LOGIN死後二年目。夫である高見誠一(たかみ せいいち)が再び私の元を訪れた。だが、今回彼が来た理由は、彼の「思い人」・金井美夏(かない みか)への償いとして、私に腎臓の提供を強要するためだった。 「高柳里奈(たかやなぎ りな)!さっさと出てこい!そもそもお前が美夏になりすまさなければ、俺と彼女がこんなに長く離れ離れになることはなかったんだ! ただの臓器提供だろうが。それが美夏への賠償だ。お前に拒否権なんてあると思うな!」 誠一はドアが壊れんばかりに叩き続け、その騒音は近隣の住人を引き寄せた。彼が私の居場所を怒鳴り散らそうとしたその時、隣の人が呆れたように声をかけた。 「……やめなさいよ。その家の人は、とっくに死んでますよ。 知らないでしょうか?こないだ肝臓を提供した後に大出血を起こしてね……手術から二日も経たないうちに、亡くなったんですよ」 その言葉を聞いた誠一は一瞬絶句したものの、すぐに表情を歪めた。私と隣人が口裏を合わせ、彼を騙そうとしていると決めつけたのだ。 彼は不機嫌そうに鼻を鳴らし、冷ややかに言い放った。 「はー?たかが肝臓を提供するくらいで、今度は死んだふりか?被害者ぶるのもいい加減にしろ。 おいババア、あの女に伝えろ。三日以内に俺の前に姿を現せとな。 もし出てこなければ、彼女の両親への送金を即刻打ち切る。野垂れ死にしようが、俺の知ったことじゃない!」 誠一はそれだけ言い捨てると、怒りを撒き散らしながら立ち去った。残された隣人は、彼の背中を見つめながら、哀れむように首を振った。 「……気の毒にね。あの子のご両親だって、娘に先立たれた悲しみで、とうに亡くなっているというのに……」
View Moreその後、誠一は会社を売却し、従業員を全員解雇して、あの古い家に引っ越した。彼は母が生前していたように、毎日部屋を掃除し、写真に新しい花を供え、私の好物を作った。テーブルの向かい側は永遠に空席のままなのに。彼は二度と笑わなくなり、その目にはいつも消えない悲しみと罪悪感が宿っていた。彼は私の写真に向かって話しかけた。今日何をしたか、昔のことを思い出したとか、どれほど後悔しているか。私は彼のそばに長く留まり、彼が来る日も来る日も懺悔する姿を見ていた。鬢の毛に白いものが混じり始め、かつての私たちの生活をなぞるように生きる彼を。実は、もう彼のことは恨んでいなかった。愛も恨みも、時間とともに薄れていった。ただ残念なのは、私たちの間に、もう来世はないということだけ。ある日の午後、誠一はソファに座り、手に私が昔彼に贈った最初のネクタイを持っていた。それは彼が入社したばかりの頃、私が一ヶ月分の給料を節約して買ったもので、彼はもったいなくて一度も使っていなかったものだ。彼はそっとネクタイを首に巻き、鏡に向かって笑いかけた。その笑顔は蒼白で苦いものだった。「里奈……君が見える気がするよ……」彼はうわごとのように呟き、瞳の焦点がゆっくりと合わなくなっていく。最後には手が力なく垂れ下がり、ネクタイがふわりと床に滑り落ちた。私は知った。彼が逝ったのだと。彼は結局、彼なりのやり方で、今生の借りを返したのだ。私は部屋に漂い、窓から差し込む陽の光が清潔な床に落ちるのを見ていた。テーブルの菊の花に、私たちの写真に、光が落ちる。すべてが終わった。嘘は暴かれ、罪悪は裁かれ、借りは返された。そして私は、今度こそ本当にこの世を去る時が来た。思い出の詰まったこの家を最後にもう一度見て、私はきびすを返し、光のある方へと漂っていった。この世のしがらみは、これでおしまい。願わくは来世、私たちがお互いに正しい人に出会い、心残りのない、愛に満ちた人生を送れますように。
病院を出た後、誠一は一人であの古い家に戻った。ドアは彼が出た時のまま、半開きになっていた。澱んだ空気の中に埃の匂いが混じり、まるで両親が生前好きだった花の香りが微かに残っているようだった。彼はドアを押し開け、一歩一歩リビングの中央へと進み、テーブルに置かれた私の遺影を食い入るように見つめた。写真の中の私は屈託なく笑っている。それは彼が私との交際を承諾してくれた直後に撮ったもので、私の人生で一番幸せな日だった。誠一はゆっくりとしゃがみ込み、震える手を伸ばして写真に触れようとしたが、触れる直前で止めた。彼の涙が糸の切れた真珠のように写真立てに落ち、水たまりを作っていく。「里奈、ごめん……」彼の声は詰まり、果てしない悔恨が滲んでいた。「俺は今になってようやく知ったよ。俺を救ってくれたのも、一番良くしてくれたのも君だったのに、俺は君を一番深く傷つけてしまった……美夏の言っていることを信じるんじゃなかった。君が俺の恩人になりすましなんて誤解して、手術の後も放っておいて、あろうことか両親を使って君を脅すなんて……」彼は語りながら、力任せに自分の頬を張り飛ばした。頬はすぐに赤く腫れ上がった。「俺は馬鹿だ、盲目だった。噓つきのことばっかり信じて、真心で接してくれた君をゴミのように捨てた……」誠一の悲痛な独白を聞きながら、私の心には憎しみも恨みもなく、ただ虚無だけが広がっていた。まるで荒野を吹き抜ける風のように、何の痕跡も残さない。彼は鞄から探偵が渡したすべての証拠、私の当時の通院記録、両親の死亡診断書を取り出した。一枚一枚床に並べていくと、まるで血と涙にまみれた真実への道。「お義父さん、お義母さん、申し訳ありません……」彼は何もない空間に向かって土下座をし、額を床に打ち付けた。鈍い音が響く。「実の子供のように可愛がってくれたのに、いつ亡くなったのかも知りませんでした……俺は最低な人間です……」三度目に額を打ち付けた時、そこから血が滲んだ。痛みを感じていないかのように彼は続けようとしたが、駆けつけた警察官に止められた。「高見誠一さんですね。美夏に殺人未遂の容疑がかかっています。署で事情を伺いたいです」警察官の声が部屋の静寂を破った。誠一は顔を上げた。顔中涙と血にまみれていたが、その目は異常なほ
誠一は床にへたり込み、その目は枯れた井戸のように空虚だった。散らばった書類、ボイスレコーダー、そして遅すぎた真実は、無数の針となって彼の心臓を突き刺していた。集中治療室のドアが突然開き、看護師が慌てて呼びかけた。「高見さん、金井さんの血圧がまた低下しました。至急ドナーが必要です。そちらの状況はどうなりましたか?」誠一はハッと我に返り、その目には激しい憎悪と絶望が渦巻いた。彼はよろめきながら立ち上がり、看護師の制止も聞かずに病室へと飛び込んだ。私も彼について中へ漂った。美夏はベッドに横たわり、顔には全く血の気がなく、呼吸も弱々しい。しかし私だけは知っている。このか弱い見た目の下に、どれほど悪毒な心が隠されているかを。「美夏!」誠一はベッドサイドに駆け寄り、抑えきれない怒りを込めて叫んだ。拳を固く握りしめ、関節が白くなるほどだった。「言え!お前が里奈を殺したんだな?命の恩人になりすましたのもお前だな。そうなんだろ!」美夏はその声に驚いて目を開けた。彼の目にある憎しみを見た瞬間、瞳の奥に慌てた色が走ったが、すぐにまた被害者ぶった様子を取り繕った。「誠一、何を言ってるの?私、わからないわ……私が病気だからって、誰かが私たちを引き裂こうとしてるの?誠一、そんな人の話信じないで!」「引き裂こうとしてるだと?」誠一は笑い、ポケットからボイスレコーダーを取り出して再生ボタンを押した。瞬時に、美夏が医師を脅す陰湿な声が病室に響き渡った。「聞け!これはお前の声じゃないのか?里奈は死ななきゃいけない、生きていたら邪魔になると言っているじゃないか!」美夏の顔色は一瞬で土気色になり、唇は震えていたが、まだ言い逃れようとした。「誠一、聞いて、誤解よ……これはきっと合成音声だわ、私がそんなことするわけないじゃない!」「まだしらを切る気か?!」誠一は勢いよく手を振り上げ、彼女の頬を思い切り平手打ちした。乾いた音が病室に響いた。「お前は自分の欲望のために、生身の人間を一人殺したんだぞ!それにあの時のことだ!俺を救ったのは里奈だった!お前じゃない!俺が湖に落ちて溺れた件についてもすべてわかったぞ。よくも長年俺を騙してくれたな!美夏、お前には本当にむかつく!」美夏は打たれて顔を背け、口の端から
「……なんだって?」誠一は聞き間違えたかのように、呆然と探偵を見つめた。探偵はそれ以上言葉を濁すことなく、即座に調査報告書を彼の目の前に差し出した。「高柳さんは二年前、つまり社長が彼女に肝臓を提供させた後、術後の大量出血に対し病院側が適切な処置を行わず、その結果死亡しました。これは病院の死亡診断書、そして火葬場の記録です。すべて本物です」誠一の目はその報告書に釘付けになり、体は石のように硬直した。数秒後、彼の手からスマホが「パタリ」と音を立てて床に落ちた。彼はその場に立ち尽くし、虚ろな目で、うわごとのように繰り返した。「あいつが死んだとは……死ぬわけがない……」涙が誠一の頬を音もなく伝い落ちた。今度は、声を出して泣くことさえできないようだった。真実を知った誠一が何らかの反応を示すだろうとは予想していた。しかし、彼の反応がこれほど激しいものだとは思いもしなかった。彼は頭を抱えてしゃがみ込み、全身の力が抜けたように動けなくなっていた。先ほどの探偵の言葉は雷のように彼の魂を打ち砕いた。涙は絶望と混ざり合い、床を濡らしていた。「ありえない……里奈が死ぬなんて。美夏は言っていたぞ、術後は順調で、すぐに退院したと!」探偵は傍らに立ち、厳しい表情を崩さなかった。集中治療室の方角を一瞥し、視線を誠一に戻す。そして、鞄から書類の束とボイスレコーダーを取り出した。「社長、ここに病院の看護師の証言、当時の監視カメラ映像、そして金井さんが主治医を脅迫している音声データがあります。すべての証拠が、彼女が高柳さんへの治療を停止するよう裏で指示していたことを証明しています」誠一は震える手で書類を受け取った。紙に触れる指先は激しく震え、ページをめくるのさえやっとだった。監視カメラの画像の中で、美夏は自分も患者服を着ていながら、医師の診察室の前に立ち、私の治療を止めるよう命じていた。証言書には、看護師の文字ではっきりと書かれていた。【金井さんは言いました。高柳里奈は死ななければならない、さもなくば自分の計画が狂うと】そしてボイスレコーダーから流れてきたのは、彼がよく知る優しい声だったが、今は悪意に満ちていた。「今夜中にあの女を消して! 生かしておいたら、なりすましの件がバレる……そうしたら、私と誠