All Chapters of 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜: Chapter 11 - Chapter 20

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十一話:握られた人形

「櫻井先輩……!?」  眩い光が暗闇を切り裂いた。  それと同時に飛び込んできたのは、聞き覚えのある声だった。こんな場所で耳にするはずのない響きに、悠斗は目を細めたまま、光の向こうへ視線を向ける。  そこに立っていたのは、夕暮れの桜の下で出会ったあの少女だった。  どこか儚げで、それでいて凛とした空気を纏う後輩――月瀬美琴。 「月瀬さん……!?」  胸の奥で驚きと戸惑いが一度に渦を巻く。こんな場所で彼女と再会するなんて、想像すらしていなかった。 「どうして先輩がこんなところに……? それに、今、すごい音が聞こえましたけど……」  真っ直ぐな視線だった。揺らぎも、怯えもない。  それがかえって、この場の異様さを薄めてしまう気さえして、悠斗は一瞬だけ言葉に詰まった。  ――それはこっちの台詞でもあるんだけど。  喉まで出かかったそれを飲み込み、努めて平静を装う。 「……僕は、ここに入り込んだ友達を探しに来たんだ」 「お友達を……?」 「うん。昨日の夜、面白半分でここに入った連中がいて。その中に親友がいたんだよ。まだ家に帰ってないから……何かあったんじゃないかと思って」 「例の生配信……ですか……?」  悠斗は思わず眉を上げた。 「……知ってるの?」 「いえ、詳しくは知りません。今朝、学校で少し話題になっていたので。ただ、何かの……霊らしきものが映った、と」  美琴は小さく呟き、そっと視線を落とした。  その手に、小さな木彫りの人形が握られているのが見える。ぼろぼろに傷み、塗装も剥げ、犬の足は一本取れてしまっていた。けれど、長い年月を経たものにしかない温かみが、その小さな形にはまだ残っていた。 「それで……月瀬さんは、どうしてここに?」  改めてそう尋ねると、美琴は静かに顔を上げた。その目には、迷いがなかった。 「私は……これを、届けに来たんです」 「その人形を……?」  届ける。その言葉の意味がすぐには掴めなかった。  誰に。どうして。そんな疑問が一度に浮かぶ。けれど、美琴の眼差しはあまりにも真っ直ぐで、冗談ではないのだとすぐに分かった。 「先輩……急に言われても驚くかもしれませんけど……」  美琴は一拍置いて、それから静かに告げた。 「実は、私は霊が見えるんです」  心臓を掴まれたみたいな衝撃が走る。 「え
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十二話:最後のかくれんぼ

「美琴!?」  悠斗が一歩踏み出そうとした瞬間、彼女は静かに首を横に振った。大丈夫——その唇がそう告げるように、小さく微笑む。 『……ここは、誠也の場所だったのに……なんで?』  幼さの残る声に、行き場のない怒りと、底の見えない寂しさが絡まっている。解きほぐすことなど到底できないほどに。 『……誠也……ただ……ただずっと、ここで……待ってるだけなのに……』  小さな肩が小刻みに震えていた。その悲痛な声は壁や床にじわじわと染み込み、部屋そのものを悲しみの色に塗り替えていく。  美琴が、ゆっくりとその場に膝をついた。  怯える彼を刺激しないよう、息のひとつにまで気を配りながら。真っ黒な瞳の高さまで視線を下ろし、慈しむような眼差しで、そっと目を合わせる。 「うん……誠也くんがずっと寂しかったこと、そして今も、とても不安に思っていること——ちゃんと分かってるよ」  ただの同情ではない。その声には、彼の存在そのものを肯定しようとする、あたたかく揺るぎない意志が宿っていた。 「誠也くんのお兄ちゃんも、お父さんも、お母さんも……みんな、今でもずっと、誠也くんのことを大切に想ってるよ」  そう言って、美琴は胸元に抱えていたボロボロの木彫りの犬を、宝物を扱うように、両手でそっと誠也へと差し出した。 「これはね、誠也くんのお兄ちゃんが、君のために一生懸命作ったの。ずっと、ずっと君に届けたかったんだよ。だから、受け取ってくれるかな?」  張り詰めていた手術室の空気が、ほんの少しずつ緩んでいくのを悠斗は感じていた。 (……すごい。僕には、あんなふうには……) 『……こ、これを……お兄ちゃんが……誠也のために……?』  美琴が、深く、やさしくうなずいた。 「うん。君のお兄ちゃんはね、心を込めてこれを作ったんだ。誠也くんのこと、一日だって忘れたことなんてなかったんだよ」  ——ぽたり。  黒く窪んでいたはずの瞳から、きらりと光る涙がひと粒、静かに床へと落ちた。  真っ黒だった瞳に、光が戻っていく。  息をのんでその光景を見つめながら、悠斗は気づいていた。美琴は、目の前にいる”山口誠也”という一人の少年そのものに、心の底から向き合っている。その魂の痛みを、自分の痛みのように感じ取ろうとしているのだ。 (まるで、あの時の……母さんみたいだ……)  怖が
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十三話:泥にまみれし家族の祈り

 誠也の影のようだった輪郭が、ふわりと揺れた。嬉しさを隠しきれないように、小さな光の粒子がその周りでちらちらと瞬いている。  そして——本当に久しぶりに浮かべたのだろう、どこまでも無邪気な笑顔が、幼い顔いっぱいに咲いた。 『うんっ! じゃあ……おもいっきり隠れるからね! 絶対に見つけてね!』  弾むような声が手術室の壁に跳ね返り、軽やかな足音が遠ざかっていく。誠也の小さな影は、まるで野を駆ける子狐のように身軽に廊下の薄闇へ飛び込み——あっという間に、楽しげな残響だけを残して溶け消えた。  ふいに、静寂が戻る。  つい先程まで張り詰めていた手術室の空気が、嘘のように穏やかに凪いでいた。 「……美琴はすごいね」  率直な言葉が、自然と口をついて出た。  美琴は少し首を傾げる。 「そうでしょうか?」 「うん。霊に怯えることもなく、あんなふうに自然に寄り添えるなんて……本当に」  悠斗は小さく笑った。自嘲の色を帯びた、どこか苦い笑みだった——自分には到底真似できないと、そう思わずにはいられなかったから。 「それは恐らく、慣れですよ」  美琴の声は柔らかかったが、そこには揺るぎない確信があった。 「先輩が先程のやり取りを見て、何かを感じ取られたのなら……きっといつか、先輩にもできます」  その信頼の重さに、悠斗は言葉を返せなかった。ただ小さく頷いて、誠也が消えていった廊下の闇に目を向ける。 「……もう、隠れ終わったかな。誠也くん」  そう呟くと、隣で美琴がわずかに首をかしげた。悪戯っぽい微笑が、その口元に浮かんでいる。 「もう少し待ってあげてくださいね。先輩は、少しせっかちさんです」 「あはは……ごめん」  どこか親しげで、穏やかなその声。張り詰めていた心の糸が、春先の雪解けのように静かにほどけていくのを感じた。  ——かくれんぼ。  この暗く冷たい廃病院で、たった一人、永い歳月を過ごしてきた子どもが望んだ、たった一つの願い。  一体どれほどの夜を、あの子はここで数えてきたのだろう。冷たい闇の中、大好きな家族の声で自分の名前が呼ばれるのを——ただひたすらに、待ち続けながら。 「ところで——聞いてなかったよね」  悠斗の声が、ふと間を置いた。美琴へ向ける視線に、小さな疑問が宿る。 「美琴は、あの人形をどこで? 誠也くんが亡くな
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十四話:屋上の社

 唐突な問いだった。  だが——答えなどとうにわかっている。悠斗はそう思っていた。 「きっと、赤の他人がこの廃病院に踏み入るからだよね。誠也くんにとって、ここは自分だけの場所だから……」  美琴は、ゆっくりと首を横に振った。 「……それも理由の一つです。けれど、それだけではありません」 「えっ? 他に、なにが……?」 「それを、今から見に行きましょう」  彼女は立ち上がり、手の中の木彫りの犬をそっと制服の胸元に抱き寄せた。 「大丈夫です。誠也くんを待たせるわけにもいきませんし、数分で終わりますから」  声はいつも通り穏やかだった。——だが、その奥底に何か冷たく硬いものが、川底の石のように静かに横たわっているのを悠斗は感じ取っていた。  言葉を返せないまま、美琴の後に従う。  廊下を抜け、非常階段の扉を押し開ける。錆びた蝶番が軋み、乾いた音が暗い吹き抜けに反響した。美琴は振り返ることなく、迷いのない足取りで階段を上っていく。その背中は小さいのに、妙に遠い。  ——上がりきった先で、悠斗の足が縫い止められた。  壁際にくすんだ金属のプレートが嵌め込まれている。歳月に削られ、文字はほとんど判読できない。指先でなぞると、わずかに凹凸が残っていた。屋上——そう刻まれていたのだろう。 「——外から見たときから、気になっていました」  美琴の声が、薄暗い踊り場に静かに落ちる。視線は扉の向こう、まだ見ぬ夜空のほうへ据えられたままだった。 「ここに、誠也くんがこの場所に縛りつけられた、最大の理由があります」  悠斗の喉が小さく鳴った。自分でも気づかぬうちに、呼吸が浅くなっている。 「あんなに優しい子が、生きている人を襲うなんて——本来ありえない話なのです」  美琴の声には、研ぎ澄まされた刃のような芯があった。 「あの子は悪霊なんかじゃありません。先輩も、確かに感じたはずです」 「……うん。君と話しているあの子を見て、僕もそう思った」  悠斗は小さく頷いた。あの涙を、あの震える指先を——あれは悪霊のものではない。たとえ霊に対する経験が浅くとも、それだけは確かにわかった。  だが——美琴の表情は、和らがなかった。 「だから、私は怒っています」  静かな声だった。静かすぎるほどに。その一言が落ちた瞬間、踊り場の空気がひとつ、身を縮めるように
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十五話:記憶の扉

 屋上を後にした二人は、再び病院の中へと戻り、誠也の姿を探して歩いていた。  これまでに覗いた部屋は、どれも空だった。残された候補は二つ——地下倉庫と、院長室。そのどちらかに、あの子は隠れているはずだ。 「残りはあと二部屋だけど……どっちから探しに行こうか?」  悠斗の問いに、美琴は小さな顎に指を添えて少し考え込んだ。 「院長室にしましょう」  壁に掲げられた構内案内図は、文字がかすれてほとんど読めない。それでも二人はわずかに残る線をたよりに、院長室への道筋を辿り始めた。 「……時間の流れって、残酷だね」  不意に、悠斗の口からそんな言葉がこぼれた。 「そうですね。ここにも、かつてはたくさんの患者さんがいらっしゃったのでしょうし」  もう誰も横たわらない病室。電話の鳴ることのないナースステーション。椅子だけが整然と並んだ、寂れたデイルーム。  ここはかつて、多くの生と死を見届けた場所だった。回復を喜ぶ声、別れを悲しむ声——それらが日々忙しなく交差し、この建物は息づいていたのだろう。今はただ、埃と静寂だけがその記憶を抱いている。  名前のつけようのない切なさが、悠斗の胸に静かに広がっていった。  やがて、二人は院長室の前に立った。 「……あけるね」 「はい」  重厚な黒い扉を押し開ける。埃を被った革張りのソファと、書類が積まれたままの机が、主のいない部屋の中で静かに佇んでいた。  その時——微かな物音。 「……あれ〜? 誠也くんはここにいないのかなぁ?」 「どこかなぁ〜?」  美琴は柔らかな笑みを浮かべたまま、机の内側へ回り込んだ。  ——その直後。 「見つけたっ!」  美琴の明るい声が、薄暗い院長室に弾けた。 『うわぁ!! 見つかった!!』 「なかなかいい場所に隠れたね」 (……霊と人間がこんなふうに遊ぶ光景なんて、この先そうそうないだろう。でも——)  微笑む美琴と、楽しそうに笑う誠也。この穏やかな時間が、いつまでも続くわけではない。その事実が、悠斗の胸をちくりと刺した。 『お姉ちゃんたち、隅々まで探してくれてたんだね! それに、屋上の嫌な紙も取ってくれた! ありがとう、お姉ちゃんとお兄ちゃん!』 「ううん、気にしないで。——でもこれで、あなたはもう自由だよ。あなたの邪魔をするものは、もう何もなくなったから」
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十六話:白光の彼方へ

 悠斗が次に目を開けたとき、世界は白に呑まれていた。  地平の果てまで、何ひとつない。境界も、影も、音さえも——ただ茫漠とした静寂だけが、この空間を満たしている。 「ここは……一体、どこなんだ?」  はっとして、身体を起こす。つい先程まで、美琴と一緒にいたはずだ。院長室で、誠也の頭を膝に乗せて—— 「美琴……! 美琴、どこにいるの!?」  声が、白い虚空に吸い込まれた。返事はない。振り返っても、見渡しても、彼女の姿はどこにもなかった。 (夢なのか……? それとも——)  現実との境目さえ、ここでは曖昧だった。立ち尽くしていても仕方がない。悠斗はひとまず足を動かすことにした。  歩いた。どれほどの時間が経ったのか——体感では数分ほどか。だが景色は一向に変わらない。前も後ろも右も左も、同じ白がどこまでも続いている。自分が進んでいるのかさえ、わからなくなる。  このまま永遠に——この何もない白の中を、彷徨い続けるのではないか。  そんな予感が胸の底を掠めた、その瞬間だった。  視界が、灼けた。  あまりにも強烈な光が一気に押し寄せ、悠斗は思わず腕で目を覆った。網膜の奥がじんと痛む。 「うっ……眩し……!」  光が収まり、恐る恐る目を開ける。  ——車の中にいた。  古い型の乗用車。窓の外を、見覚えのある山間の景色が流れている。夕陽が差し込み、車内を琥珀色に染めていた。 『ねぇ、ママ。今日も病院?』  助手席で、小さな身体を揺らしている幼子がいた。  ——誠也だ。生きていた頃の。  頬にはまだ血の色が通い、黒い瞳はきらきらと光を宿している。あの廃病院で出会った影のような姿とは、まるで別人だった。 『……ごめんね。いつも寂しい思いをさせて。また一ヶ月後、必ず迎えに来るからね』  運転席の母親が、信号待ちの合間に手を伸ばし、誠也の頭をそっと撫でた。その指先が、かすかに震えている。 『……えへへ。うん! 誠也は大丈夫だよっ! パパもお兄ちゃんも、誠也のために頑張ってくれてるの知ってるから……』 『誠也も頑張るっ!』  精一杯の笑顔だった。幼いなりに、家族の苦労を理解しようとしている——その健気さが、悠斗の胸を締めつけた。 (これは……生前の記憶。美琴が言っていた、過去を見るという——)  車がたどり着いた場所に、悠斗は息を呑ん
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十七話:消えない悲鳴

「うわっ……また——」  再び、視界が灼けた。  光が退いたとき、悠斗の目に映ったのは——病室の前の廊下だった。  冷たいリノリウムの床に、誠也が膝を抱えて座り込んでいる。わずかに開いた扉の隙間から、老医師の低い声が漏れ聞こえていた。 『……残念ながら、誠也くんの病状は、我々の予想を上回る速さで進行しています。正直に申し上げて——状況は、芳しくありません』  老医師の声には、悔しさを押し殺したような重みがあった。 『そんな……っ! どうして……! どうして誠也がこんな目に……っ!』  母親が泣き崩れた。目元を覆う手の隙間から、堰を切ったように涙が溢れている。父親は——ただ唇を引き結び、老医師の言葉を呑み込むことしかできずにいた。 『……なにか、手はないんですか?』 『我々としても、手は尽くしているのです……! ですが悪化の一途を辿っていまして、日に日に咳が……』  悠斗は、扉の外にいる誠也に目を向けた。  小さな手で口元を懸命に押さえ、咳を殺そうとしている。聞こえてはいけない。両親を、これ以上悲しませてはいけない。——その一心で、幼い身体を震わせながら。 『誠也が……ごほっ、ごほっ……!』  それでも、咳は容赦なく込み上げてくる。堪えきれずに漏れたその音が、静まり返った廊下に痛々しく響いた。 『……誠也が、悪い子だったから、なのかな……? だから、神様が怒ってるのかな……?』  か細い声が、呟いた。  誠也は——自分の病を、罰だと思っていた。母が泣くのも、父が俯くのも、全部自分のせいだと。幼い心で、そう信じ込んでいたのだ。 『……がんばるから……。誠也、もっともっと、がんばるから……。だから、お母さん……もう、泣かないで……』 「っ……!!」  悠斗は唇を噛んだ。 (違う……! 君は悪くない……! 君のせいなんかじゃないんだ……! こんなのは、ただ——どうしようもなかっただけで……!)  声は届かない。ここは過去の記憶だ。悠斗にできることは、ただ見届けることだけ。それでも——目の奥が熱く滲み、一筋の涙が頬を伝って落ちた。  ——場面が、移ろう。  次に目を開けたとき、病室の空気は一変していた。  ベッドに横たわる誠也の姿に、悠斗は息を呑んだ。かつて夕陽の中で弾んでいた小さな身体は、見る影もなく痩せ細っている。頬は削げ、
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十八話:小さな帰還

「うっ……!」  意識が、引き戻された。  壮絶な記憶の奔流から——ゆっくりと、けれど確かに、現実の輪郭が戻ってくる。院長室の天井。埃の匂い。窓から差し込む、青白い月の光。 (今のは……本当に……! 僕は、誠也くんの過去を……!)  記憶の中では不思議と凪いでいた心臓が、現実に戻った途端、胸を突き破らんばかりに脈打ち始めた。こめかみが熱い。手のひらが、じっとりと汗ばんでいる。  隣を見ると、美琴は長いまつ毛を伏せたまま、白い頬を静かに涙で濡らしていた。 「……誠也くん、本当に……想像を絶するほど、辛くて、苦しい過去を背負っていたんですね……」  その声はひどく小さく、心の底からの哀惜でかすかに震えている。  幼い子どもが、たった一人で——どれほどの寂しさと恐怖を抱えながら、この冷たい廃墟に縛られ続けていたのだろう。  その想いに至ったとき、悠斗の目に、誠也はもはや恐ろしい霊としては映らなかった。ただ温もりを求め続けている、本当に小さな男の子。心の底から、そう思えたのだ。  美琴の膝の上で、誠也は今、穏やかに目を閉じている。  あのボロボロの木彫りの犬を、宝物のように小さな胸にぎゅっと抱きしめながら。その身体からは、蛍火のような温かく清浄な光が、静かに立ち昇っていた。 『……誠也……やっと、みんなに……会える、の……?』  か細い声。けれど、そこには確かな期待が灯っている。  美琴が穏やかに微笑み、深く頷いた。 「うん。もう大丈夫だよ、誠也くん。もう何も、寂しいことはないから」  そっと深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。その呼吸が整った瞬間——美琴の纏う空気が、変わった。 「──浄魂の祈り……汝、穢れを知らぬ純なる魂よ──今こそ全ての苦しみから解き放たれ、浄土へと、穏やかに還りなさい……」  詠唱に応えるように、美琴の掌から光が生まれた。  鮮やかな紅。けれどどこまでも優しい、夕映えのような光だ。それが水面に広がる波紋のように静かに広がり、誠也の小さな身体を——まるで母の腕に抱かれるように、柔らかく包み込んでいく。  月明かりの差し込む薄暗い院長室の中で、光に包まれた誠也の姿が、ゆっくりと揺らぎ始めた。輪郭が淡くなり、周囲の空気に溶け込むように、少しずつ、少しずつ——透けていく。 (これは……一体
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十九話:残された寂しさ

「……ふぅ」  全身から力が抜けた。悠斗はソファの上に崩れ落ちるように座り込み、そのまま深く背もたれに身を預けた。 「大丈夫ですか? 顔色が良くないように見えますが……」 「うん……ありがとう。今夜の出来事は、本当に衝撃的だった。きっと一生、忘れられないだろうね」  霊を——ずっと避けてきた。見えていても見ないふりをして、関わらないように、意識の外へ追いやるようにして生きてきた。幼い頃のあの日を最後に、霊の成仏などという場面に立ち会うことは二度とないだろうと、そう思っていた。  だからこそ、今夜の体験は悠斗の心を根底から揺さぶっていた。封じ込めていたはずの記憶が呼び起こされ、胸の内に複雑な感情が渦を巻いている。  その時——ふと、背後に気配を感じた。 「……?」  振り返ると——そこに、白衣の老人が立っていた。  丸い眼鏡。後ろに撫でつけた白髪。穏やかな笑みを湛えた、見覚えのある顔。誠也の記憶の中で、あの子の手を握り、声を枯らして泣いていた——あの老医師だった。 「……っ!」  咄嗟に身構えた悠斗の横に、美琴がすっと並んだ。 「先輩。大丈夫ですよ」  そう言って、美琴は老医師に向かって静かに頷いてみせた。 『あの子を……』  老医師は穏やかな笑みを浮かべたまま、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。長い歳月を経て、ようやく声にできた——そんな重みのある、噛み締めるような口調だった。 『あの子を……長い間、この世に縛りつけてしまっていたあの子を……ようやく解放してくれて、本当に……本当にありがとう……』  それは呪詛ではなかった。純粋な、ただ純粋な感謝の言葉だった。 「……あなたも、誠也くんをずっと見守っていたんですね」 『……ああ。だが、儂の姿はもうあの子には見えなくなってしまっていた。きっと……ひどく寂しい思いをさせてしまったことだろう』  老医師の言葉の端々に、悔恨の棘が覗く。悠斗は胸にちくりとした痛みを感じた。自分もまた——見えていたのに、目を逸らし続けてきた側の人間なのだから。 「……そうですね。きっと、とても寂しかったはずです」  美琴はそう言い、一拍の間を置いた。 「でも——あの子ならもう大丈夫です。行くべき道へ、ちゃんと旅立ちましたから」 『……次は、いよいよ儂の番か』 「そうですね。なにか心残りはありますか?」
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二十話:喪われた一年

 悠斗は美琴を伴い、地下倉庫へと足を踏み入れた。  空気が、重い。湿り気を帯びた冷たさが肌にまとわりつき、呼吸のたびに肺の奥まで染みこんでくる。光の届かない空間に澱んだ気配が充満し、まるで空気そのものが腐敗しているかのようだった。  そして——部屋の中央に、四つの人影。  いずれも床に倒れ伏したまま、微動だにしていない。 「……っ!!! 翔太! 奏汰!」  悠斗は駆け寄り、必死に二人の肩を揺さぶった。何度も、何度も。だが返ってくるのは、ぐったりと力の抜けた身体の重さだけ。目を覚ます気配は、微塵もなかった。 「……やはり、霊障の影響を受けていますね」  美琴は静かに翔太の傍らへ歩み寄ると、膝をつき、右手の人差し指と中指をそっとその額に添えた。 「何を?」 「私の気を、先輩のお友達の内へと流します」 「……気?」 「はい。人には誰しも霊力というものが存在しています。生きている限り、誰もが持っているもの——もっとも、それに気づかないまま一生を終える方がほとんどですが」 「……そうなんだ」  悠斗は小さく頷いた。 「つまり、美琴の霊気を翔太の中に流して、悪い影響を追い出すってこと?」 「はい、その通りです」  美琴が静かに瞳を閉じる。  数秒の沈黙。そして——美琴の指先から、鮮やかな紅色の光が立ち昇った。柔らかく、しかし確かな熱を帯びたその霊気が、翔太の全身をゆっくりと包み込んでいく。  数分が経っただろうか。 「……うぅ……」  翔太が苦しげに呻いた。 「っ! 翔太!」  悠斗が身を乗り出す。 「……あれ? 悠斗?」 「……っ……本当、こんな所に来て何してるんだよ……!」 「何って……あれ?」  しかし、翔太の様子がおかしい。目はうつろで、焦点が定まっていなかった。 「……俺、何してたんだっけ」 「え?」 「……うっ、思い出せない……何も思い出せないんだ……」 「何も……!? 翔太、自分が何年生かとかわかる!?」 「それはさすがに……」  ならば、記憶の欠落もそこまで深刻ではないのかもしれない——そんな甘い希望が、悠斗の胸をよぎった。  だが。 「高一……だけど」  空気が、凍った。 「そ、そんな……! 美琴、これは一体どういうことなんだ……!?」 「先輩、これは霊障の一種です」  美琴の声は淡々
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