ログイン少し離れた場所から、紗友里がこちらへ向かって手を振った。「真琴、こっちよ!」気さくな歓迎の声に迎えられ、真琴の顔にふわりと笑みが浮かぶ。そのまま皆のいるテーブルへと歩み寄った。差し出された紗友里の手を握り返し、真琴は拓真たちにも声をかける。「拓真さん、司さん、良一さんも。お久しぶりです」真琴の穏やかな挨拶に、拓真がニヤリと笑ってからかった。「真琴ちゃん、信行のやつ、君を誘い出す口実のために俺たち全員を呼び出したんだぜ」その冗談に、真琴も涼しい顔で切り返す。「あら。それじゃあ拓真さんは、本当は私に会いたくなかったんですか?」心地よく響く真琴の声。見事な意趣返しに、拓真たちはドッと沸いた。「おいおい、真琴ちゃんが俺たちをからかうようになるなんてな。いいぞ、その調子だ」皆が感心して笑う中、信行はごく自然な動作で真琴の分の椅子を引きながら、得意げに言った。「まだまだ序の口だ。最近のこいつは、もっと口が減らないぞ」そう語る信行の瞳はキラキラと輝き、どこか誇らしげですらある。真琴は彼からの評価など気にも留めず、引かれた椅子にちょこんと腰を下ろした。その時、紗友里が身を乗り出してきた。「真琴もカード、やってみない?すごく楽しいわよ」「私、ルールがわからないから」真琴が首を横に振ると、紗友里はあっけらかんと言い放つ。「お兄ちゃんが教えればいいじゃない。それに、お兄ちゃんにはお金しかないんだから、もし真琴が負けたら全部お兄ちゃんに払わせればいいのよ」紗友里の言葉に被せるように、信行が真琴のそばへと身を寄せた。「身内しかいないんだ、少し遊ぶくらい構わないだろ。横で教えてやる」その甘く囁くような声に、拓真と良一も囃し立てる。「そうだよ真琴ちゃん。いつも信行に巻き上げられてるから、たまにはあいつに払わせるチャンスをくれよ」「本当本当、一局やろうよ」皆にそこまで言われ、真琴も小さく頷いた。「わかったわ。じゃあ、試しに少しだけ」紗友里と拓真から簡単なルールの説明を受け、真琴もゲームの輪に加わった。信行は真琴の隣に椅子を引き寄せると、左腕を彼女の椅子の背もたれにかけ、右手で彼女の手札を整理してやる。その距離感はどう見ても恋人同士のそれだ。彼は真琴の耳元に顔を近づけ、低い
必死に説得してくる信行に対し、真琴は淡々とした視線を向けた。「家で寝ている方が、よっぽどリラックスできると思うんだけど」信行は無言で真琴をじっと見つめると、やがて口角を上げて笑い、そのまま身を乗り出して彼女へと顔を近づけてきた。真琴は素早く反応し、両手を突き出してその胸を押し留めた。「これ以上ふざけるなら、車を降りるわよ」本気で睨みつける真琴に、信行は慌てて両手を挙げた。「わかった、わかった。何もしないって」そう言われて、真琴は素知らぬ顔で手を伸ばし、バタンと助手席のドアを引き閉めた。車の外に取り残された信行は、ズボンのポケットに両手を入れたまま、窓越しの真琴を見下ろして笑みをこぼす。「意地っ張りめ」だが、真琴がこうして冷たくあしらい、自分を少しも特別扱いしない態度をとればとるほど、信行は面白くてたまらなかった。どうやら自分でも呆れるほど、因果な性分らしい。車のフロントを回って運転席に乗り込むと、信行はアクセルを踏んで発進させ、ついでにカーステレオの音楽を流した。真琴はポケットからアイマスクを取り出して装着し、さっさと目を閉じて眠りの態勢に入ってしまった。信行の運転は滑らかで、車内は思いのほか寝心地が良い。横顔をチラリと盗み見る。自分の前でますます警戒心というものをなくしていく真琴の姿に、信行はハンドルから右手を離し、その頬を軽く撫でた。真琴は胸の前で両腕を組んだまま、アイマスクを外すこともなく完全に無視を決め込んでいる。車はひたすら前へと進んでいく。真琴は行き先を尋ねることもなく、そのまま助手席で静かな寝息を立て始めた。時折その寝顔へと視線を落とす。文句一つ言わずに自分の隣で眠る彼女を見ていると、信行の胸の奥にはこの上ない安堵感が広がっていく。確かな、満ち足りた思いがあった。……道中、どれくらい眠っていただろうか。真琴が目を覚ました時、すでに車は停まっていた。窓は閉め切られているというのに、外からは賑やかな声が漏れ聞こえてくる。紗友里の声、それに拓真の声だ。アイマスクを外して窓の外へ顔を向ける。陽の光が燦々と降り注ぎ、見渡す限りのどかな風景が広がっていた。遠くには山々が連なり、近くの木々からは黄金色に色づいた落ち葉が地面を埋め尽くしている。紗
眉間に深くしわを寄せ、真琴は玄関口に立つ信行を睨みつけた。怒りと呆れが入り交じった声が漏れる。「朝っぱらから何なのよ?人の睡眠を邪魔しないでくれる?」反論の隙も与えず、真琴はさらに畳み掛ける。「せっかくの休日なんだから、少しはゆっくりさせてよ」弾丸のような文句を浴びせられても、信行は悪びれる様子もない。腕時計に視線を落とし、事もなげに言った。「西脇博士、もう朝の九時五十分だぞ」真琴が口を開く前に、信行は言葉を続ける。「支度しろ。睡眠の続きは車の中でとればいい」「私、行くなんて一言も……」言い終わるより早く、信行は真琴のうなじを軽く押さえ、強引に部屋の中へと押し込んだ。そのまま洗面所へと連行すると、歯ブラシに歯磨き粉を絞り出し、うがい用のコップに水を汲んでやる。その手つきは、まるで三歳児の世話でも焼いているかのようだった。……一方その頃。内海家。成美の寝室のドアを押し開き、由美は車椅子に座る少女へ一束の資料を差し出した。「成瀬渚の資料よ。でも、彼女はあなたにとって何の脅威にもならないわ。信行が一番気にかけているのは、結局のところ真琴だから」由美の冷ややかな言葉を聞き流し、少女は資料に一瞥をくれただけで淡々と返す。「脅威にはならなくても、使い道はあるわ。もしかすると、あなたよりは役に立つかもしれないし」その見下すような物言いに、由美の顔色が一瞬で沈んだ。しばらくの沈黙のあと、由美は口を開く。「……さっきも、信行は真琴のところへ行ったわ。最近、あの二人はかなり距離を縮めている」そこで言葉を区切り、由美はわざとらしく眉を吊り上げた。「ああ、そういえば、ずっと言っていなかったことがあったわね。私に預けたあの指輪、信行が持っていったわよ。指輪の裏に彫られていた文字は、本当は真琴の『M』であって、成美の『N』じゃないって。最初からお姉さんの見間違いだったのよ、とね」そう語る由美の目元には、明らかな優越感が浮かんでいた。それを聞いた途端、少女の表情が険しくなる。資料を持つ右手にギリッと力がこもり、腕に青筋が浮かび上がった。戻ってきてからしばらく経ち、由美からあの指輪を回収しようと思っていたのに。まさか信行の手に渡っていたとは。いつも感情を乱さない少女が珍しく動揺を見せ
信行が口を開くより早く、渚が畳み掛けるように言った。「過去は過去だよ。もう昔には戻れない。それに、私だって彼女に負けてるとは限らないし」渚が自分と真琴を天秤にかけた瞬間、無表情だった信行の顔つきがサッと陰った。険しい怒気が顔を覆う。バサッと手元の書類をデスクに投げ捨て、氷のように冷たい視線を彼女へ向けた。「俺とあいつの付き合いが何年になると思ってる?お前は俺の何だ。どの口が彼女と自分を比べてるんだ。少しは自分の立場をわきまえろ」本来、信行は女性に対してひどい言葉をぶつけるような男ではない。相手がよほどしつこく付き纏ってこない限りは、紳士的に振る舞う余裕を持っている。だが、今の渚はまさにその「よほどしつこい」部類に入っていた。「立場をわきまえろ」と言われ、渚は屈辱に顔を歪ませた。両手は強く握り込まれ、小刻みに震えている。怒りのあまり、爪が手のひらに食い込んでいた。それでも必死に感情を押し殺し、平静を装って取り繕う。「……誤解しないで。誰かと比べるつもりなんてないから。私はただ、あなたに前を向いてほしくて……」渚の言葉を遮り、信行はデスクのスマートフォンを手に取った。そのまま秘書室へ発信し、ドスの効いた声で言い放つ。「社長室にこの女を通したのは誰だ。通した奴は今すぐ荷物をまとめて出て行け」怒鳴りつけ、画面を乱暴にタップして通話を切った。秘書室では、電話を受けた当番の秘書が震え上がっていた。慌てて社長室へ駆けつけ、ドアを開けて渚に声をかける。「成瀬様、社長は現在お仕事中ですので、どうかご退出を……」少し前、信行と渚が一緒にニュースサイトのトレンドを騒がせていたため、秘書は二人が特別な関係なのだと勘違いして通してしまった。まさか社長がここまで激怒するとは思ってもみなかった。入口で縮こまる秘書を睨みつけ、渚は腹立たしさに唇を噛んだ。家同士の紹介だというのに、ここまで情け容赦なく切り捨てられるとは思っていなかった。バッグの持ち手をきつく握りしめ、信行をじっと睨みつける。やがて彼女は無言で立ち上がり、社長室を出て行った。つい先日、こちらから誘いを出した時に彼が応じてくれたから、てっきり脈があるのだと思い込んでいたのに。まさかここまで冷酷な仕打ちを受けるとは。あの日の彼と
「ええ」短く頷く真琴に、信行が口を開いた。「土曜日だってのに残業か。西脇家も、お前を次女にしておいて全く損のない話だな」真琴は箸を進めながら淡々と返す。「残業しなくても、どうせ暇を持て余すだけだもの」その言葉を聞き、信行はまた一つ、真琴の器におかずを取り分けた。二人のやり取りはどこまでも自然で、少なくとも周囲の目には、ごく普通の恋人同士にしか見えなかった。食事を終えてレストランを出た時だった。信行が午後の予定を提案するより早く、真琴が先手を打つ。「まだ片付いていない仕事があるから、私は会社に戻らなきゃ」少しだけ当てが外れたような顔をした信行だったが、特に不満をこぼすことはなく、車を出して真琴を東央へと送り届けた。*三十分後。東央のビル下に車が停まる。信行は真琴の方へ顔を向けて言った。「明日、新しくできた店に連れて行ってやる。お前の口に合うはずだ」「拓真さんたちと行って。私は時間がないわ」真琴の拒絶を意に介す様子もなく、信行は続ける。「明日の朝九時。マンションに迎えに行く」「……誰がそんな朝早くからご飯を食べるのよ」「場所が少し遠くてな。拓真や紗友里も来る。久々にみんなで集まろうって話になったんだ」そこまで言うと、真琴の返事を待たずに締めくくった。「とりあえず今は残業に戻れ。明日は迎えに行くからな」そのあまりの強引さに、真琴が文句を言って誘いを蹴ろうとした瞬間、バッグの中のスマートフォンが震えた。取り出して画面を見ると、一明からの着信だった。真琴は仕方なく、まずは電話に出ることにした。そのまま通話を終え、車のドアを開けて外に出る頃には、仕事の電話に気を取られ、先ほどの信行の強引な誘いを断ることなどすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。颯爽とした足取りでオフィスビルへと吸い込まれていく真琴の背中を見つめながら、信行の口元には無意識のうちに笑みが浮かんでいた。今日の太陽のように眩しく、晴れやかな笑みだった。真琴が残業をするのならと、彼女を送り届けた後、信行も自社へ戻って仕事をすることにした。社長室に入ってから、いくらも経たないうちのことだ。コンコン、とドアを叩く音が響いた。顔も上げず、何事もないように「入れ」と短く応じると、すぐにドアが押し開かれた。
今の信行は、真琴に対して随分と距離を詰め、馴れ馴れしいほどの親しげな態度を崩さなかった。その距離感に、真琴はコートのポケットに両手を突っ込んだまま冷ややかな視線を向ける。「いくら友達だとしても、そういう付き合い方はしないわよ」三日に一度の頻度で顔を合わせたり、昼休みにアポ無しで待ち伏せしたりする友達がどこにいるのか。真琴のツッコミに、信行はフッと笑った。「友達の付き合い方じゃないなら、どうやって付き合うのが正解なんだ?」言いながらずんずんと歩み寄り、信行は右手で真琴のうなじを軽く押さえた。「真昼間に飯を食うだけだろ。ごちゃごちゃ言うな。お前だって、下にご飯を食べに来たんだろうが」反論する隙も与えず、信行は助手席のドアを開け、真琴を半ば強引に車の中へと押し込んだ。そのまま身をかがめて彼女のシートベルトを締めてやり、右手を伸ばしてその頬を優しく撫でる。眼差しはひどく甘く、優しい。だがその行動はどこまでも強引で、真琴には拒絶する隙すら与えられなかった。頬から手を離すと、信行はバタンとドアを閉めた。その動作は流れるようにスムーズだ。さっきまで実家で見せていた不機嫌な顔はどこへやら。真琴の姿を目にした今の彼は、すっかり機嫌を良くしていた。渚や耕太郎のことなど、すでに頭の片隅からも消え去っている。車のフロントを回って運転席に乗り込むと、信行はエンジンをかけ、両手でハンドルを握った。そして、真琴の方を向いて尋ねる。「それで西脇博士、何が食べたい?」わざとらしいからかいの呼称に、真琴は呆れ顔を向けた。「あなたが適当に決めなさいよ。いちいち存在感アピールしないで」嫌味を言われているというのに、信行はその呆れた視線を浴びるのすら楽しんでいた。二人の距離がまた少し縮まったような気がする。ハンドルから右手を離し、信行は真琴の頭をポンと撫でた。だが今は真昼間の明るい陽射しの中だ。真琴も夜の車内のように感傷的な気分にはならない。彼の腕をピシャリと払い除ける。「前を見て運転して」ピシャリと払われたというのに、信行は懲りることもなく、今度は厚かましく真琴の手を握ってきた。図に乗る男を、真琴はじっと見つめた。すぐに手を振り払うような真似はしない。ただ底冷えのする視線で、この男がどこ