「……一度だけで、構いません。どうか、私たちを信じて、共に来てはいただけませんか……?」 静寂を破ったのは、美琴の凛とした声だった。その響きには、有無を言わせぬ不思議な力が宿っている。 「……それで、一体なにをするっていうんだい」 絞り出すような松田さんの声は、疑念と疲労で掠れていた。 *** 頑なに心を閉ざしていた松田さんだったが、美琴の真摯な眼差しに何かを感じたのだろう。重い足取りながらも、無言で僕たちの後を歩き始めた。 藍色の絵の具を深く溶かしたような夏の夜が、街を支配している。ナトリウムランプの侘しい光だけが、等間隔に闇を穿ち、頼りない道筋をぼんやりと照らし出していた。じっとりと肌に纏わりつく夜気の中、遠くで途切れがちに響く蝉の声が、世界の終わりを告げているかのようだ。 (ひとまず……来てはくれたけど……) 僕の少し前を歩く松田さんの背中は、ひどく小さく見えた。着古した薄手のコートは、彼女が一人で耐え忍んできた歳月を雄弁に物語っている。まるで両足に重い枷でも嵌められているかのように、その一歩一歩は覚束なく、地面を擦る枯れ草の音だけが、やけに乾いて響いた。 「……何の目的もなしに、年寄りをこんな気味の悪い場所へ連れ出したわけでもあるまい」 不意に、松田さんの低く乾いた声が、湿った空気にナイフのように突き刺さる。 「もう一度聞くよ。……あんたたち、ここで何をする寸法なんだい?」 その言葉には、隠しきれない警戒心と、深い絶望が滲んでいた。無理もない。最愛の娘が命を落とした忌まわしき場所へ、訳も分からぬまま再び足を踏み入れる苦痛は、想像を絶する。 僕はゆっくりと振り返り、彼女の瞳を見つめた。街灯の頼りない光に照らされたその奥には、悲しみと、もう何も信じまいとする硬い諦めの色が浮かんでいる。 「あなたをどうこうしようという考えは、決してありません。ただ……どうしても、詩織さんの最後の想いを、あなたに届けたい。その一心なんです」 言葉を慎重に選び、誠心誠意を込めて伝える。しかし、僕の言葉は夜の闇に吸い込まれるばかりで、彼女の心の壁を通り抜けることはできない。 「届ける……? 死んだ詩織が、どうやって……この私に想いを伝えるって言うんだい!」 悲痛な叫びが、僕の胸を抉る。 「私が、お二人を必ず会わせてみせます。だから……」 美琴が静か
Last Updated : 2025-05-26 Read more