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君よ、彼女を探して

君よ、彼女を探して

By:  小燈Completed
Language: Japanese
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「離婚したいんです!」 結婚三年目、宮本友梨は離婚を決意した。

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Chapter 1

第1話

「藤崎さん、私、立花市へ行きます。あなたの妹さんの心療内科医になりましょう」

白鳥未央(しらとり みお)の落ち着き払った声が鳴り響いた。

電話の向こうの男は低く意外そうな声を出した。

「白鳥さん、あなたはもう結婚したと聞きました。ご家庭のことが心配でしたら、あなたの旦那さんとお子さんの都合も考えますよ」

旦那と子供?

未央は視線を下に落とした。そう遠くないところにうっかりひっくり返してしまった牛乳が床にぽたぽたと滴っている。

彼女は突然、朝、彼女が牛乳をひっくり返してしまった時、息子が嫌悪の目つきで見つめているのを思い出した。

「ママ、どうしてこんなちょっとしたこともできないの?もし雪乃さんだったら、こんなことしないよ?ママって本当に雪乃さんには遠く及ばないよね」

息子が言うその「雪乃さん」という人物は、夫である西嶋博人(にしじま ひろと)の浮気相手である綿井雪乃(わたい ゆきの)のことだ。彼女はバレエダンサーとして有名な女性で、「白鳥の湖」を躍らせると、それはそれはまるで夢の中の幻想のようで、小さな息子でさえもそれに憧れの目を向けるほど美しかった。

その時、博人は息子の言葉を聞いて、息子を叱ることもなく、ただ冷ややかな嘲笑するような目つきで彼女を見ていた。「この女がどうして雪乃さんと比べられる?昔お前の母さんがあんな小細工して仕掛けてこなけりゃ、俺はこんな女と結婚なんかしなかったってのに……」

彼女と博人は結婚7年だ。彼女のほうは7年間も博人に片思いをしていた。

結局この二人はある予想外なことがきっかけで関係を持ってしまい、子供ができてしまって結婚することにしたのだった。

西嶋家は財閥家で、彼女は博人と結婚した後、西嶋家から仕事をやめるように要求された。そして、全てを懸けて博人の良い妻となり、夫に尽くし子供をしっかり育てろと言われたのだ。息子の西嶋理玖(にしじま りく)をしっかりと教育するべきだと。

未央は息子のために結局はそれを受け入れ、仕事をやめ、家事を全部こなす専業主婦になり、熱心に夫と息子の世話をしていた。

それから7年という時が流れたが、彼女の息子と夫の心に住みついているのは彼女ではなく、他所の女だった。

息子がいつも「ママ、どうしていつもパパにわがままを言うの?ママが何もできないから、パパに嫌われたって当然だよ。もし雪乃さんが僕のママならよかったのに」と言っているのを思い出した。

未央は目線をまた元に戻し、少しうわずったような声で言った。「藤崎さん、いいんです」

夫と息子の二人とも雪乃を自分たちの妻と母親にしたいと思っているのだから。

それなら彼女は彼らの望みを叶えてあげるまでだ。

夫も息子も、いらない。

未央は藤崎悠生(ふじさき ゆうせい)に15日後にこの町を去ることを約束した。

藤崎悠生は立花市のトップクラスの富豪である。彼の妹は心理的な問題を抱え、重度のうつ病を患っていた。

河本(こうもと)教授の助けを借りて、白鳥未央を紹介してもらったのだ。彼女は以前、河本教授の一番弟子と言っていいほどの実力の持ち主で、催眠術と心理学において天賦の才を発揮していた。

そして彼女が博人と結婚してから、心理学から離れ専業主婦となってしまったことに河本教授は心から残念に思っていた。

「白鳥君、君は女性だけれども、西嶋家のために家の中に閉じ込められておくべきではないと思うよ。君は強く逞しい自由な精神を持っている。その才能を思う存分発揮するべきだと思うんだけどね」

河本教授は以前このように彼女に伝えていた。

当時の彼女はそれでも西嶋家の言う通りにすることを選んだ。

今考えてみると、やはり外から見ていた人のほうが正しかったようだ。

彼女が博人たちこの父子のために自分を犠牲にしてきたことは自己満足のようだった。彼らの瞳には、以前心理学の天才だった彼女よりも、ヒラヒラと踊る可愛らしい白鳥である雪乃のほうがよく映っているのだった。

未央が電話を切ってすぐ、ちょうど博人からボイスメッセージが送られてきた。「俺と理玖は外で食事する。だから夕飯の準備はしなくていい」

彼の口調は淡々として素っ気なく、妻に対して言うようなものではなかった。それとは逆にまるで家政婦に指示を出しているかのようだ。

彼女はこの何年もの間、些細なことにも気を使い、非常に忙しくしていて、確かにタダ使いの使用人にそっくりだった。

未央は彼に返事をしようとしたが、ボイスメッセ―ジの中に雪乃と息子の声がするのに気づいた。

「雪乃さん、ママって老婆みたいなんだよ。なんにもできない上に、人のことにはうるさく口を出してくるんだ。僕にこういうのは食べさせてくれないんだよ。やっぱり雪乃さんが一番だね。何でも言うこと聞いてくれて、僕は雪乃さんが大好きだ」

息子のその話しぶりは無邪気で未熟だった。

もし以前の彼女だったら、未央は恐らくがっくりと気を落として辛く思ったことだろう。

しかし、この時の彼女の心は、意外にも穏やかだった。

息子は早産だったので、体が弱く彼女は長年とても気を配って彼を育ててきた。飲食においては特に気を付けていて、彼女は彼の身体を心配し、外食などさせてこなかった。

しかし、息子の目には、彼女は老婆のように映っているのだった。

未央は多くを語らず、短く「分かったわ」とだけ返事をした。

血の繋がりがあろうが、彼がひ弱な体であろうが、もはや今の彼女には関係ない。

未央は散らかったリビングを見つめながら、自分から床にこぼれたままの牛乳を掃除することはせず、家政婦のおばさんを呼んできた。

博人は赤の他人が家に入るのを嫌っているから、今までずっと未央が片付けや掃除をしていたのだ。彼女はこれまで不器用ながらも、注意深く博人の好き嫌いに合わせてやってきた。

しかし、今の未央はもう全てを悟っていた。

彼女はここを離れる決意をした。博人が好きか嫌いかなどもう重要ではないのだ。

家政婦のおばさんに部屋の掃除を任せ、未央は部屋に戻って離婚協議書にサインをし、時間指定の宅配サービスを頼んだ。

半年後、これが時間通りに彼女の夫の手元に届くのだ。

彼女は、これは恐らく博人に贈る最後のプレゼントだと思った。

夜、博人はやっと息子と一緒に帰って来た。

二人は家に着くと、息子のほうは興奮した様子で話し始めた。「パパ、雪乃さんの踊りって魔法みたいにキラキラしてたよね。明後日学校で出し物をするんだけど、雪乃さんに来てもらってもいいかな?」

息子は金持ちの子供たちが通う幼稚園に行っているのだ。

そして、明後日には園児たちの出し物があって、親が同伴しなければならない。ただ彼はずっと自分の母親が人前に出てくるのは恥ずかしいと思っていて、このことを未央に伝えていなかったのだ。

そうか、彼は母親ではなく雪乃に来てもらいたいのか?

息子の興奮して楽しそうだったその様子は家の中に入ったとたんに消えてしまった。

彼女を見た瞬間、息子は口をすぼめて眉間にきつくしわを寄せた。

博人は彼の手を繋いだまま、家の中を見渡し眉をひそめた。「誰か来たのか?」

「ええ」未央は不用意に言った。「使わない物を頼んで片付けてもらって、あげちゃったの」

たとえば、彼女が以前夫のために買ったが、一度も使われることのなかったネクタイやカフスボタン、それから息子のために準備していたが、すぐに遊ばれなくなったおもちゃ等だ。

彼女はここを去るのだから、このようなお古はさっさと片付けてしまったほうがいい。それにちょうど彼女の夫が新しくこの家に綿井雪乃という女性を迎える準備にもなるだろう。

博人はこの時、どうもおかしいと思った。

彼はクローゼットの中にはあまり興味がなく、何が減ったのかなどよく分からなかったのだ。

ただ眉間にきつくしわを寄せて、冷たい声で言った。「理玖は体が弱いんだ、いろんな物にアレルギーがある。今後、他所の人間を家に入れるのは控えてくれ。あのどうでもいいガラクタなんか捨ててしまえばいい、西嶋家にはなんでもあるんだからな」

その通り。

彼女が心を込めて準備した夫と息子へのサプライズは一度も一度も彼らに喜んでもらえなかった。

未央は以前のようにヒステリーを起こすこともなく、他のどんな人間よりも息子にどんなアレルギーがあるか知っているということを説明することもなく、ただ冷たい端正な顔をした夫を見つめ頷いた。「分かったわ」

そして未央は息子が家に入って来た時に話していた言葉を思い出し、突然言った。「明日私は用があるから、幼稚園の出し物は雪乃さんと一緒に行ってきてくれる?」

傍にいた理玖はそれを聞いて瞬時に瞳をキラキラと輝かせ、どもりながら言った。「ほ、本当にいいの?ママ、本当に雪乃さんに来てもらっていいの?」

未央は息子が興奮して嬉しそうな様子を見て、突然笑った。

彼女は頷いた。「もちろんよ」

しかし博人のほうは顔をしかめて、彼女がおかしな事を言い出したので、表情を瞬時に凍らせ、我慢できない様子で言った。「未央、お前、何腹を立ててるんだ?

理玖はまだ小さい。雪乃のことを気に入るのはごく自然なことだ。この子はただ適当に言ってみただけだぞ、お前まさか息子にキレてんのかよ?」
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bbb aaa
珍しく 恋敵が悪女じゃないパターン
2025-05-20 21:06:07
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大瀬純子
切ない感じが、胸をキュンとさせる
2025-04-14 03:25:54
0
26 Chapters
第1話
「離婚したいんです!」結婚三年目、宮本友梨は離婚を決意した。ただし、夫には内緒で。向かいの弁護士は彼女の意図を聞き終え、事務的に切り出した。「離婚手続きには双方の署名と一ヶ月の熟考期間が必要ですが、今日はご主人はいらっしゃらないんですか?」友梨は数秒黙り込んだ。「署名はもらってきます」「では、離婚協議書を作成させていただきます」しばらくして、友梨は協議書を受け取った。この間に起きた出来事を思い返しながら、うつむいて階下へ向かう。受付に着いた途端、耳慣れた声に呼び止められた。「友梨?なぜここに?」顔を上げると、高橋庄司のすべてを見通すような深い眼差しと目が合い、友梨は思わず心臓が跳ねた。まさか離婚の相談に来たのが、夫の勤める法律事務所とは。でも彼には気付かれないはず。そもそも彼女のことなど眼中にないのだから。そう思うと、友梨は深く息を吸い、声の震えを隠そうとした。「ちょっと相談があって。あ、そうそう、この前両親が話してた物件の名義変更書類、サインが必要なの」そう言いながら、手元の離婚協議書を最後のページまで開き、カウンターに置いてペンを差し出した。協議書の最終ページにはサイン欄だけ。弁護士として職業病的に眉をひそめた庄司。じっくり確認しようとした瞬間、エレベーターホールに見覚えのある人影が映り、一瞬の躊躇いの後、友梨の指す箇所にサインを入れた。「じゃあ、用が済んだなら帰れ。仕事中だ」友梨の心は落ち着いたものの、すぐに自嘲的な思いが過った。もう少し見てくれれば、これが不動産書類ではなく離婚協議書だと分かったはず。ただ残念なことに、彼の視線は入ってきたばかりの杉山美咲に奪われていた。その整った顔立ちを見つめながら、友梨は複雑な思いに駆られた。バッグを握る手に力が入り、事務所を後にした。自動ドアが閉まる際、かすかに二人の声が耳に届いた。「庄司兄、今の人は?」「新規のお客様だよ。離婚相談に」庄司の冷たい声音に温もりが混じる。「なぜこんな早く来たの?少し待ってて、ご飯に連れて行ってあげる」中から聞こえる甘やかすような声と、手元の署名済み離婚協議書を見比べ、友梨は苦い笑みを浮かべた。そう、確かに離婚相談に来たのだ。もうすぐ、たった一ヶ月で、庄司は念願が叶う。
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第2話
夜も更け、友梨は眠れずにいた。枕に顔を埋めて物思いに耽っていると、突然腰に手が回された。背後から熱い息が漏れ、友梨は思わず身を引き、彼のキスを避けた。その拒絶的な態度に庄司は驚いた。結婚して三年、いつも友梨から抱きついてくるのに。珍しく欲情した時に拒まれ、思わず尋ねてしまう。「機嫌悪いのか?」「生理だから」友梨は適当な言い訳を並べ、庄司も深く考えず、一声「ん」と応え、布団を掛け直してやった。就寝前の一日の振り返りで、昼間の不動産書類を思い出し、尋ねた。「不動産の書類はどこだ?抜け穴がないか確認したい」友梨の心臓が高鳴り、彼をじっと見つめた。「本当に見たい?」庄司は彼女の緊張した表情に眉を寄せ、軽く頷いた。しばらくの沈黙の後、友梨は書斎から協議書を取り出した。手渡そうとした瞬間、突然の着信音が鳴り響いた。庄司が先に電話に出た。「庄司兄!和也がまた酔っ払って外で暴れてるの。早く来て、怖いよ!」美咲の乱暴な元夫を思い出し、庄司は顔色を変え、上着を羽織って駆けつけようとした。慌ただしい彼の姿を見て、友梨は呼び止めた。「離婚する例の妹さん、また何かあったの?」庄司は肯定しかけたが、深夜に彼女が心配するのを恐れ、敢えて深刻に話した。「ああ、元夫が酔って包丁を持って外で待ち構えてる。見に行かないと命の危険があるかもしれない」友梨は引き止めず、気を付けてとだけ告げた。庄司が去った後、夜が明けても友梨は一睡もできなかった。時間を確認しようと携帯を手に取ると、この前こっそり追加した美咲の新しい投稿が目に入った。動画には、山々の間から朝日が昇り、金色の光が降り注ぐ様子が映っていた。あちこちから歓声が上がり、画面が切り替わると庄司の姿が一瞬映り込んだ。「暗い昨日は終わり、全てが新しい始まりを迎える」画面に残されたその言葉を見て、友梨の胸が締め付けられ、じわじわと痛みが広がった。美咲は前の結婚生活にピリオドを打ったようだ。そうね、法曹界のエースである庄司の助けがあれば。彼女のことをこれほど長く想い続けた彼なら、離婚という言葉を聞いただけで全力で助けるはず。彼女が独身に戻ったからには、きっとすぐに庄司から離婚を切り出されるだろう。聞くまでもなく、友梨にはその光景が
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第3話
午後、友梨のパソコンが突然フリーズして、資料を早く整理するために庄司からノートパソコンを借りた。ファイルの転送を待つ間、新着メッセージの通知が鳴り、無意識にクリックすると法律事務所からのメッセージだった。「庄司、今夜の事務所の飲み会、彼女も一緒にどう?」そのメッセージを見た瞬間、友梨の手が思わず震えた。結婚三年、庄司は彼らの関係を一度も公にしなかった。だから周りの目には、彼はずっと独身に映っていた。だからこそ、彼の事務所に相談に行っても、誰も彼女だと気付かなかった。今回は、承諾してくれるのだろうか。友梨にはわからない。期待する勇気もない。隣の庄司は携帯で見た後、一瞬彼女の表情を窺うように見上げた。その視線に気付き、友梨は薄く微笑んだ。「私を連れて行ってくれるの?」その言葉の裏には......三年経って、公にしてくれるの?庄司は答えに困り、口を開いたが、声は出なかった。その一瞬の沈黙が刃物のように友梨の胸を刺し、鈍い痛みが走った。彼女はその痛みを押し殺し、気にしていないふりをして明るく装った。「私、夜は用事があるから。連れて行きたくても、時間がないと思う」庄司の張り詰めた心が緩み、表情が元に戻った。「じゃあ、次の機会にでも連れて行くよ」友梨は返事をしなかった。両目を手で覆い、心の中で彼に答えた。次?庄司......もう次はないわ。夜、庄司は一人で会場に入るなり、酔った同僚たちに捕まった。「三年も彼女連れてこないなんて、庄司、そりゃないぜ!」「俺らに紹介もしないで、いつまで隠してんだよ?」同僚たちの声に押され、庄司は携帯を開いた。二つの選択肢。美咲か、友梨か。長い躊躇の末、結局前者のアイコンをタップし、メッセージを送った。すぐに美咲が住所を頼りにやってきた。ドアを開けた瞬間、部屋中の目が輝き、口々に彼のセンスを褒め称えた。酒が進み、山本弁護士がトイレに立ち、手持ちの書類袋を庄司に預け、ある女性に渡すよう頼んだ。ちょっとした頼みごと、断る理由もなく、番号を見ながら階下に降り、ついでに書類の中身を確認した。待てど暮らせど人影が見えず、携帯で番号を入力しようとして、その番号が既に登録されていることに気付いた。「友梨」という名前が目に入った瞬間
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第4話
夜風が車窓から吹き込み、髪を舞い上がらせていた。道中、友梨の脳裏には庄司の傍らにいた美咲の姿が何度も浮かんでは消えた。傷つけられすぎて、もう心の痛みすら感じない。ただ果てしない疲れだけが残っていた。三十日の熟慮期間......こんなにも長い時間なのか。目の疲れを揉みほぐそうとした瞬間、前の車の違法なバックに気付かず、そのまま追突してしまった。大きな衝撃音と共に、変形したドアに足を挟まれ、血が流れ出した。一瞬で血の気が引き、額には冷や汗が浮かんだ。激痛の中でも冷静さを保ち、救急車を呼んだ。救急室で医師の診察を受けると、命に関わる怪我ではないものの、小さな手術が必要だと言われ、家族に連絡するよう促された。両親は遠方に住んでいたため、友梨は庄司に電話をかけた。十数回かけても、一度も出ない。今頃は同僚たちと、そして憧れの人と楽しく飲んでいるのだろう。彼女の電話に出る暇なんてないはず。横にいた看護師が連絡が取れない様子を見かね、声をかけた。「ご主人は本当に来られないんですか?」友梨は首を振り、淡々と答えた。「離婚中で、あと十数日で完全に終わります」看護師は意外そうな表情を浮かべた。「でも婚姻期間中じゃないですか?書類にサインくらいは......」三年の結婚生活を思い返し、友梨は感慨深くなった。一緒に食事をするため、何度も深夜まで待った。でも返ってくるのは「残業で帰れない」の一言。共通の話題を持とうと法律を勉強しても「素人」と一蹴された。誕生日のサプライズを用意しても「疲れた、気力がない」と言われた。最初から最後まで、彼女だけが一方的にこの関係を維持しようとしていた。すべてが、彼に愛されていなかった証。庄司は来ない。もう自分を欺くことはできない。「妻が事故に遭っても連絡が取れない夫なんて、来ても意味ありません」看護師は溜息をつき、同情の眼差しを向けた。「じゃあ、お友達に来てもらいましょう」その後数日間、皐月が友梨の看病をしていた。四五日後にようやく病院に駆けつけた庄司は、彼女の足首の傷を見て、困惑の表情を浮かべた。「事故に遭ったのに、なぜ教えてくれなかったんだ?」友梨は説明しようとしたが、彼の表情を見た瞬間、あの十数回の不在着信を思い出した。喉まで出か
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第5話
友梨は彼が戻ってくるとは思ってもみなかった。幸い、皐月が来ていたので、動揺を押し殺し、彼女を指さした。「皐月が離婚するの」皐月は二人を一瞥し、すぐに空気を読んで頷いた。「あ......はい、私が離婚を考えていて、手続きを進めているところです」庄司と友梨は親しくなかったため、彼女の友人とも接点が少なかった。皐月とは二度ほど顔を合わせただけで、家庭事情も知らなかったため、眉をひそめた。「離婚するなら、なぜ先に私に相談しなかったんだ?」皐月は嘘を重ねられず、言葉を濁した。友梨は慌てて話を引き取った。「あなた、妹さんの離婚で忙しかったでしょう。邪魔したくなかったの」美咲の名前を聞いた途端、庄司は動揺し、それ以上追及するのを止めた。「何か問題があったら、相談に来て」一時をしのげたものの、友梨の胸は晴れなかった。庄司の職業柄の勘と洞察力なら、この一連の不自然さに気付くはずだった。でも美咲のことになると、まるで理性も判断力も失ったように、すべてを忘れてしまう。恋は盲目とはこういうことか、友梨はやっと分かった気がした。携帯を慌ただしく操作する庄司の落ち着かない様子を見ながら、彼が立ち去るまでの時間を心の中でカウントダウンしていた。十から一まで数え終わると、案の定、彼は言い訳を作って立ち上がった。「友梨、事務所に用事があるんだ。退院はいつ?迎えに来るよ」嘘だと分かっていたが、もう気にならなかった。「五日後」退院日、友梨は朝から晩まで待ったが、庄司は現れなかった。SNSを開くと美咲が投稿した海辺の水着写真が目に入り、何かを察して彼に電話をかけた。まだ言葉を発する前に、受話器越しの波の音が全てを物語っていた。しかし庄司は気付かず、相変わらずの言い訳を並べた。「友梨、今、出張中なんだ。何かあった?」やはり退院の約束など忘れていたのだ。何度も何度も、いつも美咲が大事。そして彼女は、永遠に彼の第二選択肢。でも良かった。目が覚めた。もう後ろで馬鹿みたいに待つのは終わり。友梨は指摘も暴露もせず、いつものように二言三言気遣った。「いつ行ったの?何日くらい?」「一昨日来て、明日には戻る」友梨は相槌を打ち、軽く体を気遣う言葉を添えて、電話を切った。タクシーを呼んで道
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第6話
帰宅後、友梨は引っ越しを早めようとしたが、足の怪我が完治していなかったため、引っ越し業者に依頼した。大小の段ボールがリビングに積み上げられ、作業員たちが梱包作業に追われ、出入りを繰り返していた。庄司は帰宅後、混乱した状況を見て事情を尋ねた。友梨は用意していた説明を告げた。「景苑のマンションが完成したの。事務所にも近いから、そっちに引っ越しましょう」先日署名した不動産契約書を思い出し、庄司は頷いた。靴を脱いでソファに座り、間取りを思い出しながら話を続けた。「花を育てるの好きだったよな?東側のベランダを花壇にしてみたら?」数秒の沈黙の後、友梨は静かに答えた。「もういいの。その趣味はやめたから」庄司は机の上の新しいユリの花を見て、嘘を感じた。さらに言葉を続けようとした時、作業員が運び出す箱に自分の物ばかり入っているのに気付いた。「なんで俺の物ばかり?お前の荷物は?」「もう運んだわ」即答だったため、新居に運び終えたと思い、庄司はそれ以上聞かなかった。水を飲みに立ちながら、作業員に指示した。「荷物のラベルを貼って、部屋を間違えないように」友梨は黙って彼を見つめ、言葉を飲み込んだ。間違えるはずがない......新居にあるのは、あなたの物だけだから。片付けが終わり、庄司は友梨を支えて階下へ。エレベーターを出ると、杉山美咲と杉山一輝兄妹と鉢合わせ、全員が固まった。庄司は動揺し、彼女の手を離して前に出た。「どうしてここに?」一輝は眉を上げた。「美咲が新居を見たがって。ご両親から住所を聞いて、サプライズしようと」美咲の視線は友梨に釘付けだった。確か、この女性とは二度会ったはず。事務所と、バーの外で。直感的に身分が気になり、笑顔で探りを入れた。「庄司兄、この方は?」庄司は珍しく口ごもった。紹介の仕方を探っているようだった。友梨は平然と、むしろ友好的に美咲に手を差し出した。「友梨です。高橋弁護士の大学の同級生。離婚の相談に来たんですが、引っ越しの最中で悪いタイミングでした」庄司は我に返り、申し訳なさそうに友梨を見てから、彼女の言葉に乗って紹介を済ませた。自然な流れに見えたが、美咲は何か引っかかった。しかし人目もあり、それ以上は聞けず、兄に手伝いを促した。美咲は友梨の側に寄り、
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第7話
同じ境遇と知り、美咲は同情して慰めた。「私も同じです。でも離婚すれば全て良くなりますよ。庄司さんがきっと助けてくれます」そう、一番難しい署名は、既に手伝ってもらった。友梨は頷き、言葉を継いだ。「あなたの件も担当したそうですね。随分尽力してくれたのでは?」美咲は照れた表情を浮かべ、明るい声で答えた。「はい。証拠集めから身の安全まで守ってくれて。庄司さんがいなかったら、元夫に殺されていたかも」甘い表情で辛い過去を振り返る彼女を見て、友梨は思わず不適切な質問をした。「庄司さんのこと、好きなんですか?」美咲は凍りついたように固まり、躊躇いながら答えた。「わからないんです。最初は兄みたいな存在で、小さい頃から遊んでくれたり、プレゼントをくれたり。いじめられた時は喧嘩までして......離婚の時も自ら手を差し伸べてくれて。後から兄に聞いたんですが、庄司さんは随分前から私のことを好きで......」「あんなクールな人が片思いするなんて、どうして私を好きになったのか不思議です」友梨は複雑な思いで聞いていた。美咲の話から、全く違う庄司を知った。冷淡なのではなく、自分を好きではなかっただけ。受け身なのではなく、自分が彼のやる気を引き出せなかっただけ。深く傷ついて、気付くのが遅すぎた。何年も無駄にしてしまった。美咲は友梨の表情に気付かず、心を開いて話し続けた。「友梨さん、庄司さんってどんな人だと思いますか?」友梨は空になりつつある部屋を見上げ、正直に答えた。「十年の付き合いですが、最近まで本当の彼を知らなかった。だから評価は難しいです。ただ、こんなに誰かを好きになった彼を見たのは初めてです」美咲は考え込むように頷き、心が落ち着いた様子。日が暮れかけ、友梨を夕食に誘った。庄司は渋い顔をした。その表情を見て、友梨は微笑んで断った。「用事があるので、失礼します」庄司は兄妹の反応を待たず、友梨を車に乗せた。「先に行ってて。送ってから合流する」トラックが後に続いて団地を出た。庄司は信号に合わせて心臓を跳ねさせ、必死に説明を考えていた。友梨が淡々とした声で先に口を開いた。「そんなに緊張しなくていいの。結婚前に約束したでしょう?両親以外には内緒にして、二人が良いと思うまで公表しないって。あな
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第8話
道中、友梨は黙り続けた。庄司は彼女の落ち込んだ様子が気になりながらも、理由を聞き出せず、近頃の出来事を頭の中で整理した。美咲の件で彼女を疎かにしていたせいだと結論付け、珍しく自ら提案した。「もうすぐ結婚三周年だ。旅行に行かないか?」離婚まで数日。友梨は怪我を理由に断った。庄司は他の祝い方を提案したが、友梨は全て断り続けた。以前なら約束だけで喜んでいた彼女の冷淡さに、庄司は首を傾げた。彼の困惑した表情に、友梨は悟られないよう提案した。「その日は週末だから、母校に行かない?」なぜ突然の懐古趣味か。庄司は理解できなかったが、頷いた。車内が再び静かになった。友梨はカレンダーを開いた。9月7日には「離婚」の文字。9月6日は結婚記念日。そして彼への片思いも十年目。この特別な日に母校を訪れるのは、まさに始まりと終わりを繋ぐ。十年の青春に、きちんとピリオドを打とう。「今度は、すっぽかさない?」と友梨は冗談めかした。「すっぽかしたことなんてないだろう?」と庄司は笑った。友梨は黙って数えた。前回は美咲と海に行くため、退院の迎えを忘れ。その前は美咲離婚の証拠集めで、誕生日ディナーを忘れ。さらにその前は彼女を慰めに行き、郊外に置き去り。......美咲のことになると、全て約束を破った。一週間、庄司は戻らなかった。友梨は毎朝カレンダーをめくり、空っぽの家で最後の片付けを続けた。9月6日、早起きして化粧し、数年前のワンピースに着替え、カメラを持って記念撮影に出かけた。庄司が待っていて、ドアを開けてくれた。もうすぐ解放される安堵か、友梨は学生時代の思い出を楽しく語った。二人で話が弾み、庄司も写真を撮ると申し出た。S大の門に着くと、友梨は先に降り、彼を待った。庄司の携帯が鳴り、美咲からのメッセージ。「熱が出たの。病院に連れて行ってくれない?」庄司は躊躇った。友梨は彼の表情を見た。「友梨、事務所で急用が。行かなきゃ」友梨は意外そうに「一時間後じゃダメ?」彼女には分かっていた。嘘をついているのは、また美咲のためなのだろう。「重要な案件なんだ。無理そうだ」庄司が断言するのを聞いて、友梨は追及せず、ただ深く見つめるだけで彼を見送った。庄司はシー
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第9話
その瞬間、彼女は確信した。残業ではなく、病気の美咲の看病に行ったのだと。あの夕方の庄司の断言的な口ぶりを思い出し、友梨は苦笑した。彼女のために三十分も割けないのか。庄司、これが最後の時間だと知っていたら、約束を破ったことを後悔するのかしら。答える人はいない。もう答えも気にならなかった。山本弁護士にメッセージを送った。「山本先生、今日が熟慮期間最終日ですが、手続きは必要でしょうか」「不要です。宮本さん、これで全ての手続きは完了です」「新たな人生の始まり、おめでとうございます」そう、新たな人生。今日から、庄司を愛さない日から、庄司のいない日から、友梨の人生は、もっと輝くはず。気持ちが晴れ、家に戻った。残り三時間、自分の残り物を全て処分し、一人でソファに座り夕陽を眺めた。残り二時間、写真を編集してビデオにした。残り一時間、ビデオを確認し、もう一度カメラを向け、録画を始めた。庄司への別れの手紙を録る。最後に、SDカードをカメラに戻し、離婚協議書と共にベッドサイドに置いた。庄司。これで私たち、離婚ね。おめでとう、そして私にも。全てを終え、最後の荷物を持って、この家を、この街を去った。行き先を知る人はいない。未練も後悔もなく、振り返らなかった。一方。美咲の病状が落ち着いてから、庄司は彼女の家を出た。車を走らせながら友梨に電話をかけ、約束を果たそうとした。十回以上かけても「電源が入っていません」の音声ばかり、メッセージも返信なし。結婚して三年、初めて連絡が取れなかった。前回の事故を思い出し、不安になって家に戻った。新居は整然としていたが、違和感があった。友梨の物が一つもない。心臓が跳ね、旧居に急いだ。空っぽの家を探し回り、寝室でカメラと書類を見つけた。笑顔で撮影していた彼女を思い出し、電源を入れた。明るい音楽と共にS大の風景が流れ、文字が現れる。「庄司、広場にはスケボーの学生がいるわ。初めての告白の場所。断られて一日中泣いたっけ」「図書館は相変わらず人気ね。静かにしなきゃ、だから遠くから撮ったの。あなたの好きな場所よ」「バスケのコート。私、四年間ここであなたを見てたの」......六年前の青春時代が蘇った。あの
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第10話
「一ヶ月前、私が署名し、あなたも署名した。だから今日から、私たち自由よ。私は去ります。探さないで。美咲との幸せを願っています。そして私も、自分の人生を自由に生きていきます」一言一句が春の雷のように庄司の耳に響いた。聞いたことが信じられず、瞳孔が開き、唇が震えた。署名?離婚?いつ署名したというのだ?!カメラが落ち、書類を倒して足元に散らばった。大きな文字で書かれた「離婚協議書」が目に入る。急いで拾い上げ、最後のページを開くと、友梨の署名があった。そしてその左側にも署名があった。見覚えのある筆跡。自分で書いた、「高橋庄司」という文字!一瞬で、見過ごしていた細部が全て蘇った。法律事務所での偶然の出会い。署名のためと言いながら、二階から降りてきた友梨。山本弁護士のオフィスは二階だった。山本弁護士から財産分与書類を渡された時の、友梨の一瞬の動揺。この一ヶ月、徐々に消えていった彼女の持ち物。新居の様子。全ては彼女の計画だった。彼女は彼の目の前で大きな嘘をつき、気付かれることなく離婚協議書に署名させ、一人で去った。真相を理解し、怒りと焦りが込み上げた。書類とカメラを持って階下へ走り、車を飛ばして事務所へ。二階の事務所に駆け込み、離婚協議書を山本弁護士の机に叩きつけた。「この協議離婚、あなたが担当したんですか?山本先生」慌てた様子を見て、山本はコップを置き、書類を確認した。「ああ、担当しましたが」庄司の怒りが頂点に達し、理性を失って叫んだ。「なぜ友梨の件を先に教えてくれなかったんですか」状況が分からない山本弁護士は困惑した。「手続きは問題なく、既に審査に提出済みです。なぜ先に知らせる必要が?」「私に関係があるのに、なぜ教えない」山本弁護士は大きく目を見開き、最後のページの名前を確認した。高橋庄司。高橋庄司???友梨さんの夫が高橋庄司?庄司は結婚していた?独身じゃなかった?疑問が次々と浮かび、表情が目まぐるしく変わった。「友梨さんがあなたの妻だとは知りませんでした。独身じゃなかったんですか?」その言葉が冷水のように怒りを消し去った。我に返り、先ほどの態度を詫びた。山本は気にせず、むしろ経緯を尋ねた。だが庄司は友梨の居場所を探すことに必
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