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第四話:暗闇が苦手

Autor: 新城凪
last update Data de publicação: 2026-03-14 13:44:24

あの夜、灯は早めに落とされた。
暖炉に薪《まき》はもうなく、風の音も小さい。執事の姿もない。
アスイェと子だけがいる空間は、異様《いよう》なほど静かだった。

壁に掛けられた古い織物《おりもの》は、かすかに揺れている。わずかな隙間から忍び込んだ夜風が、ほとんど聞こえないほど小さな音を、石造《いしづく》りの床の上に落としていた。

アスイェは灯を点けなかった。
古い長椅子に腰を下ろし、手元には開かれていない本が一冊。
部屋の中は深い漆黒《しっこく》に包まれ、窓の隙間から差し込む月光だけが、布の上に落ちた銀糸《ぎんし》のように断続的に揺れていた。

その光は、時折《ときおり》雲に遮られ、またふたたび現れた。まるで、ためらうように、そこに留まることを許されているかのようだった。

子はまだ目を覚ましていないが、動いていた。この者はまだ若く、成長も遅い。手足の動きは、まだうまく制御《せいぎょ》できていない。
その微細な動きは、アスイェの目には、かすかなもがきのように映った。

子は、ただいつものように身を丸め、どこかに隠れようとしていた。

この子は、暗闇を恐れている。
目を開けたことのない赤子にとって、それは未知ではない。むしろ、この身は暗闇から来て、うっかりすれば暗闇に呑まれる。それは――よく知っている感覚だった。

子の小さな手が、無意識に揺籠《ゆりかご》の縁《ふち》を探っている。指先が木の縁に触れるたび、かすかな音が鳴る。

アスイェは立ち上がった。灯りは持たず、いつものように、足音も立てない。それでも、赤子は気づいた。
空気が、わずかに変わった。
アスイェは揺籠の傍に立ち止まり、子を呼んだ。

「この者」でも「子」でもない――ひとつの名前だった。

ため息のような、人を呼ぶ音。
まだ名前を持たない子に向けられた、それでも意味を持つ呼びかけ。
それを聞いて、赤子の震えは止まった。

そして――赤子は目を開けた。

ゆっくり、ゆっくりと。夢の中から浮かび上がるように、まぶたが持ち上がる。その目は光を宿していない。だが、何もかもを見ていた。

その目は、感情を持たず、ただまっすぐにアスイェを見つめていた。アスイェもまた、その目を見つめ返し、珍しいものを見つけたかのように、しばらくのあいだ、視線を逸らさなかった。

――アスイェは、自分の目を見つけた。

純血種《じゅんけつしゅ》は、めったに鏡を見ない。
だが、アスイェは、この子の目の色を知っていた。

霧のような、鋭い刃物《はもの》のような灰青《はいせい》。
純血の中でも、最も冷たい色だった。

子は、目を開けたまま彼を見つめていた。

子の指が、かすかに揺籠の布を握り締める。その細い指先に、まだ力はなかったが、それでも確かに、自分の存在を確かめるように動いていた。

部屋は完全に静まり返っていた。風も音も、もうなかった。

子は、もう、暗闇を怖れていなかった。

――暗闇の中に、自分の名前を呼ぶ者がいたから。

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まだ夢の残滓を抱えたように、幼い瞳はぼんやりとアスイェを映している。 「お前は――自分の声で、俺を呼ぶんだ」 静かに告げられた言葉が、セラフィナの中に届いた。
彼女はゆっくりと口を開く。
最初に漏れたのは、ひとつの音。 「……ア……」 その発声は痛みを伴うようで、声の震えとともに涙が滲んだ。 「……ス……イェ……」 最後の音が出た瞬間、まるで幼い祝福のように、部屋の蝋燭の火が小さく揺れた。 セラフィナはようや

  • アスイェ•Asyeh   第十六話:身を燃える炎

    炎の手は屋敷の外側から上がった。
侵入者《しんにゅうしゃ》がどこから、どのように入り込んだのか。誰にも分からない。
「そのもの」は、風のように、夜の闇のように、どこからでも現れるかのようだった。 ノックはなかった。客ではないことだけは確かだった。 ――アスイェは家にいない。
侍女たちは彼にすぐ知らせる暇もなく、ただ手分けして守りに回った。 屋敷は広い。
セラフィナは屋敷の奥の部屋にいたが、濃い煙にむせて目を覚ます。
泣きはしなかった。ただ咳き込み続けた。
やがてその瞳は赤く染まっていく。 ――煙のせいなのか、吸血鬼の本能なのか。 セラフィナは床に座り続けた。
アスイェが出かけるとき言い残した。 「良い子にして待て」という言葉は、彼女にとって唯一の指令だった。 一人の侍女が幼子を抱き上げる。
悪意はなく、幼子も抗わなかった。
その侍女はセラフィナを抱え、長い廊下を駆け抜け、燃え盛る庭園を駆け抜け、壊れた天窓《てんまど》を越えた先で、侍女の喉は矢に貫かれた。 だが、そこで矢が喉を貫いた。
侍女は倒れ、血が飛び散り、幼子の身を静かに汚した。 幼子は転がり落ち、炎を見つめたまま、煉瓦と灰の中に崩れ落ちて動かない。
炎の光が夜を白昼《はくちゅう》のように照らし出していた。 そして、セラフィナは泣いた。
いつものように静かに涙をこぼすのではない。
体を震わせ、声を上げて泣いていた。セラフィナの瞳に赤が宿った。
それが涙によるものなのか、吸血鬼としての本能なのか――分からなかった。 幼い彼女は赤い目を開き、牙《きば》をのぞかせ、長い爪までもが伸びていた。
恐れを知らぬはずの幼子が、その名を叫んでいた。 「……Sia――!」 返事はない。
呼びかけに応える声は、どこにもなかった。 危機も、まだ去っていない。
足音が、近づいてくる。 泣いていたセラフィナは、顔を上げた。
視界の向こう、見知らぬ人影が現れる。
彼らは小声で何かを言い交わし、一人が手を伸ばした。
幼子を連れ去ろうとした、 その瞬間――幼子の瞳が鮮やかに赤く光った。
吸血鬼の本能だった。

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