เข้าสู่ระบบ翌朝。春の高く澄んだ青空から降り注ぐ陽光が、聖星学園幼稚園の広大な講堂の窓から、磨き上げられたフローリングの床へと四角い光の模様を落としている。
保護者主催の春のチャリティーバザー当日。普段は園児たちのスモック姿が行き交う講堂は、朝早くから色めき立った母親たちの熱気と、忙しなく行き交うヒールの足音で満ちていた。「こちらの食器セット、緩衝材をもう少し足していただける?」「手作りクッキーのブース、お釣りの小銭が足りなくなりそうですわ。どなたか両替を……」 各家庭から持ち寄られた品々が、長机の上に所狭しと並べられている。値札の確認、ディスプレイの微調整。色鮮やかな春物のワンピースや、仕立ての良い薄手のジャケットに身を包んだ女性たちが、さえずるような高い声で言葉を交わしながら、開場前の最終準備に追われていた。 私は、ネイビーの飾り気のないワンピースに身を包み、講堂の入り口付近、最も人目に付く場所に設置された「特設コーナー」の前に立っていた。 そこには、昨晩まで私が一人で向き合っていたあの警察官は、陽向の言葉を遮るようにして、次の相談者を呼び出した。 陽向は、奥歯が砕けるほど強く噛み締めながら、警察署の重い回転ドアを押し出た。 大人のシステム。法の手続き。 それらは、目の前で今まさに傷ついている人間を守るためには、ひどく遅く、そして冷酷な壁として陽向の前に立ちはだかった。(まだだ。大学なら、学生課なら動いてくれるはずだ) 陽向は、休むことなく大学のキャンパスへと走り出した。 歩きすぎて、履き古したスニーカーの底がアスファルトに擦れ、足の裏がジンジンと熱を持って痛む。だが、その痛みさえも、胸の奥にある焦りを打ち消すことはできなかった。 ◇ 大学の学生課のオフィスは、蛍光灯のブーンという低い駆動音と、パソコンのキーボードを叩く音だけが響いていた。「……ですから、木崎が実家の定食屋に嫌がらせをしているんです。ネットの書き込みの文体も、あいつのサークルのアカウントと同じです」 カウンター越しに、陽向は学生課の職員に訴えかけた。 対応した面長の職員は、陽向の提出した資料をパラパラと捲り、困ったように眉を寄せた。「天道くん。大学としてもね、学生間のトラブルには注視しているんだけど……これは学外での出来事だし、何より、その木崎くんが犯人であるという『確実な証拠』がない段階では、大学が個人に対して処分を下したり、注意を促したりすることはできないんだよ」「あいつしかいないんです! 昨日の今日で、こんな真似をする奴は!」「それは君の推測だろう? 噂話や憶測だけで動けば、今度は大学側が木崎くんから名誉毀損で訴えられるリスクもある。……君たち法学部の学生なら、証拠主義の意味は分かっているはずだ」 職員の、静かで理路整然とした言葉。 それが、陽向の真っ直ぐな正義感を、跡形もなくすり潰していく。「まずは、警察の捜査結果を待つか、当事者同士で話し合って、円満な解決を模索してくれないかな」「話し合いが通じる相手なら、最初からこんな真似はしない…&hellip
「これ以上、あんな怖い目に遭いたくない……。天道くんが関わると、どんどん話が大きくなる。お願いだから、私たちの生活をめちゃくちゃにしないで……っ」 結月の目から、堪えきれずに涙がこぼれ落ち、古い木の床に小さなシミを作る。「お兄ちゃん、気持ちはありがたいがね」 受話器を置いた父親が、弱々しい声で陽向に視線を向けた。「うちは細々とやってるだけの店なんだ。ネットの噂のせいで、常連さんも来なくなっちまった。警察にも相談したんだが、証拠が足りないだの、犯人を特定できないだのと言われて、すぐには動いてもらえん。……これ以上、巻き込まないでくれ」 父親の、節くれ立った手のひらが、カウンターの上で力なく震えている。 陽向は、言葉を失った。 自分が正しいと信じて行った「反撃」が、巡り巡って、彼女たちの平穏な日常をすり潰している。「……俺が、何とかしてくる」 陽向は、それだけを絞り出すように告げると、踵を返して店を飛び出した。 背後で、またジリリリと嫌がらせの電話が鳴り響く音が、陽向の耳を執拗に追いかけてきた。 ◇ 管轄の警察署のロビー。 陽向は、生活安全課の窓口にあるアクリル板の前に座り、担当の警察官に向かってスマートフォンの画面を突き出していた。 画面には、レビューサイトに書き込まれた、朝比奈食堂への無数の誹謗中傷の魚拓が表示されている。「……だから、これは明らかな営業妨害です。嫌がらせの電話も数分おきにかかってきてる。犯人は、同じ大学の木崎っていう男なんです。すぐに動いてください」 陽向の声は、焦燥感でわずかに上擦っていた。 アクリル板の向こう側にいる中年の警察官は、事務的な手つきで眼鏡を押し上げ、陽向のスマートフォンを一瞥しただけで、手元の書類に目を戻した。「君ね、気持ちは分かるんだけどさ。ネットの書き込みに関しては、プロバイダに開示請求をしてもらって、発信者を特定するのが先決なんだよ。警察がすぐに実質的な捜査に動
(あの野郎……!) 胸の奥から、冷たい火花が散るような感覚が突き上げてくる。 陽向は教科書を乱暴にリュックに押し込み、講義室のドアへと向かって歩き出した。 周囲の学生たちが、突然立ち上がった陽向の強張った表情に驚き、一瞬だけ道をあける。 スニーカーの底がコンクリートの廊下を激しく叩く。 天道家の力なんて使わない。 親父のやり方である、暴力や社会的抹殺という恐怖で相手をねじ伏せるやり方は、結月を傷つけるだけだと学んだ。 なら、自分の力で、正しい手続きを踏んで、彼女の家を守ってみせる。 その真っ直ぐな意地だけが、陽向の身体を突き動かしていた。 ◇ 駅の反対側に位置する、古びた個人商店が並ぶ下町の路地。 陽向は、色褪せた暖簾が下がる『あさひな食堂』の前に立っていた。 店の周囲には、不穏な空気が漂っている。 入り口の引き戸のガラスには、生卵を投げつけられたような黄色い痕がベッタリと張り付き、床にはクシャクシャに丸められたゴミが散乱していた。 昼時だというのに、店内に人影は見えない。 陽向はガラガラと音を立てて引き戸を開けた。 店内に満ちているのは、長年染み付いた出汁の匂いと、揚げ物の油の匂い。 だが、その奥にある空気は、ひどく冷たく沈んでいた。 パイプ椅子の並ぶテーブル席の奥。 調理場の手前で、白髪混じりの小柄な男――結月の父親が、古い固定電話の受話器を上げては、すぐにガチャンと戻す作業を繰り返していた。 受話器を置いた瞬間、またすぐにジリリリ、とけたたましいベルが鳴り響く。 父親は、疲れ切った顔で、何度も、何度もその動作を繰り返している。無言電話の嫌がらせだ。「あの……」 陽向が声をかけると、調理場の奥から、お盆を持った結月が顔を出した。 陽向の姿を認めた瞬間、結月の眼鏡の奥の瞳が、驚きと、そして明らかな動揺で大きく揺れた。「天道……くん……? どうして
母親の容態が劇的に安定したわけではなかったが、深夜のICUでの危機を乗り越えてから三日が経過していた。 陽向は、築三十年のアパートに戻り、以前と変わらない錆びついたキッチンの前に立っていた。 アルミの鍋でモヤシを茹でる。 湯気と共に立ち上る微かな青臭い匂いが、狭いワンルームに広がっていく。「……塩だけで食うのも、いい加減飽きてきたな」 ボウルに移したモヤシを見つめながら、喉の奥で小さく呟く。 天道邸にいれば、莉子が家政婦時代から守ってきた完璧な厨房から、栄養バランスの行き届いた温かな食事が湯気を立てて運ばれてきただろう。 だが、あの白亜の家に並ぶ大理石の床や、塵一つ許されない空間に漂うシトラスの香水の匂いを思い出すだけで、胃のあたりが重くなる。 父親の、あの病院の廊下で見せた震える背中は、確かに陽向の胸に消えない刺を遺した。 あんな風に脆く崩れる親父を、陽向は生まれて初めて見た。 だからといって、天道家の財力や権力に頼って頭を下げるつもりは毛頭ない。 自分の足で立ち、自分の力で生活を営む。その意地だけが、今の陽向をこの安アパートに繋ぎ止めていた。 箸でモヤシを口に運びながら、スマートフォンの画面を見る。 画面には、大学のポータルサイトの講義スケジュールが表示されているだけだ。 朝比奈結月の連絡先は、あの日以来、一度もタップしていない。(二度と近づかない、って言ったんだ。それでいい) 言い聞かせるようにして、冷めた水を一気に飲み干した。 ◇ 大学の大講義室は、昼休み前の気怠い空気と学生たちの私語でざわついていた。 陽向は後方の席に座り、ノートの余白に法学の判例を書き殴っていたが、周囲の席から漏れ聞こえてくる声に、ふとペンの動きを止めた。「……そうそう、駅の裏側にある『あさひな食堂』って店」「あー、あの古いやつ? 出前とかやってる定食屋でしょ。あそこがどうかしたの?」「なんか、ネットのレビューサイトでめちゃくちゃ低評価が大量に書き込まれてて
◇ 長い、永遠のように感じられる時間が過ぎた。 ガチャリ、という重たい金属音と共に、ICUの扉が開いた。 出てきたのは、額の汗を拭いながら、疲れ切った顔をした担当医だった。 征也は弾かれたように立ち上がり、医師の前に進み出る。 陽向と結衣も、息を詰めて後に続いた。「……先生。莉子は」 征也の声は、ひどく掠れていた。 医師は重く息を吐き出し、深く頭を下げる。「一命は、取り留めました」 言葉が耳に届いた瞬間、征也の膝から完全に力が抜けた。 長身の身体が、前方に大きくよろめく。「っと……おい!」 陽向がとっさに腕を伸ばし、倒れそうになった身体を力強く支えた。 スウェット越しに伝わってくる、父親の体重。(……なんだよ、もっとがっしりした、壁みたいな男だと思ってたのに。こんなに軽かったのかよ、この親父) 陽向は心の中でそう毒づきながらも、父親の身体を丸椅子のほうへと誘導した。「……ああ、すまん」 征也の口から、魂の抜けたような安堵の吐息が漏れた。「ただし、予断は許さない状況です。心不全を引き起こした原因が特定できておらず、いつまた急変するか分かりません。……今夜は、覚悟しておいてください」 医師の宣告が、三人の胸に重くのしかかる。 それでも、生きている。 心臓は、まだ動いている。「……面会は、可能ですか」 陽向が、医師に問いかけた。「ええ。ただし、短時間でお願いします」 医師の許可を得て、三人は無言のまま、ICUの中へと足を踏み込んだ。 ◇ 無機質な機械音だけが支配する、冷たい空間。 莉子は、数え切れないほどのチューブや管に繋がれ、白いシーツの中で静かに眠っていた。 顔色は透き通るように白く、唇にはわずかな血の気も感じられない。
壁に両手をつき、項垂れるようにして、肩を震わせている。「……親父」 陽向の唇から、無意識のうちに声が漏れた。 征也は、ゆっくりと振り返った。 その顔を見た瞬間、陽向は息を呑んだ。 充血した瞳は焦点が合っておらず、口元はだらしなく歪んでいる。 そこにあるのは、会社で見せる威圧感でも冷徹さでもない。 ただの、妻を失う恐怖に怯えきった、一人の脆い人間の顔だった。「……陽向か」 征也の声は、空気が抜けたタイヤのように掠れていた。「母さんは……」「今、中で……」 征也はそれ以上言葉を続けることができず、口元を両手で覆った。 顔を覆う大きな手が、ぶるぶると激しく震えている。 その震えは、陽向の記憶にある姿とは、あまりにもかけ離れていた。 家庭の空気を冷え切らせてまで、母親だけに執着し続けてきた親父。 文句の一つでも言ってやろうと家を出たはずなのに。(……なんだよ、それ。そんなに震えてたら、文句も言えねえだろ。いつもみたいに冷たく突き放せよ) 陽向は、一歩も動くことができなかった。 反発の矛先を見失い、ただ、目の前で崩れ落ちそうになっている男の姿を前にして、立ち尽くすしかなかった。 タタタタッ、と。 廊下の奥から、今度は別の軽い足音が近づいてくる。「パパ! ひな兄ちゃん!」 結衣だった。 イチゴ柄のパジャマの上に薄手のカーディガンを羽織っただけの姿で、顔面を蒼白にして走ってくる。 結衣は征也の前に飛び込むと、シャツの袖を強く掴んだ。「ママは!? ママ、どうなったの!?」 悲痛な声が、静まり返った廊下に響き渡る。 征也は何も答えることができず、ただ結衣の肩に手を置こうとした。 だが、その手が小刻みに震えているのを見て、結衣はハッと息を呑んだ。「……パパ」
「ふぅーっ、はぁっ、はぁっ……」 一度息を吐き出し、再び波が来るのを待つ。 汗で滑る手を、征也が何度も握り直し、決して離そうとしない。 「……せ、や……くん……」 「俺はここだ。お前の前だ。……俺たちの子だ、莉子。俺たちの……証だ」 彼の声は、もう完全に涙声に変わっていた。 あの、他人の感情を踏みにじり、力ですべてを支配してきた冷酷な男が。
狭いキッチンの換気扇が、低く重たいモーター音を響かせている。 午後六時。窓の外の空はすでに鈍色に沈み、冷たい雨がトタン屋根を叩く不規則な音が絶え間なく聞こえていた。 私は丸椅子に腰掛けたまま、プラスチックのボウルの中で合挽き肉をこねていた。 絶対安静の身だ。立って作業を続けると下腹部に嫌な張りが生じるため、三田村さんが調達してくれたキャスター付きの丸椅子が今の私の定位置になっている。 指先に伝わる冷たい肉の感触。 手の熱で肉の脂が溶け出してしまわないよう、ボウルの下には氷水を張った別のボウルを重ねている。塩とナツメグ、少しの黒
喧騒の渦から吐き出されるようにして、バルコニーへの出口付近まで辿り着く。 そこでようやく、征也が足を止めた。 振り返った彼が、私の顔を覗き込む。眉間に深い皺が寄っていた。「……大丈夫か。無理させた」「ううん……平気」 強がって見せたものの、言葉とは裏腹に、身体は正直だった。 張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、膝の力が抜ける。カクン、と視界が落ちそうになった瞬間、征也の腕が私をさらった。 抱き留められた、というより、しがみつくような格好になる。
「あなた……っ! よくもそんな口を……! 週刊誌を見たでしょう!? 世間はみんな知ってるのよ! あなたが汚い手を使って征也様をたぶらかしたって!」 彼女はバッグから、あの週刊誌を取り出し、私の顔の前に突きつけた。「見なさいよ! これが証拠よ! あなたはただの金目当ての家政婦! 私が正当なパートナーなの!」 唾が飛んできそうなほどの剣幕。 しかし、私は瞬き一つせず、その雑誌を一瞥しただけで視線を戻した。「……週刊誌の記事が、身分証明書代わりになると