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第5話

Author: 霧乃吟
そばにいる征司の友人、佐伯蓮(さえき れん)も笑いながら口を挟んだ。

「ほんとだ。何、その顔。ずいぶん機嫌悪そうじゃん」

彰人は席に着くと、向かいに座る紗耶をちらりと見た。

紗耶はいつも通り落ち着いていて、彼らとの距離の取り方も心得ている。振る舞いにも隙がなく、人としても申し分ない。

それなのに、澪は陰であんなふうに彼女を悪く言っているのだ。

「さっき下で誰を見たと思う?澪だ」

それを聞いても、征司の表情は少しも変わらなかった。

冷ややかに整った顔に感情はなく、テーブルに置いた指先で、気のないように軽く卓を叩いている。

妻である澪のことなど、まるで興味がないようだ。

紗耶は彰人にお茶を注ぎ、静かに差し出した。

「何かあったの?彼女のことで腹を立てても仕方ないわ。気にしないで」

紗耶がこんなふうに澪をかばうような言い方をしたことで、彰人はますます二人の差を感じた。

彼は椅子の背にもたれ、肩をすくめて冷たく笑った。

「あいつが紗耶のことを何て言ったと思う?聞くに堪えないよ。女の嫉妬って、ここまで醜くなるのかと思った」

彰人はさっき聞いた話をそのまま口にした。

それまで澪の話題に興味を示していなかった征司の目が冷たく変わり、眉間にしわが寄った。

「それ、澪が言ったのか」

征司は彰人を見た。

その声からは怒っているのかどうかさえ分からない。

紗耶の表情もそこで少し曇った。

「彰人さんが聞いたのなら、間違いないでしょう」

彼女は唇を軽く引き結び、彰人の代わりにそう答えた。

蓮がすぐに声を荒げた。

「それって、紗耶に下劣な噂を立ててるってことだろ?澪も女のくせに最低だな。七年も一方的に尽くして愛されなかった腹いせに、紗耶を引きずり下ろそうとしてるのか?女の嫉妬って、本当に見苦しいな」

少し考えたあと、蓮はすぐに言った。

「何の落ち度もないのにそんなことを言われたなら、きっちり謝らせないとな」

蓮がそう言うと、紗耶は一度深く息を吸い、問いかけるように黙って征司を見た。

征司は何も言わず、ただスマホを手に取り、電話に出るために席を立った。

関わるつもりはないが、止めるつもりもない。

蓮と彰人は顔を見合わせた。

それだけで、征司の態度は十分伝わった。

征司が澪に少しも関心を向けていないことに、紗耶は目を伏せ、満足そうに唇の端をわずかに上げた。

――

料理が運ばれてきたばかりだった。

澪がまだほとんど箸をつけていないうちに、店員が慌ただしく駆け寄ってきた。

「お客様の中に、お医者様はいらっしゃいませんか?二階のお客様は具合が急に悪くなってしまって……!」

澪は眉をひそめ、医師としての本能が先に動いた。

「案内してください」

伊織はついてこなかった。

ちょうど仕事のメールに返信しているところだったからだ。

澪は店員に連れられ、個室の前まで来た。患者のことが気がかりで、彼女は迷わず扉を開けた。

その瞬間、扉の内側にいる人の手元が大きく揺れて、抱えている熱い鍋が、澪のほうへ倒れかかってきた。

澪はとっさに後ろへ下がった。

その瞬間、背中が硬い胸板にぶつかり、腰に腕を回された、そのまま後ろへ引き寄せられた。

鼻先をかすめたのは、針葉樹のような淡い香り。

それは、澪があまりにもよく知っている匂いだ。

征司だ。

征司はとっさに手を伸ばし、澪に倒れかかってきた鍋を受け止めた。

店員の顔が一気に青ざめ、慌てて鍋を受け取って、何度も頭を下げた。

澪は、こんなところで征司に会うとは思わなかった。

礼を言おうとした瞬間、征司の後ろに紗耶が立っているのが見えた。

紗耶は征司の背後に守られるように立っていて、澪へ向ける目に、隠しきれない不快感をにじませている。

澪は触れてはいけないものに触れてしまったかのようにすぐに身を引き、征司の腕の中から完全に離れた。

澪がすぐに身を引いたことで、征司の目がわずかに細くなった。

その光景を見て、蓮は笑い声をあげた。

「へえ、怪我するのは怖いんだ?あれだけ図々しいんだから、痛みなんて平気かと思ってたよ」

そして、わざとらしく忠告するように言った。

「まあ、征司がすぐ止めてくれて助かったよな。紗耶に当たったら危なかったし。勘違いするなよ、お前を助けたわけじゃないから。そういうふうに受け取られると、こっちも困るんだけど」

征司の表情は淡々としていて、蓮の言葉を否定することはなかった。

澪にも、征司が手を出した理由は分かっている。

あの鍋が落ちていたら、紗耶にも当たったかもしれない。

征司は自分を助けたのではなく、紗耶を守るついでに、たまたま手を貸しただけだ。

もう征司の行動を自分に都合よく受け取ることはない。

彼が守ろうとしたのは紗耶であって、自分ではない。

それくらいのことは、痛いほど分かっている。

彰人は何も言わなかったが、その目にはやはり軽蔑の色が浮かんでいる。

何が起きているのか、澪にはまだ分からない。ただ、彼らの視線や言葉の端々に悪意がにじんでいることだけは分かる。

これ以上ここにいても無駄だと思い、澪は何も言わずにその場を離れようとした。

そのとき、突然手首をつかまれた。

長い指が手首に触れて、鋭くこすれるような感覚が走った。

心臓が、強く跳ねた。

振り返ると、征司の冷えた視線が澪を捉えていた。

彼は澪を見据え、薄く冷たい声で言った。

「紗耶に謝れ」

その一言は、思っていた以上に澪の胸に刺さった。

一瞬、息の仕方さえ分からなくなる。

それでも澪は、冷えた目で征司を見返した。

「理由は?」

「分かってるはずだ」

征司は、紗耶の名前を悪い話の中に出すことさえ嫌がっているようだ。

そう言い終えると、彼はすぐに澪の手を離した。まるで、触れていること自体をなかったことにしたいかのように。

征司がすぐに手を離した理由は、澪にも分かる。

紗耶に自分と触れているところを見せたくないのだろう。

同時に、この場の空気も彼女は読めてきた。

彰人が、伊織の言葉を都合よく膨らませて伝えたのだろう。

目の前の彼らは、その話を口実に自分を呼び出し、追い詰めて謝らせるつもりだ。

「澪、悪いことをしたら、ちゃんと認めろよ」と蓮が言った。

彰人もテーブルを指で軽く叩きながら、何でもないことのように続ける。

「素直に認めたほうがましだと思うけどな」

「そうだよ。紗耶は妊娠なんてしてない。そんな下品な濡れ衣を着せるなよ」

澪がどうしてあんな噂を平気で作り上げられるのか、蓮にはさっぱり理解できない。

彼らの目に映る澪は、幼い頃に森宮家へ引き取られ、その庇護を受けて育った女である。

本来なら、征司にとって澪は妹のような存在のはずだった。

それなのに澪は、二十歳になったばかりで征司と一線を越えた。

そのうえ、征司を逃げられない立場に追い込み、無理やり征司の妻になった女だ。

征司の人生を狂わせた女だと思っているから、彼らは澪に好意的でいられるはずもない。

紗耶は澪を見て、澪を責めるつもりなどないと言わんばかりにゆっくりと口を開いた。

「澪さん、何か不満があるなら直接言って、そんな卑怯なやり方はやめてくれる?同じ女同士だから、あなたを追い詰めるつもりはないわ。でも、みんなの前で一言謝ってもらうくらいは、当然だと思うの」

紗耶が妊娠していないことは、澪にとって少し意外だった。

澪はわずかに眉を寄せたが、すぐに考えるのをやめた。

実際に何があったのかなど、もうどうでもよかった。

そもそも征司には、子どもができないという噂がある。そう思えば、紗耶が妊娠していないとしても、特に不思議ではない。

妊娠しているかどうかで、紗耶と征司の関係がきれいになるわけではない。

どちらにしても、自分にとってはもう十分だ。

澪は紗耶を見て、その恥知らずぶりに呆れつつ、静かに言った。

「いいわ」

紗耶は、澪がそこまで素直に応じるとは思っていなかった。

征司も視線を落として澪を見た。まるで、彼女がそうするのは当然だと言いたげだ。

だが次の瞬間、澪は続けた。

「SNSに謝罪文でも載せてあげましょうか。

――紗耶さんと私の夫の不倫関係の邪魔をしてしまい、申し訳ありませんでした。私には、既婚者のそばに平然といられる紗耶さんの図太さも、妻と愛人を両方抱えられる森宮社長の度胸もありません」

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