王太子殿下とダリアの仲は、私という婚約者を差し置いて浮気している後ろ暗さを超えて、熱愛と言ってもいい程になったわ。
もっとも、ダリアは打算的に王太子殿下を操っているのだけれど、悪魔の力で魅了された王太子殿下は「ダリアと出逢えて真実の愛を知った」とのたまう程、骨抜きにされている。もう、本音は可愛げがないと思っている私よりも、媚びて甘えるダリア可愛さに目がくらんで、ダリアと婚姻を結びたいところでしょうね。ダリアも後ろ指をさされているのに、王太子殿下をウィル様と親しげに呼んで、はばかる事を知らない有り様だもの。でも、王太子妃に必要な教育どころか、貴族令嬢としての教養さえもダリアは身につけていない。お父様がウィリード王太子殿下の希望に合わせて、私からダリアに婚約相手を変更したところで、ダリアには王太子妃としての素養がないのよ。一国の王子の正妻は寵愛を受けるだけで務まる程甘くないもの、国王夫妻もまず許さないでしょうね。かと言って、まだ聖女として覚醒していない私では出来ることも限られる。魅了も解けない。けれど、ベリテがいてくれる。ベリテは私に的確な情報と指南を与えてくれるから、とても頼もしい。屋敷の私室で人払いをして、私は彼と話し合った。「ベリタの魅了の力は、年に一度、相手も一人に限られる。となると、ダリアが講じなければならない策は分かるよね?」「──つまり、一年経てば魅了の効力がなくなるのよね?ダリアは王太子を繋ぎ止めておきたければ、毎年王太子を魅了する必要があるわ。そして、それをすれば魅了で都合のいい手駒は作れない。合っているかしら?」「ご名答。ダリアが傀儡に出来るのは、王太子を諦めない限り彼しかいない。つまり、貴族令嬢の間で悪評の立っているダリアを、君の父親は庇いきれないんだ。公爵閣下としての立場を忘れるような魅了を受けないからね」「なるほどね……でも、ダリアの立場は公爵家に迎え入れられても、生まれが愛人の子よ。王太子殿下が庇護欲を掻き立てられても──魅了はまやかしの愛だわ。それに溺れて身勝手な振る舞いを続けたら、王太子殿下自身の立程なくして、ダリアがマストレットに悪魔の力を使った事を、私はベリテと共に白い世界で知る事となった。「お兄様、私を見て?……そう、目を合わせて……ほら、お兄様はお姉様の事が欲しいのでしょう?私はお兄様を応援するわ。それが私の幸せに繋がるのよ。……私の幸せの為にも、お兄様はご自分の欲望に従ってちょうだい。出来るわよね?」妖しく光る眼に、怪訝そうな表情を浮かべて見ていたものの、それは虚ろなものへと変化した。「私の欲望がお前を幸せにする……罪もお前が幸せになるなら、私は……」マストレットは、あっけなくダリアの手に落ちたようね。そうして、私はウィンリット王子殿下から頂いたブローチを常日頃身に着けるようになったのよ。効果は確かなようで、マストレットも私に魔の手を伸ばそうとがむしゃらに接触を図り出した。でもね、彼は毎回あえなく敗残している。悪魔の力で動いているのは分かるのだけど……悪魔の力は、残念ながら影響を及ぼすだけで、能力は与えないのだと知るのに時間はかからなかった。マストレットは、口ごもりながら言葉を絞り出してきたのだけど、それがお粗末で──このような感じだった。──「ガネーシャ、私と二人で書庫に行かないか?ええと、その、学びになる書物を読めば、人生の肥やしになるだろう?」「お兄様はお父様から鍵を与えられて許された身でございましょう?それに、学ぶのでしたらお一人で行かれた方が読書に集中出来ますわ。後継者としての学びの邪魔は致しません」──「ガネーシャ、そのドレスは初めて見るな。新しく作らせたのか?ダリアのドレスと趣きが全然違っている。……まあ、何だ、いかにも高位貴族の令嬢らしいドレスだ」「このドレスはクローゼットにございましたものですのよ。私は貴族の娘として品位は重んじますが、豪奢なドレスは好みません」──「ガネーシャ、今日は天気も良い。中庭で一緒にコーヒーを飲まないか?兄妹水入らずで飲むコーヒーは格別だろう」「あいにくですが、風が冷たいものですから遠慮させて下さいませ。冷えは女性の大敵でござ
王太子殿下とダリアの仲は、私という婚約者を差し置いて浮気している後ろ暗さを超えて、熱愛と言ってもいい程になったわ。もっとも、ダリアは打算的に王太子殿下を操っているのだけれど、悪魔の力で魅了された王太子殿下は「ダリアと出逢えて真実の愛を知った」とのたまう程、骨抜きにされている。もう、本音は可愛げがないと思っている私よりも、媚びて甘えるダリア可愛さに目がくらんで、ダリアと婚姻を結びたいところでしょうね。ダリアも後ろ指をさされているのに、王太子殿下をウィル様と親しげに呼んで、はばかる事を知らない有り様だもの。でも、王太子妃に必要な教育どころか、貴族令嬢としての教養さえもダリアは身につけていない。お父様がウィリード王太子殿下の希望に合わせて、私からダリアに婚約相手を変更したところで、ダリアには王太子妃としての素養がないのよ。一国の王子の正妻は寵愛を受けるだけで務まる程甘くないもの、国王夫妻もまず許さないでしょうね。かと言って、まだ聖女として覚醒していない私では出来ることも限られる。魅了も解けない。けれど、ベリテがいてくれる。ベリテは私に的確な情報と指南を与えてくれるから、とても頼もしい。屋敷の私室で人払いをして、私は彼と話し合った。「ベリタの魅了の力は、年に一度、相手も一人に限られる。となると、ダリアが講じなければならない策は分かるよね?」「──つまり、一年経てば魅了の効力がなくなるのよね?ダリアは王太子を繋ぎ止めておきたければ、毎年王太子を魅了する必要があるわ。そして、それをすれば魅了で都合のいい手駒は作れない。合っているかしら?」「ご名答。ダリアが傀儡に出来るのは、王太子を諦めない限り彼しかいない。つまり、貴族令嬢の間で悪評の立っているダリアを、君の父親は庇いきれないんだ。公爵閣下としての立場を忘れるような魅了を受けないからね」「なるほどね……でも、ダリアの立場は公爵家に迎え入れられても、生まれが愛人の子よ。王太子殿下が庇護欲を掻き立てられても──魅了はまやかしの愛だわ。それに溺れて身勝手な振る舞いを続けたら、王太子殿下自身の立
パーティー当日。貴族達が続々と入場してくる。私は控えの間で待たされていた。「身に着けている宝石が豪奢過ぎる。所詮はお前もお貴族様だな」そこに王太子殿下が難癖をつけてきた。「高価なルビーを贅沢に使っていながら、民の為を思っていると言えるのか?慈善事業など建て前の偽善で、結局は我が身が一番可愛いのだろう」責め立ててくる王太子殿下の方こそ豪奢な装いなのだけど、ここは控えておくべきね。「これはルビーではなく、上質ではございますがレッドスピネルを代用した物でございます」レッドスピネルはルビーの代わりに用いられる事が少なからずあり、美しさのわりにルビーよりも安価なのよ。でも、王太子殿下はかえって鼻白んだ様子だわ。「お前は私を軽んじてるのか?私との婚約披露の場で安物を身に着けるとは」叱責するような勢いで揚げ足を取ってきた。「質素倹約を美徳としております、レッドスピネルも美しさではルビーに劣りません」私は物静かに受け答えした。「何の宝石を着けるかではなく、己の身に似合う宝飾品を作らせる事、そこに驕りがない事が大事と考えます」「つくづく食えない女性だ、私に口答えするとは己が随分偉くなったと思い込んでいるようだが勘違いするな、生意気過ぎる」王太子殿下は文句を言うばかりね。言い返す事も面倒になっていた、その時に私達が入場する時が来た。王太子殿下も外聞だけは整えようという気持ちがあるのね。腕を差し出され、見た目だけは寄り添い腕を組んで入場する。入場を済ませると、さっそく貴賓が挨拶に来る。外国からの者も多いわ。『ごきげんよう。ドラッド夫人、この度はお越し下さり誠にありがとうございます』『まあ、私の名を知っているだけでなく、国の言葉もお話し出来るのですか?嬉しいわ』『まだ未熟でお恥ずかしい限りですが、ご挨拶だけでもと勉強してまいりました』すると、他の人も話しかけてきた。『王国の王太子妃となる方は勉強熱心ですのね、私ともお話しして下さるかしら?王国について聞きたいですわ。織物がとても繊細だと聞いていますのよ』『ありがとうございます、ファスト皇女殿下。我が国の織物は本日の私のドレスにも用いておりますわ。刺繍のように細やかな模様を織り込めますの』主要国の言葉なら会得しているわ。相手に合わせて言葉を使う事で、喜んでもらえたようね。皆さまとの会話も弾むわ。
婚約披露のパーティーを目前に控えて、私は公爵家主催で十五歳の誕生日を迎える事のお祝いとしてパーティーを開いてもらう事になった。当日は華やかにお祝いする事になるそうで、屋敷の中も活気づいているわ。その流れを断ち切るように、ある夜の晩餐でダリアが切り出した。「お父様、私はガネーシャお姉様へのお祝いとして、公爵家で働く全ての者に栄養豊富なスープを振る舞いたいと思うのです」お父様はダリアが珍しく可愛げのある事を言うから、頷きながら顎髭を撫でているわ。「ああ、下働きの者でもスープに与れるようにしてやりなさい」「ええ、お父様。皆の喜ぶ姿は何よりのお姉様への贈り物に出来ますわ」「まあ、ありがとう。ダリアがそんなに私を思ってくれているだなんて、本当に愛しい妹ね。あなたの優しさと思いやりを誇りに思うわ」私は内心では、どうせ何か企んでいるでしょうけど全て潰してやるわと嘲笑いながら、表ではなごやかに微笑んで晩餐を済ませた。それから事業についての書類を部屋で片付けて、その夜は何かと慌ただしく過ごした。その後、遅めの入浴を済ませてベッドに入り、眠ってしまったけれど……どうもダリアの発言に気が立っていたようで、翌朝は早めに目が覚めてしまった。それを待っていたかのように、ベリテが語りかけてきたわ。「ガネーシャ、多分そこには血が一滴仕込まれている。対策を考えよう」──仕込まれるのが一滴のみだと、なぜ分かるの?「お茶会での失敗を、ダリアは繰り返したくないだろうからね。何より、悪魔の力を借りた血は一滴でも大量でも、効果は同じはずだよ」──なるほどね。でも、全員が飲むスープに一滴で効くのかしら?「そこは仕方ないと思ってるだろうね。何しろ全員分のスープが入った大鍋に混ぜるから、効果は強くならない。まあ、味がおかしくなるほど鍋に入れても結果は変わらないから、つまりは少しでも自分を良く思わせたいだけだろう」──そうなのね。でも、これは血で中和したとても、ダリアがスープを振る舞った事実は消せないでしょう。そこが問題よ。スープを屋敷の厨房で働く者達に作らせるつもりなら、こちらは更なるうわ手に打って出るしかないわね。「それなら食事を振る舞えばいいよ、ガネーシャの涙が混ざった食事をね」──涙?血ではなくて?「ガネーシャの場合、血よりも涙の方が効果的なんだ。聖女の涙は万能薬にな
それから忙しい日々を過ごしている中でも、時間を取って取引先の者や、慈善事業の協力者を屋敷に呼んだ時の事よ。石鹸や洗髪粉の事業報告と、慈善事業についての進捗具合の報告を受けている中で、貧民街に感染病が起きていると知らされたの。「貧民街では医者にもかかれませんし、発熱して衰弱する事を嘆きと諦めで受け入れているようです」「そんな……貧民街の者達だって国の民なのに」きっと衛生面に気を遣う余裕のない貧しい人、栄養が行き届かない弱者から病は始まったんだわ。「それでは、貧民街と救済院宛てに、廉価版の石鹸の他、食糧は穀物だけでなく干し肉や果物も送るようにしてもらえるかしら」「石鹸は庶民に広めた廉価版と仰られても、香料の製造もアロエベラの仕入れも追いつきませんが……」「香料とアロエベラは二の次でいいわ。アロエベラは入れずに、香料は廉価版の半分以下、いえ、三割程度に減らしてもらえるかしら。その代わり、庶民が使う廉価版は品質を落とさないで」「はい、それでしたら可能です。かしこまりました」「ありがとう、よろしくお願いね。あと、麦が高騰しているわ。関税のかけられていない他国から仕入れて流通させて欲しいの」何しろ、国の未来が掛かっている働きだもの。病はぽつぽつと感染が始まったばかりだったのも幸いしたかもしれない。その甲斐あって、前世では国中に蔓延したと記憶している病だったものの、今生では早めに収束させる事が出来たわ。「ガネーシャお嬢様は私達貧民を救って下さった、まるで女神様のようなお方だ!」「本当だよ、こんなに素晴らしいお方が王太子殿下の婚約者様なんだから、国の未来は明るくなるに決まってるね」「貧民街でも、寄贈された石鹸を使って手や体を洗えたり洗濯に使えたりして、そのおかげで病人が減ったって話を聞いたぞ!」「石鹸だけじゃないよ、栄養のある食べ物まで下さったそうじゃないか。痩せこけて土気色だった顔が、薔薇色の頬に変わったって話も聞いたからね」「ガネーシャお嬢様は我々庶民の救世主だ!籠に一杯の麦が銀貨二枚してたのも、銀貨一枚に値下がりしたよ!」そう言って、私を崇敬をもって讃える民も増えた。私は前世で、カビ臭い不潔な牢屋に投獄された。その経験から衛生面や栄養面の大切さを知っていて、行動に出られたのだけれど、それは生き直しを知るベリテにしか話せない。──本当に
日は過ぎて、王太子の立太子と婚約を披露するパーティーを王宮で開催する事になり、準備で王宮も公爵家も慌ただしくなってきた。私には、王室御用達のデザイナーがドレスを作りに来る事になったわ。「まあ、何て美しいデコルテなのでしょう!ウエストも細く締まっておいでで、ドレスが素晴らしく着こなせますわね。敢えてボリュームを出さなくとも、お肌と体形を活かしたドレスで魅せるのもよろしいかと存じますわ」それをダリアは羨んで、何かと「お姉様は特別なお方ですものね、何でも叶うんですわ。それに比べて私の身の上ときたら……」と、嫌味を口にする。完全に妬んでいるわ。「本当に身に余る光栄に浴しているわ。でも、私はあくまでも殿下に添えられた一輪の花よ。分相応な弁えを忘れてはならないわね」こうして私がどこまでも謙虚な態度を崩さないから、攻めあぐねて今度は周りに八つ当たりするようになってしまった。おかげで使用人達は最近、ダリアに近寄りたがらないわ。人間というものは善意と悪意を併せ持っているものよ。そして相反するそれらを葛藤しながらコントロールして他者と向き合い、より良い関係を構築してゆこうとする。けれど、ダリアには善意が欠落しているようね。だからこそ私も、躊躇なく復讐を果たそうと思えているのだけど。──そういえばダリアはお茶会を開きたいとか言い出さなくなったわね。「ガネーシャの目がある場所では無駄だと知ったからだよ。僕が居るからね。向こうは僕の正体を知らないものの、だからこそ警戒しているんだよ」──なるほどね。でもおそらく、パーティーに出られれば暗躍するわ。「何とかして出てくるだろうね」ベリテとそんな言葉を交わした後の晩餐で、ダリアはお父様に甘えた口調でねだったわ。「私もお姉様のご婚約をお祝いする為にパーティーに出たいです」「だが、それにはマナーやダンスを学ばなければ難しいぞ」お父様は難色を示したけれど、ダリアは諦めない。「ならば、お姉様にそれらを教えた家庭教師を私に付けて下さいませ」明らかに企んでいるわ。おおかた、幼い頃からの私について聞き出し、尚かつ自分の可哀想な話をしてみせて、何らかの私に関する悪評を広めさせようと考えているのでしょうね。「私がお世話になった家庭教師というと、サヴァリン夫人ね。夫人からは、基礎から始まって何年もかけて教わったのよ」私は遠回しに