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第3話

Author: 藤原 白乃介
智哉はグラスを持つ手を何度も握りしめた。

同時に、心の奥に鋭い痛みが走るのを感じた。

あの日、美桜が自殺未遂を起こし、佳奈も生理痛で何度も彼に電話をかけていた。

最初は応答していたが、後には苛立ちのあまり電話を切ってしまった。

もしかして、それが原因で別れを切り出したのだろうか。

智哉は視線を落としながら、辰也と誠健がそのクズ旦那を罵るのを聞いていた。

指先に挟んだ煙草の火が手の甲を焼いても、全く気付かなかった。

その夜、智哉はずっと落ち着かない気分で過ごしていた。

普段ならこの時間になれば佳奈から電話が来て、帰宅を気遣う言葉があったはずだ。

しかし、今は深夜1時を過ぎても、一度も連絡が来なかった。

胸の奥に不安が広がり、智哉はすぐに煙草を揉み消し、スマホを手にして店を後にした。

バーを出たところで、一人の少女が花かごを抱えて近づいてきた。

「お兄さん、彼女さんに花をプレゼントしませんか?」と笑顔で話しかけてきた。

智哉はかごの中に盛られたシャンパンローズを見つめながら、辰也の「ちょっと優しくすればいいだけ」の言葉を思い出した。

そして答えた。

「全部、包んでくれ」

少女は嬉しそうに花を美しくラッピングして彼に渡し、たくさんの祝福の言葉を添えた。

智哉の険しい表情も、少しだけ和らいだ。

彼は財布から数枚の万札を取り出して少女に渡した。

しかし、花束を抱えて家に戻った彼を待っていたのは、佳奈の愛らしい姿ではなく、家政婦だった。

「お帰りなさいませ。酔覚ましスープをお作りしましたが、一杯いかがですか?」

智哉は眉をひそめ、階上を見上げながら尋ねた。

「彼女は寝ているのか?」

家政婦は一瞬戸惑った後、すぐに答えた。

「藤崎さんは出て行かれました。これをお預かりしています」

智哉は家政婦から一つの封筒を受け取り、それを開けてみた。

中には佳奈が書いた衣類リストが入っていた。

額に青筋を立てながら、彼はその紙を丸めてゴミ箱に投げ捨てた。

すぐにスマホを取り出し、佳奈に電話をかけた。

着信音が長く鳴った後、ようやく彼女が応答した。

受話器の向こうから、少し掠れた声が聞こえてきた。

「何?」

智哉は骨ばった手でスマホを強く握り締め、歯を食いしばりながら問いかけた。

「本気でやるつもりか?」

「本気よ」と佳奈は冷静に答えた。

「佳奈、後悔するなよ!」

そう言い放つと、彼は電話を切り、険しい表情のまま階段を上った。

背後から家政婦の声が聞こえてきた。

「旦那様、この花は......」

「捨てろ!」

振り返りもせずそう言い残し、彼はそのまま寝室へ向かった。

寝室のドアを開けると、白いサモエドの首に黄色いお守りがつけられているのが目に入った。

彼は以前、佳奈のSNSでそのお守りを見たことがあった。

「一番愛する人のために山で祈願してきたお守り」と書いていた。

その瞬間、智哉は冷笑した。

「一番愛しているのはこの犬かよ」

怒りに任せてサモエドの首からお守りを引き剥がし、自分のポケットに押し込んだ。

サモエドはその行動に怒り、彼に向かって激しく吠え立てた。

智哉は不機嫌そうにサモエドを睨みつけた。

「吠えるなよ。お前の母ちゃんもお前を捨てたんだ」

そう吐き捨てると、勢いよくドアを「バタン」と閉めた。

翌朝、智哉はいつものように腕を伸ばし、隣にいるはずの佳奈を抱き寄せようとした。

しかし、手が空を切った瞬間、彼は目を見開き、現実を思い出した。

佳奈がいない。

胸の奥に重苦しさが広がり、彼は急に息苦しくなった。

これまで毎朝、智哉はいつも佳奈と“特別なひととき”を過ごしていた。

彼女が自分の腕の中で甘える様子を見ていると、胸の奥に何とも言えない感情が湧き上がってきた。

その感情はまるで毒のように彼の骨髄にまで染み込み、彼を支配していた。

今はその毒に駆られるように、どうしようもなく佳奈を探したい衝動に駆られていた。

だが、一言も告げずに出て行った彼女の姿を思い出すと、怒りが再び燃え上がる。

探しに行くなんてプライドが許さない、そう思った。

階下に降りると、高木幸太(たかぎ こうた)がリビングでスマホを片手に誰かと話しているのが目に入った。

智哉は冷たい視線を送りながら近づき、声をかけた。

「何をそんなに忙しそうにしている?」

高木はすぐにスマホをしまい、申し訳なさそうに言った。

「高橋社長、藤崎秘書はひどい病気ですか?病院に様子を見に行きますか?」

智哉は眉をひそめた。

「彼女がそう言ったのか?」

「はい。さっき、一週間の休暇を申請してきたんです。直接社長に報告すればいいのに、わざわざ私を通して正式に手続きをしました」

智哉の黒い瞳がわずかに暗くなった。

「許可したのか?」

「はい、さっき許可しました。藤崎秘書にはしっかり休んでもらって、仕事は私が調整しますので」

高木は自分の効率の良さを褒められると思っていた。

しかし、返ってきたのは冷たく鋭い一言だった。

「次の四半期の賞与、なしだ!」

——

佳奈は手術で大量に失血したため、一週間の休養を経て仕事に復帰した。

オフィスに入るなり、同僚たちが愚痴をこぼしている声が耳に入った。

「この一週間、本当に地獄だったわ。毎日深夜まで残業だし」

「高木さんなんて、藤崎秘書の休暇を許可したせいで、四半期の賞与が何十万円もカットされたらしいよ」

佳奈はその話を聞いて心を痛めた。

その賞与は高木の結婚資金だと聞いていたのに、自分のせいで無くなってしまったのだ。

同僚たちに仕事を数点引き継ぐと、佳奈は意を決して総裁室のドアをノックした。

ドアを開けると、黒いスーツに身を包んだ智哉がデスクに座っていた。

彼の冷たい視線が一瞬佳奈に注がれたが、すぐに書類に戻る。

その無関心な態度に、佳奈の心は締め付けられた。

七年前、冷淡で美しいこの男に心を奪われたのがすべての始まりだった。

それが、彼に近づくために全てを捨てて飛び込んだ理由だった。

だが彼女の長年の愛情は、智哉にとってただの遊びに過ぎなかった。

佳奈は心の痛みを必死に隠し、冷静な口調で切り出した。

「高橋社長、グループの人事部の規定では、10日以内の休暇申請は直属の上司の許可だけでいいはずです。高木さんが私の申請を許可したのに問題があったのでしょうか?なぜ彼の賞与をカットしたんですか?」

智哉はゆっくりと目を上げ、その魅惑的な目でじっと彼女を見つめた。

まるで彼女の心の中を全て見透かしているかのようだった。

「なぜだと思う?」

智哉の声はわずかに嘲笑を含み、佳奈の胸に痛みをもたらした。

「私が別れを切り出したからですか?もし私に不満があるなら、私だけを相手にしてください。他の人を巻き込まないでください」

智哉は薄笑いを浮かべた。

「そうして欲しいなら、黙って家に戻れ。そしたら全部水に流してやる」

佳奈は苦笑いを浮かべ、準備していた辞表を取り出して差し出した。

「高橋社長、私はもう戻りません。それどころか、今日限りで辞職します。これが辞表ですので、後任者との引き継ぎをお願いします」

智哉は彼女の差し出す辞表を冷たい視線で見つめ、手にしたペンの先を微かに揺らした。

「もし俺が受理しなかったら?」

佳奈は微笑みを浮かべたまま、はっきりと言った。

「高橋社長、飽きたら別れるっておっしゃったのはあなたですよね?今さら引き止めるなんて、まるで自分の言葉に責任が持てないみたいじゃないですか?」

智哉はその言葉を聞くや否や椅子から立ち上がり、佳奈のそばに歩み寄った。

彼女の顎を掴み、指の腹でその白く滑らかな頬をなぞるように撫でた。

低く圧力を帯びた声で囁く。

「佳奈、俺が遊びを投げ出すと思うのか?違う、まだ物足りないだけだ」

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