうし。私のことまで構っている暇なんてないわ」私はきっぱりと言い切った。けれど玲司の目には、一瞬だけ疑うような色がよぎり、次の瞬間にはふっと笑みがこぼれた。「冗談ですよ。とはいえ、今回は両家の顔合わせみたいなものですしね。初対面で
Read more
第7話
恒一は突然手を伸ばし、私の顎を強くつかんだ。声は氷のように冷たかった。「美咲、君、わざと俺を怒らせようとしてるんだろう?君はあの榊原って男とホテルになんか行ってない。二人で食事をしただけだろ」私は力を込めてその手を振り払った。「恒一、まさか私を尾けてたの?」彼は問いには答えず、冷えた声で続けた。「どうしてこんな高級マンションに住んでる?あいつに用意してもらったのか?いつからあの男とそういう仲になった?」その口ぶりでは、まるで私が前から浮気していたとでも言いたげだった。「あなたに関係ある?自分がそうだからって、みんなも同じだと思わないで。恋人がいながら、よそにまで手を出すような人ばかりじゃないのよ」彼は私の腕を強くつかみ、眉を寄せた。「美咲、俺は何度説明すればわかるんだ?少しくらい寂しさを我慢できないのか?ほんの数か月、待つこともできないのかよ」数か月待て、ですって?ほかの女に骨の髄まで味わい尽くされたあとで、のこのこ戻ってきた男を受け入れろというの?冗談じゃない。何でも押しつければいいってもんじゃない。「恒一、自分の言ってること、おかしいと思わないの?あなたとの別れを受け入れた、その時点で、復縁なんて一度も考えていないわ」自分は別の女と連れ立って、いちゃついておきながら、私にはそこで待っていろと言う。何様のつもりなのだろう。絶世の美男子だとでも思っているの?私が彼でなければ駄目だと、本気で思っているの?恒一の顔色がみるみる険しくなった。「本当に、あの榊原玲司という男に惚れたのか?」「ええ。お金もあって、教養もあって、顔だっていい。あなたよりずっとましよ。何より、恩師の奥様や後輩の世話に追われたりもしないもの」私は顔を上げ、意地を張るように彼の目をまっすぐ見返した。すると次の瞬間、恒一は逆上したように私の唇を奪った。驚いて抵抗しようとしたけれど、体を押さえつけられ、身動きが取れない。私は咄嗟に、思いきり彼の唇を噛んだ。痛みに顔をしかめ、恒一はようやく私を放した。「美咲、君はあの男のために、俺にこんなことをするのか。俺たちの六年が、あいつと過ごした数時間にも及ばないっていうのか?」「いい加減にして。私の前で気持ちだの愛だの口にしないで。あなたには、その資格もない」私は力いっぱい彼
Read more
第8話
「二股って、何のことだ?俺はもう何年も優月とは連絡を取っていなかった。君だって知っているだろう」恒一はそう弁解したが、その目にははっきりと動揺が走っていた。「君の誕生日の日に、あいつがたまたま――」私はぴしゃりと彼の言葉を遮った。「そう?恒一、もうこれ以上の茶番はやめて。私の誕生日の半月ほど前から、あなたのシャツに何度も香水の匂いがついていた。しかも、その香りは優月が纏っていたものとまったく同じだった」恒一は軽い潔癖症で、私以外の女とは決して親しく触れ合おうとしなかった。――少なくとも、あのときまでは。私が彼について小林家を訪ねたあの日、初めて知ったのだ。私以外にも、彼が特別に接する女がいることを。その頃、優月はまだ高校生だった。恒一の姿を見るなり、彼女はまっすぐその胸に飛び込み、「恒一さん」と甘えるように呼んだ。恒一もまた、親しげに彼女の頭を撫でた。そこに私がいることなど、まるで意に介していない様子で。食事の席でも、優月はひっきりなしに恒一の皿へ料理を取り分けていた。彼はそのたびに笑って口へ運んでいた。帰り道、私はわざと探るように言ってみた。「あなたの後輩、なんだかあなたに気があるみたいね」すると恒一は、何でもないことのように答えた。「まさか。あいつは俺を兄みたいに思っているだけだよ。君が嫌なら、もうあの家には行かない」案の定、それから彼は小林家へほとんど足を運ばなくなった。小林教授が亡くなったときだけ、わざわざ留学先から戻ってきて弔問し、数日間あの家のことを手伝っていた。恒一は呆けたように私を見つめ、しばらくしてからようやく口を開いた。「違う。研究室にも香水をつけている女の子くらいいる」私はすぐに言い返した。「そんなに近くで触れ合ってもいないのに、どうしてあなたのシャツに香水が移るのよ」彼は一瞬言葉に詰まった。私はそのまま続ける。「それに、あの日が帰国後初めて優月に会った日だって言っていたわよね。だったら、どうして彼女は最初からウェディングドレスなんて着て、あなたの前に現れたの?あなたが引き受けるって、最初からわかっていたんじゃないの?」恒一は返す言葉を失い、額に汗をにじませた。きっと彼は、ずっと私を何も考えていない、お人よしの女だとでも思っていたのだろう。私がこ
Read more
第9話
私は反射的に声を上げた。その瞬間、会場は水を打ったように静まり返る。玲司が足早に駆け寄ってきた。「どうしたんです?」すべての視線が自分に集まったのを見た優月は、あろうことか先に被害者ぶった。「この人が……この人が私の夫を誘惑したんです。そのうえ、ひどいことまで言ってきて。この人こそ浮気相手なんです。だから私、ワインをかけたんです」「夫って、誰のこと?」そんな声がどこからか上がる。「たぶん、あの留学から帰ってきたばかりの若い博士じゃない?さっき二人で一緒に入ってくるのを見たわ」そのとき、恒一も人混みをかき分けて入ってきた。「そんなでたらめを信じるな!誰か、この女を追い出してくれ!」玲司は上着を脱いで私の肩に掛けると、入口にいた警備員に向かって声を張った。ちょうどそのとき、親友から調査結果がスマホに届いた。今日こそ、白黒はっきりつけなければならない。でなければ、本当に私が浮気相手だと思われてしまう。「待って」私はスマホを掲げ、その場で親友の録音を再生した。「美咲、見つけたわよ。優月のお母さんの診断書、偽造だった。優月がお金を払って医者を買収したの。この件はもう院長にも通報した。その医者も、さっき解雇されたって」みんなにきちんと伝わるよう、私は事の経緯を最初から説明し直した。「これで、誰が本当の浮気相手か、もうわかったでしょう?」その言葉に、周囲の人々は一斉に優月へ冷たい視線を向けた。指を差してひそひそと囁く声まで聞こえてくる。中には、つかつかと歩み寄り、そのまま優月の頬をひっぱたく女までいた。優月は床に倒れ込む。「最低な女ね。こういう腹黒い女がいちばん嫌い。よくもまあ、被害者面なんてできたものだわ」恒一は首を振りながら優月を見つめ、そのまま何歩も後ずさった。「違う……恒一さん、信じて。全部、美咲さんの仕組んだことよ。人を買収して、私を陥れようとしてるの。私がお母さんまで巻き込んで、あなたを騙すはずないじゃない……」優月は涙をこぼしながら、恒一の足元へ這い寄っていく。だが玲司は再び人を呼び、優月をそのまま会場の外へ放り出させた。そして次の瞬間、彼は私を抱き上げた。周囲の視線も構わず、そのままエレベーターで最上階のスイートルームへ向かう。「榊原さん、下ろして。お願い、下ろしてって
Read more
第10話
会社に着くころには、親友からさらに別の報告が入っていた。小林家の母娘が、恒一のことをネットで暴露し始めたというのだ。昔、自分たちがどれほど彼の面倒を見てきたか。それなのに彼は今や恩を仇で返す薄情者だ、と。その直後、一本の動画まで上がった。タイトルは――本市最年少教授のDV疑惑。義母が大学に直談判。私はそれをしばらく見つめ、それから秘書を呼んだ。「前に調べるよう頼んでおいた資料、全部持ってきて。せっかくだから、向こうの騒ぎに少し加勢してあげましょう」御影大学の廊下に足を踏み入れた瞬間、優月の母親・藤原絢香(ふじわら あやか)の声が耳に飛び込んできた。「学長、柏木恒一は恩知らずの薄情者です!亡くなった主人が、あの子のためにどれほど手を尽くしてきたか、あなたもご存じでしょう。留学の枠だって、あの人が必死に骨を折って取ってやったんです。それなのに、うちの娘と結婚してまだ半月しか経っていないのに別れると言い出したあげく、暴力まで振るったんですよ。こんな品性のない人間を、大学に置いておくわけにはいきません。必ず解雇すべきです!」恒一は言い返した。「違います。先に俺を騙したのはそっちだ。俺はただ、はずみで手が当たっただけです」学長が板挟みになっている、そのとき。私は扉を押して中へ入った。「藤原さん。恒一って、あなたが丹精込めて選んだ婿候補だったんじゃありませんでした?それなのに、学長に解雇まで求めるなんて、随分と思い切ったことをなさるのですね」私の姿を見た瞬間、恒一の目にぱっと光が差した。おそらく、私が助けに来たとでも思ったのだろう。けれど絢香は、悔しさをにじませながら私へ詰め寄ってきた。「あなた、何しに来たの?全部あなたのせいよ!あなたさえいなければ、優月と恒一君はとっくにうまくいっていたのに!」すぐに秘書と二人のボディガードが前へ出て、彼女の行く手を遮った。「何をするつもりですか」「こちらは高梨グループのお嬢様です」その場にいた全員の視線が、一斉に私へ向いた。とりわけ恒一の目には、隠しきれない驚愕が浮かんでいた。私は落ち着き払ったまま、小林家の母娘を見やった。「私が来たのはもちろん、あなたたちの化けの皮を剥がすためよ」そう言って秘書へ目配せする。秘書はすぐに手にしていた資料を学長へ差し出し
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status