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#20:騒がし知性派研究員 ミスト

作者: 渡瀬藍兵
last update 最終更新日: 2025-05-25 18:57:15

 夕暮れの散策を終えたエレナは、約束の刻限より少しだけ早く、皆との集合場所である街の入り口へと戻ってきた。

 石畳を染める橙色の光。

 昼の喧騒を吐き出すように、人影はまばらで、風だけが穏やかに吹き抜けている。

 その入り口の脇で、すでに一人の人物が静かに腰を下ろしていた。

 ――シオンだ。膝の上に開いた書物に視線を落とし、周囲の音すら遮断しているかのような佇まい。

「戻りました、シオンさん」

 エレナの声に、彼はゆっくりと顔を上げる。

「おかえりなさい、エレナさん。他の方々も……もう間もなくでしょう」

 穏やかで、凪いだような声。

 不思議と、その一言だけで、胸の奥に溜まっていた緊張がすっと溶けていくのをエレナは感じた。

 それから、ほんの数分もしないうちに。

 街の入り口の空気が、にわかにざわめいた。

 聞こえてきたのは――深く、重たいため息。

 そして現れたのは、まるで三日三晩、眠ることも忘れて魔獣と戦い続けてきたかのような、生気の抜け落ちた瞳のシイナだった。

「……悪い。待たせたな……」

 その声には、覇気というものが悉く失われている。

「シイナさん!? だ、大丈夫ですか? 何か、あったのですか?」

 あまりにも尋常ではない様子に、エレナは思わず駆け寄り、顔を覗き込む。

「いや……うん……その……なんだ……」

 歯切れの悪い言葉の合間に、乾いた笑いを挟みながら、シイナは続けた。

「……とんでもなく、いや……ものすごく賑やかな奴が、俺たちのパーティに合流することに、さっき決定してな……はは……」

 そう言って、魂の抜けたような腕で、力なく背後を指し示す。

 訝しげに、エレナがその先へと視線を移した――その瞬間。

「どうもどうもーッ!!!

 皆さん、初めましてッ!!

 私、マギア研究所の研究員――ミストですっ!!

 以後お見知り置きを! どうぞよしなに、よろしくお願いしますねぇーーッ!!!」

 まるで小型の竜巻が、目の前で発生したかのような勢い。

 鼓膜を直接揺さぶる、やたらと元気のいい声。

 一人の少女――

 ミストが、満面の笑みで、そこに立っていた。

 有り余る元気。

 いや、溢れすぎている勢い。

 見ているだけで、こちらの体力までごっそり削られていきそうな圧力だった。

(なっ……! コイツの騒がしさは、一体なんなんだ……!?)

 エレンが、警戒とも呆れともつかぬ気配を内心で滲ませる。

(あー……なるほどね……)

 そしてエレナは、ようやく理解する。

 シイナが、なぜあそこまで疲弊していたのかを――

 ほんの少しだけ。

 本当に、少しだけ。

「おー、エレナにシイナ、それにシオンも戻ってたか。早かったな」

 喧騒などどこ吹く風とばかりに、呑気な声と共にグレンも街の入口へと姿を現した。

 その瞬間だった。

「おおっ! そのお姿、その風格!

 もしや、貴方様があの有名な――“炎の騎士”グレンさんではございませんか!?」

 ミストが、獲物を見つけた狩人のような勢いで、一直線にグレンへと詰め寄る。

「おお!? いかにも!

 俺がその炎の騎士グレンだぜ! よろしくな!!」

 グレンは満更でもなさそうに胸を張り、妙な自信に満ちた笑顔で答えた。

 どうやらこの二人――嫌な予感しかしないほど、致命的に波長が合っている。

「……急に、頭痛が……」

 シオンは、こめかみを指で押さえながら、心底疲れたようにそう呟く。

 再び書物へと視線を落としたものの、眉間の皺だけは、さっきよりも確実に深くなっていた。

(う、うん……これは確かに……ちょっと刺激が、強すぎるかも……)

 エレナも、内心でそっと同意する。

「ミスト……頼むから、少しは落ち着け……」

 見かねたシイナが、無言でミストの首根っこをむんずと掴んだ。

「あぅっ!?」

 小さな悲鳴と共に、ミストは軽々とグレンから引き剥がされる。

 その隙を縫って、エレナはおずおずと一歩前へ出た。

「は、初めまして……。

 私、聖女見習いのエレナと申します……。

 ミストさん、どうぞ……よろしくお願いいたします……!」

 緊張で少し声が裏返りながらも、なんとか挨拶を絞り出す。

 ――本当は、先日のグールの騒動で彼女の姿を見ている。

 しかし今は、あくまで“初対面”ということにしておかなければならなかった。

「おおおおっ!?

 貴女が、あの噂の聖女様でしたか!

 お会いできて光栄ですっ!!」

 ミストの瞳が、期待と好奇心で一気に輝きを増す。

 次の瞬間、またしても凄まじい勢いで、今度はエレナへと詰め寄ってきた。

「ま、まだ聖女などでは……。

 た、ただの見習いですので……」

 その無邪気すぎる圧力に押され、エレナは今にも消え入りそうな声で答えるのが精一杯だった。

「ふむ……?

 エレナさん……最近どこかで、お見かけしたような気がするのですが……。

 うーん……?」

 ミストはエレナの顔をじっと覗き込み、顎に指を当てて首を傾げる。

 その瞬間。

 エレナの心臓が、どくん、と嫌な音を立てた。

(ね、ねえエレン、どうしよう!?

 やばいよ、やばいって!

 このミストさんって人、すっごく勘が鋭そうだし……

 私たちが時々……その、入れ替わってることがバレちゃったら……絶対まずいよね!?)

(それだけは勘弁願いたいものだな。

 面倒事が増えるのは、確実だ)

 エレンもまた、内側から露骨に嫌そうな気配を滲ませていた。

 冷や汗が、背中をつう、と伝うのをエレナははっきりと感じていた。

 胸の奥で心臓が早鐘のように打ち、喉の奥がひりつく。

「そ、それは……私……時折、祈りの場で……多くの信徒の方々の前に顔を見せる機会がございますから……。そ、その時に……でも……」

 必死に絞り出した言葉は、自分でも分かるほど頼りなかった。

 それでも――

「うーん……?」

 ミストはなおも納得いかない様子で、エレナの顔を、まじまじと覗き込んでくる。

 近い。近すぎる。

 ――もう、ダメかもしれない……!

 エレナの内心が、悲鳴を上げた、その瞬間――

「ミスト!」

 ゴツン、と少し鈍い音を立てて、シイナの手刀がミストの頭に落ちた。

「ぐぇあっ!?」

 間の抜けた声を上げ、ミストはその場に少しだけしゃがみ込む。

「……エレナさんが、本気で困っているだろう。そのくらいにしておけ」

 低く、しかし有無を言わせない調子で、シイナはそう言った。

 そして、さりげなくエレナとの間に立つ。

(……あ、危なかったかも……)

 張りつめていたエレナの肩から、ようやく、ほんの少しだけ力が抜けた。

 〜*〜*〜*〜

 ひとしきりの騒動が、ようやく収まった頃。

「あっ!」

 と、何かを思い出したように、ミストがぽんと手を打った。

「そういえば、エレナさん!!」

「は、はいっ? な、なんでございましょうか……?」

 まだ若干、緊張を引きずったまま、エレナはミストに向き直る。

「こちらを! 教会の司祭様から預かってきましてね! なんでも、エレナさんに“必ず”お渡しするように、とのことで!」

 そう言って、ミストは鞄をごそごそと探り――

 やがて、丁寧に畳まれた“それ”を、エレナの手の上に載せた。

「これは……?」

 見た目は、質素なローブのような純白の衣。

 だが、ただの布切れとは思えない。

 触れた指先から、ひんやりと澄んだ、どこか神聖な気配が伝わってくる。

「なにやら、ものすごーく特殊な機能が付いてるらしいですよ?

 まあ、私にも具体的なことは、さっぱりなんですけどねッ! あはは!」

 悪びれる様子もなく、ミストは笑ってそう言った。

 こうして――

 このパーティに、さらに一人。

 いや、その存在感と賑やかさは、おそらく“二人分以上”の嵐を巻き起こしそうな、新たな仲間が加わったのだった。

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