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第89話:鍵の返納

Author: fuu
last update Last Updated: 2025-11-30 23:00:34

鐘の音が、石の壁をやわらかく撫でていた。朝の冷えが残る大聖堂の回廊で、皇子は白骨鍵を両手で支えた。軽いのに、重い。骨の表面は磨かれて滑らかで、冷ややかな乳白が光を飲む。香の匂い。遠くの祭壇に垂れる絹。彼は息を整えた。

王子が近づき、声を低く落とした。

「手、冷えてる?」

「少し」

「ここからは君が前。公では、君が先頭だ」

「わかってる」

隣で若い侍従が巻物を掲げた。条約婚の文面。今日、広場で公示する。婚姻は二国の関税・関所を統合し、祭器の保全権を中立化する――それが骨争いを終わらせる鍵でもある。鍵は文字通りの一本と、制度というもう一本。

階段上に大司教が立っていた。金の刺繍の外套。背後に修道士たち。反対側の柱の陰には地下街の顔役が腕を組む。深い皺と、笑っていない目。さらに奥には納骨堂の入口を守る老婆が杖を突いた。骨守と呼ばれる者。三者三様が、一本の鍵に視線を刺している。

皇子は一歩進んだ。靴裏が石を鳴らす。

「白骨鍵の返納を宣言する。鍵は大聖堂の宝庫に置くが、権は一つに集めない」

ざわめき。王子が肩に手を置き、圧を小さく返す。それで彼の背中に熱が走った。訓練の合図。深呼吸。

広場に出ると、群衆が待っていた。旗。花びら。子どもが果実を掲げる。結契の儀は短い。誓詞は簡潔に。皇子は巻物を開いた。

「婚姻契約の付帯条項。私的合意を明文化する。可、不可、合図、アフターケア」

ざわ、と空気がまた動いた。王子が微笑み、視線で「そのまま」と示す。

皇子は読み上げた。

「可は手首までの拘束と軽い主従の言葉。不可は皮下刻印と公開性のある行為。合図は指で三回、言葉は柘榴。アフターケアは温湯、蜂蜜茶、抱擁と口頭確認」

群衆の方から笑い声がこぼれ、軽い手拍子が重なった。王子が一歩出て、短く言う。

「安全の仕組みは、愛の仕組みでもある。だから公にする」

そのとき、屋台の方から明るい声が飛んだ。

「柘榴お買い得!」

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