文脈を丹念に辿ると、'如何せん'は掛け声のように場の空気を決定づける役割を果たすことがあると私は見ています。若い頃に散らばった古典を読み直していて特に惹かれたのは、語の使われ方が場面の力学をあぶり出すところです。ある場合は問いかけ、別の場合は
嘆息となる—この二面性を明確に区分するために、研究者たちは周囲の助詞や接続、話者の立場を詳細に検討します。
例えば'徒然草'や語りの随筆ジャンルでは、筆者の内的な観察や諦念が表現される文脈で「如何せん」が使われることが多く、そこでは「どうしようもない」という哀切な意味合いが強く読まれます。一方で、叙事的な物語では登場人物の行動選択を迫る表現として機能し、研究者はそれを問いかけとして扱います。語の意味は固定されていないため、統語論的手掛かりだけでなく、歴史的な語法の変遷や作者固有の表現癖も参考にされます。
私の観察では、現代語感覚で一義的に決めつけると見落とすことが多いです。だから学術的な解釈は柔軟であるべきだと感じますし、読む側も文脈ごとに意味を調整しながら楽しむのが得策だと思います。