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第4話 観測される絶望

Author: 桜花桜餅
last update Petsa ng paglalathala: 2026-04-25 17:00:00

血と内臓の匂いを全身に纏ったまま、僕はふらつく足で調理室へ向かった。唐辛子の補充もしないといけない。

 唐辛子の瓶を握りしめる手は死人のように冷たく、脂汗で濡れている。視界の端には、まだ床一面を赤黒く汚した山寺さんの無惨な残骸と、虚空を睨んだまま転がった川村の頭部が、脳内に焼き付いた呪いのように離れなかった。

「……大樹……。」

 調理室の更に奥にある準備室の重い扉を震える指で押し開けると、闇の中から大樹が弾かれたように立ち上がった。

「ユーリ!お前、生きてたのか……!」

 駆け寄ってきた大樹の表情は、心底ホッとしたものだった。だが、僕の唇は自分でも制御できないほどに震え、言葉が形をなさない。

「……僕のせいだ……。僕があいつを怒らせたから……。」

「は?何言ってんだよ……。」

「さっき、廊下で……山寺さんと、川村が……。僕が、唐辛子なんて投げて余計に殺人鬼を刺激したから……!

 あいつ、狂ったみたいになって八つ当たりで二人を……っ!」

 震える声で、見てしまった惨劇を絞り出す。

 肉を断つ音、床にぶちまけられた温かい腸。自分たちの代わりに解体された同級生たちの最期。

 この前まで普通の日常を過ごしていた。

 山寺さんは、昨日「今度の日曜、有栖も誘うから一緒にカラオケ行こうよ!」って、僕にまで声をかけてくれた。川村さんだって、数学の宿題を写させてくれって、あんなに情けない顔で笑っていたのに。

あんなに鮮やかだった彼らの未来が、今はもう、殺人鬼に残虐に殺され、赤黒い肉の塊でしかない。

名前も、声も、思い出も。すべてが解体されて、ただのゴミみたいに廊下にぶちまけられたんだ。

 僕は堪え切れず、喉の奥から嗚咽が漏れた。

 大樹は目を見開き、次の瞬間、唇を血が滲むほど強く噛みしめた。

 大樹も知っているのだ。

 山寺さんが文化祭で一生懸命ダンスの練習をしていたことも、川村さんが部活の帰りに「腹減った」と笑ってコンビニに寄っていたことも。

強靭な精神力を持つはずの彼ですら、その日常の残骸の凄惨さに、一瞬だけ言葉を失い、喉を鳴らして何かを飲み込んだ。

「……お前のせいじゃねぇよ。絶対に、そんなこと言うな。」

「でも、僕がもっと上手くやれば、二人は死なずに済んだかもしれないんだ!」

 自分を責めることでしか、この理不尽な恐怖に折り合いをつけられなかった。

 大樹の拳が、調理台のステンレスを叩いて鈍い音を立てる。大樹の脳裏に、昨日までのありふれた風景の記憶が蘇る。

 それは、川村と大樹がバスケ部の助っ人に呼ばれ大会の練習帰りのことだった。川村が重いエナメルバッグを肩にかけ、「今日の練習、マジで死ぬかと思ったわ……」と笑いながら、自販機で買った炭酸飲料を差し出してきたこと。

 山寺が、文化祭のダンス練習でステップを踏み外して照れ笑いしながら有栖に抱きついて慰められていたこと。

 それらすべてが、今この瞬間、ユーリの語った床にぶちまけられた腸や転がった頭部という痛ましく生々しい事実によって、無残に塗りつぶされていく。

(……あいつらの汗や、笑い声や、未来の約束は、どこへ行った?)

 大樹は、自分の大きな掌を見つめた。

 助っ人にバスケ部行った時コートの上でボールを掴み、チームメイトを鼓舞し、誰よりも動けるはずだったこの身体。なのに、いざ本物の死神が目の前に現れたとき、この筋肉は何の役にも立たなかった。

 大樹の脚は、まるで重りに繋がれたかのように床に張り付いて動かなかった。酸素を求めて喉を鳴らすことさえ恐れ、肺を押し潰し、音を出せば殺人鬼に狙われるため静止することしかできなかった。

(俺は、見てただけだ。あいつらが切り刻まれるのを、ただの観客として……!)

 スポーツマンとしての自尊心が、どす黒い自己嫌悪へと変わっていく。自分が無力であることを認めるのが怖い大樹はその恐怖を誤魔化すために、さらに強く拳を握りしめた。白くなった拳は、いままで見てきた救える命を救えなかった自分への、せめてもの罰のように思えた。

  大樹は僕の両肩を痛いほどの力で掴み、真っ直ぐに視線をぶつけてきた。

「違う!

 あいつは、最初から俺たちを人間だと思ってねぇ。殺すことだけを目的とした化け物だ!

 お前が何をしようが、誰かが犠牲になってたんだよ。……俺たちは今そういう地獄にいるんだ!」

 叫ぶ大樹の拳のその震えが、彼自身もまた押し潰されそうな恐怖と、目の前で別のやつが斬られていくのをただ見ていた自分への、焼けつくような憤りを抱えている証拠だった。

「俺だって……何もできなかった。足がすくんじまって、震えて……ただ隠れて見てることしかできなかった。

 ……惨めだよな、スポーツマンだなんだって、デカいツラしてたのにさ。」

 大樹は自嘲気味に笑い、唇を噛み切った。

 鉄の味が二人の間に漂う。

「だから、お前一人で背負う必要はねぇんだよ、ユーリ。

……俺たち二人で、アイツらの死を無駄にしないために……生き延びるしかねぇんだ。頼む、独りきりで絶望しないでくれ。」

 大樹が必死に絞り出したその声は、自分自身の魂に言い聞かせているようでもあった。僕の肩を掴む指先に力がこもる。

 そうして誰かの温もりに触れていなければ、自分もまた、底なしの罪悪感に飲み込まれてしまいそうだったからだ。

 大樹の熱を帯びた言葉が、冷え切っていた僕の芯を少しずつ溶かしていく。

「……大樹。」

「……そうだね。僕たち二人なら……」と、僕は頷いた。…けれど、心の片隅では残酷な自分が囁いている。

(大樹は優しい。

 だからこそ、次に誰かが死んだとき、彼は耐えられるんだろうか? 壊れてしまうのは、僕よりも彼の方なんじゃないか?)

そんな懸念を抱く自分を、僕は心の底から軽蔑した。

「なぁ、ユーリ……俺たち、絶対生き残ろうぜ。あいつらに、胸を張って『仇は取った』って言えるまで!」

 その力強い励ましに、僕は震えながらも、小さく頷いた。胸の中を支配していた血の匂いが、少しだけ遠のいた気がした。

 しばらくして、少しでも体力を回復させるために何かないか大樹が冷蔵庫を開けた。

 だが、彼は中身を取り出す手を止め、一本のペットボトルのラベルを凝視したまま動かなくなった。

「……なぁ、ユーリ。これを見ろ……。」

 差し出されたのはスポーツドリンク。

 その賞味期限の日付は一年以上先だった。

「……まだ、新しい。一週間前に製造されたばっかりだ。」

 僕は思わず冷蔵庫の中を覗き込む。

 ずらりと並んだ水、ジュース、保存食。

 どれも埃ひとつかぶっておらず、つい数時間前に補充されたかのように整頓されている。

「おかしいだろ。ここ、こんなにボロボロで……。隙間風だって酷いし、床もギシギシ鳴る。誰もいない、捨てられた古い学校だと思ってたのに……。」

 大樹の声が低く沈む。

 そうだ。廊下の壁は古びてヒビが入り、至る所に埃が積もっている。なのに、この冷蔵庫の中だけが、あまりにも現在を維持している。

 ゲーマーとしての直感が、頭の片隅で警鐘を鳴らした。

 この違和感、僕は知っている。

 ゲームの中で、何度も見てきた構造だ。

 (ああ、これだ。知っている。この感覚)

 僕は、自分の震える指をもう一方の手で抑えつける。画面の向こうで操作していたキャラクターが死ぬのを、ただの記録として見てきた日々。残虐なムービーシーンを、グラフィックの質や演出の巧みさで評価していた自分。

 今、僕たちはその評価される側にいる。

 山寺さんの死も、川村さんの断末魔も、見えない観客にとってはいい演出でしかない。そう考えると、自分の脳裏に焼き付いているあの悲惨な光景さえ、何かのデジタルデータのように思えてきて、吐き気がした。

「……大樹。僕、自分が怖いよ。

 こんな地獄にいるのに、頭のどこかで『次のセーブポイントはどこだ]とか、『どうすればこのステージを攻略できるか』って……まるで、二人を駒みたいに考えてる自分がいるんだ」

 僕は自分の汚れた手を、必死にパーカーの裾で拭った。

 拭っても、拭っても、そこにこびりついた傍観者としての冷たさは消えなかった。

「……それに、恐らくだけど…これ、わざとだよ。」

 さらに驚いたのは、ペットボトルの表面が微かに|結露《けつろ》していることだった。

ボロボロの校舎には電気も通っていないはずなのに、冷蔵庫の中だけは完璧な温度で冷やされ、並べられたラベルの向きまでが揃えられている。

まるで、数分前まで誰かがそこで棚卸しでもしていたかのような、|絶《・》|対《・》|に《・》|こ《・》|の《・》|場《・》|所《・》|で《・》|は《・》|あ《・》|り《・》|え《・》|な《・》|い《・》|要《・》|素《・》がそこに詰まっていた。

「え?」と、大樹は困惑した。

「床の軋みも、埃も、隙間風も……僕たちにここが孤立無援の廃墟だと思い込ませるための演出。……ただのステージセットなんだよ、ここは。」

 僕は冷蔵庫の棚を、冷静に見る。

「このドリンクや食料は、プレイヤー……つまり僕たちが途中で脱落しないための物資だ。誰かが定期的にここを管理して、チェックして、物資を補充してる。……それも、かなり細かくね。」

「……誰かが?……誰がだよ。何のために……。」

「見てよ、この保存食たち。

 このサプリメントや高カロリーのゼリーばかり…これ、長期戦を想定してる可能性がある。

 僕たちが恐怖で動けなくなって、餓死したりしないように…早めに脱落しないように。……絶望しながらも走り続けさせるための、家畜と同じだ。」

 大樹の眉間に深い皺が寄る。

 僕は胸の奥から湧き上がる、戦慄に満ちた確信を口にした。

「意図的に殺人鬼に人を殺させるために作られた場所。……もっと言えば、この殺し合いをコンテンツとして成立させるために管理された娯楽施設のようなもの、かな。」

「なッ……!?」

 大樹の瞳が大きく揺れた。彼の喉がひくりと、恐怖で動く。

「……俺たちはただの高校生だぞ!?なんでわざわざ、こんな……見世物みたいな仕打ちを……!」

「質の悪い脱出ゲームか、リアリティショーだよ。

 舞台が整ってて、残酷な仕掛けがあって、犠牲が出るほど……画面の向こう側の管理者たちが盛り上がるようになってる。

 僕たちは、その誰かを愉しませるための、使い捨てのキャストなんだ。」

「……!」

 大樹の顔が戦慄に強張る。

 僕らはただ迷い込んだだけじゃない。

 最初から、僕たちの絶望や、内臓がぶちまけられる瞬間を、どこからか観賞されている。

 そう思った瞬間、背筋に鋭い、氷のような冷気が走り抜けた。廊下の闇のどこかに、監視カメラの冷たいレンズが潜んでいるような気がして、僕は暗闇を睨み返した。

「……ユーリ、見てろよ。」

 不意に、大樹が低い、だが決意に満ちた声を出した。

 大樹は、僕の告白を聞いてもしばらく動かなかったが、やがて彼は冷蔵庫から一本のスポーツドリンクを取り出し、そのキャップを力任せに開けた。

 パキッという乾いた音が、静かな調理室に銃声のように響く。

「……ユーリ。お前がそうだって言うんなら、俺はそれを信じるぜ」

 彼は一気にドリンクを喉に流し込むと、空になったボトルを強く握りつぶした。

「俺みたいな、ただ熱くなるだけの馬鹿じゃ、このクソみたいなゲームの裏側には気づけなかった。

 ……管理されてようが、観られてようが、関係ねぇ。お前がその攻略法を見つけるってんなら、俺は全力でお前を……お前の命を守る。

 あいつらの死体を演出だなんて言わせねぇために、俺のこの腕があるんだ」

 大樹の瞳に、再びアスリートとしての鋭い光が戻った。

 それは、ルールに従うための光ではなく、ルールそのものを叩き壊そうとする反逆者の瞳だった。

「誰が観てようが関係ねぇ。

 そんな奴らの思い通りになんて、絶対になってたまるか。俺たちが最高の『バッドエンディング』を叩き壊して、生きてここを出る……それが、あいつらへの最大の復讐だろ?」

 大樹の言葉に、僕の瞳にわずかな火が灯った。

 大樹は一歩、ユーリに歩み寄る。その体格の差が、暗い調理室の中でユーリを包み込むような影を作る。

「ユーリ、お前はそのまま、その冷たい頭でいろ。……震えるのも、泣くのも、俺が代わりにやってやる。

 お前がこのゲームを壊すための道筋を見つけるなら、俺はそのための盾にでも、矛にでもなってやるよ」

 大樹の手が、再びユーリの肩を掴んだ。

 さっきまでの救いを求める震えではない。それは、自分の命をユーリという知性に預けることを決めた、重く、静かな覚悟の感触だった。

 そうだ。観られているのなら、見せつけてやる。

 ただの餌で終わるつもりはない。

「……うん。やってやろう。……僕たちが、このゲームを終わらせるんだ。」

 僕は唐辛子の瓶を強く握り直した。

 恐怖は消えない。けれど、隣には大樹がいる。

 僕たちは、血塗られた廊下のその先へと、再び足を踏み出した。

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