ログイン加賀美裕司(かがみ ゆうじ)と付き合って3年。私・白石凪(しらいし なぎ)は彼の友人たちの間で、何をされても怒らない彼女として有名だった。 彼がどこで誰と会っているのか詮索したことはないし、何人もの女性と曖昧な関係を続けていようが、夜遅くまで遊び歩いていようが、文句一つ言わなかった。 裕司はそんな私を自慢に思っているらしく、友人たちにも、私がどれほど彼に惚れ込んでいるかを得意げに話していた。 ところがある日、裕司は偶然、私の初めての恋人・神崎俊平(かんざき しゅんぺい)と私が付き合っていた頃の記録を残したアカウントを見つけてしまう。 そこに映っていた私は、今とはまるで別人だった。些細なことで拗ね、すぐに嫉妬して、とても感情が安定しているとは言えない。 動画の中で、俊平が困ったように笑いながら尋ねていた。 「なんでそんなにすぐ怒るんだよ」 すると私は、悪びれもせずに答えた。「好きだから怒るに決まってるじゃん。好きじゃなかったら、何されたって気にしないもん」 それを聞いた裕司は、呆然とした。
もっと見るもしかして、裕司は本当に私を愛しているとでも言うのか?そう考えた途端、あまりにも馬鹿馬鹿しくて、思わず笑いそうになった。私が何でも言うことを聞き、ずっとそばにいた頃は、あれほど私に無関心だったのに、別れた途端、突然愛していたことに気づき、大切さがわかったとでも?人間とは、どこまで身勝手な生き物なのだろう。「私とあなたは違う」私は座り込んでいる裕司を見下ろした。「私は俊平を愛してるから、俊平を傷つけるようなことは絶対にしない。それに、俊平がいればほかの人なんて必要ないの。そこどいてくれる?家に入るのに邪魔だから」照明の下で、裕司の目に涙が滲み、しばらく揺れていた涙は、とうとう頬を伝ってこぼれ落ちた。すっかり正気を失って、その場に座り込んでいる彼の姿を見ていると、以前、道端で見かけた、飼い主に捨てられた犬をなぜか思い出した。私が玄関に入ろうとしたとき、背後からかすれた声が聞こえた。「もし、あのとき……俺がお前をちゃんと大切にしてても、お前はあいつとよりを戻してたか?」私は一瞬だけ足を止めたけれど、振り返ることなくドアを閉めた。一枚の扉が、私と裕司を完全に隔てた。私はドアにもたれ、タバコに火をつけた。鼻を抜けるほのかなミントの香りに、タバコ特有の刺激が混じる。深く煙を吸い込んだ。分からない。私には本当に分からなかった。私は裕司を好きになったことがあったのだろうか?いや、おそらくなかったと思う。だって、最初から最後まで、裕司は私に、彼を好きになるきっかけさえ与えてくれなかったから。けれど、夜更けまで肌を寄せ合って過ごした時間も、ふとした瞬間に感じた抱擁の温もりも、確かにあった……もしあの頃、私たちが本当の恋人同士のように付き合えていたら、私は裕司を好きになっていたのだろうか?分からない。ただ、今となってはもう、すべて意味のないことだ。結局、私たちは最初から結ばれる運命ではなかった。俊平と一緒に海外へ行くことを決めたのは、夏の盛りを迎えた頃だった。俊平の会社が海外市場に進出することになり、私もちょうど海外支社への異動が決まったため、2人でこの国を離れることにしたのだ。かつて私たちを傷つけた出来事や、煩わしい人間関係から遠く離れてこそ、本当の意味でやり直せるのかもしれない。空港で保安検査
「もしもなんてないよ。たとえ裕司が本当に私を愛してくれていたとしても、俊平は裕司よりずっと前から私を愛してくれてたんだから。私にとって初めてのことは、全部俊平と一緒だった。誰かを愛する気持ちも、全部俊平に注いできたの。裕司が今になって約束してくれることだって、俊平はとっくの昔に約束してくれてた」私は裕司の指を一本ずつ引き剥がした。自分でも少し残酷すぎるかな、と思うくらいに。「裕司、私は本当に一度もあなたを好きになったことはないの。あなたにしてきたことは全部、彼にしたことの繰り返し。最初から最後まで愛してなんかいなかった。ただ、あなたの中に彼の面影を探していただけ。好きになってくれたことには感謝してる。でも、私にはもう必要ないから」本当は、ここまで言うつもりはなかった。けれど、裕司がいつまでも諦めてくれないのだから仕方がない。それに、心のどこかで少しだけ胸がすく思いもしていた。かつて裕司は私にあれほどひどい仕打ちをしたのだ。今度は彼が同じ思いをする番になっただけ。彼の手を完全に振り払い、時計に目を落とすと、ちょうど10分だった。ベランダからは、俊平が私を見つめている。その夜、裕司が何時までマンションの下に立っていたのかはわからない。寝る前、私と俊平はいつものように体を重ねた。裕司のことが気になっていたのか、その夜の俊平はいつも以上に激しく、私はすっかり疲れ果てて眠ってしまった。夜中の2時、喉が渇いて目を覚ました。水を飲もうとリビングのベランダを通りかかると、裕司がまだ下にいるのが見えた。雨はすでにやんでいたが、街灯の下に立つ彼の指先には、タバコの火が小さく赤く灯っていた。翌朝、出勤するためにマンションを出た私は、昨夜裕司が立っていた場所にちらりと目を向けたのだが、街灯の下には、雨に濡れたタバコの吸い殻が一面に散らばっていた。それからしばらくして、裕司が酒を飲みすぎて胃から出血し、入院したと聞かされた。連絡してきたのは裕司の友人で、どうしても一度見舞いに行ってほしいと頼まれる。「なんだかんだ言っても、一度は付き合った仲じゃないですか。別れたからって、そこまで冷たくしなくてもいいのでは?」私はきっぱりと断った。「もう私には関係ありませんので、今後、裕司のことで連絡してこないでください」数日前には、莉奈
私は複雑な気持ちで俊平を見つめた。ありがたいと思う一方で、申し訳なさもある。俊平だって、今の状況を快く思っているはずがない。それでも何も言わず、私に余計な負担をかけようとしなかった。私がずっと愛してきたのは、こうして私を大切にしてくれる俊平だった。「ちゃんと話しつけてくるね。ありがとう」私は俊平を抱きしめ、階下へ向かおうとしたのだが、背後から俊平に呼び止められる。「凪」「ん?」振り返ると、廊下の明かりの下で俊平が微笑んでいた。眉の下に落ちた影で目元はよく見えなかったけれど、その声はかすかに震えている。「戻ってきても、俺のこと好きでいてくれる?」やっぱり、気になっていたんだ。私は思わず笑顔になり、駆け寄って俊平にキスをする。「10分で帰ってくるから」……真冬の雨は、肌を刺すほど冷たかった。裕司の顔は驚くほど青白く、普段は無造作に立ち上がっている硬い黒髪も、今は濡れて額に張りついている。まつ毛の先から滴る雨粒は、まるで涙のようだった。でも、裕司が泣くはずはない。私は彼の前で足を止めたが、しばらくはどちらも口を開かなかった。やがて裕司は、震える指でタバコを地面に投げ捨て、ようやく話し始める。「凪、あいつがお前にしてやれること、俺にも全部できるとしたら……戻ってきてくれるか?」よりを戻してほしいと頼んでいるくせに、その態度にはまだ妙な意地が残っていた。私は頬を伝う雨を拭った。「裕司は本当に私が好きなわけじゃないでしょ?ただ、振られたことが悔しいだけ」「なんでそんなことがお前にわかるんだよ?」裕司は掠れた声で言った。「凪、お前は俺じゃないだろ。勝手に俺の気持ちを決めつけんなよ。なんで俺がお前を好きじゃないって言い切れるんだ!?」私は戸惑って顔を上げる。「まさか、本当は私のことが好きだったって言うつもり?」裕司が何か言おうと口を開いたので、私はその前に笑って続けた。「私たちが付き合っていた3年間、あなたは私の気持ちなんて一度も考えず、いつもほかの女の人をそばに置いてた。私が喜んでいるか、悲しんでいるか、怒っているかなんて気にも留めず、私が尽くすのをいいことに、好き勝手に振る舞ってたよね?私がどんな気持ちでいるかには興味もないくせに、私には自分だけを愛してほしい。でも、自分
「とんでもない。ただ、白石は本当にお酒が飲めないんです。もちろん、私どもとしても今回の契約はぜひ成立させたいと思っていますが、だからといって社員の命を危険にさらすわけにはいきませんので」私にも、何が起きたのかはわかっていた。俊平が助けてくれたのだ。私は社長に一言断り、席を立ってトイレから俊平に電話をかける。「さっきの電話、俊平だったんでしょ?でも、どうしてわかったの?」俊平の声は落ち着いていた。「加賀美社長が最近、突然子会社に乗り込んできて、凪の会社との取引を直接担当し始めたって聞いたんだ。それで、凪が目当てなんじゃないかと思って。今日はどうしても手が離せなくて行けなかったんだけど、あいつに何かされなかった?大丈夫?」「ううん、大丈夫。ちょうどいいタイミングで電話してくれたから、助かったよ」自然と声が甘くなる。「それならよかった。俺がついてるから、お前は何も心配しなくていい。嫌になったら遠慮なく言い返して、仕事だって辞めていいんだぞ。凪一人くらい、俺が養えるんだから」「うん」電話を切ってトイレを出た私は、廊下に差しかかったところで歩みを緩めた。裕司が壁にもたれ、指の間にタバコを挟んでいたのだ。彼の周辺にはタバコの煙が漂っている。一瞬ためらったが、気づかないふりをして通り過ぎようとした。でも、彼の横を通りかかった瞬間、手首を強く掴まれて引き戻された。「目ついてんのか?こんなところに人が立ってんのに、見えなかった?」私は力いっぱいその手を振りほどき、眉をひそめる。「一体何がしたいわけ?!」「あの男のことがそんなに好きなのかよ?あいつの一体どこが俺よりいいんだ?」裕司は指先でタバコの火を押し消すと、目を細めて私を見た。私がきちんと答えなければ、いつまでも引き下がらないのだろう。「俊平は、ほかの女の人と浮気したりしないから」「は?」裕司は面食らったようだった。「私と付き合ってるのに、ほかの女の人と曖昧な関係になったりしないってこと」私は言葉を続けた。「私をないがしろにしないし、傷つけたりもしない。いつも大切にしてくれるし、私のことをちゃんと考えてくれる。ほかの誰でもなく、私だけを見てくれるし、気持ちにも嘘がないから」私は裕司をまっすぐ見つめ、一言ずつはっきりと告げた。「俊平は私を大切にし