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縁語り其の四十八:二百年の恩返し

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-06-01 19:03:14
第1章:二百年の恩返しと、千年の宿命

湿った夜気に、草を踏む微かな音が響いた。

カサリ、カサリ……。

慰霊碑を包む重い沈黙を切り裂くように近づいてくるその足音に、僕と美琴は導かれるように、同時に静かに振り返った。

そして──。

木々の影が最も濃い場所から、それは現れた。まるで闇そのものが人の形を成したかのような、ひとつの人影。夜の闇に、鮮やかな黄色い浴衣がふわりと浮かび上がっている。夜風に遊ばれる栗色の髪は左右に結われ、赤いリボンが楽しげに揺れていた。その姿は、この場所の厳かな雰囲気とはあまりに不釣り合いで、それなのに、僕の胸には不思議な懐かしさが灯る。

『やぁ。アンタたち、さっきの露天風呂じゃ、アタイを楽しませてくれてありがとね?』

「……この声……」

鈴を転がすような、軽やかで澄んだ声。その温もりのある響きに、僕ははっきりと聞き覚えがあった。

思わず目を見開く。

「……陽菜、さん?」

間違いない。温泉で僕たちに悪戯を仕掛けてきた、あの不思議な霊──陽菜さんだった。

隣で、美琴の動きがぴたりと止まる。陽菜さんの姿を認めた瞬間、彼女の横顔に、見る間に朱が差していく。先程の露天風呂での一件が、熱い記憶として肌を焼いているのだろう。そのあからさまな動揺に、陽菜さんは悪戯が成功した子供のように、くすりと笑みを漏らした。

『アンタたちがこの慰霊碑を見に来るって、宿で盗み聞いててね。ちょっと様子を見に来たのさ』

涼みにでも来たような、あまりに軽い口調。

「な、なるほど……」

予想外の再会に、僕は戸惑いを隠せず、曖昧に応じるしかない。

その時だった。

「な、なんてことしてくれたんですかっ!」

ようやく平静を取り戻したらしい美琴が、顔を紅潮させたまま一歩踏み出し、上ずった声で抗議の言葉をぶつけた。

『いや~、アンタたちのあのやり取りが可愛くてさ。つい、イジりたくなっちゃったんだよねぇ』

陽菜さんは悪びれもせず、屈託のない笑顔を浮かべている。その飄々とした態度に、僕はすっかり毒気を抜かれてしまい、思わず苦笑がこぼれた。

だけど、心の片隅に引っかかっていた疑問が、不意に言葉になって口から滑り出る。

「陽菜さん……。あの時、どうして道に迷った僕たちを助けてくれたんですか?」

僕の問いに、陽菜さんは悪戯っぽい笑みをすっと消し、その瞳でまっす
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