「おう、俺だ!ってのも変だが……お前の上司だったルーカスだ。本物だぜ? 一応な」 男――ルーカスの返答にヴィオレタは、しばらくの間、続く言葉を発することができずにいた。 柳眉を伏せ、ほっそりとした肢体を振るわせ、杖を頼りに彼女は何とか立っていた。「なんで……なんで、生きていたなら言わないのよ」「あぁ、厳密に言えば生きてたってわけじゃねぇ。まぁ、いろいろ複雑で……大体は、あいつのせいだ」 ルーカスが視線を向けた先に居るのは、無邪気な微笑みを口元に携えたクロヴィスだ。「あぁ、そうそう。ルーカスくんを責めないであげてね。ほら、彼は僕の|離魂剣《アエテリス》によって死んだだろ? だから、その魂は剣に吸収されたわけだよ。そして身体の方は|死霊庁《プルガトリオ》に回収された」「まさか……」 クロヴィスの話に、ヴィオレタの双眸が大きく見開かれる。「あはは、流石に勘が良いね。ご明察、偉大なる冥王家の御歴々は、こう考えたわけだよ。離魂剣で吸収した魂を、もとの身体に戻すことは可能かってね――」 「魂を管理する立場にありながら、恥知らずの俗物どもが……」「いやぁ〜、本当に笑っちゃうだけどさ、そもそも本来は天界に還るべき魂を喰らう離魂剣こそが許されざる魔剣なわけじゃん? それから魂の解放を試みるってのは、あながち死神としては間違ってないと思うよ。まぁ、そもそもその魔剣を創った本人が言うなって話だけどさ〜、あはは!!」 ひとしきり手を叩いて笑った後、クロヴィスは、まるで教師かのように指を立てて周囲を見渡す。 「さて、ここからが大切なお話だよ。彼らに提案された僕は、もちろん快諾した。なんと言っても、おもしろそうだったからね〜。でも、この試みは原理的には可能だったんだけど、大半の死神は生き返った後に精神が壊れちゃって使い物にならなくなっちゃったんだ。やっぱり魂を弄ぶのは禁忌に触れることなのではないのかと、実験に率先して参加していた死神たちまで日々おかしくなっていく姿は傑作だったなぁ」「大概イカれてんぜ。あんた……」 「ふふふ、褒め言葉と受け取っておくよ」 当時を想い出して破顔するクロヴィスに、レイフは嘆息するしかなかった。 純粋な好奇心を行動原理にしている分、この男の悪意は見えにくい。 男の名は――ルーカスと言った。 その名にレイフは覚えがある。
レイフは手元に続けて三枚のカードを出現させると、先ほどの一枚とともに空へと放った。 カードは意思を持つかのように四方へと散ると、瑠璃色の魔法陣を展開する。 間髪を容れず魔法陣からは漆黒の鎖が生み出され、一斉にクロヴィスを拘束しようと迫った。「甘いよ!」 クロヴィスは、前方に右手をかざす。 瞬く間に、|金色《こんじき》の光が出現し、それは彼の身体を守るように障壁へと変化した。 パリン、と硝子が砕け散るような音が響き渡る。 次の瞬間には障壁へと衝突した鎖は宙に弾け飛び、塵となり霧散していた。「カルロス、グィネヴィア――|行《ゆ》きなさい!!」「「はっ――!!」」 ヴィオレタの号令を受け、二人の|死神《リーパー》が駆け出す。 カルロスと呼ばれた赤毛の大柄な男は、手元に巨大な|戦棍《メイス》を出現させると、それに|焔《ほむら》を纏わせてゆく。「はあぁぁっ――!!!!」 怒声とともに空中へと飛び上がったカルロスは、背後よりクロヴィスの頭部へと戦棍を振り下ろす。「ふふっ――」 瞳を閉じて宙へと静かに佇むクロヴィスの口角が、わずかに上がる。 次の瞬間、彼の姿は茜色の空に消失した――。「なっ!?」 カルロスの真紅の双眸が、大きく見開かれた時には既にクロヴィスの姿は彼の背にあった。「遅いよ」 瞬く間に移動したクロヴィスは、腰元の剣の柄へと手をかける。 だが、その手が|剣《つるぎ》を抜くことはなかった。「おや、これはこれは……」 剣と彼の手が、時の流れから隔離された彫像のように凍りついていたからだ。 ――「そうは、させない」 凛とした冷たい声音が響き、彼の隣へと|白縹色《しろはなだいろ》の閃光が飛来した。 グィネヴィアと呼ばれた女性の死神だ。 動けずにいるクロヴィスの至近距離へと接近した彼女は、腰元から剣を引き抜く。 それは流麗な反りと、白い光を帯びた波紋が特徴的な東方の国々で〝刀〟と呼ばれるものだった。 首を狙った完璧な一閃が放たれる――。 白金色の髪が宙を舞い、クロヴィスの頬から紅い飛沫が飛んだ。「おぉ、怖い怖い!」 ぺろりと、艶やかな|虞美人草《ひなげし》のような舌で頬から垂れる血を舐めとると、彼は後方へと距離を取って躱した勢いのままに、背に月白色の光翼を生み出し飛び立つ。 光
その表情には、どこか寂寥感が浮かんでいた。 レイフの瞳にはクロヴィスの姿が一瞬――ヴィオレタと|重なって《ダブって》見えてしまい、必死にその空想を否定する。 先ほどの彼女とは別の|給仕係《ウェイトレス》が、クロヴィスの席に牛乳がたっぷりと注がれた|紅茶《テ・オ・レ》を運んできた。 彼は給仕係に一言、お礼を告げると、角砂糖をひとつ、またひとつと紅茶へと運んでゆく。 気がつけば、その量は小さな山ができるほどになっていた。 甘党のレイフですら、げんなりとするような量の砂糖が溶けた|紅茶《テ・オ・レ》を口に含むと、口角をわずかに上げて彼はレイフを見つめた。 「レイフ……君は何をもって、人は〝生きている〟と言えると思う?」 「それは……」 クロヴィスの問いにレイフは、すぐに答えることができなかった。 〝何をもって生きていると言えるのか〟――そんなことを過去に考えたことはなかった。 「レイフ――」 「っ――!?」 次の瞬間、彼はレイフの右手を取り、自分の胸元へと押し当てていた。 「聞こえるかい、この鼓動が? 死神にも確かに命があるだろう?」 どくんどくんと、高鳴る心音と幻惑的な光を放つ、切なげな菫色の瞳に思わず頬が熱くなり、必死に腕を振り払おうとするもクロヴィスの力には敵わない。 「僕はね、こう思うんだ。生きているかどうか、それは――〝この与えられた命を燃やし尽くすほどの美しく、無垢で醜悪な激情に、身を委ねることができているかによる〟と! その感情が愉悦でも悲哀でも、恋慕だろうとも、なんでも構わない!!」 クロヴィスが身を乗り出したことによって、唇が触れ合うほどの距離に高揚した美貌が迫る。 「僕はね、生まれついたその瞬間から〝正常〟を失っていたんだよ。自分の中に生まれた感情を満たさずにいられない。はじめて自分が、壊れているとわかったのは……そうだ、まだ僕がほんの十歳になるかどうかの子供だったときだ」 柘榴を想起させる唇から、甘美な吐息とともに|物語《フォークロア》が紡がれてゆく。 「むかーし、むかーし、とある村では領主が、それはそれはひどい悪政を敷いていました。凍えるような風が吹く冬、代官と兵隊が、この惨劇の舞台となる村へとやってきた。彼らは「年貢を納めろ」と怒声を上げて、村人たちに笑いながら、ひどい暴力を振るっ
◆◇◆◇ 空が茜色へと染まってきたころ、マリーヌ川沿いの小さな乳白色のカフェのテラス席では、二人の人物が向かい合い、ケーキと紅茶に舌鼓を打っていた。 月白色の制服を着崩した鋭い目つきの少年の前には、所狭しと店自慢のケーキが並べられている。 「あぁ、それでジャックとレオノールは付き合うことになったんだが、今じゃ誰もが羨む仲良しカップルだ。毎日、あんな熱々っぷりを見せつけられるこっちの身にもなってほしいぜ」 「ジャックってのは、あのお調子者の友人だね〜」「そうそう、あの年中、やかましいバカだ。んで、ニコラ、あのいけすかない|真面目美男子《エリートイケメン》な。あいつは、どうやらエミリーに気があるらしくてアプローチをかけてるみたいだぜ」「良いなぁ、僕はそういう〝|青春《アオハル》〟っていうの経験したことないからね。街ゆく学生たちの楽しそうな姿を見てると、こう……グッとくるものがあるよ〜」 そう軽快な調子で応じるのは、少年と同様にヴァルメール学院の制服――それも女子生徒用のものを身に纏う中性的な容貌の麗人だった。 ――「お待たせしました〜。ご注文の『太陽のマドレーヌ』30個です。……というか、これ数合ってますよね?」 少年――レイフと、そう変わらない年頃であろう可愛らしい容貌の|給仕係《ウェイトレス》の少女が、こんもりと山のように盛られたマドレーヌを運んできた。 「あはは! ごめん、驚かせちゃったよね。彼が甘党でさ、今日は僕が奢るよって言ったらこれだよ」 注文が入って運んできてみれば、席に座るのは細身の鍛えられた身体の少年と、華奢な美女の二人のみ。 30個のマドレーヌを、この二人が平らげるとは誰も思わないだろう。 訝しむ様子の少女の方を、レイフとの会話に夢中になっていた女性が振り返る。 星の光を吸い込んだような煌めきを放つ|白金色《プラチナブロンド》の髪に、|菫青石《マリアライト》を想起させる幽玄な輝きを放つ|菫色《ヴィオーラ》の瞳。 口元には、相手の警戒心を一瞬で溶かすような涼しげな微笑みを携えて、申し訳なさそうに手を合わせる美女に少女は思わず頬を染めた。 「うわ……すごい美人……。って、ごめんなさい! ははは、でもこんな美人で理解のある彼女さんが居るなんて君も幸せ者だね」 慌てた様子でレイフへと視線を移した少女は、マドレ
◆◇◆◇ 「そんで連合国は一度は分裂の危機を迎えたわけだが、王国伝説の|諜報員《スパイ》であるコードネーム〝ダブルイーエイト〟ことジャン・ペルロが、ゼピュロス王国宰相ヴィクトル・イェジェクと、帝国側の繋がりを裏付ける証拠を潜入中に発見したことによって流れは変わっていく……んで、あぁ、そうだ」 教卓では、レイフが黒板に書かれた項目を自分なりの言葉でまとめ、ときには例え話なども挟みながら解説している。 「これにより、帝国による連合国分断計画も失敗に終わったってわけだな」 拙さはあるものの、そこが逆に応援したくなるようで、クラスメイトたちは、なにか微笑ましいものを見る目で彼を見つめていた。 生徒たちの中に居眠りをしたり授業に集中せず、よそ見をしているような者も居なかった。 最も、国内屈指の名門校であるヴァルメール学院ではレイフのような不良生徒の方が稀だ。 一通りの説明を終え、首を回して肩の凝りをほぐしたレイフは、何か補足することはあるかと隣に立つヴィオレタへと視線を向けた。 レイフの隣で壁によりかかる彼女は、目を閉じて腕を組みながら、静かにレイフの講義に耳をすましていた。 「…………」 「おい」 「…………すっー、すっー」 「起きろ、ニート教師!」 「……っ!? なかなか、良い講義だったわ……」 レイフの怒声を受けた彼女の瞳が、カッと音が鳴りそうなほどの勢いで見開かれる。 |咄嗟《とっさ》に表情を取り繕った彼女は、レイフの方に向き直ると意味ありげに頷いてみせた。 「はぁっ……。あのなぁ、立ちながら器用に寝んじゃねぇよ」 「それもそうね」 彼女はレイフの言葉に首肯すると、教卓の椅子を引き、深く腰掛けた後、机に突っ伏して目を閉じた。 「誰が、ガッツリ寝ろって言ったんだよ!?」 「何をしても怒られる……。そういえば、机で寝るとき専用の枕があるらしいわよ。レイフ、ちょっと走って買ってきなさい」 「行かねぇよ! ってか、そもそも秘書の仕事で、教師の代わりに授業するなんて聞いたことねぇんだよ!!」 「ふっ――免許皆伝よ、もう何も教えることはないわ。成長したわね」 「何が免許皆伝だ……」 レイフは嘆息を漏らした後に、時間をかけてセットした自慢の髪を掻き乱し、生徒達の方へと向き直った。
◆◇◆◇ 学院でのヴィオレタとの話を終えたレイフは、家の私室へと戻ってきていた。 制服は既に脱ぎ、首元の開いた黒のカットソーに同色の細身のパンツという動きやすい格好だ。 扉を開けた瞬間、レイフは顔をしかめる。 「親父の野郎、また増やしやがったな……」 真紅の壁には所狭しと、著名らしき画家の絵や高価な皿などが飾られている。 価値の高い絵や食器、装飾品をレイフの両親は財力に物を言わせて、世界各地から買い集めていた。 その数は毎年増えてゆき、こうしてレイフの部屋まで侵略している。 両親の貴族趣味はレイフには全く理解し難く、目がチカチカしてたまったものではないというのが正直な感想だった。 「ったく、成金の悪趣味もいいところだぜ」 彼は一度嘆息を漏らした|後《のち》に椅子へ深く腰掛けると、厨房から持ってきた|林檎《りんご》を宙に投げて弄ぶ。 クロヴィスが率いる叛乱軍との戦いまでの猶予は、残りわずか一日しかない。 およそ500年前にも同様に彼が起こした叛乱は、ヴィオレタやルーカスといった|死神《リーパー》たちの命懸けの抗戦によって失敗した。 だが、彼が持つ才を惜しんだ冥王家は、クロヴィスの命を奪わずに幽閉した。 実際にクロヴィスは、この500年の間、冥界に自身の知識によって急速な発展をもたらしてきたようだ。 さらに|離魂剣《アエテリス》のような魔剣には及ばずとも、強大な力を持つ武器も量産されてゆき、今では死神たちに普及している。 最も、冥界に魔剣のような武器は本来ならば必要ではない。 冥界の基本的な役割は、死者の魂――その中でも罪深く、天界に|行《ゆ》くことを許されなかった魂を管理することだ。 だが、過去には冥界の内部で争いが起きたり、クロヴィスのように死者の魂を悪用することを試みた者も居た。 また、いつそのような考えを持つ者が現れるとも限らない。 さらに言えば棲み分けこそされているものの、天界や現世との力関係を気にする声があるのも事実だ。 人であろうと神であろうとも、世を動かす|仕組み《システム》に〝意志〟が介在する限りは、武力が必要でなくなることはない。 |冥界《オルクス》・|天界《カエルム》・|現世《サエクルム》は、天界が主導権と力を持ちつつも、互いに警戒し監視し合うような関係となって