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渓谷都市ノクス

Author: 吟色
last update Huling Na-update: 2025-10-14 05:35:12

朝の空気は薄く、街の声だけが濃かった。

「光の橋を見た」「異端の子がいる」「青が裏切った」――そんな噂が、洗濯物みたいに通りにぶら下がっている。

ギルドの前で、リリィは背負い袋の口をぎゅっと結んだ。

「工具、よし。水袋、よし。――文句、なし」

ヴァルドは革の帯を締め直し、短く鼻を鳴らす。

「肉、少ない。途中で獲る」

「道中で獲らないで。保存食あるから」

ノエルはいつも通り軽く手を振り、片耳の鈴を鳴らした。

「異端の旅一行、ただいま出発。――ええと、目的は“観光”ってことで押し通せる?」

「観光なら、荷が重すぎるな」

ガロスが地図を机に広げ、指で南を叩いた。

「橋が次を指したなら、止まる理由はねぇ」

彼は顔を上げ、ひとりひとりの目を見た。

「行け。追手が来る前にな」

リオンは胸ポケットの紙片をそっと確かめる。薄い光が、短く笑ったみたいにまたたく。

〈第二接続:ノクス〉

まだ“どうして”は掴めてない。けれど、呼ばれている。

「……火は呼ばれた。なら、応えるのは俺たちの番だ」

自分に言い聞かせるみたいに呟くと、ガロスがにやりと口の端を上げた。

「その顔だ。――気をつけてな」

南へ向かう街道は、岩と風の道だった。

崖が切り立ち、影が歩幅を合わせて伸びていく。風は乾いて、舌に砂の味を残す。

「ここ、地図だと緩やかな坂って書いてあるんだけど」

リリィが眉をしかめながら地図を覗く。

「地図は紙。坂は石。石の勝ちだ」

ヴァルドが淡々と答えると、ノエルが肩をすくめた。

「はい、“石の勝ち”メモっとく。――ところで、あれ見て」

指差す先で、灰色の鳥が群れになって空を裂いた。風を嫌う鳴き声。火を恐れる鳥、だとどこかで聞いた。

左腕が、じんわり熱を帯びる。包帯の下で心臓がひとつ跳ね、ポケットの紙片が小さく共鳴した。

リオンの口から、思わず言葉がこぼれる。

「……眠ってるんじゃない。待ってるんだ」

「今なんて?」

「なんでもない」

「いや、“なんでもない”って顔じゃないね」

ノエルが覗き込む。リオンは笑って首を振った。

「風の音が、少し大きくなっただけだ」

そのとき、風の中にかすれた声が混じった気がした。

〈……眠りは終わり、風が渡る〉

聞き間違いかもしれない。けれど、足が少しだけ速くなる。

渓谷都市ノクスは、底に眠っていた。

切り立った崖のあいだを、白い家々と石の階段が縫っている。上から下へ、下から上へ、風が絶えず往復していた。

「静かだな」

ヴァルドが耳を立てる。

「静か、というより、音が“整ってる”」

ノエルは周りを見回して、小声で続けた。「寝息まで規律正しい街って、初めてだ」

リリィは風に揺れる洗濯紐を見上げて、ぽつり。

「風の音が、泣いてるみたい」

中央広場には、白い石の断片が残っていた。崩れた橋の跡。縄で囲まれ、触れるな、の札がいくつも立っている。

「ここが“端点”か」

リオンが近づこうとすると、近くの露店の親父が声をかけてきた。

「あんまり近づくなよ。夜になると、谷の底が光ってな……風が唸るんだ。兵隊さんも最近来て、やたら質問してくけど、何も教えちゃくれない」

ノエルが愛想笑いを浮かべる。

「質問はして、答えは隠す。典型的だ」

「おたくら、旅人か?」

「はい。……風の宿はどこです?」

「一番風下の角だ。よく眠れるかは、風次第だがな」

酒場に腰を落ち着けると、地元の話はすぐ集まった。

「夜中、谷の下で白い線が動く」

「鐘は鳴ってないのに、鳴った気がする」

「王都の兵は昼間だけ。夜は来ない」

噂はどれも同じ方向を指していた。――夜、何かが“渡ろうとする”。

宿の裏に、古い扉があった。鍵はかかっていない。中はひんやりして、石の匂いがする。

「記録庫?」

「町役の婆さんが言ってた。“昔の石を並べた場所”だって」

ノエルが肩で扉を押す。ぎい、と音が落ちて、薄暗がりの中に石碑の列が見えた。

古代語の刻まれた石が、まるで風の道しるべみたいに並んでいる。どれも表面が滑らかで、灯りを受けると、うっすら紋が浮かび上がった。橋の紋だ。

リオンが紙片を取り出して、そっとかざす。

一枚の石碑が微かに鳴いた。音というより、息の合図。紙片がそれに応えるように温度を上げ、文字を“書く”。

〈接続ログ:封印者=オリオン・ブリッジライト〉

「……やっぱり、父さんが“閉じた”んだな」

声は驚くほど落ち着いていた。胸は、ちゃんと熱いのに。

ノエルが隣で口笛を短く鳴らす。

「閉じた橋を、今お前が開いてるってわけだ」

ヴァルドは石碑に手を当て、耳を寄せる。

「封印を解く者は、封印に喰われる。……そういう話も聞いた」

「縁起でもないこと言わないで」

リリィが肘でつつく。「喰われる前に、叩く。で、締め直す。――それでいい」

一瞬、風が止んだ。

紙片が、赤に近い熱を帯びる。痛みではない。呼ばれる感じ。

「夜だな」

リオンは紙片をしまい、扉へ向かった。

「外へ出よう」

夜のノクスは、風の街だった。

高いところから低いところへ、唄のように風が流れる。人の声は少なく、足音は石に吸われて消える。

中央広場に人が集まり始めた。誰も声を上げないのに、視線の先は同じだった。

崩れた白橋。その上で、空気が揺れている。

紙片が勝手に開いた。リオンが触れるより先に、薄い線が空中へ走っていく。

ひとすじ、ふたすじ。線は火の色を持たず、光だけを持っていた。崩れた橋の断面に、幻の橋が重なっていく。空へ――谷を越えて、向こう岸へ。

「……これが、“第二接続”」

リオンは息を吸い、吐いた。足裏に、あの細い手触りがよみがえる。

広場の鐘が一度だけ鳴った気がした。誰も鳴らしていないのに。人々のざわめきが波のように立ち上がる。

「父さん。これは……まだ終わってないんだな」

独り言は風に溶け、返事はない。代わりに、背後から鎧の軋む音が近づく。

「やはり、来ていましたね――リオン・ノヴァリス」

落ち着いた声。振り向かなくても、誰だかわかった。

セリアがいた。拘束服はもう着ていない。青の外套は身につけているけれど、その青は、今は彼女自身の色だった。

「王都を抜けるの、大変だったでしょう」

ノエルが苦笑する。

「質問は後で」

セリアは短く首を振ると、橋を見上げた。

「次に渡るなら、覚悟を持って」

「覚悟、ね」

リオンは紙片を握り、左腕の包帯を押さえた。熱は、怖くない。

「もう“待つ”のはやめた。――行く」

セリアはわずかに口角を上げる。

「なら、私も行く。秩序の外で、秩序を守るために」

「いいのか」

ヴァルドが目を細める。

「命令違反は、もう一つ増える」

「命令は理解している。……でも、法は人のためにあるから」

リリィが肩をすくめた。

「じゃ、道具は私が持つ。道具がない橋は、怖いから」

ノエルは鈴を鳴らす。

「記録係は任せて。名台詞は“今のうちに”言っといてね」

風が一段強くなる。光の橋が、渡れと言っている。

広場の誰かが小さく「神様」と呟いた。リオンは首を振る。これは神じゃない。道だ。

彼らは一歩、前へ出た。

灰の街は遠く、風の街が呼んでいる。

渡る理由は、まだ全部は見つかっていない。

けれど――

「道があるなら、誰かが歩けばいい」

リオンは小さく笑い、光を見上げた。

「眠ったままの橋なんて、もったいないからな」

夜が終わる気配がした。

谷を渡る風が、ひとすじ、黎明の香りを運んでくる。

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