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さよならを告げたら、夫がすがってきました
さよならを告げたら、夫がすがってきました
작가: 葉月しおり

第1話

작가: 葉月しおり
「御堂さん、すぐ子宮内容除去の処置を行う必要があります。ご家族は来ていますか?」

看護師に何度もそう尋ねられ、御堂澄花(みどう すみか)は車椅子に座ったまま、自分の下半身を染める血を見つめ、それからスマートフォンに目を落とした。

事故で潰れた車体に挟まれ、病院に救急搬送されるまでの間、彼女は夫の御堂柊吾(みどう しゅうご)に三十回以上も電話をかけていた。

けれど、そのたびに返ってくるのは、無機質な呼び出し音か、通話を切られたあとの自動音声だけだった。

今朝、澄花はタクシーで妊婦健診に向かう途中、赤いマセラティにぶつけられ、車は横転した末に川に転落した。

相手の運転手は、すぐに迎えに来た者によって病院へ運ばれた。

なのに澄花だけは、どうしても夫の柊吾と連絡がつかず、冷たい川の中に二時間も取り残された末、ようやく救助隊に助け出された。

そして救助されたときにはすでに破水しており、お腹の中の胎児の心拍はすでに停止していた。

澄花の涙はもう枯れ果て、泣くことさえできなかった。

「御堂さん?」

澄花は我に返った。

全身は血と汚れにまみれ、下半身は羊水と血でぐっしょり濡れ、見るも無残な姿になっていた。

唇を震わせながらも、彼女は最後の気丈さを保とうとした。「夫は……たぶん何か用事で忙しいんだと思います。私が自分で署名するのでは、だめですか?」

「申し訳ありません。交通事故に遭われたうえ、軽い脳震盪も起こしています。手術後は安静にして経過を見る必要がありますので、ご家族の署名と立ち会いが必要なんです。もう一度連絡してみていただけませんか?」

「分かりました。もう一度かけてみます」

看護師が立ち去るのを見届けると、澄花は黒いロングダウンコートを手に取り、ふらつきながら立ち上がって羽織った。

この病院がだめなら、家族の署名を必要としない別の病院に行くつもりだった。

スマートフォンをポケットに入れようとしたとき、前回の妊婦健診の検査結果が指先に触れた。

あのときはまだ、赤ちゃんは生きていた。

病室を出た澄花の耳に、看護師たちの話し声が聞こえてきた。

「ねえ、隣のVIP病室に誰が入院してるか知ってる?」

「誰?」

「九条家のお嬢様、九条莉央(くじょう りお)よ。金融、モータースポーツ、テクノロジーの各分野で、いくつもの名だたる賞を受賞してる人。少し前には政府主導の重要研究プロジェクトにまで参加した天才なの!私、サインまでお願いしちゃった!」

「えっ?どうしてうちの病院に?怪我?それとも病気?あの人に何かあったら、国にとって大損失じゃない!」

「今朝、赤いマセラティで高架道路を走ってて、別の車と衝突したんだって。でも、かすり傷程度みたい。彼氏がものすごく心配してて、事故のあと、すぐに駆けつけたらしいよ。VIP専用ルートで搬送されてきて、それからずっと付きっきり。片時も離れてないんだって」

それが今朝、自分が乗っていたタクシーに衝突してきた相手のことだと気づき、澄花は足を止めた。

そして次の一言が、容赦なく彼女の胸を貫いた。

「彼氏が誰か知ってる?御堂グループのトップ、御堂柊吾社長よ!しかも、あの赤いマセラティ、御堂社長が選んで贈った誕生日プレゼントなんだって……」

二人の看護師の姿は、そのまま遠ざかっていった。

澄花はスマートフォンを握る手に少しずつ力を込め、指の関節が白くなった。

事故を起こした女の名前は九条莉央。

そして、その女の恋人であり、事故を起こした赤いマセラティを贈ったのが、柊吾だった。

自分の夫が浮気しているなんて、一度も考えたことがなかった。

それ以上に残酷なのは、その愛人が彼から贈られたその車で事故を起こし、二人の子供の命を奪ったということだった。

どうりで、警察に通報しても、相手側は保険会社の担当者しか対応に出てこず、何をしても話が進まなかったわけだ。

廊下の突き当たりに目をやると、澄花は一目で背の高い端正な男を見つけた。

彼は華やかな美貌の女を大切そうに腕の中に抱き寄せながら、病室から出てきたところだった。

澄花は胎児の心拍停止を告げる検査結果を強く握り締めた。黒いダウンコートに包まれた体が、止めようもなく震えていた。

二人がエレベーターに乗り込むのを見ながら、澄花はもう一度だけ柊吾に電話をかけようと思った。

彼が自分からの着信に気づいたとき、彼がどんな反応をするのか知りたかった。

きっと、いつものように切るのだろう。

彼はずっと、自分にそうしてきたのだから。

それでも試してみたかった。

これで最後にしようと思った。

二人がエレベーターの前に着いたとき、澄花はこの目ではっきりと見た。

柊吾はスマートフォンの画面を一瞥すると、ためらうことなく着信を切り、その視線を再び隣の女に戻した。

彼の目には、隣にいる女しか映っていなかった。

その瞬間、澄花は、この五年間ひたすら彼だけを想い続けてきた自分が、ひどく哀れで滑稽に思えた。

二人がエレベーターに乗り込む直前、柊吾に守られるように寄り添っていた女も、澄花の存在に気づいたらしい。

「あそこにいるのって、柊吾が辞めさせようとしてたアシスタントじゃない?病院まで柊吾を追いかけてきたの?もしかして、私のサインが欲しくて来たとか?」

柊吾の視線が、ようやく澄花に向けられた。

けれど、それはまるで見知らぬ他人を見るような目だった。

そこには何の感情もなく、ただ淡々と一瞥しただけで、すぐに腕の中の女へ視線を戻した。

澄花は全身が氷のように冷たくなった。

先ほどよりさらに出血がひどくなっている気がした。

――この人が、会社で噂されていた、柊吾が海外で出会った想い人だったのか。

彼は、ずっとこの女に付き添っていたのか。

さっきまでは、もし柊吾が来てくれたら、子供のことを話そうと思っていた。

そもそも、この妊娠自体が数か月前に判明した予想外のものだった。

澄花はすでに二年近く御堂家で暮らしていたが、妊娠が分かってからようやく、柊吾の祖母・御堂千鶴子(みどう ちづこ)が柊吾に圧力をかけ、澄花と正式に婚姻届を出させたのだ。

けれど二人は結婚式も挙げず、夫婦になったことを祝う場すらなかった。

ただ婚姻届を出しただけで、会社では、澄花が柊吾の妻だと知る者はほとんどいなかった。

目尻から涙が一筋こぼれ落ち、澄花はもう立っていることさえできなくなっていた。

柊吾が莉央に何と答えたのかも、耳には入らなかった。

ただエレベーターの扉が閉まり、柊吾の姿が完全に視界から消えていくのを見つめていた。

この瞬間になってようやく、自分がどれほど甘かったのかを思い知った。

先ほど声をかけてきた看護師が戻ってきて、澄花の姿を見つけると、慌てて駆け寄って彼女を支えた。

「夫は……別の女性に付き添っています。来ません。だから、手術をしてください。何があっても、責任は私が負います。私……」

最後まで言い終えることなく、澄花はその場に倒れ込んだ。

再び目を開けたとき、彼女はすでに病室のベッドに横たわっていた。

どれほど時間が経ったのか分からない。

やがて看護師が入ってきて点滴の針を抜きながら、ため息交じりに言った。

「大量出血していたので、こちらで子宮内容除去手術を行いました。そのあと、御堂さんのスマートフォンを使って、ご主人にも何度も連絡したんですが、どうしてもつながらなくて……

男の子と女の子の双子だったんですよ。もうずいぶん大きくなっていたのに……本当に残念です。もう少し早く搬送されていれば、もしかしたら助けられたかもしれないんですけど……」

澄花は手術の書類を受け取り、長い間じっと見つめていた。

子供たちは、もういない。

男の子と女の子の双子だった。

胎動らしきものまで感じるようになっていたのに。

それまで御堂グループ系列の病院で何度か検査を受けたときには、ずっと一人だと言われていた。

「あの……子供たちの遺骨を、この箱に納めてもらえますか」

澄花の目には、もう涙さえ残っていなかった。

彼女が差し出したのは、黒い小さな箱だった。

箱に納めてもらったあと、澄花はそれを黒いラッピングペーパーで包み、リボンを結んだ。

何も知らなければ、まるで贈り物のように見えた。

しばらく休んでから、澄花は黒い箱を抱いて病院を出ようとした。

そのとき、御堂家の本家から電話がかかってきた。

「澄花か?わしは、お前が作る鯛のあら炊きが食べたくてな。材料はもう水明苑に届けさせてあるから、作ったらこっちに持ってきてくれ。本家の料理人が作るものは、お前の料理ほど旨くないからな。わしはお前の料理が一番好きなんだ。

それから、あいつらは掃除も行き届いていないし、アイロンがけもお前ほど上手じゃない。どいつもこいつも気が利かなくてな。戻ってきて少し片づけてくれ。柊吾に迎えに行かせるから」

澄花は通話画面を見つめたまま、何も言わなかった。

妊娠した状態で柊吾と結婚してからというもの、彼女は御堂家の人間に尽くそうと懸命だった。

柊吾の家族を、自分の家族のように大切にしてきた。

千鶴子は澄花によくしてくれたし、柊吾の祖父・御堂宗一郎(みどう そういちろう)は澄花の料理を気に入っていて、彼女が妊娠中であることなどお構いなしに、食べたいものがあれば澄花に作らせた。

今になって思えば、ひどく滑稽だった。

水明苑に戻ると、家政婦が冷たい顔で近づいてきて、食材を澄花に差し出した。

澄花は双子の遺骨が納められた箱を胸に抱き、広大な水明苑を見回した。

柊吾は自分を愛していない。

宗一郎も表向きは優しそうに見えるが、結局は自分を使用人同然に扱っているだけだった。

千鶴子がいない日は、仕事を終えて帰ってくるたびに呼びつけられ、掃除や洗濯をはじめ、山ほどの家事や重労働を押しつけられ、一息つく暇さえ与えてもらえなかった。

彼らにとってこの結婚は、自分をただ働きさせるための都合のいい口実にすぎなかったのだろう。

いや、家政婦以下だ。

家政婦なら給料がもらえるし、子供まで産む必要はない。

けれど今回、澄花はこれまでのように食材を受け取り、黙々と厨房に向かうことはしなかった。

そのまま踵を返し、二階に上がっていった。

いつもとあまりにも様子が違う澄花を見て、家政婦はすぐさま柊吾に電話をかけ、澄花のことを告げ口した。

階下から、事実を大げさに膨らませて柊吾に訴える家政婦の声が聞こえてきても、澄花は相手にしなかった。

寝室に戻り、二人の姿を合成して作られたウェディングフォトを見つめ、それから腕の中の箱に視線を落とした。

こんな場所は、自分の居場所ではない。

もう、目を覚ますべきだった。

そう考えていたとき、スマートフォンが鳴った。

バッグから取り出して着信表示を見た澄花は、一瞬、目を疑った。

電話をかけてきたのは、大学時代からの先輩だった。

澄花は迷わず電話に出た。「もしもし、水城(みずき)です」

結婚後も、大学時代の仲間たちは澄花を旧姓の「水城」と呼んでいた。

「水城、これで俺から連絡するのは最後にする。前に、お前から政府の商業宇宙開発に関する機密プロジェクトへの招待を断ってほしいと頼まれただろう?向こうも、お前の意思が固いことと、妊娠したことを聞いて、別の人間を探すことに同意した。

これからは俺たちの誰も、お前の邪魔はしない。先生もだ。だから、お前は自分の生活を大事にしてくれ」

その言葉を聞き、澄花は長い間呆然としていた。

彼女はまだ大学生だった頃から、政府が極秘で支援する若手研究者の一人に選ばれ、政府の機密研究プロジェクトにも参加していた。

その後は先輩と共同で会社を立ち上げ、彼女の技術力を武器に、わずか一年で上場を果たし、澄花自身も表には出ない大株主となった。

さらにその後も、政府の機密プロジェクトに何度も携わり、彼女の名は、世界の第一線で活躍する著名な研究者たちにも知られるようになり、弟子として迎えたいと声をかけられたことさえあった。

ただ、澄花は愛してはいけない人を愛してしまった。

柊吾のために輝かしい将来を手放し、あらゆる誘いを断り、何もかも捨てて彼のもとへ行き、御堂グループの些細な雑務に埋もれる道を選んだ。

そのために、誰もが喉から手が出るほど欲しがる政府研究プロジェクトへの参加枠さえ、何度となく断ってきた。

いつまで待っても澄花が答えないため、電話の向こうで先輩が小さくため息をついた。「じゃあ、そういうことだから。しっかり体を休めて、元気な子を産めよ。もう俺たちから連絡することはないから」

「先輩、私……政府の商業宇宙開発に関する機密プロジェクトに参加したいです」我に返った澄花は、もう迷わず口にした。

「……何だって?」電話の向こうの高瀬智也(たかせ ともや)は、自分の耳を疑った。

もともと彼は、澄花ほどの才能が埋もれてしまうことがどうしても惜しかった。

御堂グループに行き、柊吾の一介のアシスタントとして働くだけの人生など、彼女にはあまりにももったいない。

だからこそ、事あるごとに電話をかけて研究の話を持ち出し、いつか澄花が目を覚ましてくれることを願っていた。

けれど、そのたびに返ってくる答えは、決まって拒絶だった。

それなのに今日、初めて彼女のほうから引き受けると言った。

まさか、これを利用して柊吾の気を引こうとしているのか?

きっとそうに違いない。

智也はため息をついた。

思えば、彼女は柊吾の隣に立つために、あまりにも多くのものを犠牲にしてきた。

今度は柊吾の目を自分に向けさせるため、妊娠中の身でありながら、そこまで無理をしようとしているのか。

まったく。

「分かった」

智也はそう答え、結局、その考えを口に出すことはしなかった。

ただ一つ、念を押した。「政府の機密プロジェクトだから、外部への情報公開は一切禁止だ。月曜――つまり明日、俺のところに来て機密保持契約に署名してくれ」

この後輩が、一体いつになったら本当に目を覚ましてくれるのだろう。

電話を切った澄花は、突然、自分がどうしようもなく滑稽に思えた。

あれほどすべてを投げ打って柊吾を愛してきたのに、最後に残ったものは何もなかった。

自分を愛してもいない男のために、五年の時間を無駄にしてしまった。

柊吾に会ったら、子供たちがもういないことを伝えよう。

そして、この結婚も、そこで終わりにする。

まだ妊娠四か月だったとはいえ、こんな形で失った以上、しばらくはきちんと体を休める必要がある。

澄花は鏡に映る自分を見つめた。

妊娠で少しむくんだ顔。

黒いダウンコートには血がこびりつき、鼻につくほど濃い血の臭いが染みついていた。

彼女は体をきれいにし、血に染まった服をすべて捨てた。

荷物をまとめてここを出ようとしていた、そのときだった。

家政婦が部屋のドアをノックした。「旦那様がお戻りです。下に来るようにとのことです」

澄花は少し驚いた。

柊吾は御堂家の実権を握る、誰もが見上げるような男だった。

澄花がここに住むようになってからも、彼がこの屋敷に足を運ぶことはほとんどなかった。

彼に会えるのは会社だけで、まともに言葉を交わせるのも、そこくらいだった。

それなのに、なぜ今日はここに来たのだろう。

子供のことを知ったから?

それとも、病院でのことを話すため?

あるいは、なぜ自分があれほど何度も電話をかけたのか、聞きに来たのだろうか。

澄花はあれこれ考えながら階段を下りた。

だが、彼女を待っていたのは、予想していたような言葉ではなかった。

「妊婦健診に行く時間はないくせに、俺をつけ回す時間はあるんだな?」

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