|華 李偉《ホゥア リーウェイ》の命をかけた行動は、|魏 宇然《ウェイ ユーラン》という男を人間ではない何かへと変えた。 それでも彼は前へ進むことを選ぶ。 友の散りゆく姿、そして子供たちの未来。それらを胸にしまい、彼は人ではない生涯を、|全 思風《チュアン スーファン》として歩むことを選択した。「──それから私は、ひっそりと|小猫《シャオマオ》の先祖たちを見守ってきた。ときには旅人として彼らに近づき、一族の力を誰かに悪用されないようにね」 心の奥底にしまわれた、楽しさと|哀《かな》しみが詰まった遠い過去。それを忘れぬよう、今も|華 閻李《ホゥア イェンリー》のそばにいるのだと告げた。 「……|思《スー》」 彼の|膝《ひざ》の上に座る子供は、足をぶらぶらとさせる。心なしか元気をなくしているようだ。 どうしたのかと子供に|尋《たず》ねながら、ギュッと抱きしめる。「……ごめん、なさ、い」 下を向く少年の両手に雫が落ちた。見れば子供は涙を流している。 彼は驚いて「え!?」と、すっとんきょうな声をだす。「ご先祖様が、あなたを人間でなくしてしまった。人として生きる道を消してしまった!」 理由がどうであれ、|魏 宇然《ウェイ ユーラン》という存在を抹消してしまったのだ。結果として、人の寿命をなくし、永遠に近い時間を過ごす羽目になってしまう。 それが苦しくて、とても|悔《くや》しいのだと、子供は涙ながらに謝っていた。「……|小猫《シャオマオ》」 ──本当にこの子は優しいな。自分のことよりも、他人の気持ちを優先してしまう。いいことでもあるかもだけど、自己犠牲がすぎるって感じもするんだよね。 子供の両脇に手を入れて、方向を変えさせた。向かい合うようになった子供は、大きな瞳から|溢《あふ》れる涙を|拭《ぬぐ》う。「ありがとう|小猫《シャオマオ》、その気持ちだけで私は嬉しいんだ。それにね……」 泣く子供の銀の髪に触れる。子供の前髪を退かし、額に軽く口づけを落とした。「彼がくれた命のおかげで、私は|小猫《シャオマオ》に出逢えたんだ」 |華 閻李《ホゥア イェンリー》の祖父、そのまた祖父かもしれない。何世代にも渡って、大切な友の子孫を見守ることができた。 それだけでも、永遠の命をもらった価値がある。 優しく、|慈悲《じひ》すらある瞳で、子供
|魏 宇然《ウェイ ユーラン》の姿は変わり果てていた。鋭い目つきはそのままだが彼を取り囲む空気が、闇へと沈んだかのような……そんな、暗くて深い宵闇を|纏《まと》っている。 |濡羽色《ぬればいろ》の髪は波打つようにうねり、先っぽは黒い|焔《ほのお》を生んでいた。 ボロボロだった|漢服《かんふく》は全身を|漆黒《しっこく》へと染めあげていく。そして少しずつ崩れては、水滴となって地へと落ちていった。 瞬間、地面は音をたてることなく、一瞬で溶けていく。 彼はそれに気づく様子もなく、つむじを曲げて、|凍《い》てつくほどの|朱《あか》き瞳を林の方へと向けた。 そこには透明な|塊《かたまり》となった|魏《ウェイ》 |固嫌《グゥーシィェン》がいる。かろうじて、人としての形を保っていられるのは顔だけ。それ以外は人はおろか、動物ですらなかった。 そんな何かになった男を、彼は|凝望《ぎょぼう》する。 ──こいつのせいだ。こいつが、俺から全てを奪っていった。 仕事で苦しかったけれど、平穏な日々。そんななかで愛しい友といる時間が、一番幸せを感じていた。けれどそれは|魏《ウェイ》 |固嫌《グゥーシィェン》という、欲にまみれた男の手によって、あっという間に崩れてしまう。 最終的に、美しい友が命を落としたからだ。 ──誰よりも愛していた。結婚したと知ったとき、俺は心の奥にある気持ちを隠したまま過ごしていた。それで平穏が保てるならと思っていたからだ。それなのに…… |眼前《がんぜん》にいるこの男が全てを奪い、自身さえも人とは違う何かになってしまった。 ──|華贄《ホゥアヂィー》が|云《い》った意味、ようやく理解したよ。そうだ。俺はもう、人ではない。人には戻れないんだ。だけど…&helli
顔がぐしゃぐしゃになってしまう。それでも|華 李偉《ホゥア リーウェイ》は泣くことをやめなかった。|漢服《かんふく》の|袖《そで》で涙を|拭《ぬぐ》いながら必死に笑顔を作る。「本当に、ごめんなさい。これからあなたにする事で、|魏醒《ウェイシィン》という存在が人間ではいられなくなってしまうんです。でも……」 これしか方法がない。 震える声で|云《い》った。 頬に流れるしょっぱい水を何度も|拭《ふ》く。それでも溢れてしまう涙を止めることなど、|華 李偉《ホゥア リーウェイ》はできなかった。「あの化け物……この世のものならざる存在を滅するには、あちら|側《がわ》の力が必要なんです。だけど私は絶対にそうなってはならない。いいえ、できないんです」「……?」 |魏 宇然《ウェイ ユーラン》は|華 李偉《ホゥア リーウェイ》の作った結果に|阻《はば》まれ、子供たちと一緒に外へと放り出されてしまっている。中に入ろうとしても、術によって体ごと弾かれてしまうのだ。 そのうえ、先ほどから|華 李偉《ホゥア リーウェイ》の言葉の意味も理解できずにいる。 置いてきぼりのようなものを食らい、彼は眉間にシワをよせた。「ふっ……ざけるな! 何、わけのわからぬ事を……」「──ひとつだけ。ひとつだけ、あなたに嘘をついていました」 明かりが美しい友の顔を照らす。 顔は|煤《すす》汚れていた。涙に|埋《う》もれた瞳、ボロボロになった服。それらが友を|彩《いろど》り、よりいっそう|儚《はかな》く見える。 そんな美しい友は、弱々しく微笑んだ。
|華 李偉《ホゥア リーウェイ》を取りこんだ透明な化け物は、みるみるうちに大きくなっていった。『オ、オオオ! みなぎ、る……み、なぎ、る、ぞ! ごいづは、いい! ざ、いこうの、れいりょぐが、ふえ、るぅぅーー!』 耳をつんざくほどの|雄叫《おたけ》びを交え、巨大な何かは|地響《じひび》きを|促《うなが》す。舌足らずな言葉に上乗せするように、次々と|言《げん》を吐き出していった。『おい、じぃーー!』 ギョロリと目玉を動かす。瞳に映すのは|魏 宇然《ウェイ ユーラン》だ。彼の姿を|捉《とら》えるなり、両目を血走らせる。 血の臭いすら混じる息を吐き、げへへと下品な笑いを見せた。『|魏 宇然《ウェイ ユーラン》! ころじ、て、王のいずを、てにい、れるぅー!』「……っ!?」 名指しされた彼は戸惑う。見たこともない生物に敵意を向けられているということに、疑問の表情しか浮かべられなかった。 ──さっきからこいつは、俺の名を呼んでいる。しかし、こんな化け物に知り合いなどいないぞ? だけどこの顔、どこかで……水の|塊《かたまり》のような|透明《とうめい》な物体の顔を見、誰だったかと悩む。『ご、ろす……』 くぐもった声とともに、|蛇《へび》の頭のような|尻尾《しっぽ》が彼へと振り下ろされた── † † † †「──蛇のような|尻尾《しっぽ》に、|甲羅《こうら》を背負った何か。そして。人間のような顔をもつ物体」&
|陰《いん》の気が強く、人はおろか、動物ですら|滅多《めった》に近よることはない。近づいたとしても黒き渦に|歠《の》まれ、生気を失い死に至る。生き残ったとしても体中に呪いがかけられ、その日のうちに命がなくなる。 皮膚は溶け、骨すらも闇に|喰《く》われてしまう。 それが誰も場所、そして名すら知らぬ山であった。「私たち一族は、当主だけがこの山を受け|継《つ》ぎます。本来なら、両親に山の秘密などを教えてもわねばならなかったのですが……」 両親は流行り病にかかり、|華 李偉《ホゥア リーウェイ》が物心ついた頃に他界。結局、山の場所と名前のみしか教えてもらえなかったと|云《い》う。 音の違う壁に|華 李偉《ホゥア リーウェイ》は細長い人差し指を、すっと滑らせていった。「……本当に、この壁の中には何が埋まっているんでしょう?」 小首を|傾《かし》げる様は実に美しい。 後ろに控えている一族の老若男女たち、そして|魏 宇然《ウェイ ユーラン》。この場にいる誰もが、|華 李偉《ホゥア リーウェイ》の神秘的な|儚《はかな》さに息を飲んだ。「あ、そうだ。いっその事、掘ってみます?」「……できるわけなかろう?」「そんな事はありません! 皆で協力すれば、いつかはきっと!」「いつかって、いつの事だ?」「……百年後とか?」「死んどるわ!」「えー? 大丈夫ですよー。私は無理ですが、あなたなら根性で生きて……」「根性で
「…………」 |魏 宇然《ウェイ ユーラン》はふっと、目を覚ました。体のあちこちから悲鳴があがるほどの激痛が|伴《とも》う。 それでも起きなければと、無理やり体を動かした。「……? ここは、どこだ?」 |朦朧《もうろう》とする意識のなか、周囲を見渡す。 天井、壁、そして地。それらは全て土のようなものでできていた。声を出せば|響《ひび》き、|木霊《こだま》する。肌を打つほどの寒さがあり、吐く息は|白煙《はくえん》のようだ。 自身が寝ていたところは、木製の箱で作られた簡易な|床《ベッド》のよう。その上に布を|敷《し》いていた。「──|魏醒《ウェイシィン》、目が覚めたんですね!?」 ふと、聞き慣れた声が届く。 声の方を見れば、そこには美しい男がいた。けれど自慢の銀髪は肩ほどまでに切られてしまっている。それも、きれいな切り方ではない。無理やり切られてしまったような……バラバラで揃っていなかった。「|華贄《ホゥアヂィー》!? お前、その髪……っ!?」 ズキッと、全身に激痛が走る。痛みに耐えられなくなり、|床《ベッド》の上でうつ伏せになった。「怪我、治ってないんですから動かないでください」「……|華贄《ホゥアヂィー》、ここは? それに、お前のそれ……」 ──ああ。あんなにきれいだった髪が、すごいボサボサだ。「…………逃げる途中、|魏《ウェイ》 |固嫌《グゥーシィェン》様の一派に髪を掴まれ