LOGINそんなこと、と言ってしまっては語弊があるが、どれだけ重大なことを切り出されるのかと身構えていた和彦としては、意表をつかれる。目を丸くすると、ようやく中嶋はこちらを見た。
「なんとなく、気になったんです。先生が、あの店にわざわざ行って、ツリーの飾りつけを手伝うことになった経緯が。先生と秦さんが、ただならぬ関係だというのは薄々わかってはいたんですが、それでも自分では、平気なつもりだったんです」 和彦は弁解しようとしたが、それを制止するように中嶋が片手を上げ、言葉を続ける。「……俺、先生が好きですよ。陽の下を堂々と歩いているのが似合いそうな、どこから見ても堅気の色男なのに、ヤクザに囲まれても物怖じしないところや、商売女も裸足で逃げ出しそうな、したたかでズルイところとか。本当に、不思議な生き物って感じなんです、先生は」「ぼくが周りからどう思われているか、よくわかるな」「だからこそ、得体の知れない秦さんと馴染みそうなんです。あの人も一応、青年実業家なんて肩書きを持っていて、見た目はあの通り、惚れ惚れする**** 海だ、と和彦は心の中で呟く。 ウィンドーに顔を寄せ、ようやく視界に現れた景色にじっと見入る。スモークが貼られているため、くっきりと色彩鮮やかというわけにもいかず、それを不満に感じた和彦は誰にともなく問いかけた。「……窓、開けていいか?」 数秒の沈黙のあと、助手席に座る組員が答えた。「少しだけでしたら」 いかつい車が連なって走行しているのに、物騒なことを考える人間はそうそういないだろうと思いながら、和彦はありがたくウィンドーを少しだけ開ける。 冷房がよく効いた車内に、ムッとするような熱気が吹き込んでくるが、それでも和彦にとっては心地いい。「潮の匂いだ……」 そう呟いたのは、和彦の隣に座っている千尋だ。車での長時間の移動は、気心が知れた相手と同乗したいという密かな和彦の希望は、和彦と同乗したいという千尋のわがままによって叶えられた。前列に座るのは長嶺組の組員だ。「海に来たって感じだよなー。あー、みんな楽しそう」 砂浜には海水浴を楽しむ人たちの姿があり、千尋の言葉通り、確かに楽しそうだ。「先生、ジムのプールではよく泳いでいたみたいだけど、海に泳ぎに行ったりしなかったの?」「海ではあまり泳いだことがないな。医者になってからやっと、海外に遊びに行ったときに――」 無防備に思い出話をしようとした和彦だが、ここでハッとする。これは千尋にしてはいけない類の話だと気づいたからだ。 和彦は一時期、外傷外科医として救命救急の現場にいたことがある。和彦が一番、肉体的にも精神的にも疲れ果てていた時期でもあり、この仕事に向いていないと、嫌というほど痛感もしていた。 そのため転科を考え始めた頃、ある男とつき合っていたのだ。同年齢ではあったが、仕事で苦悩し、忙殺されかかっていた和彦とは違い、親の残した資産で優雅に遊び暮らしている男だった。 生まれ育ちがいいという点では、和彦と共通したものを持っていたが、話を聞く限り、家庭環境は雲泥の差があった。それでも不思議と気は合い、遊び相
ふっと口元に笑みを湛え、御堂は窓のほうへと顔を向ける。非の打ちどころのない横顔に、つい和彦は見惚れる。話を聞いているうちにずいぶん気持ちが和らぎ、こんな質問をぶつけていた。「……御堂さんは、自分の過去をどう思っていますか」 こちらに向き直った御堂は一声唸り、灰色の髪に指を差し込んだ。「苦いような、甘いような、複雑な感じだ。――大事に愛してくれたと思うよ。二人とも、わたしより遥かに大人だったから。いろんなことを教えてもらった。打算的なことを言うなら、あらゆる面で後ろ盾にもなってもらっている。君が見たとおり、今でもセックスできるぐらいだから、否定したい過去ではない」 ニヤリと笑いかけられ、和彦のほうがうろたえてしまう。「それに嫌いではない。オンナであった自分は。ただ……、君のほうは、わたしよりずっと大変だ。賢吾から聞いたけど、長嶺の三人以外とも――」「ぼくは淫奔なんです。束縛も執着もしない相手と気まぐれに、気軽に寝てきて――、それが今はこの状態です。束縛されて、執着されて……。嫌いじゃない、という表現では足りません。きっとぼくは、そうされることが好きなんです」「ふふ。いいことを聞いた。賢吾や千尋が聞いたら喜ぶだろうな」 和彦が慌てて腰を浮かせようとすると、御堂は片手を振った。「冗談だよ。これは〈オンナ〉同士の秘密だ」 なかなか際どい冗談だなと、和彦はぎこちない笑みをこぼしたが、次の瞬間には小さくため息をつき、コーヒーカップに口をつける。〈オンナ〉というのは、単なる言葉でしかない。どこか言葉遊びのような、そこに込められた淫靡な響きに妖しく胸を疼かせ、体を開く媚薬のようなものだ。だが、その単なる言葉が、どんどん和彦の中だけではなく、周囲の男たちにとっても重みを増し、まるで囚われているようだ。 このままでは危険だと、和彦自身、頭ではわかっている。しかしもう、その立場を捨て去った自分の姿が想像できなくなっている。日々を重ねるごとに、そういう生き物になっているのだ。 答えの見えない思索に耽っていると、聞き覚えのない着信音が響く。御堂の携
「それでは、わたしはこれで失礼します。一階ラウンジにおりますから、部屋を出られる前に携帯を鳴らしてください。すぐに迎えにまいります」 手早くテーブルの上を片付けた二神は、一礼して部屋を出ていった。すべての所作にソツがないと、和彦が感心していると、御堂に呼ばれ、窓際のテーブルセットを示される。 御堂と向き合う形でイスに腰掛けたが、正面から秀麗な顔に見つめられると、やはりどうしても緊張する。いや、目のやり場に困る。「悪趣味なものを見てしまって、わたしの前でどういう顔をすればいいのかわからない、という感じだ」 からかうように御堂に言われ、和彦はムキになって否定する。「そんなこと思ってませんっ。悪趣味なんて……」 御堂と綾瀬の性行為を見て、生々しくて艶めかしいとは思ったが、嫌悪的なものは一切感じなかった。もし感じたとすれば、それは和彦自身の存在を否定することにも繋がる。「……恥ずかしい、というのも表現としてどうかと思いますが、ただ、自分の姿を、客観視したような……、妙な感覚です」「佐伯くんは、本当に素直だ。――賢吾から、だいたいのことは教えてもらっただろう。そうしてほしいと、わたしから頼んだことではあるんだが」 一瞬顔を強張らせてから、和彦は肯定する。「御堂さんはどうしてぼくに、あの光景を見せたんですか」「明け透けな表現をさせてもらうけど、自分が男たちの慰み者になっている一方で、優男のわたしなんかが、総和会で肩書きを得て、南郷と渡り合っている――と、きっと思ったんだろうなと、連絡所での別れ際の君の顔を見て感じた。……違うかな?」 何もかも見透かされているなと、逃げ出したくなるような羞恥と惨めさを覚える。「……そこまでひどいことは思いませんでしたけど、似たようなことは……」 満足げに口元を緩めた御堂は背もたれに深く体を預け、足を組む。「落ち込んだ様子の君を見て、猛烈に腹が立ったんだ。君に対してじゃないよ。君を取り巻く男たちに対し
和彦の異変に気づいた二神が気遣わしげに眉をひそめる。それが申し訳なくて、ますます動揺しそうになったところで、すぐ側までやってきた御堂にそっと肩を抱かれた。「佐伯くん、これから時間はあるかな」「えっ……、あっ、はい。ぼくは予定はないので、大丈夫です」 御堂はわずかに目を細めてから、指先で二神を呼び、何事か耳打ちした。 和彦の見ている前で素早く打ち合わせを終えてしまうと、状況がよく呑み込めないまま和彦は、持っていたバッグを、御堂が伴っていた隊員らしき男に預けた。それから、御堂と二人で車に乗り込む。運転はもちろん、二神だ。 今日も御堂の護衛は厳重で、和彦たちが乗った車が走り出すと、ぴたりと背後から、もう一台の車がついてくる。 振り返ってそれを確認した和彦は、緊張しつつシートに身を預ける。自分がついてきてよかったのだろうかと、いまさらながら戸惑っていた。「……御堂さんは、何か用があったんじゃないですか?」 おずおずと問いかけた和彦に対して、隣に座っている御堂が意味ありげな流し目を寄越してくる。「用というほどのものではないよ。うちの隊は、法要の警備には加わらないからね。ひとまず夏の間に、隊としてきちんと体裁を整えて動けるよういろいろ準備をしているけど、動くのは、隊員や清道会の人間だ。隊長のわたしはこの通り、のんびりしたものだ」「清道会……」 綾瀬の顔と、低くしわがれた声を思い出し、つい視線を伏せる。生々しい光景が脳裡に蘇りそうになったが、御堂からの問いかけで意識を引き戻された。「――佐伯くんは、行くんだろう?」「あっ……、はい。いえ、法要のほうではなく、近くの宿まで。長嶺会長や千尋に誘われたんです。宿でゆっくりしていればいいと言われていますが、本当にそうできるかどうか……」「長嶺の男たちのお守は大変だろう」 迂闊に返事もできず和彦が口ごもると、御堂は軽やかな笑い声を洩らした。「素直な反応だなあ」「……相
走り出した車の後部座席で、普段より多い人や車の流れを眺める。せっかくの夏休みを、家族や友人、恋人と過ごす人は多いのだろうなと考えてから、我が身を振り返る。知らず知らずのうちに苦笑が洩れていた。 自分のことを〈オンナ〉にしている男たちのことを、世間ではどう呼ぶのだろうかと、少しだけ皮肉っぽく、そして自虐的に考えてみた。だからといって和彦は、長嶺の男を憎んだり、恨んでいるわけではない。執着され、庇護されるということは、一種の麻薬だ。苦しい反面、とても心地いいし、安堵感すら覚えるようになる。 まるで夏の陽射しだ――。 和彦はウィンドーに顔を寄せ、食い入るように外を見つめる。残念ながらスモークフィルム越しでは、どんなに強烈な陽射しも遮られてしまう。 ふと和彦は、ほんの数日前に味わった汗ばむほど熱い抱擁を思い出し、次に、こう心の中で呟いていた。 鷹津は今ごろ、何をしているだろうか、と。 ハッと我に返り、シートの上で身じろぐ。鷹津のことを気にかけた自分に驚いていた。 番犬として刑事の鷹津を利用し、必要に応じて体を与えるうちに情を通わせるようにはなっていたが、それでも離れてしまえば、心の隅に収納できるだけの冷静さ――分別があった。しかし今の和彦は、ごく自然に、まるで長嶺の男たちを想うように、鷹津を想った。〈オンナ〉という言葉の威力だろうかと、和彦は密かに慄然とする。鷹津とのやり取りが、いまさらながら耳元に蘇っていた。 マンションから本部に向かう途中、こまごまとした買い物を済ませるつもりだったが、そんな気分ではなくなっていた。 黙り込んだままの和彦を乗せ、 車は静かに総和会本部のアプローチを通り、駐車場へと入る。いつもより停まっている車の数が多いのは、明日の法要と関係があるのかもしれない。準備や警備などのため、今日出発する関係者もいるだろう。 ドアが開けられ、車を降りた和彦の傍らから、すかさず手が差し出される。「バッグをお持ちします」「いえ、大丈夫です。重くないですから」 何か言いたげな顔の護衛に対して、和彦は微笑で返す。そのまま歩き出したが、すぐにある光景が視界に入り、結局足を止めていた。 車
それでも、鷹津とのことを知られるわけにはいかなかった。当然、自分から口にするはずもない。 保身のためもあるが、自分のせいで鷹津が何かを失うのは、やはり嫌なのだ。「……何かあった?」 囁きながら千尋がもう一度唇を重ねてくる。和彦は、茶色の髪を優しく指で梳いた。「何も、と言いたいところだが、ここにいると、いろいろあるから……」 千尋の眼差しがスッと鋭さを帯びる。その変化を目の当たりにして和彦はドキリとした。「千尋?」「先生から目を離すと、危ないんだよな。自覚なく、性質の悪い男を引き寄せて、骨抜きにするから。――もしかして最近は、自覚があったりして」 口調は冗談っぽくありながら、千尋の表情は真剣だった。こういうときの千尋は、厄介だ。次の行動が予測できず、とんでもない暴走をしそうなのだ。 和彦の奔放さに対して、嫉妬や独占欲とのつき合い方は上手いと話す千尋は、事実、年齢に見合わない寛大さを示しているといえる。一方で、何かの拍子に激しい感情を発露させることもあるのだ。そうやって千尋は、荒々しい感情のバランスを取っている。とても危うく。 それを受け止めることは、自分の役割であり、義務ですらあると和彦は考えていた。「自覚があったら、ぼくを嫌いになるか?」「悪いオンナ、っていう自覚か……。エロい響き」 バカ、と一言呟いた和彦は、千尋の頭を軽く小突く。すぐに手を引こうとしたが、その手を千尋に掴まれた。子供が甘えてくるように額と額を合わせてきたかと思うと、頬ずりをされ、首筋に顔が寄せられる。肌に触れる息遣いがくすぐったくて、和彦は小さく笑い声を洩らした。「子犬にじゃれつかれているみたいだ」「子犬?」「……別に、可愛いという意味で言ったんじゃないからな」 和彦が念を押すと、千尋が唇を尖らせる。あざといほど子供っぽい仕種だが、和彦には効果的だと、千尋はよくわかっているのだろう。「悪いオンナの周りには、食えない大人の男ばかりだからね。――こういうのも新鮮だろ?」
「……別に。あんたの過去に興味はない」 「賢い奴だな。危険な蛇の尾を踏まないよう、余計なことは耳に入れたくないってことか」 「サソリの尾だって踏みたくない。あんたも、長嶺組長も、物騒すぎるんだ」 「俺は物騒じゃないだろ。あんなに丁寧にお前を抱いてやったんだ。けっこう、紳士なつもりだぜ」 言葉とは裏腹に、和彦の体はソファに押し倒され、傲慢に鷹津がのしかかってくる。きつい眼差しを向けると、それ以上の眼差しの鋭さで言われた。 「あまり、俺と長嶺を同類で語るなよ。同じ悪党ではあっても、俺とあいつは敵対関係であることに変わりはない。手を組む気はな
「なるほど。先生のきれいな指が、他の男の体を這い回るのかと思うと、少しばかりムカつくな」「変な言い方をするなっ……。用が済んだんなら、ぼくはこれで帰るからな」 立ち上がろうとした和彦だが、すかさず手首を掴まれて引っ張られ、バランスを崩して賢吾の胸元に倒れ込む。そのまましっかりと両腕で抱き締められた。「先生への本題はこれからだ」 嫌な予感がした和彦は、露骨に顔をしかめて見せる。すると賢吾は表情を和らげてから、耳元に唇を寄せてきた。「頼みたいことがある」「……聞きた
外から男二人のにぎやかな話し声が聞こえてくる状況で、求められるまま、やむをえず舌を絡め合い、唾液を交わす。引き出された舌を痛いほど吸われると、たまらず和彦は鷹津の肩にすがりついていた。 ますます鷹津の腕の力が強くなり、和彦の中で奇妙な変化が起こっていた。鷹津のことがどうしようもなく嫌いで、嫌悪しているのに、そんな男にねじ伏せられるように口づけを交わしていると、高揚感に襲われ、体の奥深くから強引に官能を引き出される。 官能に形を借りた、サソリの毒かもしれないと、ふとそんな考えが脳裏を過る。鷹津の毒を注入され、体も心も侵されていくのだ。 思わず身じろごう
さすがの賢吾も、和彦の心を煩わせるものすべてを見通すことは不可能らしい。「……最初にぼくを狙って、あんなことをした人間が、どんな顔をして、そんなことを言うんだ」「俺はいい。俺は、許されるんだ」 さすがに図々しい発言だと思って和彦が顔を上げると、待っていたようなタイミングで唇を軽く吸われた。「先生を狙って自分のものにして――見事に、骨抜きにされたんだ。そんな哀れなヤクザを、愛情深い先生なら、たっぷり甘やかしてくれるだろ?」 本当に図々しいと思いながらも、和彦はつい笑みをこぼしてしまう。 自