All Chapters of 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私: Chapter 1081 - Chapter 1090

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第1081話

若子がホテルに戻ると、部屋の扉を開けた瞬間、千景が暁を高く持ち上げて抱いているのが目に入った。 「きゃはっ」 暁が楽しそうに笑う。もう、嬉しさが顔にあふれてる。 背後の気配に気づいた千景は振り返り、優しく微笑んだ。 「おかえり」 若子は小さく「うん」とだけ返して、ゆっくり歩み寄る。ぼんやりとした目で千景を見つめ、何か言いたげに口を開きかけたけど......そのまま言葉が詰まったみたいに、何も言わずに口を閉じた。 「どうした?」 千景が尋ねた。 「今日、あいつに会いに行ったって言ってたよな。何かあった?」 若子はバッグから離婚届受理証明書を取り出し、静かに言った。 「もう彼と離婚したの」 千景はふうっと息を吐いて、ほっとしたように笑った。 「スムーズにいったみたいだな。ちょっと心配してたんだ。トラブルに巻き込まれるんじゃないかって」 「最初はそう思ってた。でもね、西也......ちゃんと話を聞いてくれて、納得してくれたの。離婚に応じてくれた」 けれど、千景の中にはどこか引っかかるものがあった。 西也があの若子に対してどれだけ執着していたかを思えば、こんなにも簡単に離婚が成立するなんて、少し変だと思ったのだ。 でも、もう離婚は済んだのだし、今さらどうこう言える話でもない。 ―考えすぎかもしれない。 何せ自分だって、西也のことをそこまで知ってるわけじゃない。 結局、千景は静かに言った。 「まあ、どうあれ......もう自由だ。これからは、自分のために生きられるんだな」 若子はふんわりと笑った。 「それに......私には、この子もいるしね」 そう言って、暁を抱きかかえた。 「ありがとう、子どもの面倒を見てくれて」 「気にするなよ。こいつ、ほんとにいい子だしな」 「じゃあ、お礼に食事でもどう?何か食べたいものある?」 もう午後の時間に差し掛かっていた。 千景はちょっと考えてから言った。 「まだ時間あるよな。せっかくだし、ちょっと外に出てみない?この辺、全然詳しくなくてさ。何か有名な観光地とか、面白そうな場所ってある?」 若子は少し考えてから、にっこりと笑った。 「あるよ。たとえば、エコパークとか、海を見に行くとか、山登りやスキーもできるし......ど
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第1082話

若子の目に、一瞬疑問の色が浮かんだ。―なんでいきなり西也のことなんか聞いてくるの?その空気に気づいたのか、光莉も自分の言い方がおかしかったと気づいたようで、話を切り替えた。「若子、元気にしてたの?」若子はやわらかく微笑んだ。「はい、元気にしています」そのとき、光莉の視線が千景の腕の中にいる暁に向いた。驚いたように声を上げる。「その子......」若子はすぐに暁を抱き直し、光莉に向けて言った。「この子は暁です」「抱っこしていい?」「もちろんです」若子はにっこりと笑い、赤ちゃんをそっと渡した。光莉は暁を優しく抱きしめて、その小さな鼻や目をじっと見つめ、表情を緩めた。ほんの少し、頬がとろけそうなほどの微笑を浮かべていた。しばらくして若子が口を開いた。「そういえば、お母さん。今日、西也と離婚しました」「......は?」光莉が顔を上げて、目を見開いた。「あんた、西也と離婚したって?どうして?」「最初から、あの結婚は形だけのものでしたから。今こうして離婚するのも、自然なことだと思っています」若子は、西也のことを多くは語らなかった。―どうせ、お母さんと西也の関係も、あまり良くなかったみたいだし......光莉はさらに何かを言いたそうだったが、余計なことを言えばまずいと察したのか、話を切り替えた。「......まあいいわ。若いもんのことに、いちいち口出すのもどうかと思うし。で、修には会った?」「はい。今は山田さんという方と一緒にいるようで、うまくやっていました」光莉は苦笑を浮かべて言った。「ほんと、あの子はねぇ......多情なとこがあるのよ」若子は何も返さず、黙って暁を受け取った。「お母さん、お友達が待っておられるみたいですし」「あの人はお客さんよ。じゃ、私は戻るわ。また連絡するわね」「はい。お仕事、頑張ってください」光莉は頷いて、その婦人の元へと戻っていった。若子と千景も、そのままレストランを後にする。光莉は席に戻ると、相手に向かってにっこり笑った。「すみません、ちょっと知り合いに会ってしまって」「気にしないくていいよ」西片弥生は優しく微笑んだ。そのタイミングで、店員がメニューを差し出してくる。光莉は尋ねた。「西片さん
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第1083話

「そういうことなら、納得だわ」弥生が静かに笑い、ふっと呟く。「どうりで、あんた......」言いかけて、ふと口をつぐんだ。光莉は横目で彼女を見て、「どうかされました?」「なんでもないわ......もう少し先へ進んで、その先を右に曲がって」光莉はそれ以上詮索せず、ハンドルをそのまま切った。けれど、ふと気づいた。―進めば進むほど、道がどんどん寂しくなっていく。......その頃、千景は若子をホテルまで送っていた。部屋のドア前まで来ると、彼は中に入らず、扉の前で言った。「じゃ、ここまでにしとく。俺はもう行くよ」若子は腕の中の暁が眠そうにしているのを見て、穏やかに答えた。「お気をつけて」千景は「うん」と小さく頷いた。「じゃあ......明日も、会いに行ってもいい?」「もちろん。ちょうど明日、物件を見に行こうと思ってたんだ。一緒に来てくれる?」「うん、行く」そうして二人は「また明日」と約束し、若子が部屋の扉を閉めたのを見届けたあと、千景はホテルを離れた。駐車場に着き、車に乗り込んでエンジンをかけようとしたそのとき―ひやりと冷たい金属の感触が、後頭部に押し当てられた。千景の眉がピクリと動く。バックミラーには、黒ずくめのマスク姿の男。鋭い目が鏡越しに彼を射抜いていた。「誰だ......?」「運転しろ」千景はハンドルを握り直し、ゆっくりと車を動かす。男はそのまま、次々と指示を出していく。進め、曲がれ―と。車はいつしか、海沿いの大橋の入り口までたどり着いた。そこから先は、人気のない地帯だった。「......なあ、お前の目的はなんだ。金か?命か?」「ヴィンセント」男の声が低く、鋭く響いた。「どうして君はB国なんかに来たんですか?アメリカにいればよかったのに。僕の計画に、余計な首を突っ込まないでいただきたいですね」「『計画』だと?」千景の眉間に深い皺が寄る。「お前の計画って何だ。若子に関係あるのか?お前、何者だ」「僕の計画は......みんなを苦しませることです」「若子も......含まれてるのか?」千景が問いかける。「いいえ。彼女には幸せになってもらうつもりです。だから、君が邪魔なんですよ。君は僕の代わりになろうとし
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第1084話

若子には、千景が本当に言っていたことが真実なのか、分からなかった。けれど一つだけ確かなのは―彼が、自分に番号を教えるつもりはなかったということ。それでも、若子は無理に聞こうとはしなかった。彼の立場は特別だ。いろいろと事情があるのだろうと、理解していたから。けれど、時間が過ぎていくうちに―十一時になっても、彼の姿は見えなかった。心の中に、少しずつ不安が広がる。―まさか、本当に何かあったんじゃ......でも、今の彼の居場所も、連絡手段も、何一つ分からない。そのとき―スマホの着信音が鳴った。若子はすぐに出る。「もしもし......」「若子、俺だ」その声を聞いた瞬間、彼女の心は一気にほどけた。「冴島さん!?今どこ?どうして来なかったの?......大丈夫なの!?」声が震えてしまいそうだった。―本当に、何かあったのかと、怖かった。千景の声が、穏やかに笑って返ってきた。「ごめん。ちょっと今日、急な用事が入ってな。少しバタついてて......数日、会えそうにないんだ」「そっか......びっくりした......」若子は胸に手を当てて、ふうっと息を吐いた。「何かあったのかと思って、怖かった......」「大丈夫だ。俺が簡単にやられると思うか?ちゃんと自分の身は守るさ。悪いな、約束守れなくて」「いいの、全然」若子は優しく答えた。「自分のことを大事にしてね」「うん。片付いたら、また一緒に家探しに行こうな」「......うん、急がなくていいよ」通話が終わり、若子はようやく息をついた。心の奥のつかえが、少し取れたような気がした。腕の中の暁を見下ろしながら、ぽつりと呟く。「よかったね......冴島さん、無事だったよ......ほんと、びっくりさせないでよね」けれど、胸のざわつきは、完全には消えていなかった。その頃―千景は、薄暗い部屋の床に座っていた。全身、傷だらけ。血で濡れた服の下、震える手で応急処置の道具を握っている。息を殺しながら、簡素な工具で、傷口から弾を引き抜いた。「っ......!」あまりの痛みに歯を食いしばる。次の瞬間、止血用のガーゼをぐっと押し当てて、体を包帯で巻いていく。額からは汗が止めどなく流れ落ち、鋭い
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第1085話

「本当に今日は助かった」若子は少し申し訳なさそうに笑った。「全部やってもらっちゃって......夕飯、おごらせて。どこか行きたいお店ある?」ノラは少し考えてから言った。「近くに、中華のお店があるみたいです。結構評判よさそうでしたよ。そこ、行ってみませんか?」「いいわね、じゃあそこにしましょう。私のおごりよ」そうして、若子は暁を抱え、ノラと一緒に中華レストランへ向かった。一見細身なノラだったけど、案外よく食べる。食事中、ふいにノラが言った。「ねぇ、お姉さん、遠藤さんと離婚したんですよね?つまり......今はフリーってことですよね?僕、お姉さんの彼氏候補に立候補してもいいですよね?」いきなりの発言に、若子は「......は?」と固まった。「ちょ、ちょっと待って。あんた、まだいくつなのよ?私を口説くって......」「僕、十九です。博士課程にも進んでますし、何も問題ないですよ」ノラはいたって真剣だった。「ノラ......冗談でしょ。私はね、もう二回も離婚してるのよ?あんたみたいな若い子が私なんか追ってどうするの」「僕はもう子どもじゃないです!」ノラは少し不満げな声で言い返す。「お姉さん、僕、もう大人ですよ。もうすぐ二十歳だし、年の差だってたった三歳。僕、悪くないと思いますけど」そう言って、うつむいて口をとがらせて、ぷいっと目をそらした。どこか拗ねたような、子犬みたいな態度だった。若子は苦笑いを浮かべた。「もう、そんなこと言ってないで早く食べなさい。夜も遅いし、食べ終わったら帰るよ」―だって私は、さっき離婚したばかり。いや、たとえそうじゃなくても、ノラを「恋愛対象」として見ることなんて、できない。私にとって彼は、ただの「弟みたいな子」なんだから。ノラはそれ以上何も言わず、俯いたまま黙々とごはんを口に運んだ。食事を終えて、二人は夜の道を歩きながら帰路についた。ノラは若子の荷物を持ち、彼女が抱いていた暁を途中から代わって抱き上げる。「この子、ほんとにおとなしいですね。泣きもしないし、えらいです」「今はね。でも、生まれたばかりの頃はよく泣いてたのよ。夜泣きも多かったし」「......それじゃ、大変だったでしょう?」その言葉に、若子の胸にある人の顔が浮かんだ
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第1086話

若子はシャワーを浴び終え、ようやく布団に入ろうとしたところで、スマホの着信音が鳴った。手に取って画面を見ると、ため息をひとつついて通話ボタンを押す。「もしもし」相手の声は、修だった。「若子」「また電話?修、お願いだからもうやめてよ。何度も何度も......ほんとに、こっちはもう限界なの」若子は眉をひそめて、抑えきれない苛立ちをぶつけた。「聞いてくれ、最後まで」修の声は焦っていた。「今度は何?」若子の声には、はっきりとした不機嫌さがにじんでいた。「母さん、連絡取れてないんだ。どこ探してもいなくて」その一言に、若子の表情が変わった。さっきまでの苛立ちはすぐに引っ込んで、代わりに緊張が広がる。「いなくなったって......警察には?」「もう届け出は出した。だから、もしかして若子に何か連絡してたんじゃないかと思って」「うーん......昨日の夜、確かに会ったよ。ダイニングたかはしで」「本当か?それって何時ごろ?」「八時前だったと思う。ちょうどご飯食べ終わって帰ろうとしてたら、彼女が六十代くらいの女の人と一緒にいるのを見かけたの。そのとき、あの人のことを『お客さん』だって言ってた。少し話して、それからすぐ別れたの。後は何も」「母さんが行方不明になったの、ちょうどその夜なんだ......その客の見た目、覚えてる?」その言葉に、若子も不安を覚え始めた。「はっきりは覚えてないけど、濃いメイクしてた。いかにもって感じのセレブ風。絶対に銀行の大口顧客とか、そんな感じだと思う......監視カメラって確認できないの?」修の声は、ひどく重たかった。「それが問題なんだ。レストランの監視映像、全部消えてて......だから、誰と一緒だったのか、全く分からない。もう探しても探しても、全然見つからないんだ」若子はスマホを持ったままリビングに移動し、ドアを静かに閉めた。「......ってことは、そのお客さんと何か関係があるの?」修は大きくため息をついた。「俺にも分からない」その声には、明らかな焦りが滲んでいた。「ただ、母さんがこんなに完全に連絡取れなくなるなんておかしい。あのレストランの監視カメラも壊されてたんだ。どう考えても、何かが仕組まれてる......本気で、何かあったんじゃないかっ
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第1087話

「......どんな理由があっても、嘘をついたのは俺だ。悪かった」修の声は、どこか諦めたように沈んでいた。「お前の言う通り、卑怯だった。どうにかして、お前と二人で話したくて......それしか方法が思いつかなかった。ほんとに、最低だった」その声を聞いて、若子はふと口をつぐんだ。彼の母が今も行方不明な状況で、今さら過去のことを責めても仕方ない―そんな思いが胸をよぎる。「もういいよ、それはもう過ぎたこと。今はお母さんを見つけることが一番大事でしょ。私も何か思い出せるかもしれないし、少し考えてみる。何か分かったらすぐ連絡するね」「......ああ、ありがとう。じゃあ、切るよ。母さん、探しに行く」修の声が消え、二人は通話を終えた。若子はスマホを置いて部屋へ戻った。ベッドでは子どもがまだ起きていて、ぱっちりとした瞳でこちらを見ていた。「......暁、おばあさんいなくなっちゃったんだよ。どうしようね」誰に言うでもなく呟くように言ったあと、若子はベッドの縁に腰を下ろした。「こんなことになるなら、あのときもっとちゃんと見ておけばよかった。あの人がどんな人だったか、はっきり覚えておけば......私、ほんとに抜けてた」ふいに、あることが頭をよぎった。「......そうだ、あのとき、冴島さんも一緒にいた」思い出した瞬間、若子はスマホを掴んで、朝に着信があった番号へ急いでかけ直した。呼び出し音が鳴る......でも、出ない。四十秒以上鳴っても、応答はなかった。自動で通話が切れ、若子は画面を見つめたまま、少しだけ息をついた。―忙しいのかもね......諦めかけたそのとき、再びスマホの着信音が鳴った。表示された名前を見て、若子はすぐに通話を繋いだ。「若子?どうしたんだい、こんな時間に......何かあった?」千景の声には、心配の色が濃くにじんでいた。「ううん、大丈夫。私自身は何もないよ。ただ、ちょっと聞きたいことがあって」「なんだ?」「昨日の夜、レストランで一緒にいた女性のことなんだけど......あの人、私の元姑なの。さっき、元夫から電話があってね、彼女が行方不明になったって。最後に会ったのがそのときで、一緒にいた女の人が怪しいの。だって、監視カメラが全部壊されてたって言うのよ」「そんなことが
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第1088話

スマホの向こうで、修は数秒間沈黙した。何かを言いかけたようだったが、結局そのまま黙り込んでしまう。それを感じ取った若子は、すぐに口を開いた。「修、今はお母さんを見つけるのが一番大事。話は、それからにしよ」今の彼との関係なんて、今はどうでもいい。若子はそう思っていた。「......分かった。じゃあ、探しに行ってくる。若子も、休んで」「うん」そう答えると、若子はすぐに通話を切った。少しでも助けになれたことに、若子は胸を撫で下ろす。そして、心の中で千景への感謝が自然と湧いてきた。すぐに電話しようかとも思ったが、もう遅い時間だった。邪魔になってもいけないと思い直し、代わりにメッセージを送った。「ありがとう。さっき修に伝えたよ。とても助かった」ほどなくして、千景から返信が届いた。「気にしないで」若子は続けて送る。「おやすみ、ゆっくり休んでね」「うん、君も」ベッドに横たわり、若子はそっと子どもを抱きしめた。その小さな体を感じながら、目を細めて囁いた。「......大丈夫だよ、おばあさんはきっと、無事だから」......バシャッ!いきなり冷水が頭からぶっかけられ、光莉はビクリと体を震わせた。そのまま、がばっと目を見開く。荒く息をつきながら、周囲を見回す。そこは冷たい鉄製の倉庫だった。壁も床も金属むき出しで、あちこちにガラクタが積まれている。明かりは一つだけ。黄ばんだ電球が、チカチカと頼りなく瞬いていた。必死に思い出そうとする。いったい、何が起こったのか。―たしか、取引先を送ってる途中だった。車を停めたのは、人っ子一人いない郊外の道。すると、突然その人が「ここでいい」と言い出した。光莉は車を止め、後を追って外に出た。ただ、早く乗り込んでくれればいいのに......そう思って。だが、その瞬間だった。背後から何かが振り下ろされ、後頭部に鈍い衝撃。気づいた時には、もうここにいた。ズキズキと痛む頭を押さえながら、光莉はうっすらと目を開ける。ギイィ―軋む音と共に、鉄の扉が開いた。入ってきたのは、ヒールの音を響かせながら歩く一人の女。ゆっくりと姿を現したその人は、まるで上流階級の夫人のような雰囲気だった。照明がいくつか追加で点灯し、光莉の目の前が明るくなる。そこに
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第1089話

「......娘さん?」光莉は眉をひそめながら、戸惑いの声を上げた。「どなたのことをおっしゃっているんですか?私、人の家庭に入り込んだことなんてありません。きっと......何かの間違いです」そんなことをしたなら、自分が知らないはずはない。光莉は自信を持ってそう断言できた。「まだとぼけるつもり?」弥生は冷たい笑みを浮かべたまま、じりじりと詰め寄ってくる。「じゃあ聞くけど、あんたと遠藤高峯の関係って何?」―その名前を聞いた瞬間、光莉の中で何かがカチリと噛み合った。......そうか。弥生の「娘」というのは、遠藤高峯の奥さん―つまり、光莉が彼との関係を疑われているのだ。「......それは誤解です。私はあの方との関係に割り込んだわけではありません。本当に、あなたが思っていらっしゃるようなことはしていないんです」光莉が必死にそう訴えた瞬間だった。バッ!弥生が椅子から立ち上がり、ヒールの音を鳴らしながら光莉の前に詰め寄って―ビンタが飛んだ。乾いた音が倉庫中に響き渡る。光莉の頭はガンと鳴り、視界が揺れる。全身が震え、結ばれた手足では身動きもできない。顔に熱が走る中、光莉は力を振り絞って顔を上げた。「......本当に、私は彼らの関係に関わっていません。どうしてそんなふうに思われるのか、わかりません......」「関わってないですって?あんた、遠藤高峯と関係を持ったでしょ?一緒に寝たのよね?」弥生の声が鋭く跳ねる。光莉は、喉の奥を押し込むようにして、言葉を返した。「......それは、彼が娘さんと結婚されたあとでの話です。その前は、まったく関わりはありませんでした。私は娘さんに会ったことすらなかったんです」「会ったこともない?関係ない?......ふふっ、はははっ!」弥生は笑い出した。そして、目をぎらりと光らせた。「遠藤高峯が私の娘と別れたのは、全部あんたのせいよ。彼が娘を冷たく扱ってきたのも、あんたがいたから。あんたが初恋だったからよ。違うって言うの?」光莉はゆっくりと、だけどはっきりと口を開いた。「......ええ、たしかに私は彼の初恋でした。でも彼は、娘さんと結婚するために私と別れたんです。それっきり、もう二十年以上も会っていませんでした。だから......彼らの離婚が
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第1090話

「それは高峯がしたことです。私には関係ありません......私だって、あの人に無理やり......どうして、私を責められるんですか?」光莉の声は、震えていた。納得がいかない気持ちが胸の中で渦巻いていた。―なぜ、こういう女性たちは、男の過ちを男にではなく、女にぶつけてくるのか。「あんたが無理やりされたって?じゃあ、どうして抵抗しなかったの?本当に嫌なら、誰があんたを無理やりにできたっていうの?あんたはあの伊藤支店長よ、藤沢家の人間。遠藤高峯に何ができるっていうの?」「......抵抗は、しました。でも......彼には、触れさせたくありませんでした。おっしゃる通り、私は藤沢家の者です。ですが、もしこのことが家に知られたら......きっと高峯と藤沢家は全面対決になります......私はそれを望まなかった。ただ、それだけなんです」「それだけ?」弥生の目が細くなる。「......ですから、私は藤沢家には何も話していません。自分で、なんとかするつもりでした」その時、彼のことを信じた。成之が、「もう高峯には話をつけた」と言ってくれた。もう大丈夫―そう思った。もう二度と、彼に関わることはないと。実際、それから高峯からの連絡は途絶えた。ようやく解放された気がして、光莉は胸を撫で下ろしたばかりだった。......まさか、こんなことになるなんて。「ふふっ、なるほどね。つまり、あんたは被害者ぶってるわけね?自分が傷ついて、苦しんで、それでも家のために黙っていた―そう言いたいのね?」弥生の声は、冷たくて、どこか小馬鹿にしているようだった。その口調が、たまらなく不快だった。けれど光莉は、ぐっと堪えて言った。「......間違っていますか?私が苦しまなかったと思っていらっしゃるんですか?私は、高峯の初恋でした。それなのに......彼に捨てられて、それから何年も経って......今度は家庭を持った私に、彼がまた迫ってきたんです。脅されて、強引に、何度も―あなたも女性ですよね?どうして......どうして、そんなふうに私を責めるんですか?」「女だからって、間違いを責められないと思ってるの?そんな都合のいい盾、私は認めないわよ。うちの娘だって、女よ。でもね、あの子は自分が女だからって、それを言い訳にしたことなんて一度もない。
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