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真一の記憶

作者: 吉乃椿
last update 最終更新日: 2025-06-01 19:37:20

(……初対面、のはずだよな)

彼女を見た瞬間、胸の奥で何かが激しく鳴った。

理屈じゃない。本能が叫んでいた。

「忘れるな」と。「もう一度、守れ」と。

初対面のはずの彼女に、懐かしさなんて言葉じゃ足りない。

焦がれるような想いが、胸を灼いた。

(なぜだ……俺は、彼女の何を知っている?)

夢か幻か、あるいはもっと深い記憶か。

炎の中、剣を抜いた自分。

泣きながら、俺に背を向けた彼女の姿。

あれは夢なんかじゃない。あんな痛みは、現実にしか存在しない。

(……あの時、俺は、彼女を裏切った?)

唐突に湧き上がったその疑念に、自分でも戸惑う。

なぜ、そう思うのか。

昨日見た夢のせいか?

炎の中、剣を握っていた自分。

泣きながら背を向けた彼女の姿。

あり得ないはずの光景なのに……

目覚めた今でも、その夢のひとつひとつが焼きついたままだ。

肌に感じた熱。

耳に残る嗚咽。

そして、どうしようもないほど胸を締めつける痛み。

(あれは、ただの夢なんかじゃない)

記憶にはない。けれど、心と身体が覚えている。

彼女を傷つけた。

何か、取り返しのつかないことをした。そんな罪が、身体の奥にこびりついている。

(……なのに、なぜまた、彼女に惹かれる?)

また……

その一語に、自分でも引っかかる。

初対面のはずだ。彼女の名前も、過去も知らない。

なのに、心の奥が勝手に言葉を紡ぐ。

また、惹かれてしまうと。

(……また? どうして“また”なんて思った?)

理屈じゃ説明がつかない。

けれど、胸の奥には確かに懐かしさが残っていた。

言葉にすれば滑稽だ。初対面のはずの女性に、懐かしさだなんて。

なのに、あの目を見た瞬間。

夢の中で泣いていた彼女が、そこに重なって見えた。

傷ついて、壊れかけて、それでも誰かを信じたかった瞳。

(……罪悪感? 俺が、彼女を……)

思い出せない。

でも、痛みだけが、確かに身体に残っている。

焼けるような後悔と、どうしようもない罪の感覚が、胸を締めつける。

(もう一度やり直せるのなら。今度こそ……)

無意識に、またその言葉が脳裏をよぎる。

(もう一度? 何なんだ……これは)

現実と夢の境が曖昧になっていく。

目の前の彼女に、確かに心が引き寄せられていくのに……

理性が、それをおかしいと否定しようとする。

けれど、想いだけは、もう止められなかった。

彼女の瞳を見つめながら、真一は心の奥で誓った。

(今度こそ、絶対に手放さない)

まただ。

また、無意識にそう思っていた俺がいた。

口にも出していないのに、心の奥深くが勝手に叫んでいた。

それは理屈でも願望でもない。もっと根の深い、魂そのものが訴えるような感情。

(……手放さない? 何を? 彼女を?)

戸惑いながらも、胸の奥は確信している。

この感情は初めてじゃない。

前にも、同じ想いを抱いたことがある。

失った痛みを、俺は……知っている。

だからこそ、今度こそ。

もう二度と、あんな後悔は繰り返したくない。

(……なぜ、こんなにも彼女に惹かれる? なのに、なぜこんなにも、苦しいんだ……)

夢か記憶かも分からない感覚に、現実の足元が揺らぐ。

だが確かに、そこには“懐かしさ”と痛みがあった。

そして強烈な「喪失の記憶」が、胸の奥を焼きつけていた。

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