تسجيل الدخول南郷に対して怒りはあるが、自ら罰を与えようと考えたことはなかった。守光が最善の手段へと導いてくれると、心のどこかで期待をしていた。しかし、これは――。
和彦の返事次第では、二つの組織だけではなく、父子関係の不和すら生みかねないと、言外に仄めかされているようだった。守光は、和彦から欲しい返事をもぎ取ろうとしているのだ。この場にはいない賢吾も。 ぐっと奥歯を噛み締めた和彦は、いまさらながら、自分がどれほど怖い男たちの〈オンナ〉であるのか、痛感していた。大事にしてくれてはいるが、一方で、自分たちが背負う組織のために、どこまでも傲慢で容赦なく振舞う。 それでも和彦は身を委ねるしかないのだ。「――……助言を、いただけないでしょうか。どうすれば、影響を最小限に抑えて、なおかつ、誰にも口出しをさせないほど、きちんとケリをつけられるのか。そんな方法があるのでしょうか?」「簡単だ。南郷を跪かせるといい」 事も無げに告げられ、静かな衝撃が胸に広がる。「ひざま、ずかせる…&h南郷に対して怒りはあるが、自ら罰を与えようと考えたことはなかった。守光が最善の手段へと導いてくれると、心のどこかで期待をしていた。しかし、これは――。 和彦の返事次第では、二つの組織だけではなく、父子関係の不和すら生みかねないと、言外に仄めかされているようだった。守光は、和彦から欲しい返事をもぎ取ろうとしているのだ。この場にはいない賢吾も。 ぐっと奥歯を噛み締めた和彦は、いまさらながら、自分がどれほど怖い男たちの〈オンナ〉であるのか、痛感していた。大事にしてくれてはいるが、一方で、自分たちが背負う組織のために、どこまでも傲慢で容赦なく振舞う。 それでも和彦は身を委ねるしかないのだ。「――……助言を、いただけないでしょうか。どうすれば、影響を最小限に抑えて、なおかつ、誰にも口出しをさせないほど、きちんとケリをつけられるのか。そんな方法があるのでしょうか?」「簡単だ。南郷を跪かせるといい」 事も無げに告げられ、静かな衝撃が胸に広がる。「ひざま、ずかせる……?」「あの男の土下座は、価値がある。――南郷が小さな組の組長代行を務めていた頃、その土下座で揉めに揉めてな。南郷は、親ともいえる組長の面子を潰した挙げ句、結局総和会が介入する話にまでなった。結果が、今の立場だ」 その今の立場を守るために、南郷は和彦の要求を呑むか否か、試せというのだ。しかし守光には確信があるのだろう。南郷は、和彦に詫びるために跪くと。それで、すべてケリがつくと。 頭が、考えることを放棄したがっていた。南郷にそこまでさせてしまうことで、どういう結果が生まれるのか、想像するのが怖かったのだ。不穏なものを感じながらも、しかし他に手段も思いつかない。 和彦は、守光に頭を下げた。「すべて、お任せします。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」「あんたが頭を下げる必要はない。今回の件は、こちらの不始末だ。それを円満に解決するために、あんたの手を借りる。面倒だと思うかもしれんが、この世界で円滑に物事を進めるには、取り繕うべき形が必要なんだ」「……そのことを
「ここでその酒を飲んで、あんたなら気に入ってくれるんじゃないかと思ってな。出してもらったんだ。その様子なら……」「ええ、すごく美味しいです。普段は無難に、日本酒よりワインを選んでしまうんですが、どうやらぼくが、口に合う日本酒を知らなかっただけのようですね」 喉の奥がじんわりと熱くなり、和彦はそっと吐息を洩らす。猪口一杯でこれでは、すぐに酔ってしまいそうだ。 食事が進み、器の大半が空いた頃になって、ようやく守光がこう切り出した。「南郷のことだが――」 和彦は反射的に背筋を伸ばした。「あんたには迷惑をかけた」 守光が頭を下げたため、慌てて制止する。「やめてくださいっ。会長が頭を下げられるなんてっ……」「そういうわけにもいかん。これはケジメだ。〈あれ〉は、わしの子飼いの部下だ。今の地位を与えた責任がある」 激しくうろたえ、困惑した和彦だが、思いきって守光に問いかけた。「……会長は、どこまでご存知なのですか?」 頭を上げた守光が一瞬見せた眼差しの鋭さに、息を呑む。しかし次の瞬間には、守光は穏やかな表情へと戻っていた。猪口を取り上げたので、和彦は酒を注ぐ。「賢吾が把握している程度のことは」「それは――……」 すべてを明け透けに打ち明けるかどうか、守光は自分を試しているのかもしれない。和彦は急にそんな不安に襲われる。同時に、耐え難いほどの羞恥にも。「南郷は今、自宅で謹慎させている。第二遊撃隊も、総本部に詰めさせて、外での活動を禁止している。――処分が決まるまで」「処分?」「処分は今日、あんたと相談して決めるつもりだ」 和彦は絶句して、ただ守光の顔を凝視する。沈黙している間、耳に心地いい水音が室内に響き渡る。窓のすぐ下を川が流れているのだろう。 感情の乱れをようやく抑えて発した言葉は、微かに震えを帯びていた。「……どうして、ぼくが……」「あんたが外部
**** 土曜日の午前中、自宅マンションで一人過ごしていた和彦は、突然の連絡を受け、急遽出かけることになった。こちらの予定も聞かず、自分につき合えと言うのは、口調の違いはあれど、長嶺の男に共通する特徴だ。 後部座席のシートに身を預けた和彦は、ウィンドーの外を流れる景色を眺めつつ、守光からかかってきた電話でのやり取りを思い返す。 美味い山魚を食べさせる店があるので、これから出てきなさいと、まず言われたのだ。面食らう和彦に、さらに守光は言葉を続けた。 一昨日の南郷の無礼について、詫びがしたい、と。 こう言われては、和彦には断る術はない。もとより、守光からの誘いを断られるはずもない。 マンション前に停まっていた車に乗り込んだのだが、肝心の守光の姿はなかった。運転手を務めている男によると、守光は昨日からある旅館に宿泊しており、そこに和彦はこれから向かうのだ。 一体何を言われるのだろうかと考えて、心がざわつく。 和彦を騙して呼び出した南郷の行為は、総和会と長嶺組に何かしらの波紋を起こしたようだ。 呼び出された当事者である和彦のもとには、情報がほとんどもたらされない中、唯一、中嶋から送られてきたメールのおかげで、自分の知らないところで事態が動いていることを知ったのだ。 それまで和彦はずっと、長嶺組の男たちに気遣われていた。南郷のせいで、和彦が激怒したままだと思われているためだ。それは事実ではないが、自分の精神状態を詳細に語ることを和彦は避けていた。 実は激怒どころか、南郷がもう一つの〈行為〉を明らかにすることを恐れていたとは、口が裂けても言えない。 自ら動きようがない中で、守光が連絡をくれたことに身構えつつも、正直和彦は安堵していた。 シートから身を乗り出して、ウィンドーに顔を近づける。道路の傍らを川が流れており、陽射しを反射してキラキラと輝いていた。しかし和彦が何より目を奪われたのは、川の向こうに広がる景色だった。 山の傾斜を利用して芝桜が植えられているのだ。まだ盛りを過ぎていないらしく、白や濃いピンクの花が満開となっており、あまりの鮮やかさに思わずため
「個人的な問題が起こっている最中で、今は気持ちに余裕がないんだ。そこに、これ以上厄介なことを抱えると、さすがに限界だ」「気分転換なら、いつでもおつき合いしますよ」 力なく笑った和彦だが、何げなく視線を周囲に向ける。学生らしいグループや、会社帰りと思しきスーツやワイシャツ姿の一団、女性たちだけで盛り上がっているテーブルもあり、とにかくにぎやかだ。そんな客たちの姿を眺めながら、自分や中嶋も、この場に上手く溶け込めているのだろうかと考えていた。 自分たちの存在が特別なのだというつもりはない。ただ、異質なのだ。いつの間にか異質であることを受け入れ、馴染んでいることに、いまさらながら不安のようなものを感じていた。「先生?」 中嶋に呼ばれ、我に返った和彦は慌てて箸を動かす。「たまには、こういう店で飲むのもいいなと思ってただけだ。普段は、一緒にいる男たちの安全を考えて、人の出入りが多い店を避けがちになるから」「そのうち、先生を気軽に連れ回すことができなくなるかもしれませんね」 どういう意味かと問いかけようとしたとき、店の自動ドアが開き、二人の男性客が入ってきた光景を視界の隅に捉えていた。男性客が店員と短く言葉を交わしてから、こちらに歩み寄ってくる。ここで和彦はやっと、その男性客が見知った男たちであることに気づいた。長嶺組の組員たちだ。「どうして――……」「南郷さんが、長嶺組のほうに連絡を入れたんだと思います。騙す形で先生を連れ出して、そのうえ怒らせてしまったのに、何事もなかった顔はできなかったんじゃないでしょうか。……この店に長嶺組の方が来たということは、もしかして俺たち、隊の人間にしっかり尾行されていたみたいですね」 さらりとそんなことを言われ、和彦は思わず中嶋を睨みつける。口ぶりからして、中嶋は尾行に気づいていたと察したからだ。中嶋はペコリと頭を下げた。「すみません。だけど、こちらの都合で先生を振り回して、不愉快な思いまでさせた挙げ句、危険な目には絶対遭わせるわけにはいきません。もし先生の身に何かあったとき、第二遊撃隊全体の責任問題になります」「そこまでのリスク
頬の熱さを誤魔化すようにてのひらで擦ってから、そっと中嶋をうかがい見る。グラスに口をつけている中嶋は、普通のハンサムな青年だ。表情によってはドキリとするような色気もあり、こういってはなんだが、ホストは天職だったのではないかとすら思える。 こんな青年が、南郷の下で物騒な仕事をこなしているのだ。そんなことをふっと考えた瞬間、和彦の口を突いて出たのは、自分でも驚くような質問だった。「――……南郷さんから、性的な嫌がらせをされたことはないか?」 さすがの中嶋も驚いたらしく、不自然に動きを止めたあと、ぎこちなくグラスを置いて、テーブルに身を乗り出してきた。「やっぱり何かあったんですか」「ぼくが質問をしているんだ。ぼくが何かされたと言っているわけじゃない」 我ながら苦しい言い訳を、当然中嶋は信用していない。苦笑に近い表情を見せたあと、急に澄ました顔で語り始めた。「前に確か、先生に話したことがありますよね。南郷さんは、長嶺会長に付き従っていることが多くて、あの人の動きを追えば、長嶺会長の動きもだいたい把握することができると。ところが最近は、ちょっと様子が変わってきていると、総和会の中でもっぱらの噂なんですよ。南郷さんと長嶺会長が別行動を取ることが増えてきた、と。第二遊撃隊をいよいよ大きくして、実行委員の一人として名を連ねるつもりじゃないかとも。総和会の人事について、先生はピンとこないでしょうが、これが実現したら、かなりすごいことなんですよ」「……ぼくの質問と、君のその話と、どう繋がるんだ……?」「隊にいるからこそ、感じることもあるんです。最近の南郷さんは、先生を追うために動いているんじゃないか――」 柔らかだが、ときおり怜悧さも覗く中嶋の視線を向けられ、なんとなく息苦しさを覚えた和彦は、焼きおにぎりをほぐしながら食べ始める。「ぼくにはよくわからない。ただ、顔を合わせる機会は増えたかもしれない。……今夜は、完全に騙された。患者の治療をするつもりだったのに、連れて来られたのがカラオケボックスで、南郷さんがいた」「それで、性的
カラオケボックスに来て、他にすることがあるとも思えないが、あえて和彦は素っ気なく応じる。勘の鋭い中嶋には、それだけで十分伝わったはずだ。 参ったな、と小さく洩らした中嶋は、乱雑に髪を掻き上げた。「先生に関することは、すべて俺にも知らせてほしいと言ってはあるんですけど。――どうも、たびたび伝達に不備が起こるようで」 中嶋は苛立ちを込めた視線を若者に向ける。当の若者のほうは、こちらの会話に聞き耳を立てているような素振りも見せず、注意深く辺りを見回している。その様子は、よく訓練された犬のようだ。 客として出入りしている同年代の若者たちとの違いに、いまさらながら瞠目している和彦に、中嶋がそっと耳打ちをしてくる。「彼に、何か失礼はありませんでしたか?」 若者を見つめる視線を、中嶋は勘違いしたらしい。和彦は慌てて首を横に振る。「それはないんだっ。むしろ失礼だったのは――」 南郷のほうだ。そう言いたかったが、ぐっと言葉を呑み込む。迂闊なことを言って、若者から南郷に報告されても困る。こんなことで激怒する男だとも思えないが、何かあって中嶋の立場が悪くなるのは申し訳ない。 和彦は、遠慮がちに中嶋を見上げた。「……咄嗟に君の名を出したんだが、そのことで南郷さんから叱責されるようなことはないか?」「俺は一応、総和会での先生の世話係を任されている立場ですよ。先生が困って、俺を呼びつけるのは、行動として正しい。ここで長嶺組の方を呼ばれると、そちらのほうが面倒なことになったと思います」 ひとまず、その言葉に安堵しておく。「そうか。よかった……。頭に血がのぼっていて、君に電話したあとで、急に不安になったんだ」「先生に、そんな顔で心配されるのは、なかなか気分がいいですね。急いで駆けつけた甲斐がありますよ」 ここでやっと和彦は、小さく笑みを浮かべることができた。 中嶋に促されてビルを出ると、人の流れに乗るようにして歩き始める。和彦は念のため背後を振り返ろうとしたが、すかさず中嶋に言われた。「うちの人間はついてきていません。ここからは、先生
** 無事に内覧会を終えた安堵感に、和彦はソファに腰掛けたまま、ぐったりとする。ようやく一人となり、緊張は完全に解けてしまった。 最後の招待客を見送ったあと、スタッフたちに手伝ってもらってクリニックを片付け、来客用に用意したテーブルやイスも、業者によって運び出された。 ただ、内覧会のために移動させた家具をまだ元の位置に戻していないので、待合室はどこか雑然としている。 そろそろ帰ろうと思うのだが、疲れきった体はなかなか動かない。 もう少しこうしていようかと思っていたところに、待合室に入ってくる足音がした。顔を上
意味ありげに千尋がニヤニヤと笑い、指を一本ずつ折ってみせる。和彦は遠慮なく、千尋の足を踏んづけてやった。そのまま歩き出したが、千尋は慌ててあとを追いかけてきて、あっという間に和彦の手から荷物を取り上げた。 そんな千尋を横目でちらりと見てから、和彦は口元に笑みを刻む。 今日は、アクセサリーショップだけでなく、行く先々の空気が浮ついているようだった。その空気に感化されたように、千尋だけでなく、実は和彦も浮かれている。本当に、今日という日を楽しみにしていたのだ。「先生、朝から機嫌いいよね」 エスカレーターで下の階に向かっていると、先に立った千尋
三田村なりの独占欲の表れなのだろうかと思うと、愛撫で得る以上の悦びが、和彦の体を駆け抜けた。 凝った胸の突起を、執拗に舌先で弄られる。焦れた和彦が三田村の頭を抱き締めると、ようやくきつく吸い上げられ、心地よい疼きに体が震えた。 顔を上げた三田村と唇を啄み合い、舌先を触れ合わせる。戯れのようなキスを繰り返しながら和彦は、三田村の背にてのひらを這わせる。可愛がるように虎の刺青を撫でていると、和彦の手つきに感じるものがあったのか、三田村が笑った。「先生の手にかかると、俺の背中の虎も、猫と一緒だな」「ああ。ぼくに身を任せてくれるなら、虎も可愛い」
サービススタッフと言葉を交わしてから、診察室と手術室を覗き、見学している招待客と、彼らに設備の説明をしている業者の人間の様子を見守る。 内覧会の間、先生は優雅に座っていればいいと言われているが、そういうわけにもいかない。 代表者は別の人間の名になってはいても、実質的にクリニックを切り盛りすることになるのは、和彦なのだ。訪れる招待客への挨拶や、運営方針の説明は、和彦でなければできない。 とにかく、目が回るほど忙しい。一応、研修も兼ねて、先日雇い入れたばかりのスタッフも呼んではいるのだが、案内や受付の仕事を任せるのがせいぜいだ。結局和彦が、個別に招待客の







