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色を奪われた、わたし③

작가: 藍沢咲良
last update 게시일: 2026-10-23 20:01:43

「君は本来なら」

「ちょっと奏さん?麗愛が学校行くの、遅れるじゃない!いつまで待たせるつもり⁈一体あなた何様なの⁈」

玄関の外から玲香奥さまが麗愛ちゃんを学校へ送るよう急かす金切り声が聞こえた。征臣さんは言葉の続きを言うことなく、継ぎ目のない、端正な黒の革靴に足を差し入れた。彼はそのまま玄関の扉を開けようと手を掛けた。待ってください。本来ならって。本来ならって、何ですか?

「これを」

振り返った征臣さんは品の良い深い青色のハンカチを差し出した。私がアイロンをしたものだ。何かあったかな?ちゃんとアイロンのりも使ったんだけど。粗相があったんだろうか。心臓の奥が鉛のように重くなる。

不思議そうな顔をしたまま動かない私を見た彼は小さくため息をつくと、そのハンカチを私の左頬に当てた。

「え……?」

「拭きなさい。涙を見せると、またつけ込まれる」

反射的にハンカチを受け取った。私が言葉に詰まっている間に、征臣さんは出ていった。私が泣いていたの、気づいてたんだ。九条の人たちは、私が泣いていても知らん顔だ。むしろ私の泣いている姿を見て嘲笑しているのが常だ。彼がくれたハンカチは、優しさは、気まぐれだ。今の弱い私を見かねただけだ。この九条家で、私の価値なんて無いも同然。

ここにいてはいけない。私、九条家を出て自分の力で両親を助けられる力を、お金を手に入れなければ。私にできること。それは、東都先端科学研究所に戻ることだ。

麗愛ちゃんと合流したとき、征臣さんは玲香奥さまと話していた。彼女は夫との会話は体裁を整えている感じがする。九条家の当主の機嫌を損ねたらまずいもんね。麗愛ちゃんはおとなしくしていた。

「奏。さっさと車出しなさいよ」

夫妻と別れたあと、麗愛ちゃんは運転席の背を蹴ろうとした。体格が小さく、ジュニアシートからは足が届かないから私にその衝撃は伝わらなかった。征臣さんがいるかいないかでがらりと態度が変わる。きっと学校でもそうなのだろう。

学校に送り届けてから屋敷に戻るまでが、私の唯一の自由時間だった。帰路の途中で入ったカフェでスマホを取り出した。久しぶりにLINEを開くと研究所時代の後輩・真帆から少し前にメッセージが来ていた。

『奏先輩、お久しぶりです!突然すみません。ずっと連絡しようか迷ってたんですけど……やっぱり送ります。先輩が抜けたあとも例の研究、続いてます。でも正直、かなり行き詰まってます。

この前、所長が「奏がいたら、ここで止まってないんだけどな」って言ってました。私もそう思います。

先輩、研究やめちゃったんですか?もし少しでも戻りたい気持ちがあるなら、一度研究所に来ませんか?みんな、たぶん先輩が思ってる以上に待ってます』

読んじゃだめだった。戻りたい。戻りたいに決まってる。でもできない。……ううん、抜け出さないと。私は本来、あの生き地獄で耐える女じゃない!

『連絡ありがとう。とっても嬉しいです。一度、所長と会って話す機会が欲しいの。色んなことを相談したくて』

『奏先輩、やっと返信くれた!あんまり冷たいと、私泣いちゃいますよ?』

『なかなか連絡できなくてごめんね。色々あって』

……っていけない!戻らないと!

急いで屋敷に戻り、小田切さんの小言を浴びながら家事を進めた。もうすぐ夕食の時間だけど、少しだけ。少しだけ、真帆ちゃんと連絡を。少しだけ、ただの私に戻りたい。

「ちょっと篤志。なぜ奏さんはここにいないの?夕食の時間に遅れる妻なんて。九条家に相応しくないわね。篤志?妻の教育もできないなんて、情けないわね。やはり征臣みたいに、育ちの違う娘を迎え入れるべきではなかったのかもしれないわ。征臣は優秀だけれど、妻選びまで完璧だったわね」

佐和子の高笑いがダイニングに響いた。篤志は薄笑いを浮かべながら、手元で握るフォークの震えを止めることができなかった。

部屋の扉が静かに開いた。大きな足音に振り返ると鬼の形相をした篤志さんにスマホを奪われた。

「お前は……わざと俺に恥をかかせているのか⁈食事の時間も守らない!大した家事もできない!俺の役に立つことを何ひとつしない!」

怒鳴りながら彼は私のスマホを床へ叩きつけた。上等な絨毯が衝撃を吸い取ってくれた。たぶん、スマホは無事。私がショックを受けていないことが気に入らない篤志さんは、更に私を追いつめるように肩を掴んで目を合わせた。

「お前、例の名刺の男のところに行け。明後日の夜だ。何としてでも妊娠しろ!それが、お前が夫にもたらした屈辱を償う唯一の方法なんだよ!」

叫ぶように告げる彼の声。戻りかけた私のアイデンティティーは、音もなく崩れ落ちた。

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