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10.去り際に残る熱

Author: 中岡 始
last update Last Updated: 2025-11-27 16:28:20

寺の門を出ると、冬の光はすでに傾きはじめていた。

境内にいたときより、外気は一段と冷たく、頬を刺す風が容赦なく吹きつける。

けれど、浩人の胸の奥にある熱だけは、風に晒されてもまるで冷える気配がなかった。

坂道はゆるやかに伸びている。

足を踏み出すたび、靴底に伝わる硬いアスファルトの感触が、妙に鮮明だった。

外の匂いは乾いていて、寺の庫裏で感じた温かい匂いが、まだどこか鼻の奥に残っている。

隆寛と交わした言葉は、ほんの数分。

それも、傷つかないための距離を置いた形式的なものばかり。

昔のように名前を呼ぶことも、触れることもできなかった。

それなのに――胸の奥の熱は、どういうわけか増していた。

隆寛が言った「僧侶として」の言葉。

僧衣の袖が震えた、あの一瞬。

視線が泳いだときの、あのかすかな呼吸の乱れ。

そして。

耳に残った、あの小さな穴。

浩人は歩く足を止めた。

夕暮れ前の薄い光が、道の先をぼんやり照らしている。

風が吹き抜け、コートの裾を揺らした。

その冷たさに、思考が余計に冴える。

(……残してたんだよな。あの穴)

思い返すだけで、胸が熱くなる。

隆寛が、自分で開けたピアスでもない。

浩人が開けた穴だった。

大学の部屋で。

深夜、息を詰めながら、隆寛が痛みに眉を寄せて、

「……痛い。でも……お前がやるならいい」

そう言った声まで蘇る。

その痕跡が、今も残っている。

修行の一年で、あらゆる執着を断つはずの時期でさえ、

隆寛はその穴を消さなかった。

どういう理由であれ――消せなかった。

あるいは、消したくなかった。

その事実が、言葉よりも正直だ。

坂道を再び歩きはじめると、風の音が耳に流れ込んでくる。

冷たいはずの風なのに、胸の中心から熱がじわりと広がる感覚があった。

(……あいつ、俺を嫌ってはいない)

確信に近い感情が、ゆっくりと形を持ちはじめる。

僧侶としての仮面の裏に、押し殺した何かがあった。

逃げようとしていた。

けれど、逃げる理由は憎しみでも拒絶でもなかった。

もし本当に終わっているなら、

あんな顔はしない。

あんな呼吸の仕方はしない。

目を泳がせたりしない。

ピアスホールなんて、消している。

全部が証拠だった。

坂道の途中で、浩人は一度だけ振り返った。

寺の屋根が夕日にかすかに照らされ、黒々としたシルエットになっている。

隆寛は、あのどこかにいる。

僧衣をまとって、きちんとした呼吸で、自分を律している。

けれど――

ほんの少しだけ、あの目は揺れていた。

見なかったふりをしているだけだ。

自分の感情も。

自分が残してしまった穴の意味も。

風が再び吹き、額にかかる髪が揺れた。

冷たさが皮膚を刺すのに、内側からは熱がせり上がる。

「……まだ終わってねえんだよ。俺たち」

声にすると、その熱が少しだけ楽になった。

吐いた息が白く浮かび上がり、すぐに風にさらわれて消えていく。

けれど、その代わりに胸の奥の確信は濃く、形を持った。

逃げてもいい。

僧侶として距離を置きたければ置けばいい。

ただ――

あれは終わりの顔じゃない。

浩人は再び歩き出した。

足取りには迷いがない。

坂道の先に広がる街は灰色で、夕暮れは寒々しい色をしていたが、

自分の呼吸だけは熱を帯びている。

胸の奥で、燻っていた熱はもはや炎のように形になりつつあった。

風が吹いても消えない。

冷気を浴びても冷めない。

むしろ。

隆寛が逃げれば逃げるほど、

その炎は強く、濃く、激しくなっていく。

気づけば、浩人の唇に微かな笑みが浮かんでいた。

これはもう偶然ではない。

会いたくて来た。

逃げようとしている隆寛を、見逃すつもりもない。

坂を下りきる頃、冬の空は淡い灰色へと変わっていた。

その下で、浩人の胸だけが確かな熱を灯し続けている。

――再燃は、もう始まっている。

そう言い切れるほどの熱が、確かにそこにあった。

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