All Chapters of Soul Link ─見習い聖女と最強戦士─: Chapter 31 - Chapter 40

116 Chapters

#30 :聖女の使命

「まずは……一人ずつ、私が診ます」 エレナの声は大きくない。なのに、広場に散っていたざわめきが、すっと沈んだ。 視線を送るだけで分かる。衣服は擦り切れ、袖口はほつれ、皮膚は紙みたいに薄い。顔色は真っ青――いや、青を通り越して灰色に近い。立っているだけで奇跡みたいな人が、そこかしこにいた。 冷たい空気。吐く息が白くなるほどではないのに、肌の奥がひやりとする。体温というより、“生”が抜けていく寒さ。 「ゴホッ、ゴホッ……!」 苦しげな咳が跳ね、遅れて、ぬるい音がした。口元を押さえた指の間から血が滲む。真っ赤じゃない。鉄の匂いを含んだ、濁った色。 (これは……本当に急がなきゃ) 胸の内で言い切って、エレナは迷いを切り捨てる。手順を組み上げるのは、祈りの前だ。 「ミストさん、シイナさん。お手伝いをお願いします。村人の方々を、私のもとへ一人ずつ誘導してください!」 ふたりはすぐに頷き、動き出した。ミストは勢いよく、人の波へ飛び込んでいった。 シイナは逆に、視線と距離で場を整える。倒れそうな人の肩にそっと手を添え、列の流れを作る。混乱が、崩れ落ちる前に支えられていく。 エレナは続けて、シオンとグレンへ顔を向けた。呼吸を置く。指示は、短く、明確に。 「シオンさん。お肉とミルク……それからバターと小麦粉を、近くの町で買ってきていただけますか?」 「分かりました」 返事の直後、シオンの周囲の空気がふっと軽くなる。風の属性。彼の輪郭が風景に溶け、次の瞬間には飛び立って―― 「ちょ、ちょっと待ってください!」 エレナの声が、その風を引っ張り戻した。 慌てて財布を差し出す。シオンの視線を避けずに、きっぱりと言った。 「これは……私のわがままでやることなんです。こっちの財布に入っているリヴィアを使ってください」 一瞬だけ、シオンの目がわずかに細まる。責任の所在を、ちゃんと受け取った顔。 「……分かりました」 穏やかに頷き、今度こそ風に乗る。砂埃すら立てない。風が“道”を作って、その上を滑るように空へと舞い上がった。 次にグレンへ。大きな背中、頼もしさの塊みたいな男。けれど、今ここで必要なのは力任せじゃない。熱だ。 「グレンさん。私が治癒を施している間に木を切ってきてください。村人たち、呪いの影響で体温
last updateLast Updated : 2025-06-09
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#31:聖なるシチュー

 次は──エレナは村の奥から出てきた、年配の男性──おそらく村長さんであろう人へ歩み寄った。  焚き火の金色が、男の頬の皺を深く照らす。  その皺が、安堵のせいで少しだけ緩んで見えた。 「すみません……料理場をお借りしてもいいですか?」  男は一拍遅れて、何度も頷いた。言葉を探すみたいに口を開き、震えを噛み締める。 「おお……貴女のおかげで、ワシらはこうして生きておられる。どうか……お好きに使ってくだされ……」  深々と頭が下がる。感謝の重さが、背中から伝わってくるようで、エレナは慌てて首を横に振った。 「顔を上げてください。……まだ、終わってません」  その言葉を、自分自身にも言い聞かせる。  〜*〜*〜*〜  ──さあ、次は料理だ。  呪いは祓った。けれど、それは“今この瞬間”を軽くしただけ。  放っておけば、時間と共にまた体を蝕んでしまう。さっきの咳が、それを証明している。  だからこそ。内側からも“癒し”を与えなければいけない。  エレナは、シオンが買ってきてくれた食材を受け取り――胸の前で、そっと抱きしめるように支えた。冷たい瓶のミルク、紙に包まれたバター、血の匂いを薄く残す肉。全部、生きものの名残だ。  温かなシチューを作る。  腹の底へ落ちていく熱で、呪いに“居場所はない”と叩き込むために。 (生物から生まれた食材には、神聖なエネルギーを帯びさせることができる。ミルク、バター、そしてお肉。これを食べてもらえれば、きっと、内側から呪いを和らげてくれるはず)  料理場へ足を踏み入れた瞬間、匂いが刺さった。  焦げ。酸っぱい腐敗。湿った木。  そして、長い間“誰も料理をしなかった”空気。  割れた鍋、ひび割れた調理台、欠けた食器ばかり。床には乾いた泥と灰が薄く積もり、壁際の棚は半分倒れかけている。  荒れた台所は、村そのものの疲弊を映していた。  だが――使えないわけじゃない。  そのとき。 「私も、お手伝いしますよ」  ミストが、ひょこっと顔を出し、当たり前みたいにエレナの隣へ立った。  厨房の薄暗さに、あの明るさが差し込む。 「ミストさん……ありがとうございます……!」 「じゃあ、始めましょうか!」  軽い声。けれど、目は冗談を言っていない。 “やるぞ”の目だ。  二人で手分けして、なんとか
last updateLast Updated : 2025-06-09
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#32:見習いとしての葛藤

「うっ……」  窓の向こうに、淡い光が差していた。夜の静けさがまだ残っている――明け方。  喉が乾いていて、息が少し引っかかる。まぶたの奥が重く、身体は鉛みたいにだるい。 (どれくらい……寝てしまっていたんだろう)  エレナは天井を見上げ、ゆっくりと状況を確かめる。 (あれ……そういえば私、椅子で寝てたよね……?)  けれど今、身体の下にあるのは簡素なベッドの布団だった。誰かが運んでくれたのだろう。その事実が、胸の奥に小さく残る。 (……目が覚めたか、エレナ)  頭の中に、エレンの声が響く。 (あっ、おはよう……ごめん、私……どれくらい寝てたの?) (ざっと、一日半ほどだ) 「えっ!?」  思わず声が漏れる。 (……余程疲れたんだろう。無理もない。あの規模の呪いだからな) (そっか……そんなに寝ちゃってたんだね……) (ああ。だが、エレナ──君は本当によくやった) (……えっ?)  不意の言葉に、心が止まる。 (あの呪いを祓った実績……君は、もう“聖女”と呼ばれるに足る存在だと言えるだろう) (そ、そんな……! 私なんて、まだまだだよ!) (ふふ。君がどう思おうと──助けられた人々は、もう君を“聖女様”と呼ぶだろう。私は……君のことが、誇らしいよ) (さあ、エレナ。自分の目で見て来るといい。君が成し遂げたことを)  エレナは息を整え、布団の端を握った。まだ身体は重い。それでも、起きる理由は十分だった。  ゆっくりと足を下ろす。冷えた床が、現実を引き戻した。  そして──キィ……と小さな音とともに、扉を開ける。 「……!」  鼻先に届いたのは、薪が弾ける匂いと、湯気の甘い香り。頬に触れる空気が、外の冷たさとは違ってやわらかい。  目の前に広がっていたのは──焚き火の炎に照らされた、あたたかな光の世界だった。  子どもたちが笑いながら走り回り、足音が土をぱたぱた鳴らす。おじいさんやおばあさんは火のそばに寄り、湯気の立つ茶をゆっくり啜っていた。若者たちは焚き火を囲んで、手を叩き、歌うように笑いながら踊っている。  ――昨日までの、あの沈んだ空気が嘘みたいだ。  平和と、笑顔と、あたたかさに満ちた光景。  その中で、誰よりも先にエレナを見つけたのは── 「おう!! エレナ!! 目が覚めたか!」  グレンだった
last updateLast Updated : 2025-06-10
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#33:入門審査

 白亜の城壁が天を衝き、その威容を惜しげもなく誇る“記憶の街”メモリス。  一行は、その巨大な門の前で足を止め、入場審査を待つ人々の列に並んでいた。  行き交う人々の数は、これまで訪れたどの街とも比べものにならない。学者、商人、旅人、そして武装した護衛たち。  さらに警備兵の動きは一切乱れず、視線は鋭く、無駄がない。その佇まいから、この街が“守られるべきもの”を数多く抱えていることが、否応なく伝わってくる。  きっと――ここで暮らす者たちは、確かな秩序と安心の中で日々を過ごしているのだろう。  そんな整然とした空気を、乱暴に引き裂く声があった。 「まだなのか!? いつまで待たせるつもりだ! 早くメモリスに入れろと、私は言っているのだ!!」  声の主は、知性を誇示するような話し方をする中年の男だった。神経質そうな顔つきに、鼻の奥で光る眼鏡。わずかに上がった顎が、その尊大さを物語っている。  苛立ちを隠す気もなく、男は門番へと怒気をぶつけ続けていた。 「申し訳ございません。ただいま審査の途中でして……今しばらくお待ちいただけますよう」  門番は終始丁寧な口調を崩さない。その落ち着いた態度が、かえって男の神経を逆撫でしたのか、舌打ちが響いた。  そのときだった。  別の門番が、こちらへ向き直り、はっきりとした声で告げる。 「お待たせいたしました。ベルノ王国・王立マギア研究所所属、シイナ様ご一行。入場審査が完了いたしました。こちらへどうぞ」  その一言が放たれた瞬間。  眼鏡の男の表情が、驚愕に歪む。 「まて、まてまてまて!!」  堰を切ったような怒声が門前に響き渡る。 「なぜ私より後に来たその若造どもが、先に通されるのだ!? 由々しき事態である!! 説明しろ!!」  周囲の視線が、一斉に集まる。だが門番は、微動だにせず、ただ淡々と事実を口にした。 「申し訳ございません。この方々は、我々にとって“賓客”にあたられますので」 「はぁ〜!?」  男の喉から、甲高い声が漏れた。 「馬鹿馬鹿しい!! 私の時間が、あのような旅人風情の若者たちより軽いとでも言うのか!?」  拳を握り締め、吐き捨てるように続ける。 「私の研究成果の報告が遅れることによる損失を、貴様らは理解しているのか!?」  静まり返った門前で、その言葉だけが、空しく
last updateLast Updated : 2025-06-10
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#34:戦士の休息

「なんか……メモリスに着いたばかりなのに、もうくたびれたな……」 ぽつりと、シイナが本音を漏らした。 さっきまでの騒動の残響が、まだ耳の奥でくすぶっている。降り注ぐ陽光さえ、今日はやけに重たい。石畳の照り返しが目に刺さって、まばたきひとつにも疲れが滲んだ。 「…………はい」 「……ええ、まったくです」 エレナとシオンは、心の底からの同意を込めて静かに頷き合う。 疲労感と気まずさと、ツッコミ疲れ。それらがぐちゃりと絡まり合ったまま、パーティ全員の表情にありありと浮いていた。 「とりあえず、どうします? ここからは別行動にしますか~?」 ミストが、あえて空気を変えるように軽い調子で提案する。 「ああ、それがいいだろうな」 シイナがそれに頷いた瞬間──なぜかミストは満面の笑みで、天に向かってガッツポーズを突き上げた。 「やったーー!! これで心置きなく未知の探求に没頭できる! 研究の時間が来ましたよォォ!!」 ──その直後。 「えっ」 歓喜は、間の抜けた一言に変わった。 無言で差し伸べられたシイナの手が、寸分の狂いもなくミストの首根っこを掴んでいる。指先ひとつ動かせば逃げられるはずなのに、その“余地”ごと封じられていた。 「お前はダメだ、ミスト。俺と同じ“マギア研究所所属”だろう?」 そう言って、シイナはにこりと笑う。完璧に整った笑顔なのに、瞳の奥だけがまったく笑っていない。そこにあるのは優しさではなく、書類の山を前にした研究者の確信だった。 「さぁ、行くぞ。山積みの報告書が我々を待っている」 「アァァァァァ~!! 私の!! 知的好奇心と探究の自由がァァァ~~!!!!」 メモリスの美しい石畳に、儚い絶叫が吸い込まれていく。ずるずると引きずられていくミストの背中はあっという間に遠ざかり、角を曲がったところで完全に消えた。 エレナは、ただ呆然と見送ることしかできなかった。 「…………」 (…………) 隣に立つシオンへ視線を送ると、彼は何も言わずに静かに頷き返す。 その深い色の瞳の奥に、いつもの“彼”がいる──そう感じた瞬間、胸のどこかがきゅっと締まった。 (夜の街の時に感じた違和感は……気のせいだったのかな……?) その問いは、口に出せば壊れてしまいそうで、喉の奥に引っかかったままになる。 (気のせいではあるまい。私もあ
last updateLast Updated : 2025-06-11
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#35:錬金術

「待たせたな」 調理亭を出ると、店先のベンチに腰かけていたラムザスが視界に入った。 エレンが声をかけると、男は待ちくたびれた様子ひとつ見せず、滑らかに立ち上がる。 「いえいえ。では……参りましょうか」 ラムザスは当たり前のように隣へ並び、こちらの歩調にぴたりと合わせて歩き出した。石畳を踏む靴音すら、どこか品よく整っている。 「ちなみに旅の方、あなたのお名前は?」 「エレンだ」 「エレン……ですか。……はて、どこかで聞いたような……」 言いかけたラムザスの口元に、思わせぶりな弧が浮かぶ。 だが、エレンはそれを切って捨てた。 「そんなことはどうでもいい。この街は“記憶の売買ができる都市”で、間違いないな?」 その言葉に反応したのは、ラムザスの目だった。眼鏡のレンズが陽光を受けてきらりと光る。まるで獲物の匂いを嗅ぎつけた研究者のそれだ。 「えぇ。ですが……ひとつ、付け加えさせていただきましょう。この都市――メモリスは、記憶の売買ができる街であると同時に、“錬金術”にも深く通じた大都市なのです」 誇らしげに言い放つ声は、観光案内というより講義の調子だった。 錬金術。 “何かを代償に、別の何かを生み出す”――それだけで、腹の底がざらつく。対価が金属や宝石だけで済むならまだいい。だが多くの場合、取引に差し出されるのはもっと柔らかく、取り返しのつかないものだ。しかも、代償が大きいほど、得られるものの価値も高いと囁かれる。 「なるほどな」 (エレン……実際にやるわけじゃないけど……錬金術を使って、あなたの“身体”を作る……なんて、できたりしないのかな?) ふと、エレナの声が意識の奥で小さく揺れた。願いそのものが、怖いほどまっすぐだ。 エレンは即座に刃を落とす。 (……やめておけ) (えっ……) (何かを“代償”として差し出してまで手に入れるものなど、総じてろくなものではない。それに……私はこのままで、何一つ不自由していない) 迷いはない。 それは彼自身への戒めでもあった。 ――下手な願いを口にすれば、それを叶えるために、この心優しい少女が“何か”を差し出してしまうかもしれない。そう思うだけで、背筋に冷たいものが走る。 その時、ラムザスが街の先、天を突くように尖った塔を指さした。人の流れの向こう、白い建物の隙間から突き上がるそれは、
last updateLast Updated : 2025-06-13
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#36:記憶市場と記憶劇場

 二人が辿り着いたのは、都市の中央に口を開ける市場だった。 「こちらが、記憶市場《レム・マルシェ》となります」  ラムザスの声に促され、エレンは視線を巡らせ――思わず眉をひそめた。  ガラスケースにずらりと陳列されているのは、無数の“記憶結晶”。  光を孕んだ欠片が、整然と並び、店内の魔導灯を受けて淡く煌めいている。  札が、結晶の横に添えられていた。  ――“初めて恋に落ちた日の記憶”  ――“恐怖に震えた夜の記憶”  ――“家族と笑い合った休日の記憶”  人生の断片が、値札を付けられている。  温度を持つはずのものが、生命の輝きを剥がれ落とされ、ただの“商品”として棚に収まっている。  美術品。高級な嗜好品。  そんな言葉で飾り立てようと、エレンの眼には冒涜にしか映らなかった。 「こちらで、ご希望の記憶を購入することが可能です」  ラムザスが販売員に目配せすると、店員は慣れた手つきでひとつの結晶を取り出し、エレンの前へ差し出した。 「どうぞ。こちらは“家族からの無償の愛情”に包まれた、非常に純度の高い温かな記憶となっております」  “温かな”――その形容が、逆に薄ら寒い。  エレンの喉の奥に、言葉にならない苦味が溜まる。 「ふむ」  ラムザスは無言で結晶を受け取ると、まるで石ころを砕くみたいに指先へ力を込めた。  パリィン……。  乾いた音。  光が散り、誰かの大切な思い出だったものが、粉になって落ちていく。 「接続者ではなくとも砕けるよう、意図的に強度が調整されていましてね」  ラムザスは淡々と続ける。砕けた欠片を指先で転がし、感触を確かめるように目を細めた。 「……ええ、なるほど。これはごく平凡な家庭で、大切に育てられた少女の記憶のようですね。素晴らしい」  昆虫標本の鑑定みたいな口ぶりだった。  他人の人生の痕跡を、学術的な興味だけで切り分ける声。表情は微塵も揺れない。  その記憶を、本人が自ら“売った”のか。  それとも、売らざるを得ない場所へ追い込まれたのか。  真実は分からない。だが、どちらにせよ――腹の底から不快感が煮え立ってくる。 「このように、記憶は《記憶市場》で確かな“価値”として流通しています」  ラムザスはそう締めくくる。まるで誇らしげに。  その声音に宿る“当然”が、エレ
last updateLast Updated : 2025-06-14
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#37:伝説の給付服

ラムザスと別れた後、エレナは一人、メモリスの大通りを歩いていた。 陽光を浴びて輝く白亜の街並みは、まるで神々が住まう都のよう。けれど、そのあまりの美しさが、かえって人々の会話の歪みを際立たせていた。 「ねぇ、あの劇場でやってる『堕ちた英雄の物語』、もう観た!?」 「もちろん! 処刑される瞬間の絶望の記憶、最高だったわ!」 「前に買った『幸せな家庭の記憶』がすごく良くてさ……。だから今度は、もっと刺激的な裏切りの記憶が欲しいんだよな」 「わかる〜! 私は大魔法使いの『属性を上手く操るコツ』を探してるの。ちょっと高いけど、自分へのご褒美ってことで!」 街ゆく人々は、みんな笑顔を浮かべている。 だが、その笑顔はどこか借り物みたいに見えた。他人の人生を切り売りした記憶を消費して得た、束の間の高揚感。 この街の人たちにとって、記憶の売買はもう……食事や呼吸と同じ、当たり前の日常なのである。 その事実が、ただ歩いているだけで、痛いほどに伝わってくる。 (…………) エレンは、ラムザスと別れてからずっと口数が少ない。意識を代わってくれた後も、彼の心の中から感じるのは、静かで、氷のように冷たい怒りの感情だけだった。 きっと……彼が言ったように、この街の仕組みそのものに、強い嫌悪感を抱いているのだろう。 そんなことを考えながら歩いていると、突然後方から、やけに芝居がかった声が飛んできた。 「そこの可憐なお嬢さんッ!!!」 (……ん? まさかね) もちろん、エレナが呼ばれたなんて微塵も思わない。 (この街には、私なんかよりずっと綺麗な人がたくさんいるんだから。絶対、私の後ろを歩いている人のことだよね) そう思って真っ直ぐ歩き続けていると、目の前にひょいっと人影が躍り出た。派手な色合いの服を着た、少し目つきの鋭い男性が、エレナの行く手を塞ぐように立つ。 「ですから、あなた様のことですよ! 可憐なお嬢さん!」 「あっ……! えっ!? わ、私ですか!?」 「はっはっは! あなた様ほど可憐な方を、私は他に存じ上げませんとも!」 大げさな身振り手振りで、男は楽しそうに笑ってみせる。まるで街角の大道芸人みたいに、笑い声までよく通った。 (いやいやいや、そんなわけないでしょ! 普通、私のことだなんて思わないよ!)
last updateLast Updated : 2025-06-19
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#38:聖女、酒場に降臨す

 酒場の熱気は、すでに最高潮に達していた。  男たちの野太い笑い声。グラスがぶつかる高らかな音。注文を叫ぶ声が飛び交い、脂と酒と香辛料の匂いがむせるほど濃く漂う。全部が渦になって押し寄せ、エレナの頭の中をぐしゃぐしゃにかき回していく。 「うぅ……足が、もう限界……」  片手にお盆を抱えたまま壁際に身を寄せ、ほんの一瞬だけ休む。エレナは悲鳴を上げそうなふくらはぎをさすった。慣れないハイヒールが、体力を容赦なく削っていく。床は酒でわずかに湿っていて、踏み出すたびに神経が尖った。 (だいぶ様になってきたじゃないか)  意識の奥で、エレンの声が落ち着き払って響く。まるで戦場の報告でも聞くような調子だ。 (でも、この格好はやっぱり恥ずかしすぎるよ……)  薄い布地が肌に張りつくたび、周囲の視線が針みたいに刺さる気がした。笑い声の中に混じる「おい、見ろよ」という気配だけを、妙に拾ってしまう。 (何を今更。エレナ、恥ずかしいと感じるのであれば、いっそ一つの高みを目指してみるといい) (えっ……? な、何を目指すの……?)  あまりに突拍子もない言い草に、エレナの口が勝手に小さく開く。するとエレンは、武術の師が弟子に奥義を授けるかのような、やけに厳かな声色になった。 (『無我の境地』だ。雑念を払い、己を空にする……私でさえ容易には辿り着けなかった武芸の極みの一つだが、今の君には良い修行になるだろう) (………………)  冗談なのか本気なのか、その境目が見えない。そもそも、今のエレナが向き合っているのは剣でも拳でもなく、ハイヒールと視線と酔っ払いだ。助言が現状からかけ離れすぎていて、返す言葉が見つからないどころか、返す気にもならないといったところである。  ――まさに、その瞬間。 「エレナちゃん! お疲れ! いやー、すごく助かってるよ!」  店の奥からマスターが満面の笑みで駆け寄ってくる。頬は忙しさで赤く上気し、額には汗が光っていた。肩越しに見える店内は、立って飲む客まで出るほどの混み具合だ。 「あっ……あはは……そ、それなら良かったです……はい……」  エレナは口角を引き上げるので精一杯だった。笑顔のつもりでも、頬が引きつっているのが自分で分かる。 「お陰様で、見ての通り今は満員御礼だ! エレナが可愛いって噂を聞きつけて、わざわざ来てくれた人も
last updateLast Updated : 2025-06-29
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#39:喧騒の酒場、静寂の路地

黄金色のエールで満たされたジョッキが打ち鳴らされる高らかな音。燻された肉の香ばしい匂い。酔客たちの、熱気を帯びた陽気な声。 それらすべてが渦を巻く酒場の中で——エレナとミストの、奇妙な夜は始まった。 (うぅ……やっぱりダメ! 全然慣れないよぉ……!) エレナの意識の奥で、情けない声が小さく震える。 (さっきは、うまく出来ていたじゃないか?) 低く落ち着いた声が返ってくる。エレンだ。どこか淡々と、状況だけを切り分けている。 (ミストさんが来てから崩れちゃった……) 確かに、さっきまでとは違う。お盆を持つ手はロボットみたいにぎこちなく、客に声をかけようとすると喉がひゅっと細くなる。目の前の喧騒が、急に“正解のない試験会場”みたいに見えてしまう。 だが——隣にいるミストは、本当にすごかった。 「はいはいー! こちらエール酒になりますー!」 よく通る声が、怒号と笑い声の海を軽やかに割る。ミストは、喧騒という海を誰より自由に泳ぐ人魚みたいだった。太陽みたいな笑顔ひとつで、空気の温度まで上がっていく。 「メガネの嬢ちゃん、こっちも追加で頼む!」 「はい、ただいまー!」 ひらり、と。蝶が舞うように人混みをすり抜け、的確に注文の品を届けていく。その一連の動きに、無駄がない。ぶつからない距離、注文の優先順位、客の機嫌の波——全部を体で覚えているみたいに迷いがなかった。 (すごい……。私とは大違い……) 「おっ! もう飲み干したんですね! いやー、いい飲みっぷりですねぇ!」 「だはは! とびきり可愛いあんたたちがいるからな! 酒が進んで仕方ねぇってもんよォ!」 「またまた〜! じゃあ、お次は感謝を込めて、ちょっとだけ量をサービスしちゃいますね!」 客の笑い声が弾け、机を叩く音が重なる。ミストはその反応を“偶然”にしない。表情、声の高さ、酒の減り方——拾った情報を瞬時に組み替えて、一番喜ぶ返しを投げる。 バニーガールという格好ですら、恥じらいの対象じゃないのだろう。むしろ“客の心を掴むための舞台装置”として、最大効率で使いこなしているように見えた。 屈託のない笑顔でさえ、好感度を最大まで引き上げるための、完璧に調整された表情なんじゃないか。そんな疑いが浮かぶほどだった。 エレナがただ呆然と立ち尽くしていると、エレンが心の中で、どこか慄然とした声で
last updateLast Updated : 2025-07-30
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