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エレナの視点 ────── 夕暮れの散策を終えた私は、約束の刻限より少し早く、皆との集合場所である街の入り口に戻ってきた。 そこには既に、シオンさんが静かに書物を読んでいる姿があった。 「戻りました、シオンさん」 私がそう声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。 「おかえりなさい、エレナさん。他の方々も、もう間もなくだと思いますよ」 彼の穏やかな声は、不思議と私の心を落ち着かせてくれる。 *** それから数分もしないうちに、街の入り口がにわかに騒がしくなった。 聞こえてきたのは、何やら深いため息。そして現れたのは、まるで三日三晩眠らずに魔物と戦い続けた後のような、生気のない瞳をしたシイナさんだった。 「悪い…待たせたな……」 「シイナさん!? だ、大丈夫ですか? 何かあったのですか?」 その尋常じゃない様子に、私は思わず駆け寄って尋ねた。 「いや……うん……その、なんだ……とんでもなく、いや…ものすごく賑やかな奴が、俺たちのパーティに合流することが、ついさっき決定してね……はは……」 乾いた笑いを浮かべ、シイナさんは疲れ切った声で言うと、ぐったりとした腕で、力なく背後を指し示した。 私が訝しげにシイナさんの背後へと視線を移した、その瞬間だった。 「どうもどうもー!!! 皆さん、初めましてッ!! 私、魔法研究所研究員のミストです! 以後お見知り置きを! どうぞよしなに、よろしくお願いしますねッ!!!」 まるで小型の竜巻がすぐそこで発生したかのような勢いと、鼓膜を直接揺さぶるような快活な声。一人の少女 ――ミストさんが、満面の笑みでそこに立っていた。 その有り余る元気さは、見ているこっちの体力までごっそり吸い取られそうだ。 (なっ……!コイツの騒がしさは一体なんだ……!?) エレンが内心で警戒とも呆れともつかない声を上げる。 なるほど……シイナさんがどうしてあんなに疲弊しているのか、少しだけ、本当に少しだけ、理解できた気がする。 「おー、エレナにシイナ、それにシオンも戻ってたか。早かったな」 そんな喧騒なんてどこ吹く風とばかりに、呑気な声と共にグレンさんも入ってきた。 「おおっ! そのお姿、その風格! もしや、貴方様があの有名な“炎の騎士”グレンさんではございませんか!?」 ミストさんは、獲物を見つけた狩人みたいに凄まじい勢いでグレンさんに詰め寄る。 「おお!? いかにも! 俺がその炎の騎士グレンだぜ! よろしくな!!」 グレンさんは満更でもない様子で、胸を張って自信満々に答える。どうやらこの二人、波長が合うのかもしれない。 「……急に、頭痛が……」 シオンさんはこめかみを指で抑え、心底疲れたようにそう呟くと、再び書物に視線を落とした。だけど、その眉間の皺はさっきより深くなっている。 うん……確かに、この賑やかさは少々刺激が強いかもしれないなぁ。 「ミスト……頼むから少しは落ち着け……」 見かねたシイナさんに首根っこをむんずと掴まれ、ミストさんは「あぅっ」と小さな悲鳴を上げながらも、グレンさんから引き剥がされた。 「は、初めまして……わたくし、聖女見習いのエレナと申します……。ミストさん、どうぞよろしくお願いいたします……!」 私は緊張で声が上ずりながらも、なんとか挨拶をする。本当は、先日の騒動の時に彼女の姿を遠目に見ていたのだけど……今は初対面、ということにしておかないと。 「おおおおっ!!? 貴女があの噂の聖女様でしたか! お会いできて光栄ですっ!」 ミストさんは目をキラキラと輝かせ、今度は私に詰め寄ってくる。その勢いは、やっぱり凄まじい。 「ま、まだ聖女などでは……ただの見習いですので……」 その無邪気な圧力に押されて、私は今にも消え入りそうなか細い声で答えるのが精一杯だった。 「ふむ……? エレナさん……どこかで一度、お見かけしたような気がするのですが……うーん?」 ミストさんは私の顔を覗き込むようにして、顎に手を当てて首を傾げる。 その言葉に、私の心臓がドクンと嫌な音を立てた。 (ね、ねえエレン、どうしよう!? やばいよ、やばいって! このミストさんって人、すっごく勘が鋭そうだし、私たちが時々……その、入れ替わってることがバレちゃったら……絶対まずいよね!?) (それだけは勘弁願いたいものだな。面倒事が増えるのは確実だ) エレンもまた、露骨に嫌そうな気配を漂わせている。 冷や汗が背中を伝うのを感じながら、私は必死に言葉を絞り出す。 「そ、それは……私、時折、祈りの場で多くの信徒の方々の前に顔を見せる機会がございますから……その時にでも……」 ミストさんはなおも「うーん……?」と私の顔をまじまじと見つめている。 もうダメかもしれない――! 私が内心でそう叫んだ時だった。 「ミスト!」 ゴツン、と少し重い音を立てて、シイナさんの手刀がミストさんの頭に落とされた。 「ぐぇあ!?」 ミストさんは何とも言えないような声を上げて、その場に少しだけしゃがみ込む。 「エレナさんが本当に困っているだろう。そのくらいにしておけ」 シイナさんはそう言って、私の方を気遣うようにミストさんを窘めてくれた。 (あ、危なかったかも……) *** ひとしきり騒動が落ち着いた頃、ミストさんが何か思い出したように声を上げた。 「あっ! そういえばエレナさん!!」 「は、はいっ? なんでございましょうか……?」 まだ少し緊張が解けないまま、私はミストさんに向き直る。 「こちらを! 教会の司祭様から預かってきましてね! なんでも、エレナさんに必ずお渡しするようにと!」 そう言ってミストさんが鞄から取り出し、私に手渡してきたのは……丁寧に畳まれた、純白の衣服だった。 「これは……?」 受け取った衣服は、見た目はシンプルなローブのようだけど、どこか神聖な気配を纏っている気がする。 「なにやら、ものすごーく特殊な機能が付いているらしいですよ? まぁ、私にも具体的なことはさっぱりなんですけどねッ! あはは!」 ミストさんは、いつもの調子で悪びれもなくそう教えてくれた。 こうして……私たちのパーティに、さらに一人。 いや、その存在感と賑やかさは、おそらく二人分以上の嵐を巻き起こしそうな新しい仲間が、加わったのだった。 この先、一体どうなってしまうんだろう。 期待と、ほんの少しの不安が胸をよぎる。へレフィア王国へ向かう船旅は、驚くほど穏やかだった。海は陽光を受けて宝石のようにきらめき、波は柔らかく船体を持ち上げては下ろす。その規則正しい揺れが、心臓の鼓動と重なって、妙な安心感を与えてくれる。潮風は冷たく、けれど鼻を抜けるとどこか甘さを含んでいて、これから訪れる新しい土地の匂いを運んでくるかのようだった。しばらく進むと、視界の先に大きな船影が現れる。白銀の装飾をまとい、陽を浴びて輝くその姿は、海の上を行く巨大な聖堂のよう。あれが、へレフィア王国の騎士団の船――。私たちの船が近づくと、操舵手さんが甲板に立ち、胸を張って声を張り上げた。「騎士団の皆さん! お疲れ様です!」その呼びかけに、鎧を着込んだ騎士が姿を現す。鉄靴が甲板を打つ音さえ、威厳を帯びていた。「お疲れ様でございます。……そちらの方々は、見ぬ顔のようですが?」「彼らはナヴィス・ノストラのギルド受付嬢の推薦を受け、へレフィア王国へ向かっているところです!」操舵手さんが誇らしげに言うと、騎士団の人たちは一瞬だけ視線を交わし、そして私たちに柔らかな笑みを向けてくれた。「なるほど。あの方の推薦であれば、何も問題はございません。――へレフィア王国への上陸を許可します」(やっぱり……エレン、あの受付嬢さん、すごい人なんじゃない?)(ああ。ギブソンにも物怖じせぬ胆力、そして王国騎士団すら動かす信頼。ふむ……市井に埋もれさせておくには惜しい人材だ)エレンの声が、少しだけ感心を含んで響く。私は胸の奥で頷き、改めて、あの受付嬢さんに助けられたことを深く感謝した。「では、失礼します!」「皆様も、王国で実りある日々を」騎士の言葉に見送られ、船は再び速度を上げる。風が強まり、白い飛沫が甲板に散った。***やがて船着き場が近づき、仲間たちは次々と下船していった。私は最後に、木の板を踏みしめて石畳の港へ降り立つ。潮の匂いに混じって、どこか清冽な空気が流れ込んでくる。深呼吸すると、胸の奥に冷たさと同時に清らかな熱が広がるようだった。顔を上げた瞬間、言葉が喉に詰まった。――空が、狭い。正確には、空を覆い隠すかのようにそびえる建物のせいだ。天を貫くほどの巨大な大聖堂。その壁はクリーム色に近い温かな白で築かれ、どこまでも高く伸びている。首が痛くなるほど見上げても、その頂は霞に隠れて見えない
**────エレナの視点────** いくつもの船が停泊する港町。その一角にあるギルドの内部で、私たちは今回の依頼の完了報告と、捕らえた海賊たちの引き渡しを行っていた。 「この度は……本当に、本当にすみませんでした……!」 カウンターの向こうで、依頼をくれたあの受付嬢さんが、深く深く頭を下げていた。その声は、申し訳なさで震えている。 「い、いえ!大丈夫ですっ!どうか、頭を上げてください……!」 私は慌ててそう言った。彼女が悪いわけじゃないのに、そんなに謝られるとこっちまで恐縮しちゃう。 「いえ……今回の不備は、完全に我々ギルドの不手際によるものです。まさか、あの『紅の海蛇』の内通者が、ギルド所属の操舵手に紛れていたなんて……」 「確かに、それはそちらの不手際だ」 今まで黙っていたシイナさんが、厳しい声でそう言った。ピリッ、と空気が少しだけ緊張する。でも、彼の言葉はすぐに和らいだ。 「だが、結果として依頼は達成できた。今後はこのようなことが無いよう、人員管理を徹底してくれればそれでいい」 「……お言葉もありません。そのお詫びと言ってはなんですが、皆様をへレフィア王国へ渡れるよう、こちらで手配いたします」 受付嬢さんの口から、思いもよらない言葉が飛び出した。 「な、なに!?それは本当だろうか!?」 シイナさんが、思わずといった様子で声を上げる。 「ええ。私、へレフィア王国の出身ですから。そのくらいの融通は利かせられます」 「きっと、明日にはへレフィア王国へと渡れるでしょう」 彼女はそう言って、少しだけはにかんだ。 へレフィア王国へ……。 その言葉が、私の胸に温かく染み渡っていく。 もうすぐ……もうすぐ、お母様に会えるんだね……。 ずっと張り詰めていた気持ちが、ふっと軽くなるのを感じた。 今まで、一度もへレフィア王国へいったこ (エレナ……二人で、君の母君に挨拶を済ませよう) エレンの、優しくて力強い声が響く。 (うん……) 私は、心の中で強く頷いた。 「そういえばなのですが」と、受付嬢さんが思い出したように付け加えた。 「あなた方が連れてこられた、ギブソンという海賊ですが……彼は船の器物破損、及びギルド所属船への無断乗船の罪で、現在、地下牢に幽閉中です」 (そ、そうなんだ……) あの人のことを考えると、正直、少
エレンがマリーたちを捕らえてくれた後、私たちは船内の物陰でそっと入れ替わった。荒れた甲板の中心で、マストに縛られている大海賊マリーさんと向き合う。さっきまでの喧騒が嘘のように、船の上は静かだった。 ふと、一つの疑問が浮かぶ。 「そういえば……他の海賊船はどうしたんですか?」 私の問いに、グレンさんがニカッと笑って答えてくれた。 「おう!俺が派手に一隻沈めてやった後、ギブソンの奴が潜って、もう一隻の船底に風穴開けてやったのさ!」 (そんな事になってたんだ……) エレンとマリーさんが戦っている間に、そんな激しい戦闘が繰り広げられていたなんて。グレンさんは、さらに得意げに言葉を続ける。 「残りの一隻は、シオンの奴が一人で静かに潰してたぜ」 「ああ。だが、最後の船は勝ち目がないと見て逃走した。……詰めが甘かったな」 冷静に補足してくれたのはシイナさんだった。それを受けて、ギブソンさんが吐き捨てるように言う。 「海賊なんてそんなもんさ。裏切りは日常茶飯事よ。どうせまたどこぞのバカと手を組むだけだ」 逃げた船もいるんだ……。でも、それよりも気になることがあった。 「あの、沈没した船に乗っていた海賊の方たちは……?」 (悪い事をした人達だけど……命が失われることは、やっぱり嫌だから……) 私の心からの祈りにも似た呟きに、エレンが優しく応えてくれる。 (そうだな。君のそういうところは、美徳だと思う) その時、ミストさんが「ご安心を!」とでも言うように、ぱっと明るい声を上げた。 「エレナさんが心配すると思って、全員きっちり捕獲済みですよ!」 (良かった……) ミストさんの言葉に、私は心の底からほっとした。 その声で意識が戻ったのか、マリーさんが呻きながら顔を上げた。 「くそ……この私が、こんな奴らに捕まるとはね……」 その悔しそうな声を聞き、それまで黙っていたギブソンさんがズカズカと彼女の方へ歩いていく。 「よォ、マリー。随分と派手にやってくれたじゃねえか」 「……ギブソンか。今更何の用だい」 「決まってんだろ。俺から奪っていったモンを、きっちり返してもらうだけだ」 ギブソンさんはそう言うと、どこからか取り出した巨大な斧をその手に構えた。危ない! 「待ってくれ!俺たちの依頼は海賊の掃討だ!捕まえたのなら命まで奪う契約ではない!
私は再び剣を構え、マリーへと踏み込んだ。「はっ!!!」踏み込みと同時に、刃を振り下ろす。「甘いな!!」マリーは後退しながら、あの奇妙な銃を私に向けて連射する。赤い宝石が、唸りを上げて空を切り裂いた。一発目を身を翻して避ける。二発目は背後の船のマストを盾にする。直後――凄まじい衝撃と共に、盾にしたはずの柱が内側から弾け飛んだ。木片が、雨のように降り注ぐ。「……!」私は目を細める。「柱を貫くか……!とてつもない威力だ」正直に認めざるを得ない。「当たったら耐えられんな」だが、脅威はその程度だ。「放つ武器と理解したら」私は、マストの残骸を蹴りつける。「そこまでだ」煙幕のように舞い上がる木屑の中から、私は飛び出した。予測通り、マリーは再び銃口をこちらへ向ける。引き金に指がかかる。しかし――もう遅い。迫り来る宝石の弾丸。私は腰に差していた短剣を抜き、その側面を叩き斬るように弾いた。甲高い音を立てて、弾丸は明後日の方向へと飛んでいく。海の彼方へと消えた。「はっ!??」マリーの目が、大きく見開かれる。「斬っただと!?」彼女の顔に、初めて純粋な驚愕が浮かんだ。その一瞬の硬直が――命取りだ。「隙を見せたな!!」一気に距離を詰める。風が、頬を撫でた。「そんなモノに頼っているからだ!!」がら空きになった胴体へ、容赦なく膝蹴りを叩き込む。「ぐぅぅ……!!」マリーは苦悶の声を漏らし、くの字に折れ曲がって吹き飛んだ。船の甲板を転がり、マストにぶつかる。だが――それでも体勢を崩しながら、執念で銃を向けてくる。二発、三発。赤い閃光が、立て続けに放たれた。「ふっ!!」一発目を剣の腹で受け流す。「はっ!!」二発目も同様に。巧みに軌道を変えてやった。狙いは――彼女が守るべき背後の部下たちだ。「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」仲間が放った弾丸に太ももを貫かれ、海賊が倒れる。「がぁっ……!!」もう一人も、肩を押さえて崩れ落ちた。その無様な光景を眺め、私は周囲の敵を見回す。「さぁ」剣を軽く振る。「お前たちも掛かってくるといい」挑発の言葉。案の定、効果は覿面だった。「くそ!!バカにしやがって!!」逆上した海賊たちが、やみくもに斬りかかってくる。素人じみた剣戟。力任せの振り下ろし。私はその全てを最小
ギブソンの怒号が、炎と煙の渦巻く甲板に響く。 「船の炎を消せぇぇぇぇ!!!」 だが、その声は空しく、火勢は衰える気配もない。状況は最悪だ。その絶望に追い打ちをかけるように、巨大な船影が波を割って迫る。その船首には、おぞましい蛇の紋様が彫られていた。 「ひゃひゃひゃひゃ!!! 俺たちに喧嘩を売るとは、馬鹿か!? しかも、そのザマじゃあ、海の上での戦いは素人のようだなァ!!」 敵船から飛んでくる下卑た嘲笑。その声の主を視界に捉えた瞬間、全ての状況が一本の線で繋がった。 「そういうことか……!あの操舵手め!!」 敵の甲板で不快な笑みを浮かべているのは、つい先ほどまで我々の船の舵を握っていた男だった。どうりで動きが鈍いと思った。初めから、我々をここに誘い込むための芝居だったというわけだ。 (つまり……さっきの人が情報を流してたから、孤島から姿を消してた…ってこと!?) エレナの驚きに満ちた声が、思考に割り込んでくる。私は内心の舌打ちを隠しながら、静かに肯定した。 (ああ……。そのようだ) 裏切り者は、隣に立つ屈強な女海賊へ向き直り、大声を張り上げた。 「姐さん!!! 大砲の準備、完了したぜ!!」 「よし……。――放て!!!!」 女――あの船団の頭だろう――は、短い命令を下す。無駄のない、冷徹な声だった。 「おい!!マリー!!いくらなんでもこれはひでぇだろうが!!!」 ギブソンが女の名を叫ぶ。知り合いか。だが、マリーと呼ばれた大海賊は、一切動じることなく言い放った。 「黙れカスめ……!お前たちにはここで死んでもらう」 あの瞳、あの声。交渉の余地はない。純粋な殺意だ。 「ちぃ!!」 覚悟を決めるしかない。この状況、予期すべきだった。 「やはり私が付いてきて正解だったようだな……!」 こうなる可能性を考えれば、戦力は一人でも多い方がいいに決まっている。私は即座に傍らのシオンへ指示を出す。 「シオン、頼みがある」 「わかりました……!して、何をすれば…!」 話が早いのは、何より助かる。 「私に、風属性を纏わせてくれ!私があの大海賊の元へ直接殴り込みに行く!」 「しかし、それは非常に危険では…いえ、あなたの強さは我々がいちばん知ってますね…!了解しました」 一瞬の躊躇の後、シオンは力強く頷いた。それでいい。頭を潰すのが、この状
**────エレナの視点────** こうして私たちは、「大海賊マリー」が潜むという孤島へと辿り着いた。 だが、ギルドの情報とは裏腹に、そこに人の気配は全くなかった。ただ、波に洗われ続ける古い桟橋と、中身のないまま朽ち果てた木箱が、過去に誰かがいたことだけを物語っている。 風すらも止まったかのような、不気味な静けさ。私とシイナさんは顔を見合わせ、肩をすくめて引き返すことにした。 (エレン……。ギルドの情報が、外れたってことなのかな?) (……いや。ギルドの情報網は常に的確だ。外れる時もあるだろうが、今回はそれとはどこか…違う気がするな。嫌な感じがする) 心の奥でエレンと囁き合った、まさにその瞬間だった。 ――ドンッ!! 船底から、海面そのものを殴りつけられたかのような衝撃が、船体を激しく貫いた。 腹の底まで響き渡る鈍い振動に、思わず息が止まる。 「えっ!?」 操舵室の方から、ギブソンさんの怒鳴り声が飛んできた。 「こ、こりゃあまずいぜ!!! 後戻りだ! せめて孤島へ戻れ!!」 何が起きたのかわからないまま、私たちが甲板に飛び出すと―― 視界の端から端まで、巨大な黒い影が、じわじわと海を埋め尽くしていくのが見えた。 「こ、これは…! 無理だ、いつの間にこんな…!」 シイナさんの声が、いつになく焦りを帯びている。 海は、もう逃げ場のない檻と化していた。 左右と背後に回り込んだ、四隻の海賊船。そして前方には、海面を押し潰すかのように迫る、一際巨大な旗艦。 黒布の帆は太陽の光を遮り、甲板を不吉な薄暗さに染め上げていた。 「っ…! いつの間にか、四方八方を完全に包囲されていますね……!」 シオンさんの落ち着いた声すら、冷たい緊張を孕んでいる。 その船影の間から、禍々しい旗が一斉に翻った。 赤地に、白い髑髏。海風が、血の匂いすら運んでくるような錯覚に陥る。 「おい!! 操舵手!! どうにか振り切れ!!」 再びギブソンさんの怒声が飛ぶ。 しかし、直後、彼の声が一瞬途切れた。 「ん!? おい!操舵手!? あいつ、どこへ行った……!?」 返事は、ない。 誰もいないはずの舵輪が、ギィ、と軋む音を立てて、ゆっくりと勝手に回っていくのが見えた時、私の背筋にぞくりと冷たいものが走った。 「あっ…! み、みんな! 気をつけてっ!