Semua Bab 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜: Bab 41 - Bab 50

172 Bab

縁語り其の四十一:手のひらに残るぬくもり

温泉郷の、どこか懐かしい街並みを眺めながら、僕と美琴の間には、さっきからずっと、なんとも言えない微妙な沈黙が流れていた。 あの陽気なおじさんにからかうように言われた「お似合いのカップル」という言葉が、頭の片隅にこびりついて離れてくれない。霧の中で無意識に繋いでいた彼女の手を慌てて離した後も、僕の指先には、まだあの小さくて柔らかな手の温もりが確かに残っていて、それが妙に意識を乱した。 隣を歩く美琴も、心なしかいつもより口数が少ない。時折、彼女の白い頬に、ほんのりと夕焼けみたいな優しい赤みが差しているように見えるのは、きっと、夏の強い陽射しのせいだけじゃないのだろう。 *** 僕たちの目の前に広がるこの温泉郷は、古いけれど手入れの行き届いた木造建築が並び、穏やかな時間がゆっくりと溶け合うような、本当に美しい街並みだった。しっとりとした湯気を上げる川沿いには、風情のある旅館や土産物屋が軒を連ね、石畳の小道には色とりどりの提灯が夏のそよ風に楽しげに揺れている。遠くから聞こえる下駄の音と、硫黄の混じった独特の湯気の香りが、僕たちを非日常の世界へと誘っていた。 「と、とりあえず……せっかくだし、少しこの街を見て回ろうか?」 この気まずくも温かい沈黙を破るように、僕が努めて明るくそう提案すると、美琴は一瞬だけ僕の顔を見て、すぐにまた視線を逸らしながらも、小さく頷いた。 「はい、先輩。そうですね、少しだけ散策してみたいです」 彼女の声はいつも通り落ち着いていたけれど、やっぱりその頬の柔らかな赤みは、まだ引いていないようだった。 *** 僕たちは、川沿いに続く風情のある石畳の小道を、ゆっくりと並んで歩き始めた。 足元の古びた石畳が、コツ、コツ、と軽やかで懐かしい音を立てる。夏の強い陽射しに照らされた川の水面は、まるで無数の宝石を散りばめたかのように、きらきらと眩しく光っていた。さらさらと流れる清らかな水の音に混じって、ほのかに湿った夏の草の匂いが風に乗って届いてくる。 こうして美琴と二人で美しい景色の中を歩いていると、肌を焼くような暑ささえ、どこか遠くに感じられた。 最初に僕たちの目に飛び込んできたのは、通りの角にあった小さな木造の土産物屋だった。古びた店先には、使い込まれて色あせた藍色の暖簾が風に揺れ、軒下には名物の温泉まんじゅうや、手作りの木彫りの小物が
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-05-29
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縁語り其の四十二:泡沫のきらめき

さっきのお土産屋さんのおばあさんの言葉を思い出しては、まだ少しだけ頬が熱くなるのを感じる。僕たちは、その気まずさから逃げるように、自然と足早になっていた。 次に僕たちの目に飛び込んできたのは、石畳の小道にひっそりと佇む、趣のある一軒の茶店だった。年季の入った木の看板には、掠れた墨文字で「休み処」。店先からは、大きな蒸篭《せいろ》の湯気が、まるで生きているかのように柔らかく立ち上っている。 「おやおや、可愛らしい若いお二人さんだねぇ。よかったら、うちの名物の温泉卵でも、どうだい?」 店番をしていたのは、目元に優しい皺を刻んだ、白髪頭のおじいさんだった。僕たちに気づくと、穏やかな笑みを浮かべて、ゆっくりと手を振ってくれる。 「温泉卵だって。食べる?」 隣の彼女にそう尋ねると、いつもは冷静なその茶色の瞳が、ほんの少しだけ、子供のようにきらりと輝いたのを僕は見逃さなかった。 「はい、先輩! 私、温泉卵が大好きなんです。ぜひ、いただきたいです」 (え、そうなの?) いつも大人びて、完璧に見える彼女の、そんな意外な一面がなんだかとても可愛らしくて、僕の口元も自然と緩んでしまう。 まだ温かい温泉卵を受け取り、薄い殻をそっと剥く。立ち上る独特の硫黄の香り。つやつやと輝く白身の間から、とろりとした鮮やかな黄金色の黄身が、ゆっくりと姿を現した。 美琴が、小さな木のスプーンでそれをそっと掬い、小さな口へと運ぶ。すると、彼女の表情が、ふっと、どこか物憂げなものに変わった。 「……美味しいですね……。なんだか、この温かさが、身体にじんわりと染みてくるようです……」 その声は、最後のところで小さく途切れ、遠い日を懐かしむような響きを帯びていた。僕も促されるように一口食べると、優しい塩気と黄身の濃厚な旨味が、じんわりと心まで解きほぐしていくようだ。 「うん、すごく美味しい。ねぇ、美琴、そこのベンチでもう少しゆっくりしていこうか」 縁側のベンチに並んで腰を下ろし、目の前を静かに流れる川の景色を眺める。水面に映る夏の陽射しがきらきらと揺れ、対岸の木々の葉が涼やかな風にそっと囁き合っていた。そんな穏やかな時間の中、店番のおじいさんが、どこか懐かしむような優しい口調でふと呟いた。 「本当に、仲がいいんだねぇ、あんたらは。今日みたいに濃い霧が出た日はね、きっと、あの陽菜ちゃん
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-05-30
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縁語り其の四十三:戸惑いの距離

「美琴、そろそろ予約した宿に行ってみない? まだチェックインもしてないからさ」 少しだけ照れ隠しに早口でそう声をかけると、美琴はこくりと小さく頷いた。 「はい、先輩。そうですね、私も少し疲れましたし、お宿へ行きましょうか」 彼女の柔らかい声色が、心に心地よく響いた。 温泉郷の中心部へと足を進めると、そこかしこから立ち上る白い湯煙が、美しい階調を描く薄橙色の空へとゆらゆらと溶けて消えていく。道の両脇には風格のある木造の宿が軒を連ね、その一つ、ひときわ古びた、けれどどこか懐かしい佇まいの宿の看板に、「桜織荘」と達筆な文字で書かれているのが目に留まった。 半分だけ開いたままの木製の引き戸をそっとくぐると、からん、ころりん、と古風なガラスの風鈴が涼やかな音色を立てる。丁寧に掃き清められた石畳の玄関を踏みしめ、長年使い込まれて飴色になった板張りの土間へと足を踏み入れた。 「ここ……なんだか、すごくいい雰囲気だね」 ぽつりと呟くと、隣の美琴が嬉しそうにふわりと微笑む。 「はい、夏の、少しひなびた田舎のお宿って、きっとこんな感じなのでしょうね。とても落ち着きます」 宿の中へ進むと、新しい畳の良い香りがふわりと鼻孔をくすぐった。壁には色褪せた風景画の掛け軸が掛けられ、太く黒光りする梁が、この宿の長い歴史を物語っていた。 「あらあら、いらっしゃい! 待ってたよ!」 帳場の向こうから、上品な浴衣姿の女将が、人の良さそうな笑顔で顔を覗かせた。 「ご予約の、櫻井様と月瀬様だね? いやぁ、ちょうどいいお時間に来てくれたねぇ!」 女将が年季の入った大きな帳簿をぱらりとめくる──が、その動きがぴたりと止まる。 「おや?」と小さく眉をひそめ、少し困ったような表情でこう続けた。 (えっ??どうしたんだろう…) 「……うーん、本当に申し訳ないんだけどねぇ。予約してもらっていた部屋なんだけど、手違いがあったみたいでね……」 「確かに二部屋で承っていたはずなんだけど、今日になって急な団体さんが入っちゃって。どうしても、一部屋しかご用意できなくなっちゃったみたいなんだよ」 「えっ……?」 その言葉に、僕と美琴は、同時に弾かれたように顔を見合わせた。血が頭に上り、逆に足元から冷えていくような感覚。女将の言葉が、遠いどこかから聞こえる木霊
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-05-30
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縁語り其の四十四:女将さんの勧め

宿の、あの気まずくもどこか落ち着く和室に戻った僕たちは、小さなちゃぶ台を挟んで、しばし言葉もなく窓の外へと視線を向けていた。 障子越しの光が畳の上に長い影を落とし、部屋の隅の埃さえも金色に輝かせている。どこか懐かしくて、そして物悲しいような夕暮れの風情が、部屋全体を優しく包み込んでいた。 その静寂を破ったのは、障子戸が控えめに軋む音だった。女将さんが、にこやかな笑顔で顔を覗かせる。 「失礼するよ、お二人さん」 穏やかな声と共に、お盆に乗せた湯呑みを二つ、ちゃぶ台の上にそっと置き、またあの太陽みたいに優しい笑顔を向けてくれた。 「お若いお二人さん、この温泉郷の街並みは、もう楽しんだかい?」 「はい、おかげさまで。すごく雰囲気が良くて、どこか懐かしい感じで……」 美琴が、微笑んで答えると、女将さんは満足そうに頷いた。 「それは何よりだったねぇ。ところで、お二人さん、このあと何か予定は立てているのかい?」 「いえ、特にこれといっては……あ、そういえば…」 僕がふと何かを思い出したように言うと、美琴も「そうでしたね」と小さく頷いた。 (……いろいろありすぎて、巫女の伝説のこと、頭から抜けてた……!) 「僕たち、実は、この温泉郷に古くから伝わるという、巫女の伝説について、少し調べに来たんです」 その瞬間、女将さんの表情が、ふっと興味深そうなものに変わる。彼女は身を乗り出し、悪戯っぽく片目を瞑って言った。 「巫女様の伝説ねぇ……。それなら、行ってみるといいかもしれない場所が、ひとつあるよ!!」 そう言って一度部屋を出ていった女将さんは、すぐに一枚の古びた手書き地図を持って戻ってきた。長年使われて角が丸くなった和紙に、筆で描かれた温かみのある地図。山や川が、まるで生き物のように愛らしく描かれている。 「はい、これがその場所への、おおよその道順さね。ちなみにね、その道中に、“陽菜の湯”っていう、ちょっと変わった名前の露天風呂があるんだけど……知ってるかい?」 「陽菜の湯……ですか?」 どこかで聞き覚えのあるその名前に、思わず僕たちは顔を見合わせる。 「その温泉は……何か、特別な謂れのある場所なのでしょうか?」 美琴がほんの少し身を乗り出すようにして尋ねると、女将さんは意味ありげに目を細めて語り出した。 「ああ。昔々、もうアタイらが生まれるず
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-05-30
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縁語り其の四十五:陽菜のいたずら

ふわり、と絹のように滑らかな湯気が舞い、温泉特有の、どこか懐かしい硫黄の香りが鼻腔をくすぐる。 静かな湯面には、どこからか紛れ込んだ山吹の花びらが数枚、まるで小さな舟のように浮かんでいた。夏の夕暮れの淡い橙色が水面にゆらゆらと映り込み、幻想的な模様を描いている。 男湯の、風情ある岩風呂に肩まで浸かり、僕は「ふぅ……」と深く安堵の息を吐き出した。極上の湯の温もりが、じんわりと身体の芯まで染み渡り、昼間の疲労感が薄紙を剥がすように消えていく。 「……はぁ……気持ち、いい……」 誰に言うでもなく、満足げな呟きが漏れた。 遠くで聞こえる川のせせらぎ。夕暮れを惜しむ蝉の声。風に揺れる木々の葉が、さらさらと涼やかな音を立てる。ここは、まるで時が止まったかのような、完璧な静寂と平穏に満ちていた。 こんなにも穏やかな時間なんて、一体いつぶりだろう。 母さんのこと、呪いのこと、これから起こるであろう困難……。いつも頭を支配している全てのことから解放され、ただただ、温泉の熱が心と体を解き放っていく。至福、とはこういうことだろうか。 その、まさに至福の瞬間──。 不意に、竹の柵の向こう側、おそらくは女湯からだろう、美琴の、鈴を転がすような声が耳に届いた。 「先輩、もしかして、そちらのお湯にも、先輩おひとりだけですか?」 湯気に溶けるような、優しい響きだった。 「うん、そうだよ。僕一人だけだ。ここの温泉、本当に最高だね」 「はい! 本当に、とっても気持ちがいいです! お肌もすべすべになりそうで!」 心なしか、彼女の声がいつもより弾んでいる。宿の女将さんから「美肌の湯」だと聞いた時、子供のように目を輝かせていた顔を思い出し、自然と口元が緩んだ。 もう一度、この静けさを味わおうと目を閉じた──その時だった。 『フフフ……』 悪戯を思いついた子供のような、それでいてどこか妖艶な笑い声が、白い湯気の中にふわりと響いた。 ──今のは……? 耳を澄ますが、もう何も聞こえない。気のせいか? ほんの僅かな違和感が胸に残ったまま、ふと目を開けた、その瞬間── バキバキバキッッ!!!! ガシャァァァン!!! 轟音。 男湯と女湯を隔てていた竹の柵が、巨大な何かに薙ぎ払われたかのように、弾け飛んだ。 「なっ……!?」 湯気が爆発したように舞い上がり、視界が一瞬にし
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-05-31
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縁語り其の四十六:夕暮れの余熱

陽菜と呼ばれる、あの不思議な霊がふわりと湯煙の中に溶けて消えた後、夕暮れの空は吸い込まれそうなほど美しい薄紫色に染まっていた。桜織温泉郷の静かな露天風呂には、先ほどまでの喧騒が嘘のような、穏やかな静寂がゆっくりと戻ってくる。 僕は湯船の岩でできた縁に腰を下ろし、濡れたタオルを手に持ったまま、じんわりと熱を帯びた湯気の湿気を頬に感じていた。少し離れた女湯の側では、美琴も同じように湯に浸かっている気配がする。 崩落した竹の柵は、その役割を完全には失っておらず、互いの姿をはっきりと見ることはできない。この絶妙な距離感が、今はありがたかった……。 それでも、さっき目の当たりにしたあの光景――陽菜が化けた、偽物の美琴。悪戯っぽく笑いながらタオルをずらした、あの瞬間。夕陽の最後の赤い光に照らし出された汗ばんだ白い肌――そのあまりに鮮烈なイメージが、目に焼き付いたかのように、頭の片隅にしぶとく再生される。 (……ダメだ、考えるな。あれは美琴じゃない。霊の悪ふざけなんだから……!) ぶんぶんと首を振って思考を振り払い、湯船の湯を両手ですくうと、思い切りバシャッと顔にかけた。思ったよりも熱い湯の滴が頬を伝い、少しだけぼんやりとしていた意識をはっきりとさせてくれる。 「……ごめん、美琴。さっきは、その……」 湯煙の向こうにいるであろう彼女に向かって、小さな声で謝罪した。何を謝っているのか、自分でもよく分からない。見てしまったことか、それとも、一瞬でも動揺してしまったことか。 すると、ほとんど間を置かずに、くすくす、という楽しそうな笑い声が返ってきた。 「ふふっ、恥ずかしかったですけど、別に本気では怒っていませんから、大丈夫ですよ」 そのどこまでも穏やかで、優しい声の響きに、僕の胸の奥で硬くなっていた何かが、ほっと音を立てて緩むのを感じた。 ……でも、こうやって彼女に優しくされると、ますます申し訳ないというか、罪悪感みたいなものが込み上げてくる。だって、まだ頭のどこかで、さっきの陽菜が化けた”彼女”の姿を、僕は思い出してしまっているのだから。 僕は、その感情をごまかすように深く息を吐きながら湯の中に身体を沈め、首までゆっくりと浸かって、そっと目を閉じた。 「さっきの霊、……多分、この土地の人が噂してた『陽菜』さんだよね。僕たちをここまで
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-05-31
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縁語り其の四十七:清き巫女の慰霊碑

「……そろそろ、行こっか」 「……はい」 照れくささを悟られまいとするみたいに、僕は懐から地図を引っ張り出した。 湿気を吸ったのか、紙は少しだけ柔らかくなっていて──その感触がやけに生々しかった。 互いに多くを語らないまま、僕たちは川沿いの石畳を歩き出す。 静かな足音と、遠くで続く虫の声。浴衣の裾が石を擦る、かすかな音。 夏の夜の空気が、やけに澄んで感じられた。 そして──不意に、美琴がぽつりと口を開いた。 「先輩は以前、巫女の血について……少し気にされていましたよね」 その声は、昼の快活さとは違っていた。夜の帳に溶けてしまいそうなほど静かで、どこか重たい。 「うん。……少しだけ、ね」 短く答えると、胸の内でいくつもの思いが渦を巻いた。 彼女が言う“穢れた血”。それが何を意味するのか、僕にはまだ……わかっていない。 でも……彼女がその話をするときは、いつもどこか辛そうで。だから、無理に聞く気にはなれなかった。 きっと、いつか自分から話してくれる。それまで待とうって──そう、決めてたんだ。 そんな僕の気持ちに気づいているのか、いないのか。美琴はまっすぐ前を見たまま、語り出した。 「正確な年代までは断言できませんが、村に残された古文書には、今からおよそ千年前の出来事として記されています」 「私たちの中では、それが“始まり”だったと考えられていて──」 「その時代、巫女の中に“始祖”と呼ばれる存在がいたとされています。その人は、神々の前で舞い、時には荒ぶる神の怒りさえ鎮めたと──そう、語り継がれているんです」 「神々を……鎮めた……?」 あまりにも遠く、現実感の薄い言葉だった。 でも、美琴の声は、幻想ではなく“事実”を語る響きがあって──どこか、心をざわつかせた。 「そして、その始祖の名は──琴音《ことね》様と記録されています」 「琴音様……か」 僕がその名を繰り返すと、不思議な感覚が胸に残った。まるで、どこかで聞いたことがあるような、懐かしい音のように。 「はい。私の故郷では、今も特別な存在として崇められていて……」 「疫病を鎮め、天災を抑え──人々の祈りに応え続けた“救いの巫女”だったと、伝えられています」 彼女の声には、深い敬意がにじんでいた。 そのまなざしは、遥か昔の誰かへと、今も想いを向けているようで。
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-01
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縁語り其の四十八:二百年の恩返し

第1章:二百年の恩返しと、千年の宿命 湿った夜気に、草を踏む微かな音が響いた。 カサリ、カサリ……。 慰霊碑を包む重い沈黙を切り裂くように近づいてくるその足音に、僕と美琴は導かれるように、同時に静かに振り返った。 そして──。 木々の影が最も濃い場所から、それは現れた。まるで闇そのものが人の形を成したかのような、ひとつの人影。夜の闇に、鮮やかな黄色い浴衣がふわりと浮かび上がっている。夜風に遊ばれる栗色の髪は左右に結われ、赤いリボンが楽しげに揺れていた。その姿は、この場所の厳かな雰囲気とはあまりに不釣り合いで、それなのに、僕の胸には不思議な懐かしさが灯る。 『やぁ。アンタたち、さっきの露天風呂じゃ、アタイを楽しませてくれてありがとね?』 「……この声……」 鈴を転がすような、軽やかで澄んだ声。その温もりのある響きに、僕ははっきりと聞き覚えがあった。 思わず目を見開く。 「……陽菜、さん?」 間違いない。温泉で僕たちに悪戯を仕掛けてきた、あの不思議な霊──陽菜さんだった。 隣で、美琴の動きがぴたりと止まる。陽菜さんの姿を認めた瞬間、彼女の横顔に、見る間に朱が差していく。先程の露天風呂での一件が、熱い記憶として肌を焼いているのだろう。そのあからさまな動揺に、陽菜さんは悪戯が成功した子供のように、くすりと笑みを漏らした。 『アンタたちがこの慰霊碑を見に来るって、宿で盗み聞いててね。ちょっと様子を見に来たのさ』 涼みにでも来たような、あまりに軽い口調。 「な、なるほど……」 予想外の再会に、僕は戸惑いを隠せず、曖昧に応じるしかない。 その時だった。 「な、なんてことしてくれたんですかっ!」 ようやく平静を取り戻したらしい美琴が、顔を紅潮させたまま一歩踏み出し、上ずった声で抗議の言葉をぶつけた。 『いや~、アンタたちのあのやり取りが可愛くてさ。つい、イジりたくなっちゃったんだよねぇ』 陽菜さんは悪びれもせず、屈託のない笑顔を浮かべている。その飄々とした態度に、僕はすっかり毒気を抜かれてしまい、思わず苦笑がこぼれた。 だけど、心の片隅に引っかかっていた疑問が、不意に言葉になって口から滑り出る。 「陽菜さん……。あの時、どうして道に迷った僕たちを助けてくれたんですか?」 僕の問いに、陽菜さんは悪戯っぽい笑みをすっと消し、その瞳でまっす
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-01
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縁語り其の四十九:古の巫女

『こっちさ!』 陽菜さんの弾むような声が、闇に吸い込まれるように響いた。 僕と美琴は、その小さな背中を見失わないよう、息を切らしながら後を追う。 足元は、もはや道と呼べるものではなかった。獣道のように、わずかな踏み跡が草の間を伸びているだけ。 「うわっ──!」 何かに足を取られ、僕はバランスを崩しかけた。 「だ、大丈夫ですか!?」 美琴がすぐに声をかけてくる。浴衣の袖が闇の中でふわりと揺れた。 「……あ、うん。大丈夫。ちょっと滑っただけ」 体勢を立て直しながら、苦笑いで応える。 彼女の声が、あの静かな夜の中でやけに近く感じられた。 人の気配が絶えて久しい獣道が、月光すら拒む木々のトンネルの奥へと続いている。張り出した枝が服に絡みつき、湿った土と岩肌が剥き出しの急な坂道に、何度も足を取られそうになった。 先をゆく陽菜さんの、慣れた足取りを見つめながら、僕はなんとも言えない不思議な感覚に囚われていた。 彼女は、木の枝が顔に触れるのをひらりとかわし、ぬかるんだ地面に慎重に足を置く。風に揺れた浴衣の裾を、小さな手でそっと押さえる仕草。 霊のはずなのに、その存在感は、今この瞬間を確かに生きている人間そのものだった。二百年という彼女の言葉が、妙な現実味をもって僕に迫ってくる。 やがて、陽菜さんがふっと足を止めた。振り返らずに、小さく呟く。 『ここだよ』 息を切らして追いついた僕たちの目の前に、それはあった。 岩壁に半ば埋もれるようにして佇む、古びた祠。深い苔に全身を覆われ、太い蔦が屋根を飲み込もうと絡みついている。まるで、この場所で何百年も息を潜めてきたかのようだった。崩れた軒の奥、深い影の中に鎮座する風化した石像は、どんな祈りを受け止めてきたのだろうか。 ひどく湿った空気が肺を満たし、地の底のような重い静けさが、僕たちを包み込んでいた。 陽菜さんが、僕らの方をじっと見つめている。その瞳から先ほどの快活な光は消え、言いようのない切なげな色が揺れていた。 その祠を目にした瞬間、美琴の表情が、一目で変わったのがわかった。 「ここ……は……」 彼女の唇から漏れた声はか細く、その瞳は、ありえないものを見たかのように見開かれている。僕は、その瞳が恐怖とも畏怖ともつかぬ感情に細かく、激しく揺れるのを見逃さなかった。 「何か……感じるの?」
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-02
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縁語り其の五十:明かされる真実

「古の巫女とは――遥か昔。霊と神と人が、今よりもずっと近しく交わっていた時代に現れた、始祖・琴音様の血を継ぐ者のこと……」 まるで古文書を紐解くように、美琴は一つひとつの言葉を厳かに紡ぐ。その声は低く抑えられ、この場にいない誰かに語りかけるかのような、不思議な響きを帯びていた。 『へぇ……。ちなみに、それってのはどのくらい昔の話なんだい? アタイも結構長くここにいるけどねぇ』 陽菜さんが、興味深そうに、しかしどこか試すような眼差しで問いを重ねる。美琴は一度、何かをこらえるように小さく息をのみ、重い真実を告げた。 「……おおよそですが、私たちの知る歴史よりもさらに古く……千年ほど前のことだと、伝えられています」 『な……なんだってぇ!? せ、千年!?』 陽菜さんの、それまで余裕を湛えていた表情が凍りつく。二百年の時を生きてきた彼女でさえ、信じられないといったように素っ頓狂な声を上げた。その勢いで、結んでいた赤いリボンが蝶のように大きく揺れる。 『そ、それじゃあ、アンタたちは――千年の歴史の重みを、その細い肩で継いできてるってことかい!?』 「……はい。そういうことに、なります」 美琴の肯定は、静かだった。けれど、否定しようのない重みがそこにはあった。 僕の頭は、もう完全に真っ白だった。 千年の歴史? 巫女の始祖? あまりに壮大すぎる話に、まったく現実感が湧かない。けれど、目の前の古びた祠が放つ圧倒的な存在感と、美琴の言葉に宿る嘘偽りのない響きが、信じたくなくても信じろと僕の心を揺さぶる。 「……そろそろ、宿に戻りましょうか」 不意に、美琴がそう切り出した。彼女の言葉に、僕たちは強張っていた身体の力を抜き、今来たばかりの暗い山道を引き返し始める。 夏の夜の温泉郷は、しっとりとした静謐な表情を見せていた。川のせせらぎが、闇の中で一層音色を澄ませている。水面を漂う睡蓮の花は、夢の景色のように静かに揺れていた。 けれど、その美しい夜の風情は、今の僕の心には少しも届かない。頭の中では、さっきの言葉たちが、いつまでも渦を巻いている。 “古の巫女の末裔”? 僕が? 美琴が? まるで、自分ではない誰かの物語を聞いているかのようだ。 少し前を、陽菜さんが慣れた足取りで歩いている。 『それにしても、いやはや、驚いたねぇ。まさかこの温泉郷を守ってきた、あ
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-02
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