目覚めたロジータは、今までとはどこか雰囲気が違っていた。
エルミニオに殺されかけたショックで? それに俺と契約結婚だと?何を言っているんだ。 しかし、ロジータが言っていることは意外にも核心をついており、驚かされた。『はい。今の私はエルミニオ様に命を狙われています。
その私を助けたあなたも、危険です。 この窮地をうまく乗り切るには、私たちが互いに協力し合う必要があります。』確かに、今の俺の立場は危うい。
瀕死のロジータを衝動的に助け、禁忌の力まで使った。 彼女が言っていることも分からなくはない。 ロジータが俺に惚れ、結婚したとなれば、二人が命を狙われる可能性は低くなるだろう。 エルミニオも、実の弟の妻となれば手出ししづらいはずだ。 だが、それだけではロジータの提案は受け入れられない。 第一に俺はリーアを愛していたし、ロジータと契約結婚するリスクの方が高かった。 まず、俺がロジータを助けたのを知ったエルミニオは怒り狂うだろう。 あの時の賛同者たちも敵に回す。 それに、ロジータの実家の勢力を考えると、エルミニオに反逆の意思ありと捉えられる可能性もある。 スカルラッティ家は、ヴィスコンティでも高名な家門で、莫大な財産、軍事力などを有している。 王権を強化したい王ーー父にとってロジータは、なくてはならない存在だった。 それゆえにエルミニオはリーアを愛していながら、長い間ロジータと婚約破棄ができなかったのだ。 確かに自分たちの身を守るため、契約結婚に賭ける価値もあるが、その分リスクも大きい。 俺はロジータの提案を断った。 だが彼女は断ったにも関わらず、あきらめずに食い下がってきた。『私……いえ、この世界は小説の世界です。
私は悪役令嬢のロジータで、まさに今日、エルミニオ様に殺される運命でした。』ついにロジータは完全におかしなことを口走り始めた。
彼女が言うには、ここは小説の世界であり、自分たちは決められた物語《ストーリー》によって動かされているという。 さらには、最近俺がリーアへの歪んだ想いに苦しんでいることまでも言い当てた。 この先、俺が暴走してリーアを監禁し、エルミニオに殺されるという未来までも。 確かに俺は、この醜い悩みを誰にも打ち明けたことはなかった。 まさか、本当なのか? 簡単には信じられない。 だが、ロジータの碧い瞳は真摯で、とても嘘をついているようには見えなかった。 これまで俺が知っていたロジータとは明らかに違う。 本当にロジータがその『転生者』で、ここが小説の世界だったら? 本当に、悲劇を回避できる? リーアへの想いに終止符を打てるのか? それなら、提案に乗ってみるのも悪くないかもしれない。『分かった……そこまで言うなら、結婚しよう。
ただし、これはあくまで契約結婚だ、いいな?』『もちろんです。
私たちの間に愛はありません。 時期が来たら、離婚しましょう。』ロジータの笑顔が明るく弾ける。
本当にこれまでとは全くの別人だ。 こんなにも無垢な笑顔で言われたら、信じてみたくなる。 その、『決められた悲劇』とやらを変えられるかもしれないと。 だが、時々ロジータは胸の傷が痛むらしく、顔を歪める。 これまでのロジータなら、痛みに耐えきれずに喚き散らしたり、泣きじゃくっていただろう。 言葉遣い、仕草。 そこに、悪女ロジータ・スカルラッティはいなかった。 愛のない契約結婚。いいだろう。 細かいことは後から考えればいい。 リーアへの想いを断ち切るためにも、ちょうどいい機会かもしれない。 まだ傷が癒えないロジータに、俺は今は治療を継続するようにと告げた。「申し訳ありません。ルイス様。
助けてくれて、本当にありがとうございました。 絶対、二人で運命を変えましょう!」「ああ……そうだな。」
まるで夢でも見ているかのようだった。
あのロジータと、まさかこんな風に話す日がくるなんて。 治癒の光を放つ間は、ロジータの手を握る。 俺とロジータの刻印は異なるはずなのに、なぜか共鳴し合っていた。 それにロジータの冷たい手は、なぜだか懐かしい感じがした。 初めて触れたはずなのに。私とルイスは向かい合って、椅子に腰を下ろした。今のルイスは少しゆったりとしたシルクのチュニックに、黒のホーズと革のブーツを合わせていた。私は血に染まったドレスを脱ぎ、使用人から借りたガウンとクリーム色のエプロンを身につけていた。「それで。“恋人らしい”とは、一体どうやるんだ?」真剣にルイスが尋ねてくる。改めてそう言われると、返事に困る。実は私もエルミニオと婚約していながら、恋人らしいことはほとんどしてこなかった。ただ前世の恋人、理佐貴との記憶が私にはあった。「そうですね。まずは、お互いの名前を呼び合うところから始めましょう。ルイス様はこれまで通り、私をロジータとお呼びください。私の方は恋人らしく、「ルイス」と、お呼びしても宜しいでしょうか?」「……いいだろう。」 エルミニオほどではないけれど、原作で知る限りルイスもプライドが高い人だった。王子だからこの提案は駄目かもと思ったが、案外協力的で助かる。「ありがとうございます。それではさっそく。「ルイス」。」「なんだ。ロジータ。」一瞬、ルイスの瞳が揺れた気がした。不満そうではないし、すぐに冷静に切り返してくる辺り問題はなさそうだ。「いい感じです、ルイス。」満足げに私が笑うと、ルイスが視線を逸らした。機嫌を損ねたのかと思ったが、どうやら違う。「呼び捨てにするなら、いっそ敬語もやめてみてはどうだ?」「敬語を?よいのですか?」「ああ。徹底した方がいいだろうから。」ルイスがそこまで言ってくれるなら、私もしっかり答えよう。「分かった。じゃあ、『ルイス。昨日は傷の手当てをありがとう。今朝のあなたの寝顔、とても可愛かったわ』。」「ロジータっ、それはあまりにも……!」目の前のルイスが壁側に顔を背けた。あれ、もしかしてあまりに馴れ馴れし
それなのに、この胸の高鳴りは、一体何? ロジータ?それとも前世の七央の? 心臓が激しく脈打つたび、私はルイスから目が離せなくなっていた。 戸惑いが隠しきれない。「ロジータ?傷が痛むのか?」ルイスは控えめに尋ね、心配そうに私の顔を覗き込む。 肩にそっと置かれた手は、まるで壊れ物を扱うかのように優しくて。 かつてあんなにも私を毛嫌いしていたくせに。 本気で調子が狂うし、心臓がやけに騒がしい。 ルイスって、もしかしてスパダリなのでは…?「な、何でもないわ。」恥ずかしくて私はルイスから顔を背けてしまった。 彼はまだ訝しそうに私を見てる。 視線が熱い。いえ、私の顔が真っ赤なの? 気まずい。鼓動も驚くほど早い。 早く治って。 これは、刺された傷口が痛むからだと誰か言って!「使用人に用意させた。 傷口が開くから、風呂はまだ控えてほしい。 食事も用意させた。 準備が終わったら来てくれ。」さっきの出来事があったせいか、ルイスとの食事はご飯が喉を通らなかった。 柔らかいリゾットに、優しい味のスープ。 これ絶対、負傷中の私のために用意したんだわ。 やっぱりルイスってスパダ…… いや、私は何を血迷っているの? ルイスとは契約結婚までするのよ。 このくらいで慌ててどうするの! 思わずルイスを盗み見る。 ヴィスコンティの王族らしい気品のある佇まい。 食事をする時の、フォークやナイフを持つ仕草も完璧だった。 少しくせのある栗色の髪も、脇役らしくて、なんだか親近感が湧く。 ルイスの琥珀色の瞳って、太陽の光に照らされると、さらに綺麗なのね。 案外と小さな唇が、愛らしい。 いつもは静かな人。だけど実は情に熱い人。 ルイス・ヴィスコンティ。私の命の恩人。「さっき、エルミニオたちの仲間が、ここへ来た。」「え!だ……大丈夫だったのですか?」「ああ。お前の死体が消えて、兄さんたちも焦っているようだ。 ここで隠し通すのも時間の問題だな。 お前が生きてると知れば、間違いなく命を狙ってくるだろう。 急いだ方がよさそうだ。」ロジータ・スカルラッティは王太子エルミニオに殺される運命。 怖い……!物語の強制力とやらが私を容赦なく追い詰めてくる。 エルミニオは、原作通り私を殺すまであきらめないだろう。 だから変えるしかないのだ。運命を
ヴィスコンティ王宮の小広間。 月明かりでシャンデリアが淡く光り、重みで鈍く軋む。 吹き抜けの円柱の隙間から、運河の水流の音が聞こえる。 エルミニオが冷酷な目で、ためらいもなく私の胸を剣で突き刺す。 22年間、ロジータとして生き、エルミニオを必死に愛した記憶が私を苦しめる。 ただ彼に愛されたかった。 ロジータの感情は、痛みよりも、醜い嫉妬と果てしない絶望で崩壊寸前だった。「やめてーー!エルミニオ様。お願い……」だがその時、一人の男性が優しく私を包み込んでくれた。「七央、大丈夫だ。それは全部悪い夢だ。 俺がお前の側にいる。だからーーー」「理佐貴《りさき》……?」彼はそっと私の涙を拭き、血に染まる真紅のドレスを着た私を抱きしめてくれた。 慈愛にあふれた手つき。優しい眼差し。 その瞬間、闇に閉ざされていた私の心が、明るい太陽の光に照らされた。 どうしてずっと忘れていたんだろう——。 川崎《かわさき》理佐貴。 前世でとても大切だった、恋人のことを。「は……っ!」止まっていた呼吸をするかのように目覚めると、見慣れない灰色の天井が目に入った。 吊り下がる星型のランタン。ヴィスコンティ王宮にはよくある光景。 両脇にあるステンドグラスから暖かな太陽の光が差し込み、今が朝であることを告げている。「あれ……あ!そうだ。私、昨夜…」ズキっと錘《おもり》を乗せられたような痛みが胸いっぱいに走り、思わず両手で押さえつけようとするとー 左手がグンっと何かに引っ張られた。「え?」ーールイス? 見るとルイスが私の手を握ったまま、ベッドに伏せて眠っていた。 栗色のウェーブした髪が、愛らしい子犬のようだ。 小さな銀のピアスが片方の耳の隙間から覗いている。白くてきれいな肌。 柔らかそうな頬……って、見惚れている場合じゃない。 そうよ、手。ルイスが手を握ったまま寝ているから。 でもまさか、あれからもずっと私の側に? 第二王子のルイス・ヴィスコンティ。 『無能の王子』と陰で呼ばれる王子。 物静かで、正直いつも何を考えているのか分からなかった。 そんなルイスがまさか、こんなにも慈悲深いなんて。 握っている手も、なんて温かいのーー。「ん……?ロジータ?もう目覚めたのか?」「は、はいっつ!」私の心臓が激しく跳ねた。 寝起きのルイスの声
目覚めたロジータは、今までとはどこか雰囲気が違っていた。 エルミニオに殺されかけたショックで? それに俺と契約結婚だと?何を言っているんだ。 しかし、ロジータが言っていることは意外にも核心をついており、驚かされた。『はい。今の私はエルミニオ様に命を狙われています。 その私を助けたあなたも、危険です。 この窮地をうまく乗り切るには、私たちが互いに協力し合う必要があります。』確かに、今の俺の立場は危うい。 瀕死のロジータを衝動的に助け、禁忌の力まで使った。 彼女が言っていることも分からなくはない。 ロジータが俺に惚れ、結婚したとなれば、二人が命を狙われる可能性は低くなるだろう。 エルミニオも、実の弟の妻となれば手出ししづらいはずだ。 だが、それだけではロジータの提案は受け入れられない。 第一に俺はリーアを愛していたし、ロジータと契約結婚するリスクの方が高かった。 まず、俺がロジータを助けたのを知ったエルミニオは怒り狂うだろう。 あの時の賛同者たちも敵に回す。 それに、ロジータの実家の勢力を考えると、エルミニオに反逆の意思ありと捉えられる可能性もある。 スカルラッティ家は、ヴィスコンティでも高名な家門で、莫大な財産、軍事力などを有している。 王権を強化したい王ーー父にとってロジータは、なくてはならない存在だった。 それゆえにエルミニオはリーアを愛していながら、長い間ロジータと婚約破棄ができなかったのだ。 確かに自分たちの身を守るため、契約結婚に賭ける価値もあるが、その分リスクも大きい。 俺はロジータの提案を断った。 だが彼女は断ったにも関わらず、あきらめずに食い下がってきた。『私……いえ、この世界は小説の世界です。 私は悪役令嬢のロジータで、まさに今日、エルミニオ様に殺される運命でした。』ついにロジータは完全におかしなことを口走り始めた。 彼女が言うには、ここは小説の世界であり、自分たちは決められた物語《ストーリー》によって動かされているという。 さらには、最近俺がリーアへの歪んだ想いに苦しんでいることまでも言い当てた。 この先、俺が暴走してリーアを監禁し、エルミニオに殺されるという未来までも。 確かに俺は、この醜い悩みを誰にも打ち明けたことはなかった。 まさか、本当なのか? 簡単には信じられない。 だが、ロ
ロジータの処刑は、エルミニオたちの独断である。 スカルラッティ家の権力を考えれば、これは許されない行為だった。 だからエルミニオたちは、密かにこの小広間でロジータの処刑を決行した。 エルミニオがあえて星の力が宿る剣を使ったのは、刺殺痕が残らないからだ。「死んだか?」「……虫の息です。あとは手順通りにやりますので、殿下はご心配なく。」関係者たちは、その場でロジータが病死したかのように偽造し、床の血を拭き取る。 誰かに発見させるため、あえてロジータを放置し、その場を去る。 そういう計画だった。 エルミニオは、愛するリーアを虐げる女を密かに始末した。 何とも美しい愛だと人は言うだろう。 だが俺は、なぜか初めから納得がいかなかった。「エルミニオ様、私、やっぱり怖いわ。ロジータ様に恨まれそうで……」「リーア。ロジータはもう死ぬんだ。何の心配もいらない。」エルミニオはリーアの腰を引き寄せ、絶命しかかっているロジータをゴミのように眺めた。 誰もが彼女は死んだと思った。「行くぞ、ルイス。」「兄さん。俺は……もう少ししてから行きます。」しばらくして関係者たちが去り、次にエルミニオとリーアも立ち去った。 小広間は静寂に包まれていた。 ロジータは床に崩れ、呼吸も微弱だった。 心臓を突き刺されたのだ。 まだ生きている方が不思議だった。 だが顔が真っ青だ。間違いなく死にかけている。 『刻印』までもが、俺を引き止める。「くそ……!」咄嗟に腕を掴み、俺はロジータを抱き上げた。 彼女はあまりにも軽く、まるで羽のようだった。 ロジータのドレスの肩紐がずれ、ふと白い肩が覗いた。「ルイス……様?」弱々しい、碧い瞳が俺を不思議そうに見つめた。「……今は黙っていろ。」マントで彼女の体を覆い、運河沿いの回廊を急いだ。 これは、つまらない同情だ。 みじめな女を、放っておけなかっただけ。 ……それだけか? 彼女の体から、血の匂いがした。 ロジータ・スカルラッティ。 俺はお前が嫌いだ———— それでも……俺の住む宮殿はどこよりも薄暗い北側にある。 あまり改装もされていないのであちこち色褪せ、見た目も寂れている。 これは俺が誰からも期待されていない証拠。 使用人の数も少なく、あまり人も近づかないのでロジータを隠すには都合が良かった
俺はルイス・ヴィスコンティ。ヴィスコンティの第二王子だ。 優秀な兄ーー王太子エルミニオの輝く影に隠れ、宮廷では「無能な王子」と囁かれている。 王位は遠く、誰も俺に期待などしていない。 時々、そんな俺の心の奥で何か疼くことがあった。夏の海辺と、誰かの優しげな笑顔ーーそれはすぐ消え去ってしまう、幻のような記憶。 あれは一体何だったのだろう?だがそれよりも、最近、俺の頭を悩ませるのはリーア・ジェルミの存在だった。 銀髪、儚い笑顔を見るたび、胸が締め付けられる。 だがこんなもの、愛じゃない。 それよりもっと歪で凶悪な…… 彼女を縛りたい、閉じ込めたい。 そんなどす黒い衝動に苛まれる。 俺は兄に劣等感を抱くだけでなく、こんなにも最低な男だったのか?その夜、王宮の小広間では悲惨な光景が広がっていた。 頭上のシャンデリアが月明かりで淡く光り、すぐ近くで運河の水音が響いていた。 兄エルミニオの冷酷な声が広間いっぱいに響いた。「ロジータ・スカルラッティ! リーアに毒を盛ろうとした罪は、俺への…… いや、ヴィスコンティ王家への反逆に等しい! よって、婚約は破棄し、ここでお前を処刑する!」ロジータの真紅のドレスが床に広がり、いつも自慢していた金髪が、みすぼらしく揺れる。 彼女は兄を愛しすぎ、嫉妬からリーアに毒を盛った。 将来、王太子妃になるかもしれないリーアを毒殺しようとした。 だからこの断罪には、正当性がある。 そう思い込もうとし、俺は彼女の最期から一瞬だけ目を逸らした。 しかし、次に見るとエルミニオの剣は容赦なくロジータの心臓を突き刺し、彼女の真紅のドレスはさらに濃く染まっていた。かつては同じ『星の刻印』を持っていたロジータを、あんなにも残酷に。 碧い瞳に涙が滲み、やがて彼女は膝を崩した。「エルミニオ様……、私……、私は、あなたを……!ゴホッ!」震える声。 リーアがエルミニオの背後に立ち、華奢な体を寄せ、涙を流す。「エルミニオ様、怖い……」その儚さに俺の胸が痛んだ。 リーアが俺にもああしてくれたら…… 違う。今はこんなことを考えている場合じゃない。 エルミニオはロジータの心臓を突き刺し、血まみれの剣を手放した。 ヴィスコンティ王家の不思議な力が宿る剣。 エルミニオはその手で、怖がるリーアを優しく慰めた。 ロジ