All Chapters of Soul Link ─見習い聖女と最強戦士─: Chapter 31 - Chapter 40

116 Chapters

#30 :聖なる弓

 ベルノ王国の王都ベルステラを発ってしばらく。  一行は鬱蒼と茂る森の奥を進んでいた。  頭上の梢が幾重にも折り重なり、月明かりさえ届かない。先頭を行くグレンの掌から立ち上る炎が、唯一の灯。橙の光は木々の幹を舐めるように這い、一行の足元に揺れる影を落としていた。  その炎が、ふいに止まる。 「……! 止まれ」  短く、鋭い。グレンの声は普段の荒々しさを削ぎ落とし、刃の背のような硬さを帯びていた。 「ど、どうしました?」  エレナの問いに、答えは返らない。代わりに、グレンの目つきが変わる。橙の光に照らされたオレンジ色の瞳が、闇の奥へ向けて細く絞られた。指先が、ゆっくりと腰の剣へ伸びていく。 「何かいるな。それもかなりの数だ」  シイナの声は、低く、平らだった。両手のガントレットの指先が、僅かに鳴る。鉄が鉄を噛む、密やかな音。  その隣で、エレナの足が止まった。  シイナの声は、低く、平らだった。両手のガントレットの指先が、わずかに鳴る。鉄が鉄を噛む、密やかな音。  その隣で、エレナの足が止まる。 (えっ……なに……!?)  彼女の視界には、ただ闇が広がっているだけだった。木々の輪郭と、グレンの炎が照らす範囲。それより先は黒く沈み、耳を澄ませても、自分の呼吸と遠くで葉が擦れる音しか拾えない。 『魔物の気配だ。この数、かなり多いな。それに、このタチの悪い気配は……アンデッドだ。恐らく、スケルトンだろう』  頭の奥へ、エレンの声が静かに落ちる。湖面に小石を置くような、波立たない響きだった。 『ど、どうしてみんなそれが分かるの……? 私は、ちゃんと意識しないと全然分からないのに……』 『そこが違うんだよ、エレナ。君は意識して探れば、魔物の気配そのものは拾える。だが、今みたいに不意に現れた相手を咄嗟に捉えるのは、まだ難しい』  エレナが息を詰める。 『あ……』 『他の連中が先に反応したのは、殺気や気配の揺れを反射的に読んだからだ。君の感知とは、少し種類が違う。長年戦ってきた者の勘……そう思っておけばいい』  わずかな間を置いて、エレンの声に薄く感心が混じる。 『とはいえ、前の連中もなかなかやるな。ちゃんと気配を掴めているじゃないか』  その時、空気が動く。  最後尾にいたはずのシオンの姿が、音もなくエレナの背後に滑り込んでいた。
last updateLast Updated : 2025-06-09
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#31:聖女の線引き

 最後の一体が、シイナのガントレットに砕かれた。  鈍い衝突音とともに頭骨が潰れ、白い破片が夜の地面へ散る。つい先ほどまで森を埋めていた骸の群れは、そこですべて沈黙した。踏み荒らされた土の上には骨片が幾重にも散らばり、炎に炙られた木々の影が、その白さをまだらに染めている。 「はぁ……っ、はぁ……っっ……!」  シイナが肩で息をしていた。両腕を下ろしたまま、荒く呼吸を繰り返す。その少し先では、グレンが剣を肩に乗せたまま大きく首を回した。 「あ゙〜……疲れたぁ……。なんだよあの量……」 「ああ……。軽く三桁は討伐しただろうな……。俺たちだから良かったが、駆け出しの冒険者が同じ目に遭っていたら、大変なことになっていたぞ……」  シイナの言葉に、グレンがげんなりした顔のまま空を仰ぐ。周囲にはまだ骨の欠片が転がり、焦げた匂いと土埃が薄く漂っていた。 「み、皆さん大丈夫ですか?」  少し遅れて、エレナが三人の顔を見回した。グレンはその声に片手だけ上げる。 「もう動けねぇよ〜……。久しぶりにこんなに動いたぜ」 「ですが、ここにいてはまた魔物が湧くかもしれません。一度、もう少し開けた場所へ移動しましょう」  シオンは乱れの少ない姿勢のまま、暗い森の奥へ視線を向けていた。トンファーを下ろしたあとも立ち位置は変わらず、周囲を警戒する目だけが静かに動いている。 「そ、そうだな……。ここはシオンの言う通り、先に進もう」 「まじかよ〜……」  グレンがその場に大の字で倒れ込んだ。  エレナはそちらへ歩み寄ると、その上からそっと手を差し出す。 「グレンさん、大丈夫ですか?」  グレンは地面に寝たまま、差し出された手とエレナの顔を見比べた。それから短く息を吐いて、手を取る。 「……しょうがねぇ。移動するか」  もちろん、体重を預けるようなことはしなかった。自分の脚で立ち上がりながらも、差し出された手は最後まで離さない。そのまま立ち上がったグレンが、口元を少し緩める。 「ありがとな。エレナ」 「いえ。グレンさんは最前線で、たくさんのスケルトンを討伐してくださいましたから……。行きましょう」  エレナが小さく頷く。グレンはその横に並び、今度はきちんと足を前へ出した。  一行は再び森の中を進んだ。踏みしめるたび、砕け残った骨が足元で小さく鳴る。先頭ではシオ
last updateLast Updated : 2025-06-09
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#32:焚き火の温もりと黄金の贈り物

 エレナは焚き火の輪から少し離れた場所で、ポーチから黄金色の魔晶石を取り出していた。  掌に乗るほどの小さな石が、夜気の中で淡く光を返す。それを一つずつ、テントを囲むように地面へ置いていく。等間隔になるよう位置を確かめ、草をかき分け、また次の場所へ移る。その後ろには、一定の距離を保ったままシオンが立っていた。 「エレナ様」 「はい?」 「それは……一体……?」  シオンの視線は、エレナの指先から地面へ置かれた石へと落ちていた。  近くに魔物の気配はない。それでも護衛として外すつもりはないのか、彼は周囲への警戒を残したまま、エレナの作業を見守っている。 「あっ、これはですね。魔晶石というものです。でも、ただの魔晶石ではなくて、私の魔力を注ぎ込んだもので。これを置くと、魔物は嫌がって寄って来られないのですよ」 「そんな便利な物があるんですね」 「ええ。あっ、そうだ。シオンさん、こちらを」  エレナはそう言って、ポーチの中からさらに三つ取り出した。指先で包むように持ち、振り返ってそのままシオンへ差し出す。 「これは?」 「本日のお礼です。私をたくさん守ってくださいましたから。それに今も。ささやかな気持ちですが、受け取っていただけると嬉しいです」  シオンは一度エレナの顔を見て、それから差し出された石へ目を落とした。 「ありがとうございます」  静かな声で礼を述べ、三つの魔晶石を受け取る。  エレナが渡したそれは、どれも澄みきった黄金色をしていた。魔晶石は品質によって価値が大きく変わる。不純物の少ないものほど色と光が安定し、込められる魔力の通りもいい。  その中でも、今シオンの手にあるものは別格だった。聖堂の権威のもとで管理される品の中でも随一の質を誇る、最高品質の魔晶石。単体でも金貨五十枚に届きうる代物であり、そこへ未来の聖女たるエレナ本人の魔力が注がれているとなれば、希少価値はさらに跳ね上がる。  夜の森で気軽に手渡されるには、あまりにも重い品だった。  だが、そのやり取りに待ったをかけたのは、頭の内側から響いた別の声。 『待て、エレナ』 『ん? なに?』  エレナの指先が、次の魔晶石を取り出しかけたところで止まる。 『その魔晶石を渡すのは構わないが、その価値を君は分かっているのか?』 『え? 特に意識したことはないけど…
last updateLast Updated : 2025-06-10
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#33:夜を待つ街の午後

  翌日。一行はすでに身支度を整え、目的地である『夜の街』へと辿り着いていた。  街の入口には、やけに丁寧な看板がひとつ。 『夜の街へようこそ。この街は昼の間、おやすみとなっております。冒険者の皆々様にはご不便をおかけしますが、昼間は宿を無料開放しておりますので、どうぞごゆるりとおくつろぎください』  文面は行き届いている。なのに、その先に広がる街並みは文字通り眠っていた。人の気配は薄く、通りを抜ける風の音だけが、やけに遠慮なく耳に届く。 「ここが、夜の街……?」  エレナは看板を見てから、もう一度街へ視線を戻した。  建物は多い。道幅も広い。宿屋らしき建物もいくつか見える。街の規模としては決して小さくないはずなのに、静けさだけが不自然に濃く沈殿していた。そのせいか、薄気味悪さがかえって際立つ――眠っているというより、息をひそめている、という方が近いかもしれない。  エレナの目が、街とシイナの顔を何度か行き来する。 「エレナ様、ここは夜の街。ベルノ王国の外れにある、比較的大きな街です」 「そうなんですね」 「今は静かですが、夜になればこの静けさとは裏腹に、かなり賑やかになりますよ。楽しみにしていてください」  そう言ったものの、シイナは空を見上げて少し眉を寄せる。 「……と言っても、まだだいぶ時間があるか」 「そうだなぁ。ふぁ……」  グレンが欠伸をひとつ漏らし、そのまま大きく背伸びをした。昨日の疲れがまだ肩のあたりに居座っているのか、首をごきりと鳴らして、気の抜けた顔をぶら下げている。 「ひとまず、別行動を取るか。俺もマギア研究所に提出する書類があってな……。少し進めておきたい」 「じゃあ、オレは宿に行って寝てるぜ」  即答。  シイナは呆れたように息をひとつ落として、今度はシオンへ目を向けた。 「シオンはどうする?」 「そうですね。私はこの付近で筋肉トレーニングでもしています。筋肉は裏切りませんから」  いつも通りの落ち着いた口調で、シオンはさらりと言ってのけた。  その瞬間である。  グレンが腹を抱えて笑い出す。目尻には涙まで浮かべて、肩を震わせている。 「あっははははっ!! なんだお前、そんな可愛い顔して、筋トレなんかしてんのかよ!」  ――言葉が放たれた直後、空気の質が変わった。  シオンの周囲だけ、ひや
last updateLast Updated : 2025-06-10
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#34:襲撃

 巨体が姿を現したその瞬間、少女の金髪は白銀へと流れ落ち、碧の瞳には深い紅が滲んでいた。エレナからエレンへ——魂の主が、入れ替わったのである。 「やれやれ。これはまた物騒なものが現れたな」 『大丈夫? でも……なんでゴーレムがこんな所に?』 『さあな。そんなものは専門家にでも聞いてみないと分からん。だが――あの敵意の出方を見るに、街の守衛機構が暴走した、といったところか』  言葉を終えるより早く、エレンの足は既に石畳を蹴っていた。腰元の《ハコベール》から引き抜かれた剣が銀の弧を描き、一直線に間合いを潰していく。刃はゴーレムの腹部へ鋭く吸い込まれ――しかし返ってきたのは鈍い音ひとつ。ねずみ色の表面には、傷の一筋も浮かばなかった。 「やはり硬いか」  ゴーレムが踏み込むたび、通りには重い振動が伝わっていく。エレンは正面から受けることをしない。身を翻し、突進を風のように受け流した。巨体の脇を抜けざまに宙へ跳び、全身へ視線を走らせる。そして着地と同時に、呟きは短く落ちた。 「……見つけた」 『なにを?』 『コアだ。ゴーレムとは、古の時代に存在した属性――いや、魔法と呼ぶべき力によって生み出された産物だと聞いた覚えがある』  向き直った紅の瞳が、土塊の継ぎ目の奥を射抜くように捉えていた。 『エレンの記憶力ってどうなってるの……?』 『今やゴーレムは、世界でも数体しか残っていない、だったか。だが、こうも襲われてはたまらん。管理を怠った者が悪い』 『だ、ダメだよエレン! 夜になったら直せるかもしれないんだし……!』 『はてな。あと数時間、ひたすら逃げ続けろということか?』 『うぅ……! でも……!』 『なに、壊したところで、土に触らなければこの人形も次のゴーレムの糧になるだろうさ。まあ、作れればの話だがな』  エレンは再び石畳を蹴った。腰元の《ハコベール》に差し入れた手が引き抜いたのは、赤紫色の植物——奇妙な取り合わせである。そのまま間合いへ潜り込み、剣を力任せに突き立てた。  硬質な音が、通りに弾ける。刃先は途中で欠けたものの、ねずみ色の腹部にはわずかな亀裂が確かに走った。エレンがその一瞬の隙を見逃すはずもない。できたばかりの裂け目へ、赤紫の植物はねじ込まれた。 『エレン、今のはなに?』 「ボムベリー。強い衝撃を与えると起爆する代物だ」
last updateLast Updated : 2025-06-11
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#35:汚れた魂の裁き

「くっ……!!」 (速すぎてもはや見えん……!)  雷を引いたような踏み込みが迫る。エレンは上体を大きく逸らし、その一閃を紙一重で外した。視界では追えない。だが、男の気配は依然として真っ直ぐ伸びている。読むべきものがそこに残っている限り、躱す手はある。もっとも、その速さがエレンの優位を揺るがし始めていることもまた、確かだった。  仰向けに近い姿勢のまま、両手を頭上へ伸ばして石畳を押す。跳ね上がるように持ち上がった脚が、そのまま男へ放たれた。男は咄嗟に両腕を差し込み、蹴りを受け止める。 (今だ……!)  刹那、エレンの身体が背後の壁を駆け上がった。そのまま宙へ跳ぶ。傍目には、自ら浮いた的になったように映るだろう。だが、エレンが狙っていたのは、まさにそこだった。 「……!」 「来いっ!!」  挑発に応じるように、男が踏み込んだ。居合の軌道が雷を引き、残像を置き去りにしながら一直線に迫る。  それでも、エレンの視線はもはや速さを追ってはいない。見ているのは、ただ気配だけ。目の前の男から放たれる濃密な圧が、刃の届く先を先んじて告げてくる。  空中に浮いた状態が的になるのは確かだ。だが、空中でなお身を捌けるなら話は変わる。相手が自分を狙って飛び込んでくると分かっているなら、その進路は限られる。  しかも男の斬撃は、雷の速度をそのまま乗せた直線的な踏み込みが核だ。ならば、自分が跳び、相手を一方向へ誘い込めばいい。どれほど速くとも、来る軌道が一つに絞られた瞬間、その狙いは手に取るように見えてくる。 「……!?」  空中で閃いた刀を、エレンの剣が真横から弾いた。男の目が大きく見開かれる。だが、そこで終わらせるつもりはない。エレンはさらに上体を倒し込み、振り抜いた脚を男の首へ絡めた。 「はぁっ!!」  そのまま身体をひねり、勢いごと叩きつける。男は身を戻す暇もなく、頭から地面へ激突した。  轟音とともに石畳が沈み、そこを起点に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。叩きつけられた威力は、その割れ方だけでも十分に知れる。 「はぁ……はぁ……」 『あのエレンが、息切れなんて……』 『言っただろう……群を抜いて強いと。一度でも読みを誤れば、この首と胴は分断されていた。だが――』  白銀の髪を揺らしながら、エレンが土煙の先を見下ろす。 「私の勝ちだ」  やがて立
last updateLast Updated : 2025-06-13
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#36:新たな仲間

 日が傾き、街並みに夕暮れの色が差し始めていた。石畳の上に長く伸びた影を踏みながら、エレナは仲間たちのもとへと歩を進めていた。屋台の呼び声が遠くで細く揺れ、軒先のランタンがひとつ、またひとつと灯されていく。 『それにしても……あのジンって人、なんか引っかかるんだよね』 『……ああ。あの飄々とした態度、人の神経を逆撫でする声。今思い出すだけでも腹立たしい』 『そ、それは言いすぎだよ……』 『事実を述べたまでだ。だが、それより。君はもっと怒るべきだ』  エレナの歩幅が、ほんの半歩だけ緩む。 『えっ?? それはどうして……?』 『君は死にかけたんだぞ? まあ……私が今まで捕まえてきた悪人どもに恨まれ、その果てにあいつが現れたのだとしたら、責任の一端は私にあるが……』  夕風が金髪の先をかすかに揺らした。エレナは前を向いたまま、胸のうちで首を振る。 『うーん……でもさ、無事だったわけだし! それに何度あの人が来ようとも、あなたが私のことを守ってくれるでしょ?』 『……はぁ。時折、君の信頼が重いと感じる時があるよ』 『それでも、あなたはそれに応えてくれる』 『やれやれ、困った聖女様だ』  その一言に、エレナの頬がぴくりと跳ねた。 『あっ!! またその呼び方した!! やめてって言ってるのに!!』 『知らんな』  どこ吹く風の返事に、エレナは口を尖らせる。その内側のやり取りと歩調が噛み合うように、ちょうど街の入口が視界に開けた。石造りのアーチの手前、夕陽を斜めに受けて立つ人影がひとつ。シオンだった。  片手には革表紙の本。伏せた睫毛の下に視線を落としたまま、静かに頁を追っている。ただ立っているだけなのに、そこだけ風の通り道が違うように見えた。通りすがりの行商人が一度ちらりと振り返り、そのまま足を速めていく。 「シオンさん、戻りました」  本が、小さな音を立てて閉じられる。シオンは顔を上げ、いつもの穏やかな一礼を寄越した。 「エレナ様。おかえりなさい」 「ええ、他の皆さんは……?」 「他の者も、もう間もなく戻ってくると思いますよ。グレンも先ほど起きてきたようでして。それでも時間を持て余したのか、剣の素振りに行きました」  言いながら、シオンはちらりと街路の奥へ視線を滑らせる。 「シイナは、……あちらに」  つられてエレナがそちらを見
last updateLast Updated : 2025-06-14
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#37:透ける街の、優しい夜

 やがて、夜の帳がすっかり街を包み込んだ。昼のあいだは静まり返っていた通りにも、いつのまにか人影が増えている。行き交う住人たちを見て、エレナは思わず何度も目を向けた。 「うそ……! これって……」 『やはりな。昼は静かなのも納得だ』  街を歩く者たちの身体は、淡く透けていた。輪郭は人のままそこにあるのに、足元は夜気に溶けるように曖昧で、地面の石畳さえ向こう側に見えている。幽霊《ゴースト》。それがこの街が夜の街と呼ばれる理由であり、昼の静けさは、彼らが眠る時間だからこそのものだった。 「……!!」  その光景を前に、エレナの肩がびくりと跳ねる。指先はぎこちなく縮こまり、足取りも目に見えて鈍くなった。聖属性を宿す彼女は、アンデッドに対して絶対的な優位を持つ。それでも、こうした存在そのものに苦手意識があることだけは、どうにもならないらしい。  その時、ふいにやわらかな手がエレナの肩に触れた。 「エレナ様、大丈夫ですよ」 「ミ、ミストさん……」  振り返った先で、ミストはいつもの勢いを少しだけ引っ込めた声で続ける。 「彼らは、確かにゴーストです。ですが、この街を見てわかる通り、彼らに敵意はありません。きっと誰かを呪おうとすることも」  ミストはそう言って、賑わい始めた夜の通りへ視線を向けた。 「ここでの彼らは、私たちとは別の派生へ進化した、新しい生命体と定義づけた方がよいかもしれませんね」 「で、でも……!」  エレナが言いかけた、その背後から、しわがれた声がそっと落ちた。 「こんにちは……」  いつのまにか、老婆の霊がすぐ後ろに立っていた。エレナは小さく跳ねるように身を浮かせ、そのまま凄まじい勢いで後方へ飛び退く。 『今、すごい動きをしたな……』 「ふふふ……。大丈夫だよ……。なにも取って食おうだとか、そんなつもりはないからね……」 「エレナ、大丈夫だぜ。オレは何度かここへ来てるんだが、ここで暮らす人たちはみんないい人たちばかりだ」  グレンが肩越しにそう言うと、老婆はゆっくりと目を細めた。 「怖がらせてごめんよ……。ゆっくりしていっておくれ……」  そう言い残し、老婆の霊は足音もなく滑るように通りを去っていく。 「エレナ様、行きましょう?」 「……え、ええ」 「とりあえず、宿だな。宿へ行こう」  ✦ ━━━━━━━━━
last updateLast Updated : 2025-06-19
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#38:未熟だからこそ、進む夜

 夜の街へ足を踏み入れた一行を、無数のランタンが柔らかな灯りで迎えた。通りの両脇には淡い光が連なり、石畳の上に揺れる橙色の明かりが、行き交う影をやさしく照らしていく。 「いらっしゃい……。これを食べていかないかい……?」  道端の屋台から、年配の男が湯気の立つ包みを差し出した。 「寒いだろう……。これを羽織りなさい……」  別の店先では、老婆が厚手の上着を両手に掲げて声をかける。 「やすいよー……やすいよー……。商品を買うなら、ぜひ寄っていってね……」  通りの向こうからは、女の張る声が夜気を撫でるように届いた。  街のあちこちから向けられるのは、警戒でも不気味さでもない。どれも、冷えた身体を気遣うような、穏やかな声音ばかりだった。  エレナは足を止めこそしなかったが、肩に入っていた力は、歩くうちに少しずつほどけていく。差し出された品々へ視線を向け、ぎこちなくも小さく会釈を返す横顔から、先ほどまでの強張りが薄れていた。 (みんな……優しい)  夜の街と聞いたとき、胸に浮かんだのは冷えた空気と、人を寄せつけない静けさだった。まして、ここが|幽霊《ゴースト》の街だと知った直後ならなおさらだ。  だが、実際にこの街へ出てから触れるものは、そのどれとも違っていた。 (夜の街……かぁ……。|幽霊《ゴースト》の街って聞いたから、冷たいものだって勝手に思い込んでたけど……。全然、違うんだ……)  通りに灯る明かりを見上げたあと、エレナは少しだけ視線を落とした。自分の抱いていた印象を辿り直すように、まつげがわずかに伏せられる。  苦手なものが、たった一度で消えるわけではない。それでも、街へ向けていた身構えの内側に、別のぬくもりが静かに入り込んでいた。 「エレナ様、どうですか?」  隣を歩いていたシイナが、歩調を緩めて声をかけた。 「えっ……?」  呼ばれて顔を上げたエレナへ、シイナはいつもの落ち着いた調子で続ける。 「どうやら、緊張もだいぶ抜けたみたいなので」 「そう……ですね……」  エレナは通りを見回し、やがて自分の胸元に手を添えた。 「私の認識とは、たしかに違いました。この街の人々は暖かくて、思いやりに満ちています。でも、私はそんな彼らを……」  言葉はそこで細くなり、続きは夜気の中へ溶けていく。 「それは仕方ありませんよ」
last updateLast Updated : 2025-06-29
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#39:透けた体と響く叫び

 エレナとミストが幽霊体験の列に並んでいる間にも、人の列はじわじわと後ろへ伸びていった。振り返れば、そこにはいつの間にか大きな人だかりができている。 (みんな、この幽霊体験をしてみたいんだろうな)  前を向き直したエレナが、列の先を見ながら口を開く。 「もうすぐ私たちの順番みたいですよ」 「ふ……ふふふふ……」  隣から漏れた含み笑いに、エレナはそっと顔を向けた。ミストは目をきらきらと輝かせ、今にも飛び出しそうな勢いで両手を握りしめている。 「ミ、ミストさん……?」 「前回は驚きのあまり、メモを取れませんでしたからね……!! 今回こそは、幽霊になれる時間、さらにはどういった特徴なのか、じっくり味わわなければ!」 (なんとなく……ミストさんがどんな人なのか、分かってきたなぁ……)  そう思いながらも、エレナの表情はやわらかいままだった。勢いに圧倒されることはあっても、それだけで片付けられる人ではないと、もう分かっている。 (出会ってからまだそんなに経っていないのに、ミストさんには何度も助けられてる。かけてくれた言葉も、ただ明るいだけじゃなかった。ちゃんと相手を見てて、優しくて……それに、すごく頭がいい)  聖堂で耳にしてきた修道女たちの話が、ふと頭をよぎる。議論ばかりで、人の心は後回し。そんな話を聞くことも少なくなかった。けれど、目の前にいるミストを見ていると、それがすべてではないのだと分かる。 (実際に見るまで、分からないことってあるんだな)  やがて列が進み、エレナたちの番が回ってきた。  屋台の奥には、おおらかそうな女性の霊が立っていた。こちらに気づくと、女性はふわりと手を振る。 「どうも……。初めに、この薬の説明をさせていただきますね……。こちらのお薬は、我々の体を分析し、幽霊――つまり、死後の身体がどうなるのか……そういった体験が可能なお薬となっています……」  穏やかな声のまま、女性は続ける。 「ごく稀にですが、具合が悪くなったりするケースもあるので……。大丈夫でしょうか……?」  エレナは小さくうなずいた。 「はい。そのお薬をひとつ、いただけますか?」 「かしこまりました……。では、銀貨二枚になりますね……」  代金を受け取ると、女性は薬を差し出しながら、やわらかく目を細めた。 「ありがとうございます……。楽し
last updateLast Updated : 2025-07-30
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