LOGIN「桜ちゃん、今のうちに私たちの部屋を掃除してくれる?」「かしこまりました」組長からの話のあと、龍之介と蔵之介は組長と別の部屋に入っていった。桜は奥さまと麗香に続き、部屋を出る。その足で来るよう言われ、ついていくと、麗香は部屋に入るなりソファにドサっと腰を下ろす。「うふふ……あの様子じゃ、龍之介は戸惑ってるわね。まさか私も1ヶ月も早まるなんて思ってなかったけど!」つぶやく声が、弾んで聞こえる。……何か言った方がいいのだろうか。まるで、言葉が浮かんでこないのだけれど。「組長、意味深なこと言ったと思わない?」ソファの背に顎を乗せ、掃除機を滑らせる桜に話しかける麗香。「そう……ですね」「あれ、子供のことを言ってるのよ!うちもそうだけど、西龍会も跡継ぎを望んでるのね」龍之介と麗香の子供……彼に大人の女にしてもらった桜に、2人のしどけない姿を想像するのは容易い。麗香に悪気はないかもしれないが、聞きたい話ではなかった。「私、極道の子供なんて増やしたくないって思ってたけど、結婚するとなったらやっぱり産みたい」ごめんね桜ちゃん……と謝罪の言葉を言われ、私は「いいえ」と言うべきなのか。麗香は親が子供を望んでいる事実と、自分の気持ちを正直に伝えているだけ。ならば私は、それに対して言葉がないのが本音。だったらそれでいい。必要なことだけ伝えればいいんだ。桜はうつむきがちの顔を上げ、麗香をまっすぐ見て言った。「お掃除終わりましたので、これで失礼いたします」「あ、ちょっと待って」呼び止める麗香の表情は、桜の目に、初めて見るような感覚を呼び起こす。「これからも掃除は、私が櫻川に行く前に済ませてくれる?」「……はい。かしこまりました」麗香の意図は、きっとこうだ。龍之介が1人でいる部屋に、桜に入って欲しくない、ということ。最終的に龍之介は自分に任せてくれ、と言ったのは、麗香が彼の子供を産み、人生のパートナーになる未来なのだ。とっくに、私は龍之介との未来を手放していた……再び頭を下げ、部屋を出ようとドアを開けると、目の前に龍之介がいた。「……桜」「ただいまお掃除が終わりました。失礼いたします」龍之介の顔を見れば、涙が浮かんできてしまう。桜は急いで2階へと上がった。一旦自分の部屋に引き上げ、気持ちを落ち着ける。夕飯の支度まで、まだ時間がある。
「ちょっと待てって……俺にも桜ちゃんには見られたくないものがあるわけよ。……先に確認させてくれない?」「そんなこと気にしなくていいですよ。私は今日からこの屋敷の家政婦なので、掃除をするのが仕事……」ベッドやソファに散らかった服を片っ端からカゴに入れていくと、積み重なった中に派手な色の女性ものの下着……「……わっ!だいぶ前に来た女が忘れてったものだっ」慌てて桜の視界から消した蔵之介だったが、その後もあちこちから色取りどりの下着が出てくる。「……あの、蔵之介さん?」「今は誰も呼んでないから!これは過去の遊びの痕跡……全部処分する!」慌てた姿がなんだか可愛らしくて、ついクスクス笑ってしまった。「……なんで笑うの」「ごめんなさい……!それにしても、下着を置いて帰るなんて、女性もよっぽど慌ててたんですかね?」人さし指を唇の中央に立て、内緒……のポーズを取ったのは、きっと口外されたくないだろうと思ったから。「なんだよそれ……」「はい?」気分を害してしまったかと、桜は少し焦って、蔵之介を見上げる。「ナイショのポーズが可愛い……」伸びてきた手に捕まり、引き寄せられた。「あの、仕事中なので……」「終わったらいいの?」「そういうことじゃないです」「だったら今は特別な?……可愛い仕草を見せる桜ちゃんが悪い」龍之介より少し細身の体に閉じ込められながら、それでもきっと、力は同じくらいあるのだろうと思う。龍之介より甘い香り。体温は……少し低い。「……はい、もう終わりです」胸を押せば、簡単に離れてくれる蔵之介。「桜ちゃん、屋敷にいる間に、もっと俺を知ってくれない?」「知る……とは?」「わかんないけど、とにかく仲良くなりたいんだよ。それにさ」見られたくないものを見られてしまい、蔵之介は開き直ったようだ。積み重なった服がなくなって、久しぶりに顔を出したであろうソファの座面に軽やかに座り、長い足を組む。「ここじゃ龍之介は使えないから。若頭って立場もあるし、麗香との結婚式も控えてるし」「別に……頼るつもりはないです」「だとしてもさ、ここで見たり聞いたりすることは、桜ちゃんにはつらいことが多いと思う。そんな時、俺を利用しなよ」飄々としてつかみどころのない蔵之介だが、今日はどこか雰囲気が違う。「もう、百合を重ねて見てないよ。滝川桜って女の子
「うちにいる女は、私と麗香さん、そしてあなたの3人だけなの」連れて行かれたのはダイニングキッチンだった。「基本的に私が家族の料理を作っているんだけど、あなたはそれを手伝ってくれるかしら」「はい。かしこまりました」「家族というのは……私たち夫婦と、蔵之介のことよ」そうか。龍之介さんは麗香さんと、間もなく夫婦になるから……「はい。3名分の食事を用意するのですね」複雑な心情を見破られないように気をつけたつもりが、つい伏せてしまったまなざしに、視線が注がれる。「あなた、知っているんでしょ。自分が誰に似ているか」「は……」突然話が変わって、桜は驚いて視線を上げた。「やっぱり、どこからどう見ても……そっくりなのよ」目尻に細く、跳ね上げるように入れられたアイラインがとても美しい。憂いを帯びた目で見つめる龍之介の表情は、この人に少し似ていると、桜は思った。「……百合さん。龍之介さんの亡くなった奥さまに、自分が似ているのは、よく理解しています」「それで……あの日から離れられなくなったの?」この屋敷に初めて足を踏み入れた翌日、奥さまと顔を合わせた正面玄関のことが脳裏をよぎった。「はい。そうです」どうしてこんなに簡単に認めてしまうのか……自分でも意外に思う。取り繕うことはいくらでもできただろう。でも、そうしたくなかったというのが本音だった。「愛し合っていた……いえ、過去形じゃないかもしれないわね」「私は、龍之介さんを愛しています」人の内側を見抜くようなまなざしを向けるこの人に、嘘は通用しないと思った。「そう。でも……龍之介は麗香さんと結婚するわ。間もなく、正式な日取りが決まるの」「存じております。……それなのに、私をここに置いてくださる皆さんに感謝申し上げます。しっかり、務めを果たします」頭を下げる桜の肩に、そっと指先がかかる。「あなたには、教えておくわね」奥さまはダイニングキッチンから離れ、別の部屋に桜を案内した。「……こ、れは」「麗香さんが着る白無垢よ」自然光に照らされて、銀色の糸で縫い込まれた華やかな刺繍が輝いて見える。……これを着て、龍之介さんの隣に立つ麗香さんは、どれほど美しいだろう。「そしてこれが、龍之介の袴」和室の中の襖を開けると、そこには黒い紋付きの羽織と、銀と黒の縦縞の袴が掛けられていた。「2人には言
「はじめまして。滝川桜と申します」鹿威し《ししおどし》の特徴的な音にビクッとしてしまう。……深く頭を下げた桜の隣には、龍之介、そして麗香がいる。「……家政婦か」「はい。うちのゴタゴタに巻き込んでしまったお嬢さんです。今外へ出すのは危険なんで、うちで働きながら時がすぎるのを待つことに」龍之介が説明したのを合図に、麗香が桜に頭を上げるよう小声で伝えた。テーブルのない広い和室。龍之介や蔵之介によく似た男性が、腕を組んでこちらを見ている。切れ長の鋭い目、高い鼻……年齢相応の渋みまで加わって、桜はこんなに美しい中年男性を見るのは初めてだと思っていた。「桜さん、と言ったか」「は、はい」「うちがどんな家業かはご存知か」桜はコクンとうなずきながら答える。「存じております。……今回、私の父親もご迷惑をかけておりまして」「そうか。私の信条として、外の世界の方はうちにはあまり関わらない方がいいとしてきた。……だが、何やら事情がありそうだな」そこへ、シャッと襖を開ける音。「組長、ただいま戻りました」背後から聞こえる声は、蔵之介だ。「この子のことは、俺に任せてください。屋敷にいる間も、晴れてここを出てからも」視線を落とした目の端に、龍之介と麗香の指先が映る。2人とも、ギュッと拳を作った。「いいだろう。……ただ、」組長は蔵之介に返事をして、改めて桜に目をやる。「君は、とても似てるなぁ。……百合さんに」龍之介、蔵之介、そして麗香に順に視線を送り、組長は立ち上がった。襖を開けると、そこに女性がいる。それは初めてこの屋敷に来た時会った、龍之介と蔵之介の母、そして組長の妻だ。目が合って、頭を下げる桜に会釈を返し、組長の後を追っていく。「……ったく、なんなんだろうな、この部屋の硬い空気は。緊張しかしねぇわ」蔵之介はその場にあぐらをかいて座り、龍之介は反対に立ち上がった。「あの、蔵之介さん……しばらくお世話になります。よろしくお願いします」正座のまま蔵之介に向き直り、頭を下げた。「うん。わからないことは俺に聞いて。……ほら、この2人は結婚式の準備で忙しいから!」「……はい、ありがとうございます」隣にいた麗香も立ち上がり、龍之介の隣に行く。……が、龍之介が動かない。「なに、寄り添っちゃって。……先に行けばいいじゃん」「蔵之介も早く出ろ。こ
「……何もかもを、捨てられたらいいな」リビングを掃除していた桜を自分の部屋に入れ、改めて抱きしめる龍之介。「でも……皆さん困りますよね。龍之介さんがいなくなったら」「皆さん……か、」ふふ…っと笑う龍之介に、少しだけ抗議したくなって見上げれば、優しい視線にとらわれて、動けなくなる。「2年で、何とかする」「……2年」「志田川組の強化と独立をさせて、麗香と離婚する。……西龍会若頭は、蔵之介に譲る」こういった組織を抜けるのは、決して容易いことではないと聞いたことがある。それは……映画やドラマだけの話なのだろうか。「待てるか?」甘い視線に、わずかな不安が宿るのがわかった。……強さと美しさを兼ね備えた龍之介のような人が、自分をそんな目で見るなんて、改めて信じられないと思う。「待ってます。……ずっと、龍之介さんだけを思って生きます」真剣に伝えたのに、フッと軽く吹き出すなんて……ちょっと意地悪が過ぎるような気がした。「笑ってごめん。可愛くてな」頬に指先を這わせ、優しくなでる龍之介。「俺は……お前しか抱かないから」「でも……」「お前以外無理だろうし、その気になれるはずがない。だからお前も、俺以外に触れさせるな」本当にそんなことが可能なのだろうか。正直なところ、いくら形式的な結婚だとしても、子供を望まれることは十分考えられる。麗香が、というより組織が、跡継ぎを望んだとしたら……そこまで考えて、胸が激しく痛んだ。……嫌だ。龍之介がほかの女性に触れるなんて、絶対に耐えられない。自分から龍之介の胸に飛び込み、広い背中に腕をまわす。ありったけの力を込めて、しがみつくように抱きしめた。気持ちを理解してくれたのか、抱きつく桜を包み込むように腕のなかに閉じ込める龍之介。「本当は、お前を家政婦として働かせたくねぇよ。だが志田川組も出入りするようになって、全員に役割が必要なんだ」自分のような若い女が、役割も持たずに屋敷をうろついていれば……龍之介や蔵之介との関係を想像させてしまうということだろう。「わかってます、大丈夫。……何もしないでお金をもらうようなこと、私にはできないので」「あぁ。桜らしいな」「頑張って、この屋敷を綺麗にしますね」ビー玉のような瞳で見上げる桜の頭をクシャと撫で、髪に、おでこに……キスを落とす龍之介。やがて貪るように桜の唇を
「……意外と女らしい部屋でしょ?」龍之介の部屋に帰った桜を訪ね、麗香は自分の部屋に彼女を招いた。「意外と、っていうわけじゃないですけど、女性らしい落ち着いた部屋ですね」おしゃれな家具と観葉植物、見たことのある絵画が壁を飾っていて、上手にベッドを隠している配置は素敵だと思った。この部屋でもお茶の用意ができるようで、麗香は香り高い紅茶を淹れてくれた。「どうだった?齋藤専務は」「あ……落ち着いた大人の方で、あの…私みたいな人の手助けをするボランティアをしているって言ってました」知ってるはずの情報を改めて伝えてしまった……麗香は嫌な顔ひとつせず、優しくうなずいてくれる。「桜ちゃんは、しばらくここで働いたらいいと思う。……龍之介は自分の専属家政婦とかバカなこと言ってたけど、そうじゃなくて、屋敷の家政婦として」「……はい、ありがとうございます」美紀に借りたお金を奪われて、返金しなくてはならない。だから仕事をしてお金を得る必要があった。けれど外に働きに行くことは、龍之介や麗香だけではなく、西龍会に迷惑をかけることになりかねないと……さっき自覚したばかりだ。「わかってくれて嬉しい」それとね……と、紅茶をひとくち飲んで、麗香が続ける。「結婚式の日取りを、決めることになったの。私……龍之介と結婚する」「……はい」「愛があるわけじゃないよ。お互いの組のため。……っていうか、どっちかって言うと志田川組が助けてもらうためかもしれない。だから私は、龍之介と結婚する必要があるの」蔵之介のことを口に出すことは出来なかった。こういう決断をしたということは、必然的に諦めたということだから。「それからこれは……桜ちゃんにしか言わないけど」迷いを含んだ言い方に、桜の伏せた瞳が上がる。「龍之介は、計画的に私との結婚を終わらせるつもりでいる」「それは……計画的離婚のことですか?」「そう。龍之介は、2年かけて離婚するって言ってる。でもね、結婚したら……親が出てくるのよ。うちの父親、志田川組の組長が、娘婿になった西龍会の若頭を離すかどうか……」少しずつ、取り巻く環境に手足をとらわれる龍之介が見える気がした。「だから、離婚がそううまくいくかは、約束してあげられない」……返事はできなかった。それは仕方のないことで、自分に何かできるわけではないとあきらめるしかないのに
「私は、こっちで寝かせてもらいますね」 柔らかい毛布を手に、ソファに座る桜。 「ダメだ。…こっちへ、ベッドへ来いよ」 「ダメです…」 頑なな表情…そんな顔をされればされるほど、俺の心は燃えていくのに。 「麗香を気にしてるのか?」 細い手首を引くと、瞬間的に抵抗されたが、力の差があるのはわかりきっていること。 「だったら心配するな。…俺が愛しているのは桜だと知っている。あいつに邪魔はさせない」 引き寄せ抱きしめれば、その力は呆気なく抜けていく。…キスをかわし、唇の柔らかさに、己を見失うのは容易かった。 「龍、いるの?」 しばらくして、背中越しに麗香の声が聞
「…龍之介さんが身につけていたものだから、大切にしたいんです」「…俺の…?」「はい。…別れる覚悟だったのに、今でもこんな風に顔を合わせて、お世話になって…自分の弱さが情けないです」目を伏せた桜の頬に赤みが差し、ここがどこなのかも忘れて手を伸ばす龍之介。「…おっと、お触りはお断りしてますよ?西門さま」サッと手首を取り、有無を言わさない表情で麗香が睨んできた。龍之介はそんな彼女を無視し、桜に顔を向ける。「…桜、水割りを…」「あ…この子、源氏名をつけたんです。本名を知られすぎたら、何かと危ないと思って…」麗香とは、この数日ろくに話をしていない。引き続き櫻川の事務所で寝泊まりする桜
アパートの部屋に戻ってしばらくして…桜の携帯が鳴り響いた。「ねぇっ!どうして出て行っちゃったのよっ!」「…美紀ちゃん、ごめんね。でも絶対にまた会いに行くから、それまで待ってて」「…もしもし、桜ちゃん?」携帯の向こうで、昭仁に代わったのがわかった。「昭仁さん、直接お礼も言えずに、すみませんでした。でも、父は本当に危険なので、もしまた姿を現して迷惑をかけたら…迷わず警察を呼んでください」昭仁は美紀より冷静に、わかった…と返事をしてくれた。昨夜打ち明けた生い立ちと、手紙に込めた思いを理解してくれたのだと思う。「美紀ちゃんを、お願いします。ひ、1人にさせないようにしてほしい…父に、顔
こんなに女を離せなくなるとは、自分でも意外だった。桃色に染まる肌に触れて火がついて…無理をさせてはいけないと思いながら、つい抱きしめる。夜が明けて、日が高くなって…届けさせた食事を食べる暇も惜しく、桜に触れていたかった。「…そうだ」それなのに、桜は俺の手をスルリと抜け、ベッドを下りる。「あれ…持ってきたはずなのに…」「…なんだ、どうした?」リビングに置いた自分のバッグを探り、眉を下げる桜。離れた熱が恋しくて、自分から彼女に近づいた。「お金を…返そうと思って」「まだそんなこと言ってるのか…」バッグに入れた細い腕を引き抜き、そのまま後ろから抱きしめる。ソファに座り、膝に桜を