LOGIN夜の静寂の中、草を踏む音と、かすかに吹き抜ける風の音だけが響く。
帝国兵たちの追跡はひとまず振り切ったようだが、それでも緊張は解けない。ライルの戦いぶりは尋常ではなかった。
ただの傭兵とは思えないほどの剣の腕前、そして冷静な判断力—それに、彼がセリスに向ける視線には、どこか探るような鋭さがあった。
しばらく歩いたところで、ライルが足を止めた。
「ここなら、少し休める」
視線の先には、大きな岩壁がそびえていた。
その影にひっそりとした洞窟が口を開いている。「この辺りは知ってる。傭兵時代に何度か使ったことがある場所だ」
「……ありがとう」
セリスは少し警戒しつつも、疲れた身体を休めるために洞窟の中へと入った。
洞窟の内部は意外にも広く、壁には古びた焚き火の跡が残っていた。
ライルは慣れた手つきで薪を積み上げ、火打石を使って火をつける。 ゆらめく炎が洞窟内を淡く照らし、ようやく少し安心できた気がした。セリスはそっと腰を下ろし、深いため息をついた。
「……今日は色々ありすぎた」
「だろうな」
ライルは焚き火を見つめながら、静かに言った。
「帝国に追われる理由、聞いてもいいか?」
セリスは一瞬、口ごもった。
(この人に、どこまで話していいんだろう……)
彼は助けてくれた。でも、完全に信用できるわけではない。
それに、自分の正体を明かせば、彼がどう反応するかも分からない。「……言いたくないなら無理に聞かない」
ライルは肩をすくめて、あっさりと話を切り上げた。
その態度がかえって意外だった。「だがな、一つだけ忠告しておく」
彼は炎の揺らめきを見つめたまま、低い声で言った。
「お前、自分がどれだけ危険な立場にいるのか、本当に分かってるのか?」
「……!」
セリスは息を呑んだ。
「帝国が、お前をただの村娘だと思ってるなら、ここまで大規模に追っ手を出すはずがない」
ライルは鋭い視線をセリスに向ける。
「王国の生き残り——お前がそうなんじゃないか、ってな」
「……っ」
まるで見透かされたような言葉に、セリスは思わず身体をこわばらせた。
ライルはしばらく彼女の反応を見ていたが、やがてため息をつき、炎へと視線を戻した。
「ま、言いたくないなら今はいいさ。でもな……」
「……?」
「俺はもう、お前を見捨てられなくなった」
「え……?」
思いもよらない言葉に、セリスは驚いてライルを見つめる。
「俺はな、余計なことに首を突っ込むつもりはなかった。傭兵なんてのは、金さえもらえりゃ、それでいい仕事だからな」
ライルは淡々と言葉を続ける。
「でも、お前は放っておいたら確実に死ぬ。……俺が手を貸さなきゃ、な」
セリスはその言葉に、何か言い返そうとした。
だが、口を開いたまま、何も言えなかった。(……本当に、この人は……)
ライルの言葉は、どこか軽いようでいて、妙に真っ直ぐだった。
それがなぜか、心に引っかかった。しばらくの沈黙の後——
「……セリス」
彼女は静かに、自分の名前を口にした。
ライルが少し目を細める。
「セリス・エルセリア」
それが、彼女の本当の名だった。
——滅びた王国の、最後の王女の名。
ライルは少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐに静かに頷いた。
「……なるほどな」
焚き火の炎が静かに揺れる中、セリスとライルはしばらく無言のまま座っていた。
セリスは、自分の名前を明かしたことに少し緊張していた。
ライルの反応は意外なほど淡々としていたが、それが逆に不気味にも感じる。(この人、本当にただの傭兵なの……?)
帝国の追っ手を次々と倒し、こうして的確に逃げ道を確保している。
しかも、「エルセリア」の名を聞いても驚くことはあっても動じる様子はない。ライルが何者なのか、セリスにはまだ分からなかった。
「さて……これで、お互いの名前は分かったな」
先に口を開いたのはライルだった。
「セリス、お前はこの先どうするつもりだ?」
「え……?」
「帝国はお前を必ず追ってくる。隠れて生きるって選択肢もあるが、それができるほど甘い状況じゃない」
ライルは焚き火を見つめながら、淡々と言葉を続けた。
「お前には目的があるんだろう? ……それを聞かせてくれ」
セリスは迷った。
全てを話すべきなのか。
それとも、まだ警戒すべきなのか。だが、ライルはすでに彼女の正体を半ば見抜いていた。
このまま黙っていても、いずれ何かしらの形で話さざるを得なくなる。だから——
「私は……」
セリスは炎の光を見つめながら、静かに言った。
「私は、自分の国がどうして滅んだのかを知りたいの」
ライルは少しだけ目を細めた。
「どうして?」
「……私の中に残っている記憶は、あまりにも曖昧なの」
セリスは自分の胸に手を当てた。
「だけど、私は……知っているはずなの。エルセリア王国が滅びた本当の理由を」
ライルはじっとセリスの表情を見つめていた。
やがて、少し考えるように顎に手を当てる。「……つまり、お前は“王の記憶”を取り戻そうとしている、ってことか」
セリスは驚いてライルを見た。
「……どうして、それを?」
ライルは苦笑した。
「傭兵ってのは、戦場で色んな話を耳にするもんだ。エルセリアの王族には、代々受け継がれる“記憶の力”があるってな」
「……!」
セリスは心の奥がざわめくのを感じた。
王族の血に宿る“記憶の継承”の力——
セリス自身、その力の全貌をまだ把握してはいない。だが、確かに彼女の中には、今までの人生で一度も体験したことのない記憶の断片が存在していた。
それは、まるで夢のように曖昧で、それでいて確かな“誰かの記憶”だった。「……記憶を取り戻して、それからどうするつもりだ?」
ライルの問いに、セリスは言葉を詰まらせた。
(私が……この記憶を取り戻したとして、どうするの……?)
王国を再興する?
帝国に復讐する?そんなこと、考えたこともなかった。
「……分からない。でも、知らなきゃいけないの」
セリスは小さく拳を握る。
「私は……王族として、最後の一人として、このまま滅びたままでいいとは思えない」
ライルはしばらく彼女を見つめていたが、やがてふっと息をついた。
「……分かった」
「え?」
「お前がそう決めたなら、俺はそれを手伝う」
セリスは目を見開いた。
「ど、どうして……?」
ライルは少し笑い、肩をすくめた。
「俺はな、一度助けた相手を途中で見捨てるような真似はしたくないんだよ」
その言葉が妙に胸に響いた。
——この人は、本当にただの傭兵なの?
「それに、お前の言う“記憶”ってのは、俺も興味がある」
ライルの目が鋭く光る。
「エルセリア王国の滅亡の裏に何があったのか——俺も、それを知る価値はあると思うぜ」
「ライル……」
セリスはまだ戸惑っていた。
だが、ライルの言葉には、不思議な説得力があった。この人となら——少しだけ前へ進めるかもしれない。
「……ありがとう」
小さく礼を言うと、ライルは軽く笑って「気にするな」と返した。
こうして、セリスの旅は本格的に始まった。
王の記憶を求める旅。
そして、滅びた王国の真実を知るための戦いが。「……逃げられたか」 ライルは悔しげに剣を納める。 セリスも息を整えながら、周囲を警戒した。 (帝国の追っ手……やっぱり、どこかで監視されていたんだ)「セリス、大丈夫か?」 ライルが振り向いて尋ねる。「うん……大丈夫。でも、たぶんこれからもっと追われることになる」「ああ……それに、あいつらが逃げたってことは、すぐに増援が来るかもしれねぇな」 セリスはギュッと拳を握った。 (このままでは、どこにいても帝国に追われ続ける) (だけど……私は、逃げるだけじゃなくて、真実を探しに行かないといけない) 彼女は決意を新たにし、ライルを見つめた。「ライル、《王の書庫》を探しに行こう」「……ああ。そのつもりだったさ」 ライルが微笑む。 次の目的は、王国の知識の宝庫——《王の書庫》の手がかりを見つけること。 だが、その前に……「一旦、町を離れよう。このままじゃ、また敵が来る」「うん!」 二人は図書館を後にし、すぐに町を抜けるために動き出した。 *** セリスたちの進む獣道は、鬱蒼と茂る森の奥へと続いていた。木々が風にざわめき、遠くで鳥の鳴き声が響く。だが、その静寂を破るように、木の上から乾いた声が響いた。「そこまでだ、旅人ども!」 木々の間から十数人の男たちが姿を現す。肩に皮の鎧をまとい、粗野な布で顔を隠した盗賊たちだ。手には刃こぼれした剣や棍棒を握りしめ、殺気を露わにしている。 セリスはすぐに状況を理解した。 待ち伏せ──ここは奴らの縄張りだ。「おいおい、物騒じゃないか。せめて話し合いってもんがあるだろ?」
— 追跡者の影(3)— 翌朝、セリスとライルは《ルーヴェンの町》の図書館を訪れた。 図書館は石造りの堂々とした建物で、町の中央広場に面していた。中に足を踏み入れると、古い書物の香りと静寂が広がる。天井まで届くほどの本棚がずらりと並び、かすかな蝋燭の灯りが影を作り出していた。「ここなら、何か手がかりが見つかるかもしれないな」 ライルは辺りを見回しながら呟いた。 セリスは図書館の奥へと進む。 歴史書や王国の記録が収められている棚を探しながら、ふと気づいた。 ——古い時代の記録が、ほとんど抜け落ちている。「ライル……これ、見て」 セリスが手に取った本のページを開くと、エルセリア王国の記述が不自然に途切れていた。 まるで、誰かが意図的に削除したかのようだった。「……やっぱり、王国の記録は抹消されているのか」 ライルが眉をひそめる。 エルセリア王国の滅亡から十年以上が経過している。 その間に、帝国によって歴史が改竄されたのだろう。 だが、それでも完全に消し去ることはできないはずだ。 セリスは慎重にページをめくりながら、小さな手がかりを探した。 そしてしばらくして、セリスは一冊の古びた本を見つけた。 『失われた王国とその遺産』 表紙に刻まれた題名を見て、彼女は胸が高鳴るのを感じた。 (もしかして……エルセリア王国についての記述が?) 急いでページをめくると、そこには驚くべき内容が記されていた。 ——《王の書庫》、エルセリア王国の王族が代々守ってきた知識の宝庫。 ——王国の歴史、魔法、技術、すべての記録がそこに眠る。 ——だが、王国滅亡と共に、その在処は歴史から消え去った。
— 追跡者の影(2)— 戦いの余韻が、森の静寂に溶けていく。 セリスは肩の傷を押さえながら、荒い息をついていた。 ライルも剣を収め、周囲を警戒する。「とりあえず、ここを離れるぞ」 ライルが短く告げた。 戦いの音が響いた以上、他の帝国兵が気づいていないとは限らない。 早く森を抜け、次の目的地へ向かう必要があった。「セリス、歩けるか?」「……大丈夫、行こう」 痛みはあるが、今は止まっている場合ではない。 セリスは剣を握りしめ、ライルの後を追った。 *** 森を抜けた先には、小さな町《ルーヴェン》があった。 石畳の道が整備され、木造の建物が立ち並ぶ。 町の広場には噴水があり、行き交う人々の活気が感じられた。「ここならしばらく身を隠せるかもしれないな」 ライルは町の様子を見回しながら呟く。 黒鴉の兵士たちは全滅したが、彼らが報告を済ませていた可能性は高い。 帝国が次の追っ手を送り込むのは時間の問題だろう。「まずは宿を探そう。それから情報を集める」「うん……」 セリスは小さく頷きながら、胸に手を当てた。 あの戦いの最中に甦った記憶——あれは一体何だったのか。 ほんの一瞬だったが、まるで別人になったような感覚があった。 剣を握る手が、自然に動いたあの瞬間—— (……もしかして、王国の誰かの記憶?) 自分の中にある《記憶の継承》の力。 その意味を知るためにも、もっと多くの記憶を取り戻す必要がある。 (エルセリア王国の過去……そして、私の使命……) 深く考え込むセリスの横で、ライルが歩みを止めた。
— 追跡者の影(1)— 夜が明ける頃、セリスとライルは森の中を抜け、東へと歩を進めていた。「次の街は?」 セリスが問いかけると、ライルは地図を広げながら答える。「ここから北東に二日ほど進んだ場所に《ルーヴェン》という町がある。交易が盛んな町で、情報が集まりやすい」「……そこで手がかりを探すの?」「そうだな。まずはお前の“記憶”に関わる情報があるかどうか調べるのが先決だ」 セリスは小さく頷いた。 ——エルセリア王国の滅亡の真実。 ——王族に受け継がれる記憶の力。 それらを知るための手がかりを求め、彼女たちは旅を続ける。 だが、その背後には確実に追跡者の影が迫っていた。 *** 帝国軍拠点・指令室「……逃げられた、だと?」 低く冷たい声が響く。 ヴァルガルド帝国軍の指令室。 そこには、漆黒の軍服をまとった男が立っていた。「申し訳ありません、ヴァルドリッヒ将軍……」 報告に来た兵士は額に汗を浮かべながら頭を下げる。 ヴァルドリッヒ・カインツ。 帝国最強の将軍と称される男。「傭兵風の男に邪魔され、捕縛に失敗しました。しかし、相手はおそらく……」「ライル・フェンリス……か」 ヴァルドリッヒは小さく呟いた。「ゼルヴァニアの“狼”……なるほど、厄介な相手だ」 その名を知っているのかと、兵士は驚いたように顔を上げる。 ヴァルドリッヒは椅子に座り、指を組みながら静かに続けた。「だが、今はそれよりも重要なのは……“あの娘&rdqu
夜の静寂の中、草を踏む音と、かすかに吹き抜ける風の音だけが響く。 帝国兵たちの追跡はひとまず振り切ったようだが、それでも緊張は解けない。 ライルの戦いぶりは尋常ではなかった。 ただの傭兵とは思えないほどの剣の腕前、そして冷静な判断力— それに、彼がセリスに向ける視線には、どこか探るような鋭さがあった。 しばらく歩いたところで、ライルが足を止めた。「ここなら、少し休める」 視線の先には、大きな岩壁がそびえていた。 その影にひっそりとした洞窟が口を開いている。「この辺りは知ってる。傭兵時代に何度か使ったことがある場所だ」「……ありがとう」 セリスは少し警戒しつつも、疲れた身体を休めるために洞窟の中へと入った。 洞窟の内部は意外にも広く、壁には古びた焚き火の跡が残っていた。 ライルは慣れた手つきで薪を積み上げ、火打石を使って火をつける。 ゆらめく炎が洞窟内を淡く照らし、ようやく少し安心できた気がした。 セリスはそっと腰を下ろし、深いため息をついた。「……今日は色々ありすぎた」「だろうな」 ライルは焚き火を見つめながら、静かに言った。「帝国に追われる理由、聞いてもいいか?」 セリスは一瞬、口ごもった。 (この人に、どこまで話していいんだろう……) 彼は助けてくれた。でも、完全に信用できるわけではない。 それに、自分の正体を明かせば、彼がどう反応するかも分からない。「……言いたくないなら無理に聞かない」 ライルは肩をすくめて、あっさりと話を切り上げた。 その態度がかえって意外だった。「だがな、一つだけ忠告しておく」 彼は炎の揺らめきを見つめたまま、低い声で言った。「お前、自分がどれだけ危険な立場にいるのか、本当に分か
どれほど走ったのか分からない。 息が荒く、膝が震える。 森の湿った土の上に転がるように倒れ込んだ。 「……はぁ……っ、はぁ……っ……」 足がもう動かない。 鼓動が激しくなり、視界がぼやけていく。 (このままでは、捕まる……!) だが、もう走れなかった。 この森で、追っ手が来るのを待つしかないのか——? 森は鬱蒼と茂り、月明かりすら遮られていた。 冷たい夜気が肌を刺し、背後から聞こえる足音がますます恐怖を煽る。 肺が焼けるように痛み、足は鉛のように重い。それでも、立ち止まれば終わりだと、本能が叫んでいた。 そのとき。 ザッ——! 木々の間から何かが飛び出してきた。 セリスは反射的に身をすくめる。 ——剣を持った男だった。 「……誰だ?」 低く、鋭い声。 黒髪の青年。赤い瞳が月明かりに光る。 背には大剣を背負い、無骨な鎧をまとっていた。 (帝国兵……? いや、違う) 彼の鎧は帝国のものではない。 見たことのない紋章が彫られている。 青年はじっとセリスを見つめ、眉をひそめた。 「……お前、追われているのか?」 セリスは震えながら、小さく頷いた。 「帝国兵……村が……!」 それだけ言うのが精一杯だった。 青年はわずかに表情を動かしたが、すぐに真剣な眼差しに戻る。 周囲の気配を探るように、鋭い視線を走らせた。 「追っ手はどこまで来ている?」 「……すぐ、そこに……!」 セリスがそう答えた瞬間—— ガサッ! 森の茂みが揺れた。 そして、帝国兵たちが姿を現した。 「いたぞ! そこだ!」 「王の娘を捕らえろ!」 セリスの心臓が跳ね上がる。 兵たちは無駄なく散開し、まるで狩りを楽しむかのようにじりじりと包囲網を狭めていく。 「王の娘だと? 本当にこんな小娘が……?」 彼らの言葉に、青年は短く舌打ちすると、大剣を抜いた。 「……チッ。厄介ごとに巻き込まれたな」 剣閃が閃いた。 影に紛れるように立つ青年の剣が振り下ろされると、衝撃波のように空気が震えた。 鋭い一撃が帝国兵の槍を弾き、重々しい金属音が森に響いた。 「ぐっ……!」 弾き飛ばされた兵士が地面に転がる。 だが、残る兵たち







