로그인「間違いなく、お前の失踪には協力者がいる。大胆だが警戒心が強く、世の中の仕組みがよくわかっている人物――。去年のクリスマス時期に、ツリーの前にいたお前は、男を伴っていた。そして、先日わたしが電話したとき、若い男の声がした。どっちがお前に手を貸している? それとも、両方か?」
このとき英俊の目に軽蔑の色が浮かんだことを、和彦は見逃さなかった。画像を見ている英俊は、和彦が男と関係を持っていることを当然把握している。どちらの男と関係を持っているのだろうかと、質問と同時に想像したのかもしれない。 英俊のペースになりかけていることに危機感を覚え、足元を搦め捕られそうな怖さを断ち切るために和彦は立ち上がる。英俊に背を向けて告げた。 「――ぼくは今日、現状を説明するためにここに来たわけじゃない。そちらの目的を聞くためだ」 「そちら、か。言うようになったな、お前も」 「いつまでも、兄さんに逆らわず、殴られ続ける人形でいるはずがないだろう」 「だが今でも、わたしが怖いだろう?」 背後から急に腕を掴まれ、和彦は飛び上がらんば** まだ午後三時にもなっていないというのに、和彦が車から降りたとき、日暮れかと錯覚するほど辺りは薄暗かった。 すかさず差しかけられた傘に雨が落ちる音がする。鬱陶しいほどの湿気は覚悟していたが、街中で生活していてはまず嗅ぐことのない、青草と土の匂いが立ちこめていた。 移動の間中、後部座席はカーテンで覆われていたため、外の様子がよくわからなかったのだが、ようやく和彦は周囲をじっくりと見渡すことができる。山間の、木々に囲まれた場所だった。天気のせいだけではないだろう。なんとなく、鬱蒼とした景色だと思った。 少なくとも、活気はない。なんといっても、和彦の目の前に建つ一軒家以外、辺りに人家が見当たらないのだ。当然のように、人も車もまったく通っていない。とにかく静かで、総和会の男たちがぼそぼそと交わす会話は、重苦しい静寂を打ち破るほどの威力はない。 日常から切り離されたような――という表現が、ふと和彦の脳裏に浮かぶ。観光地として、あえて静かな環境を保っているという様子はなく、ここは普段、人が立ち入らないような場所なのだろう。 だからこそ、身を隠すにはうってつけだ。 和彦はそっと息を吐き出すと、傘を差しかけている男に短く問いかける。「ここが?」「はい。佐伯先生には日曜日まで、ここで過ごしてもらいます。不便でしょうが、我慢してください」 和彦はもう一度息を吐き出して、車中で受けた説明を思い返す。 デパートの地下駐車場で車に乗り込んだあと、一旦身を隠してもらうと言われたものの、どんなところに連れて行かれるのかと不安でたまらなかったのだが、いざ目的地に連れて来られると、不安が解消されるどころか、新たな不安が募る。 長嶺組から、和彦の護衛を完全に引き継いだ総和会の目的は、理解したつもりだ。和彦と長嶺組の繋がりを、佐伯家に知られる事態は避けなければならない。 そのため、英俊と別れた和彦に尾行がついていれば、長嶺組は一旦手を引き、和彦の身を総和会に委ねることにしたのだという。これは、総和会という仕組みに関係がある。 総和会に名を連ねる十一の組の誰かが犯罪を犯して逮捕されたとき、組の名が表に出ることは
** 歩くごとに、靴の裏から水が染み込んでくるかのように、足取りが重かった。さらに、ムッとするような湿気が体中にまとわりついてくる。とにかく、何もかもが不快だった。 急き立てられるように速足のせいか、さきほどのレストランでのやり取りのせいか、和彦の息遣いは荒く、心なしか頭が痛い。 雨で濡れた髪を掻き上げた和彦は、左頬に触れる。すでに痛みはないが、少しだけ熱を帯びている。ここであることに気づき、自分の手を見る。微かに震えていた。正直、殴られることは想定していたが、喉元に手をかけられたことには衝撃を受けた。当然、英俊は本気ではなかっただろうが、脅しとしては効果的だ。 子供の頃、英俊からさんざん与えられた痛みの記憶が一気に噴き出してきて、気分が悪い。意識した途端、その場で嘔吐してしまいそうだ。 なのに和彦は、歩くのをやめられない。立ち止まった瞬間、英俊に背後から腕を捕まれそうな恐怖があった。もしかすると、本当に英俊が背後から尾行してきているのかもしれないが、振り返って確認することもできない。 傘を差して歩いている人たちの間を縫うようにして、ひたすら前を見据えて歩き続けるのが精一杯だ。 長嶺組の組員からは、英俊と別れたあと、タクシーを数回乗り換えてほしいと言われていた。佐伯家が尾行をつけていないか確認してからでないと、迂闊に和彦と接触できないのだ。 本当はホテルのエントランスからすぐにタクシーに乗り込みたかったが、天候のせいでタクシー待ちの客が並んでおり、悠長に列に加わる気にはなれなかった。歩き出してはみたものの、通りを走るタクシーはほとんど客を乗せている。 少し座って休みたいと思い、慎重に周囲を見回す。すると突然、ジャケットのポケットの中で携帯電話が鳴った。一瞬、英俊かと思って動揺しかけたが、すぐに思い直す。着信音は、組などとの連絡に使っている携帯電話のものだ。「もしもし――」『佐伯先生、尾行がついています。このまま真っ直ぐ行って、その先にあるデパートの地下二階の駐車場に降りてください。それと、後ろは振り返らないで』 聞き覚えのない声に、和彦の頭は混乱する。「誰だ?」『今日先生を護
ほお、と芝居がかった口調で洩らした英俊の目に、狡知な色が浮かぶ。それと同時にゆっくりとイスから立ち上がった。 その光景が、和彦の記憶を刺激する。子供の頃の体験が生々しく蘇っていた。 本能的な危機感から、怯える小動物さながらの動きでテーブルを離れる。和彦が出入り口の扉に行かないよう牽制しつつ、英俊が近づいてくる。広い個室とはいえ、逃げ回れるほどのスペースがあるわけではなく、あっという間に和彦は窓際へと追い詰められていた。 英俊はあくまで優雅な仕種で、和彦の喉元に片手をかけてきた。力を込められたわけではないが、それだけで息苦しくなり、完全に動きを封じられる。「あまり、お前の顔を殴るのは好きじゃない。忌々しいぐらい、わたしに似ている顔だからな。だからといって、蹴るのは野蛮だ」 英俊に冷たい迫力に圧され、無意識に後退った和彦の背に窓ガラスが当たる。完全に逃げ場を失った和彦に対して、英俊が顔を寄せ、低く抑えた声で囁いてきた。「里見さんが気になることをちらりと洩らしていたが、なるほど。こういうことか」「何、が……」「こちら側の動きを、お前がある程度把握しているということだ。確かに、お前の今の物言いは、何かを知っている感じだ。どこまで知っている? 誰から聞き出した? いつからこちらの動きを探っている?」 立て続けに質問をぶつけられながらも、和彦が気になるのは、喉元にかかった英俊の手にじわじわと力が込められていることだった。 体格はほぼ同じなので、英俊を押しのけることは不可能ではない。それどころか、顔を殴りつけることもできるはずなのだ。だが、和彦の手は動かない。頭ではわかっていても、兄に逆らうという行為に、体がついてこない。「お前単独での動きじゃないはずだ。身を潜めながら日常生活を送り、そのうえでこちらの動きを探るなんて、一介の医者には無理だ。協力者なんて言い方はしない。――お前のバックには誰がいる?」 間近から目を覗き込まれ、和彦は唇を引き結び、瞬きもせず見つめ返す。かまわず英俊は話し続ける。「わたしは正直、あの画像を見たとき、お前が性質の悪い奴に騙されたか、自ら進んで仲間になって、佐伯家を
「ただ、ずいぶん雰囲気が優しくなった気がする。お前の友人から様子は聞いていたんだが、正直、荒んだ生活を送って、相応の見た目になっていると思っていたんだ。だが今のお前は――実家にいた頃より、満ち足りているようだ」「ぼくがなんと答えたら、兄さんは満足なんだ」「お前に関することで、わたしは一度でも満足したことはない。今までは」 英俊の言葉は容赦がないというより、和彦を傷つけるための鋭い刃を潜ませている、という表現が正しいだろう。ときおり自分の口から放たれる毒は、きっとこの兄に影響されてのものだと和彦は思っている。「そんな不肖の弟に会いに来たんだ。早く本題に入ったら?」 英俊はグラスの水を軽く一口飲んでから、ようやく切り出した。「お前も知っている通り、わたしは国政選挙に出馬することにした。問題が起きなければ、二年後に」「ずいぶん先だ」「わたしは、勝てない勝負に打って出る気はない。そのために今は、父さんと一緒に準備している最中だ。地盤を譲ってくれることになっている代議士も、最後の花道のために、いろいろ仕掛けているようだしな」「――……楽しそうだ」 ぽつりと和彦が洩らすと、英俊はしたたかな笑みを浮かべて頷く。理性的で、和彦に手を上げる以外では感情の起伏が表に出ることが少ない英俊だが、こういう表情をすると、ドキリとするような艶やかさをまとう。 漠然とだが、しばらく会わない間に英俊は、人を惹きつける魅力を手に入れたように感じた。「佐伯家の血だろうな。野心的な計画に対しては、際限なくのめり込む。母さんも、違う方面で協力してくれていて、やっぱり楽しそうだ」 ふいに和彦の胸の奥から、苛立ちにも似た感情が込み上げてきて、それを誤魔化すように乱暴に髪を掻き上げる。「家族三人で上手くやっているなら、それでいいじゃないか。そもそも畑違いの仕事をしているぼくに、なんの手伝いが出来るっていうんだ」「家族一丸となって、と薄ら寒い言葉があるだろう。あれだ。本来、候補者の隣に美人妻が立って――というのが理想なんだろうが、わたしは独身だ。だったら、見た目も職業も申し分ない弟を利用しない手はない」
「間違いなく、お前の失踪には協力者がいる。大胆だが警戒心が強く、世の中の仕組みがよくわかっている人物――。去年のクリスマス時期に、ツリーの前にいたお前は、男を伴っていた。そして、先日わたしが電話したとき、若い男の声がした。どっちがお前に手を貸している? それとも、両方か?」 このとき英俊の目に軽蔑の色が浮かんだことを、和彦は見逃さなかった。画像を見ている英俊は、和彦が男と関係を持っていることを当然把握している。どちらの男と関係を持っているのだろうかと、質問と同時に想像したのかもしれない。 英俊のペースになりかけていることに危機感を覚え、足元を搦め捕られそうな怖さを断ち切るために和彦は立ち上がる。英俊に背を向けて告げた。 「――ぼくは今日、現状を説明するためにここに来たわけじゃない。そちらの目的を聞くためだ」 「そちら、か。言うようになったな、お前も」 「いつまでも、兄さんに逆らわず、殴られ続ける人形でいるはずがないだろう」 「だが今でも、わたしが怖いだろう?」 背後から急に腕を掴まれ、和彦は飛び上がらんばかりに驚き、振り返る。本能的な反応から、目を見開いたまま顔が強張っていた。そんな和彦を見て、英俊はひどく楽しげに唇を緩めた。思った通りだ、と言わんばかりに。 大人になってどれだけ距離を置こうとも、物心ついた頃から体と心に刻み付けられていた〈痛み〉の記憶は、簡単には消え去らない。絶対に打ち明けられない後ろ暗さを抱えているためか、もしかすると子供の頃よりも和彦は、臆病になっているかもしれない。 この時点で、和彦がささやかに保っていた主導権は、英俊に移っていた。 「本題は、場所を移して話してやる」 「……ここからは動かない」 「そうは言っても、雨が降り出したぞ」 英俊の指摘を受けて、和彦は頭上を見上げる。確かに、ぽつぽつとではあるが雨が降っていた。空の様子からして、これから降りが強くなりそうだ。 和彦がきつい眼差しを向けると、鼻先で笑った英俊が軽くあごをしゃくる。 「そこの通りでタクシーを捕まえる。もう昼だから、ちょうどいい。少し行ったところに、仕事関係でよく使っているレストランがあって、多少無理がきく。
「その挙げ句が、あのおぞましい画像か。ずいぶんいい趣味だな」 わずかに羞恥心を刺激されたが、懸命に押し殺す。左頬が熱を帯びてきているせいで、顔が熱くなったのかどうかすらわからなかった。「ぼくは跡継ぎを期待されているわけでもないんだ。誰と寝ようが、かまわないはずだ。それに……大半の画像は回収したんじゃないのか? 圧力をかけるのは得意だろ、あの家は」「皆、協力的だった。――しかし、画像は回収したとしても、大もとが手に入らないと、無駄なことだ。あれは、映像の一シーンを印刷したものだろ」 どこにある、と英俊の表情が問いかけてくる。「映像のデータは……、もう存在しない」 本当は、存在していたところで無意味だ、と言うべきだろうが、説明が多くなるほど、英俊の追及は厳しくなり、また粗も出やすい。和彦は現在、複数の男と関係を持っており、いかがわしい映像など、撮ろうと思えばいくらでも撮れる状況にあるのだ。 弟が、男と関係を持つどころか、〈オンナ〉であると知ったとき、冷徹な兄はどんな顔するか――。 ささやかな嗜虐性が和彦の中で首をもたげようとしたが、そんな自分自身にゾクリとする。英俊に対してこんな感情を抱くのは初めてのことで、男たちの影響で自分が変化したような気になったのだ。あるいは、こちらが本性なのかもしれない。「それを信用しろと?」「できないなら、ぼくはそれでいい。それで、ぼくを遠ざけてくれるなら……」 英俊は眼鏡の中央を押し上げると、そっと目を細める。「お前もしかして、それが目的で、あんなものをばら撒いて姿を隠したんじゃないだろうな」「だとしたら?」「――あてが外れて残念だったな」 和彦は露骨に不信感を表に出す。肉親に対して、情愛というような生ぬるい感情は最初から期待してはいなかったが、英俊の言葉から、やはり自分を捜していたのは、情以外の理由があると実感していた。 足を組んだ英俊は、怜悧な官僚そのものの横顔を見せながら、滔々と語る。「破廉恥な不祥事を起こした直後に、お前はクリニックを電話一本で
**** 次第に現実感が薄れているようだと、寝返りを打った和彦は、自分の手首に指先を這わせる。鷹津にかけられた手錠の痕は、すでにそこにはない。もともとひどい痕ではなかったので、数日ほどできれいに消えてしまったのだ。 残っているのは、手錠の感触の記憶だけだ。 痕が消えるのに比例するように、鷹津と体を重ねたという事実の重みが、和彦の中で失われていく。それが、現実感が薄れていくという表現になる。 別に鷹津と会いたいわけではないが、連絡も取り合っていないため、あの男は本当に無事なのだろうかと、気に
「……別に。あんたの過去に興味はない」 「賢い奴だな。危険な蛇の尾を踏まないよう、余計なことは耳に入れたくないってことか」 「サソリの尾だって踏みたくない。あんたも、長嶺組長も、物騒すぎるんだ」 「俺は物騒じゃないだろ。あんなに丁寧にお前を抱いてやったんだ。けっこう、紳士なつもりだぜ」 言葉とは裏腹に、和彦の体はソファに押し倒され、傲慢に鷹津がのしかかってくる。きつい眼差しを向けると、それ以上の眼差しの鋭さで言われた。 「あまり、俺と長嶺を同類で語るなよ。同じ悪党ではあっても、俺とあいつは敵対関係であることに変わりはない。手を組む気はな
ヤクザの実態も謎が多いが、この男もまた、謎が多い。気にはなるが、うっかり踏み込むつもりはなかった。「その道を左に曲がってくれ」 和彦の指示通りに車が左に曲がり、すぐに、懐かしい建物が視界に飛び込んでくる。「ここですか?」「ああ。来客用のスペースが空いているから、そこに車を停めたらいい」 駐車場に車が入り、エンジンが切られる。秦はすぐに車を降りようとしたが、シートベルトを外した和彦は、すぐには動けなかった。「先生、大丈夫ですか。顔色が少し悪いですよ」 シートに座り直した秦が身を乗り出し、顔を覗き込んでくる
「あっ、あっ、あぁっ――……」 肉の悦びを与えてくれた男のものが、脈打ち、震えている。和彦の内奥もまた、淫らな蠕動を繰り返しながら、ひくついている。二人は唇を啄ばみながら、互いが与え合った快感の余韻を堪能していた。 抱き合うと、ボディソープの香りが鼻先を掠める。ついでに、濡れた肌がヌルヌルしていた。三田村も同じことが気になったらしく、和彦の顔を覗き込み、苦笑交じりで提案してきた。「先生、シャワーを浴び直さないか」 もちろん、和彦に異論はなかった。** ベッドのマット