LOGIN「……あれ、蓮さん?」異変に気づいたのは、翌朝のこと。昨夜出張から帰宅して、同じ時間にベッドに入り、一緒に寝たはずの蓮がいない。先に仕事に行ったのかな……そんな話はしていないけど。起きて寝室のドアを開けて……愕然とした。蓮のマンションのはず……なのに、寝室のベッド以外、家具や家電のたぐいはすべてなくなっている……慌ててもうひと部屋を覗くと、昨夜はあったはずの蓮のスーツが、何もかもなくなっていた。「昨日帰って……蓮さんはここに持っていったスーツを戻した。……ワイシャツは洗濯機に入れて、スーツケースもこの部屋に置いたはずなのに」まるで、何年も使われていないかのような、淀んだ空気の匂いまでする。凛花はよろけるように洗面室に行った。……ない。洗濯機が、乾燥機、鏡の前に置いた化粧品も、お揃いで買った歯ブラシも……「どうして、こんなことに?」広いだけの空間と化したリビング、冷蔵庫や電子レンジ、ケトルや皿も……すべて消えたキッチン。凛花は思わず、その場に座り込んだ。これは、どういうことなんだろう……まさか、蓮さんのタイムリミットがやってきて、冥界に行ってしまったとか……思いついたら、いても立ってもいられなくなった。凛花は急いで玄関を出て、めぐみの部屋を目指す。玄関の外は、いつもと同じ空間のはずなのに、いつもより暗く感じた。めぐみの部屋に到着するまでに、その理由に気づく。……廊下を照らす明かりがどこにもついていないのだ。どの部屋もドアは錆つき、床も管理人が掃除しているとは思えない荒れ果てた様子。「めぐみさん、まだ出勤してませんか?……鮫島くん!」ドアをノックして声をかけてみるも、返事はない。ドアノブに手をかけてみると、開いているようだ。「めぐみ、さん……?ちょっと、入りますよ?」恐る恐るドアを開けて……驚いた。とても、人が住んでいるとは思えない室内。「どうして……たった一晩で、いったい何があったの……」この状況を見て、もう認めないわけにいかなくなった。このマンションはすでに廃墟化している。……昨夜までは確かに、愛する人と過ごす大切な場所だったのに。急に恐ろしさが身を包んだ。思わず自分の姿を見下ろして、なんとか外を歩ける格好であることを確認する。このまま実家に帰ろうかと思った。けれど携帯を持っていないことに気づく。そこでもう
「どうして?……蓮さんが熱いなんて、おかしいんじゃないですか?」「そうだな。……俺もこんな風になるのは初めてだが」体が熱い証拠だろう。頬を赤く染めている蓮なんて初めて見る。……体調が優れないということはなさそうなので、レアな蓮をつい、ニヤけながら見つめてしまった。「あれ?アミルさんは?」そこでふと、自分達以外の人の存在を思い出す。「あぁ、それならさっき蒸発した」「蒸発って…この場から姿を消すとか、そういう意味ですよね?」そう信じたい、と思った。煙になって消えるなんて、まるで魔法のランプじゃないか……少し心配になってしまう自分は、お人好しなんだろうか。つい今しがた、喉元を持ち上げられ、危うく命が奪われかねなかったのに。「いや、紛れもなく蒸発だ。固体が液体になって、やがて蒸気になるってアレだ。跡形もなくなるやつ」「……なんでもないことみたいに言いますね」「いや、たいしたもんだ。アミルをあそこまで本気にした人間は、凛花が初めてだからな」……ということは、私は決闘その1に勝ったということ?「どうした?笑顔が見えないようだが?」「いえ、なんだか実感がわかなくて……」このときからきっと、目に見えない不安を心で捉えていたのかもしれない。あっけない勝利……そして今度こそ本当に、死神最高幹部と戦うことができるのか……蓮と永遠に結ばれるために。「とりあえず、今日は休もうか。明日は朝イチでイベントだ」「あ、そうでした……!」今回こちらで販売される商品を、広く一般にアピールし、その結果を分析することになっている。イベントの運営には、私と鮫島も同行することになっていて、普段のデスク業務とは違う仕事に、少しだけウキウキしていた。「それじゃ、お風呂の支度してきますね」「あぁ、悪いな」パソコンを取り出した蓮に代わり、バスルームへ行こうとして、ふと思った「今日お風呂に入ったら、蓮さんの体……ピンク色になるんでしょうか?」「……ピンク?」それだけのことで、何やらスイッチが入ってしまったらしい。パタン、とノートパソコンを閉じ、凛花に向かってくる蓮。「俺がピンク色に染まる過程を見たいだろ?」「そ、それは……まぁ」「じゃあ決まりだな」手を引かれ、洗面室のドアを閉められた。その先に、バスルーム。2人でお風呂に入って、そこで恋人らしい秘め
「……蓮さん」アミルのことを非常識だとしながら、2人はその場で熱いキスを交わした。……誰が見ていたってかまやしない。それほど2人は惹かれ合っていたのだ。やがて新幹線は目的地に到着した。地方の大きなターミナル駅は、中も外も意外にもごった返していて、新しい商品の戦略をこの地で仕掛けるという会社の方針に妙に納得した。駅舎を出たところに、自社の車が停まっているのが見える。「お待たせしました。東京本社、マーケティング戦略部の神西です」車から降りて待っていてくれた男性社員に、蓮は名刺を渡した。「遠いところありがとうございます。……えっと、こちらの方は?」アミルを見て驚く男性社員。名刺によると、名前は長谷川というらしい。「新入社員の中村でぇす!アミルって呼んでください!」「中村はまだ社会人経験が少なく……申し訳ない。着替えさせてから合流します」そう言って蓮は、出てきたばかりの駅ビルの中にアミルを押し込む。「え?!1人で行くんですかぁ?」不満げなアミルに、長谷川という社員が自分の名刺を渡し、戻ってきた。きちんとした服を買って着替えて、名刺の住所を頼りに来い、という意味。……なかなかスパルタだ。アミルを置いて長谷川を加えた4人は早速社用車で支社へ向かう。挨拶を終えてから、早速仕事に取り掛かる。新商品とデータを見比べ、消費者ニーズを把握し、細かい戦略の改善と、この地域ならでは強みを分析した。「現在の商品に試作品を張り付けて、得られた結果なんですが、おもしろいことがわかりました」鮫島くんが蓮にデータを見せながら説明している。長谷川さんも興味深そうに聞いている。凛花はひたすら分析結果をまとめてデータ化し、全員で共有しやすいように作業を続けた。……そんなことをしているうちに夕方になり、長谷川さんが蓮を酒の席に誘った。「皆さんもどうですか?ここの名産品で一杯!」「いいですね!地方出張は少なくなったので……実は今日、それを楽しみに来ました!」鮫島のノリの良さに、一気に話がまとまった。やがて夜になり、支社の社員たちも交え、居酒屋へと繰り出す面々。……席に座って気がついた。「そういえば……アミルさんは?」「あいつなら帰ったぞ」「……え?出張で来たのに?」1人で放り出されたのが気に入らなかったのだろう。……自分で追い出したわけではない
「呼び出すには……こういうことをすればいい」蓮はもう一度凛花にキスをして……「ほら来た……」蓮の目には何かが映っているようだ。けれど凛花には何も見えない。そこへ看護師が通りがかり、凛花は慌てて離れた。「鈴原先生なんですが、今眠ってらっしゃるようなんです。できれば起こさないように……」「わかりました。寝顔をひと目見て、帰りますので」蓮と2人、そっと病室に入ると、確かに父は静かな寝息を立てている。「……お父さん、蓮さんが来てくれたよ。……って、来たら怒るかな。でもね、私はやっぱり彼と離れられないよ。きっと、解決してみせるから、待ってて」凛花は小さくそう言って病室を出た。改めて、決闘を心に誓いながら。そんな凛花に変化が訪れたのは、それからしばらく過ぎてからのこと。(……証明せよ、)オフィスの自分のデスクでパソコンを叩いている時、頭の中に突然響いた声。ハッとして、とっさにあたりを見渡した。いつも通りのオフィス、社員たち。凛花のデスクの背後にある課長の席で、蓮もパソコンを見つめていた。……今の声、誰?男性の声だった。けれど蓮の声ではない。もっと低く、冷たい声……もしかしたらこれは、コンタクトが取れたということかもしれない。死神最高幹部の方から?仕事を続けながら、ひと言の意味がわからず考え続けてしまった。証明せよ……って、何を証明するんだろう。答えは訪れないまま夕方になり、ぼんやり考えていたので、無意識にチラチラ蓮を見ていたのだろう。オフィスに訪れた部長が、蓮の席に向かったことにいち早く気づいた。「中村さん、ちょっといいか?」「はぁい…!」アミルを呼ぶ蓮。……なんだか嫌な予感がする。「明日の朝イチから出張に同行してくれるか。……他に2人くらい…」「はいっ!神西課長っ!鮫島くんと私が行きますっ!」指名される前に立ち上がる。腕を真っすぐ伸ばして。「え、僕も?」たまたまそばを通りかかった鮫島が、突然名前を出されて驚いている。けれど蓮のそばにいる部長がホクホク顔で言った。「いいメンバーなんじゃない?あの2人にもちょうどいい機会だからね」アミルは何か言いたそうにしたが、私たちの同行はあっさり決まった。(……いいね、)またも頭の中で声がした。なに?積極的になれってこと?証明せよ、という言葉のあと、アミルが蓮さんの
「……いい?あなたが戦うのは、あくまで死神の頂点にいる最高幹部。あなたが勝てば、蓮と結ばれる可能性が出てくるわ。そしてお父さんの寿命も変わるかもしれない」「……なんだかフワッとしてますね。こんなに雷が鳴って、雰囲気満点なのに」「だって天使二世なんて初めて会うんだもの。もちろん幹部に戦いを挑む人を見るのも初めてよ?」そんなことより……と、めぐみは続けた。「雷雨はやめてくれない?もうすぐ退勤時間なのに、足元が濡れちゃうじゃない」そう言われて凛花がため息をつくと、やがて激しい雨がやみはじめ、黒い雲が切れはじめた。「……すご。本物ね、あなた」急に目覚めた能力者のようだが……凛花に自覚はまったくない。「とりあえず、どうしたらいいんですかね……」戦うと決意してめぐみに宣言したものの、この先の展開がわからない……電話やメールで呼び出すわけにもいかないし。この日は結局、めぐみに宣言しただけで終わった。「お前、何やってるんだよ」「あ、蓮さん……」再び父の病院に訪れた凛花を、蓮が待ち構えていた。父が倒れて早退したくせに、めぐみを訪ねるために出社した凛花の話を聞いたらしい。腕組みをして見下ろす蓮の表情に浮かぶ心配。そしてわずかな呆れと怒りまで見える。それでも、あなたと結ばれるために、死神と決闘すると決意して、それを宣言しに行ってたなんて、恥ずかしくて言えない。……足元の石を蹴る私に近づいて、蓮は続けた。「お父さんは、大丈夫なのか?」「はい、とりあえずは……でも、また倒れる可能性があるみたいで、それでアミルさんにもカマを振り下ろすとか言われて……」「アミルに?」見上げると、蓮は険しい目つきを返してきた。「あの……アミルさんが婚約者だというのは、本当ですか?」「あぁ。本当だ」「あっさり認めますね……婚約者がいながら、私にちょっかい出して、蓮さんは悪い男だったんですね?」蓮はやや首を傾げる。「悪い男か?……凛花のことは、可愛く思ったから近づいたんだが?」「浮気だったってことですか……」「このまま冥界に戻れば、自動的に結婚させられる相手がアミルだというだけだ」……だからそれを人間は浮気たと言うんだよっ!……と捨て台詞を吐いて駆け出したくなる。でも不意に掴まれた腕が引き寄せられ、たくましい胸に顔を埋めることになった。「……こうしたい
「……お父さんっ!」案内された扉を勢いよく開けると、ベッドに横たわる父の姿が目に飛び込んできた。「あぁ……凛花、わざわざ来なくてもいいのに」ここは父が勤める総合病院。父が勤務中に倒れたと会社に連絡が入り、急いで駆けつけてきたところだ。「鈴原先生のお嬢さんですか?……これはまた、可愛らしい、」主治医だろうか。医師と看護師が入ってきて挨拶をしてくれたが、表情が……固い。それは父の病状が、というより、私があまりにみすぼらしい姿だったからだろう。褒める言葉を一生懸命は探しているのがわかって、心苦しい。「いつも、父がお世話になりまして……あの、父はどうして倒れたんでしょうか?」「あぁ、これはたいしたことはないんだ。要するに、寝不足と過労が祟ったんだろう」主治医をさしおいて、自分で説明する父。私が来るまで眠っていたのか、目をショボショボさせながらも、顔色は悪くない。「ならいいけど、心配させないでよね……」「あはは、悪かったな。せっかくだから入院させてもらって、あちこち調べてもらうことにするよ」「うん。ぜひそうして。……あの、父をよろしくお願いします」頭を下げる凛花に、主治医と看護師は笑顔になる。……そこへ昼食が運ばれてきたので、3人でいったん病室から出た。「鈴原先生のお嬢さん、凛花さんと言いましたか、少しお話をよろしいですか?」「……あ、はい」主治医に説明を受けて驚いた。「心臓に、疾患が?」「はい。検査をしてみないと、詳しくはわかりませんが……」「父は、気づいていないのでしょうか?」専門は外科だ。医者とはいえ、父が自分の体の中で起きていることを詳細に理解しているとは限らない。「いえ、多分わかっておいでだと思います。……ただ、凛花さんに心配をかけたくないのでしょう」「そうですか……」「検査の結果、手術が必要になることもあります。……それから、また倒れるようなことがあれば、それはかなり、危険な状態であると言わなければなりません」ホッとしたのも束の間……父の突然の体調不良に、凛花は両手をギュッと握りしめた。その後、もう一度父の病室に向かい、食事を取る姿を見守った凛花。……母が亡くなって今日まで。10歳だった私を、父は医者として忙しい日々を送りながら、愛情深く育ててくれた。そんな父に、隠れた病が進行していたなんて。ふ







