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三十一話:紅い眼の秘密

Author: 渡瀬藍兵
last update publish date: 2025-05-26 18:59:45

 屋上の扉を押し開けると、静寂が広がっていた。

 悠斗の胸に安堵が染み渡る。チャイムが鳴ってから間もないせいか、人の気配はない。

「よかった……まだ誰もいないみたい」

 目の奥に巣食う鈍い頭痛をやり過ごしながら、悠斗は美琴へ微笑みかけた。

「そうですね……良かったです」

 美琴の声にほっとした息が混じる。

「……それにしても、二年生からの反応が本当に凄かったね」

 悠斗が軽い調子で言うと、美琴は視線を逸らした。

「そ、そんなことは……」

 唇を結び、それ以上は言葉が出てこない様子だった。

「きっと今日、周りのみんなに認知されたことで……これから先、たくさんの人が声を掛けてくるかもしれないね」

 いつもと違う、少しからかうような口調。その表情には、美琴の反応を楽しむような柔らかな笑みが浮かんでいる。

「か、からかわないでください……」

 美琴が頬を膨らませて抗議した。その仕草がどこか幼くて、悠斗の笑みが深くなる。

「あはは。ごめんごめん」

「ところで……」

 美琴が言葉を切り、悠斗の横顔をそっと見上げた。

「先輩、副作用の症状の方は今どのような状態でしょうか……? 痛みが増していたりはされていませんか……?」

 心配そうな声音。悠斗は一瞬だけ目を細めてから、軽い調子で答えた。

「実はね……もう倒れそうなんだ。視界がぼやけて、足元がふらついてる。息をするたびに胸が重くて、立っているだけで全身が悲鳴を上げてるような感じ」

「ええっ!?」

 美琴の顔から、みるみる血の気が引いていく。その反応を見て、悠斗はすぐに穏やかな笑みを浮かべた。

「なんて、冗談だよ。そんなに心配しないで。確かに痛みはあるし、体もしんどいのは事実だけど……それでも、まだ大丈夫だから」

 こめかみに手を当て、軽く揉みほぐす。鈍い痛みが、波のように引いては返す。

「良かった……」

 美琴はそう呟いてから、すぐに首を横に振った。

「いえ、良くはないですね……。先輩が痛みに耐えていらっしゃるのに、私が安心するなんて……」

 安堵と罪悪感の入り混じった瞳が、悠斗を見つめている。

「心配してくれてありがとう」

 悠斗は軽く笑った。けれど美琴の真剣な眼差しに触れて、自然と声のトーンが落ちていく。

「ところで……やっぱり、あの話のことかな?」

 美琴は小さく頷いた。

「……はい。霊眼術に関しての情報はまだ探している途中なのですが……霊眼術の扱いに関しては、すぐにでもお伝えしたいと思いまして」

「それは、急いで話さなきゃいけないことなんだよね?」

(頭痛があるから、小難しい話は頭に入ってこないと思うんだけど……)

 悠斗の問いに、美琴は迷いなく答えた。

「この件に関しましては、できれば今日中にでもきちんとお話しさせていただいた方が良いのではないかと私は考えています」

 その声には、強い意志がこもっていた。

「そっか、わかった。聞くよ」

 悠斗はゆっくりと頷き、美琴の方へ身体を向き直す。屋上を渡る風が少しだけ強さを増し、二人の髪を軽く揺らした。

「ありがとうございます。では早速……」

 美琴は一度深く息を吸い、言葉を継いだ。

「先輩、霊眼術を発動した際の感覚は覚えていますか?」

「えっと……目が熱くなる感覚……。ごめん、あの時は必死でこれしか思い出せないや」​​​​​​​​​​​​​​​​

 悠斗は申し訳なさそうに眉を下げた。美琴は柔らかく首を横に振る。

「いえ、それが普通でしょうから」

 そう前置きしてから、美琴は真剣な表情で続けた。

「霊眼術を発動した先輩は、これから霊感の他に別の能力が身につきます」

「別の能力……?」

 予想外の言葉に、頭痛が一瞬遠のいた。

「はい。先輩は、霊にも影があるのをご存知ではありませんよね?」

「……影?」

 霊に影がある——その概念自体が、悠斗にとっては初めて耳にするものだった。

「霊にも影があるんです。霊が身に纏う気……とでも言うべきでしょうか」

 美琴の声には確信がこもっていた。何度もそれを己の目で見てきた者だけが持つ、揺るぎない響き。

「えっと、よくアニメとか漫画に出てくるあのオーラみたいなものってこと?」

 頭痛の合間を縫うようにして、悠斗は手近な例えを探した。

「そう! その通りです!」

 美琴の表情がぱっと明るくなった。伝わった安堵が、声をわずかに弾ませている。

「と、話を戻しますが……霊にもその影が確かにあるんです。霊眼術を得た先輩にも、これからその影が見えるようになります」

 そこで美琴は真剣な表情に戻り、悠斗の目をまっすぐに見つめた。

「影が見えるように…か。そういえば美琴も霊眼術を持っているんだったよね」

「ええ」

 小さく頷いてから、美琴の声がそっと低くなる。

「……先輩、私の瞳をよく見ていてくださいね」

 ゆっくりと、美琴が瞼を閉じた。

 屋上を渡る風が、少しだけ強さを増す。

 そして——彼女が再び目を開いた瞬間、悠斗の息が止まった。

 茶色だったはずの瞳が、鮮血のように紅く染まっている。

「えっ……!?」

 声にならない驚きが喉から漏れた。心臓が大きく跳ね、視界が美琴の紅い瞳に吸い込まれそうになる。

「ふふ、驚かれましたね」

 美琴は少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。

「でも実は、霊視を行う際はずっと発動していたんですよ?」

「で、でも美琴は紅い眼になんてなってなかったはずだけど……」

 あれほど劇的な変化を、自分が見逃すはずがない。悠斗にはその確信があった。

「それには仕組みに秘密があるんですよ」

 美琴は穏やかに微笑み、言葉を続けた。

「霊眼術の瞳の変化——それは同じく霊眼術を宿す者にしか、視認できないのです」

「えっと、それはつまり……僕が霊眼術を発現したから、君の瞳の変化が分かるようになった……ってことかな?」

「はい、その通りです」

 美琴は柔らかく頷いた。

「ちなみに、先程の話に戻りますが……霊が纏う影には、色が存在します」

「まず一つ目は、白い影を持つ霊です。そして二つ目は、黄色い影を持つ霊。さらに三つ目として……」

 美琴の声が、ほんのわずかに重みを帯びた。

「真っ赤な影を纏う霊というものが存在しているのです」

「三種類も存在するんだね」

「ええ。白い影を持つ霊は、敵意を持っていない存在です。彼らはただこの世界を彷徨っているだけの霊でして、人間に対して害を及ぼすことは基本的にありません」

「ふむふむ、なるほど」

「次に黄色い影を持つ霊についてですが、彼らは警戒すべき存在として認識されています」

 美琴の声に、真剣さが一段増した。

「黄色という色が示す通り、これは警戒色を意味しているんです。彼らは不安定な状態にあり、敵意を持つ赤い影へと変化する可能性と、無害な白い影へと落ち着く可能性——そのどちらの道も秘めている、いわば中間的な存在なのです」

 白、黄色、そして赤。三つの色が持つ意味と役割が、悠斗の中でひとつの像を結んだ。

「まるで、信号機みたいだね」

 その言葉に、美琴の瞳がぱっと見開かれた。そしてすぐに、心から嬉しそうに笑う。説明が正しく届いた喜びが、その表情に溢れていた。

「ふふっ、本当に……本当にその通りだと思います」

 笑みの余韻を残したまま、美琴は小さく息を吐いた。表情が、静かに引き締まっていく。

「さて、少し回り道をしてしまいましたね」

 そして——美琴の声音が、これまでとは明らかに異なる慎重さを帯びた。

「最後に、赤い影を纏う霊についてお話しします」

「こちらの霊は——世間において一般的に悪霊と呼ばれ、忌避され恐れられている存在に該当するものです」

 その一言には、白や黄色の説明とは比べものにならない重さがあった。

 ——赤い影を纏う霊。

 美琴の言葉が、悠斗の中にゆっくりと沈んでいく。屋上を渡る風が、二人の間を静かに通り抜けた。​​​​​​​​​​​​​​​​

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