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第5話

Author: レイシ大好き
紗雪は冷静に言った。

「ご心配なく。加津也とはもう終わったよ。ただ、これから二川家を継ぐなら、結婚は安定したほうがいい。少なくとも、嫌いじゃない相手を選びたいね」

二川母は最初から加津也との関係に否定的だった。

理由の一つは、紗雪が恋愛に溺れ、冷静な判断を失っていたこと。

もう一つは、西山家と二川家が競合関係にあったことだ。

規模でいえば二川家のほうが上だったが、それでも敵は敵だった。

実のところ、二川母は紗雪の結婚に強い支配欲を持っているわけではなかった。

二川家の跡取りとして期待はしていたが、紗雪の人生に過度に干渉することはなかった。

少なくとも、緒莉に対する関心ほどではない。

二川母はじっと紗雪を見つめた。

冷静で鋭いまなざしで、しばらく考えた後、口を開いた。

「いいでしょう」

「相手は自分で選びなさい。でも、賭けに負けた以上、覚悟はしておきなさい。紗雪、私を失望させないで」

「ええ」

紗雪は淡々と答えた。

二川母はそれ以上何も言わず、踵を返して二階へ上がっていった。

広いリビングには、緒莉と紗雪だけが残った。

姉妹という肩書きはあっても、二人の関係は希薄だった。

緒莉は、二川母が高額で落札した翡翠の数珠を指で弄びながら、冷笑を浮かべた。

「紗雪、本気で自分が辰琉よりいい男を見つけられると思ってるの?」

「この社交界で、あなたが加津也のためにどれだけ格を落としたか、知らない人はいないわ。まさか、嫁にしたがる人いるなんて思ってないでしょうね?」

小関家と西山家の付き合いは少ないが、紗雪が男と関係を持ったことは、市内で噂になっていた。

紗雪は緒莉を一瞥した。

もともと彼女に対して特別な感情は持っていない。

ましてや、辰琉との婚約が破談になったときはむしろホッとしていたくらいだ。

それなのに、緒莉はなぜかいつも彼女に敵意を向けてくる。

「辰琉?」

紗雪は眉を上げ、くすっと笑った。

「好きならあげるわ。あ、そうそう、彼、結構遊んでるみたいだから、定期的に検査させたほうがいいわよ?」

「あなたっ!」

緒莉は顔を真っ赤にして怒りに震えた。

彼女には分かっていた。

二川母が紗雪に厳しく、彼女に甘いのは、紗雪に期待していたからだ。

それでも納得できなかった。

なぜ紗雪が二川家を継ぐのか。

自分は継げないのか。

養女だから?

紗雪の背中が見えなくなるまで、緒莉は悔しさを滲ませた目で見送った。

紗雪は緒莉の考えなど気にも留めず、日々を過ごしていた。

彼女の「破局」の話を聞きつけた友人たちは、こぞって見合いの話を持ってきた。

三日間、いろいろな男性と会ったが、どれも興味を惹かれるものではなかった。

その日も、紗雪は食事を終えて帰ろうとしていた。

すると、少し離れたところから、馴染みのある声が聞こえてきた。

「二川さん?奇遇ですね」

話しかけてきたのは初芽だった。

彼女は加津也の腕にそっと手を添え、高級ブランドの服をまとっていた。

相変わらず、柔らかく愛らしい雰囲気を纏っている。

加津也も彼女の隣にいた。

彼は紗雪の姿を見た瞬間、眉をひそめた。

何かが違う。

以前とはまるで別人のようだった。

きっちりとしたメイク、紅い唇、黒く艶やかな髪。

余裕で、自信に満ちた態度。

奔放で、気高く、目を引く存在感。

「お前、ここで何してるんだ」

加津也はそんな考えを振り払い、冷たい声で問いかけた。

この店は会員制だ。

紗雪のような人間が入れる場所ではない。

紗雪は唇の端をわずかに上げ、楽しげに言った。

「私がここにいちゃダメ?」

「二川さん、もしかしてバイト?」

初芽がくすくすと笑った。

「ここは給料がいいらしいですけど......名門大学を出た二川さんが、まさか生活のためにウェイトレスを?」

「悪い?」

紗雪の視線が、初芽の数万円する服を横切った。

「自分で稼ぐほうが、男に養ってもらうよりマシ」

初芽の顔がサッと青ざめた。

唇を噛み、今にも涙を浮かべそうな表情を見せる。

だが、加津也は苛立った声で言った。

「自分の女に金を使って何が悪い?」

「お前と別れるとき、ちゃんと二千万円渡したはずだ。それをお前が受け取らなかっただけだ。そんな接客態度で、よくここで働いてられるな?」

彼はすぐさま店のマネージャーを呼んだ。

初芽は静かにその様子を見守っている。

紗雪は二人を見つめながら、ふと可笑しくなった。

もし本当に貧乏な女子大生だったら。

加津也のこの行動は、彼女の唯一の収入源を奪い、生活をさらに苦しめるものだった。

初芽も、それを一番理解できるはずなのに、見て見ぬふりをしている。

まるで、何も関係のない赤の他人のように。

初恋って、案外大したことないのね。

やがて、店のマネージャーが駆けつけてきた。

「お客様、いかがなさいましたか?」

「このウェイトレスの態度がなってない。こんな奴、さっさとクビにしろ」

加津也は冷たく言った。

マネージャーは一瞬動揺し、すぐに首を振った。

「お客様、何かの誤解です。二川さんは当店のVIP会員でして、決して従業員ではございません」

「は?」

加津也は呆然とした。

信じられなかった。

紗雪がこの店の会員?

昔は屋台の食べ物すら節約していたはずだ。

いちごを食べるときだって、一番安いヘタの部分から食べていた。

なのに、今は高級会員?

そこまでして彼の気を引きたいのか?

加津也の顔には、心底うんざりした表情が浮かんでいた。

「お前、何がしたいんだ。まだ俺に執着してんのか?」

紗雪はゆっくりと彼を見上げた。

そして、真顔で一言。

「ドアホ」

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    彼女は思ってもみなかった。加津也が会社で「マネージャーをやっている」とは、こういう意味だったなんて。ただオフィスの椅子に座っていれば、誰かが企画書や資料を全部持ってきてくれる。そして彼がやることといえば、それに目を通してチェックを入れるだけ。その光景を見た初芽は、思わず眉をひそめた。これで偉そうにしてたわけ?一時は彼のことを「すごい人かも」なんて思っていた自分の審美眼が信じられなくなる。この男、本当に自分が選んだ相手?肩書きがひとつあるだけで、顔以外何も持たないこの男が?そのとき、加津也がふと顔を上げ、ドア口に立っている弁当箱を持った初芽に気づいた。すぐに姿勢を正し、真面目な顔で言った。「せっかく来たのに、そんなとこで突っ立ってないで早く入ってよ」「今度からは直接中に入っても構わない。俺のドアはいつだって君のために開いてるから」その言葉を聞いた社員たちは、すぐに空気を読んでそそくさと席を立ち、部屋を後にした。初芽は唇を引き結びながら、静かに微笑んだ。何も言わない。「昨日、かなり疲れたみたいだから。今日は加津也の好きな料理を作ってきたんだ。少しでも元気出るといいなと思って」加津也は弁当箱を受け取り、その笑顔はどんどん大きくなっていく。「さすが初芽、気が利くな」初芽は甘えるように微笑みながら、「こんなの当たり前だよ」と優しく返す。彼女はよく分かっていた。男がどんな女を好むか。だから、こういうやりとりも慣れたものだった。そして加津也は、典型的な女性差別のタイプ。こうして人前で「俺の女がこんなにも気が利く」と示されることが、彼にとっては最高の満足だった。部下たちは顔を見合わせながら、心の中で叫ぶ。時には目を潰して仕事した方が精神衛生にいいかもしれない。初芽は床に散らばっていた資料を拾い上げた。「焦らなくていいよ。ゆっくりやればいいんだから」「この資料、案外使えるかもしれないよ」加津也は眉をしかめ、少し不機嫌そうに言った。「もう全部目を通した。......使えるもんなんてなかった」「じゃなきゃ、俺がここまで頭を抱えてるはずないだろ」初芽は専門的なことは分からなかったが、彼が何に悩んでいるかくらいは分かった。彼女は手に取った資料を何気なくパラパラとめく

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    行動?いいだろう、見せてやるよ。どんな実際の行動を取れるかを。加津也は深く息を吸い、周囲を見回した。誰一人その場を離れていなかった。その光景に彼の中の怒りが一気に燃え上がる。「何見てんだよ、お前ら!やることがないのか!」「そんなに暇なのか!」その態度に、雇われたエキストラたちの我慢も限界だった。一人、また一人と彼の前に出てきて言う。「まだギャラもらってませんけど?」「そうだよ、最初に話した額、こっちはまだ一銭ももらってないんだぞ」「まさか踏み倒すつもりじゃないでしょうね?」その一言で、加津也は一気にブチ切れる。「踏み倒すわけないだろ!バカにしてるのか!」けれど、周囲の人々はその言葉に反応し、彼を見る目に疑念の色が浮かんでくる。最初は「あの男、ちょっと可哀想かもな」なんて思っていた者もいたが、今では完全に見方が変わっていた。どうやら、すべては彼のせいだったようだ。この男、同情する価値なんてなかった。そう思っているのはエキストラたちだけじゃない。道行く一般人も同じだった。今日、加津也の評判は地に堕ちた。しかも、それは一瞬のうちに、しかも大勢の目の前で。ここまで来ると、さすがに彼もギャラを払わないわけにはいかない。しぶしぶエキストラたちを連れて現場を後にし、その場には面食らったままの見物人たちだけが残された。最初は何が起きたのか理解できなかったが、冷たい風が吹き抜けたとき、ようやく現実を飲み込んだようだった。一方で、加津也は二川グループのビルの前を去ると、そのままエキストラたちのギャラを一括で支払った。彼らを片付けた後、ようやく落ち着いてこの数日の出来事を振り返り始めた。どうやら二川紗雪という人間は、自分が思っていた以上に厄介な存在らしい。別れた後、彼女に一体何があったのかは知らない。けれど、今の彼女はまるで別人のように冷酷で、容赦がなかった。あの紗雪が、なぜ変わったのか。以前の彼女は、こんな性格じゃなかったはずだ。彼はふと、紗雪に言われた言葉を思い出す。「言うだけなら誰でもできる。行動で示してみなよ」その言葉が脳内にこだまする。拳を握りしめる。血管が浮き出た手の甲は、今にも何かを壊しそうなほどに力が入っていた。毎回運よく危機

  • クズ男と初恋を成就させた二川さん、まさか他の男と電撃結婚!   第190話

    「前に俺が小物の嘘を信じたのが間違いだったんだ。今はもう完全に目が覚めた。今回来たのは、君に許してもらいたかったからだ」会社のビルの前で二人がこんな騒ぎを起こしているせいで、いつの間にか周囲には大勢の人が集まっていた。事情を知らない者たちは拍手をしながら囃し立て始める。「許してあげて。許してあげて!」歓声があちこちから上がり、加津也の顔にはますます満足げな笑みが浮かんだ。実は、この中には彼が雇ったエキストラも混じっていて、雰囲気を盛り上げる役目を担っていた。これだけ大勢の前で、世論の圧力を前にして、紗雪が断れるはずがない。それにここは彼女の会社の正面だ。これが会社の株価に影響するようなことになれば、それこそ損失では済まされない。紗雪の弱点を握っている自信があるからこそ、加津也はこんなことができたのだ。彼は賭けていた。紗雪は絶対にこんな場所で自分の顔を潰したりしないと。彼は紗雪の性格を熟知していた。気が弱く、誰かを怒らせるのを極端に嫌がるタイプだと。だからこれだけの人前で、彼女が拒否するはずがないと。そう、思っていた。しかし次の瞬間、その予想は盛大に裏切られることになる。しかも、本当に「顔面」を叩きつけられた。紗雪は一切迷うことなく、加津也の顔をビンタした。打たれた衝撃で彼の顔は横を向き、顔に残っていた笑みが固まったまま、彼が雇ったエキストラたちを呆然と見つめる。ちょ、これ、台本と違くないか?「お前、死にたいのか?」怒りに任せて加津也が手を上げ返そうとする。だが、紗雪は素早くその手首を掴み、完全に動きを封じた。周囲の視線が一斉に集まり、加津也は一瞬怯んだように顔を引きつらせる。「放せよ、紗雪!何するんだ!」声を抑え気味なのは、周りの人に聞かれたくなかったからだ。自分のイメージに関わる。だが、紗雪はそんな彼の声を無視して口を開く。「そのセリフ、こっちが聞きたいんだけど?」「......どういう意味だ」「エキストラと一緒にここで私を待ち伏せして、一体何がしたかったわけ?」そう言いながら、彼女は掴んでいた手を勢いよく振り払った。その力に押された加津也はよろけ、倒れそうになりながらなんとか踏みとどまった。その光景に、人々の表情が徐々に曇っていく。

  • クズ男と初恋を成就させた二川さん、まさか他の男と電撃結婚!   第189話

    匠は京弥の様子を見て、内心少し驚いていた。外でこんな姿の社長を見るのは初めてだったし、何とも言えない気分だった。普段彼が知っている京弥は冷静で強く、野心的で、感情を表に出すことはない人物。だから今回のことも、やっぱり二川さんが原因なのだろうか?「社長、ちょっと飲みすぎじゃないですか?今日はもうこの辺で......?」匠は思い切って、酒を控えるように進言した。だが京弥は黒い瞳を鋭く光らせて言った。「呼び出したのは無駄話をさせるためじゃない」そのままカウンターを指さす。仕方なく、匠はため息をついて、文句ひとつ言わずにまた強い酒を取りに行った。どうせ自分はただの雇われ人で、給料を出してるのは目の前のこの人なのだ。結局、匠はその夜ずっと京弥の隣で付き合う羽目になった。時折自分も一口飲みながら、「こんな社長の下でよく今まで生きてこられたな」としみじみ感じていた。京弥の心は鬱々としていた。紗雪の態度がどうしてこうも冷たくなったり熱くなったりするのか、まったく理解できなかったのだ。......翌日、紗雪は車を運転して会社へ向かった。一睡もしておらず、顔色はやや疲れ気味。今日は少しでも印象を良くするために、わざわざナチュラルメイクを施していた。会社のビルの下に着いたとき、彼女は大きなバラの花束を抱えている加津也の姿を見かけた。その姿を見た瞬間、紗雪の心には理由もなく苛立ちが湧き上がってきた。無視してそのまま通り過ぎようとしたが、彼はわざわざ彼女の目の前に立ちふさがった。ついに我慢の限界に達した紗雪は、語気を強めて言った。「何が目的?今から仕事なの。前に警察に突っ込まれて、まだ反省してないわけ?」その言葉を聞いた瞬間、加津也の顔から笑みが少し消えた。触れられたくない過去を思い出してしまったのだ。あの時、弁護士を通じて早く出られるはずだった。なにしろ父親にとっては大きな面汚しだったから。だが、なぜか警察は強硬に彼を二、三日勾留し、それからようやく釈放した。やっとの思いで出てきた後、西山父からは「二度と問題を起こすな」と何度も釘を刺された。西山家の顔に泥を塗るな、と。だが、加津也は違う考えだった。西山家の御曹司が警察に留め置かれるほどの力を紗雪が持っていたとした

  • クズ男と初恋を成就させた二川さん、まさか他の男と電撃結婚!   第188話

    「どきなさいよ!」紗雪は京弥を押しのけようとしたが、男女の力の差はあまりにも大きかった。どれだけ頑張っても、男は彼女の上にまるで根を張ったように動こうともしない。やがて紗雪は力尽き、抵抗の動きもだんだん小さくなっていった。その隙をついて、京弥は彼女の両手をひとまとめにして頭上へと押さえつける。紗雪は大きな瞳を見開いて、怒ったように言った。「何をするの!?離してよ!」京弥は紗雪の耳元で低く囁いた。「さっちゃんは、わかってるのくせに......俺たちは夫婦なんだよ?」「嫌よ、放して!」これから何が起きるのか想像するだけで、紗雪はますます激しく抵抗した。そんな彼女を見て、京弥の心に傷がつく。それでも、あまりに激しく暴れる紗雪を見て、彼女を傷つけたくないという思いから、仕方なく手を離した。「一体どうしたんだ......ちゃんと話してくれないか」この時、どれだけ彼が傷ついているか、戸惑っているか、紗雪には言葉の端々から伝わってきた。「何もないわ。もう出てって。疲れたの」紗雪はそのまま突き放すように言い、自分の気持ちを一切伝えようとはしなかった。彼女の胸の中には、ひたすら自嘲の念が渦巻いていた。どうせあの男は伊澄を家に連れ込んだんだから、何が起きてもおかしくないじゃないか。それにあの子は、彼の理想の初恋なんでしょう?だったら、今さら何を気に病む必要があるの?そう思い至ったとき、紗雪は自分をぶん殴りたいくらいだった。なぜそこまで意地になってしまったのか、彼女自身にも分からなかった。京弥は、何も言わず顔を背けた紗雪を見つめ、そのまま何も言えずに部屋を出て行った。男が出て行ったあと、女はまるで糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。さっきの出来事を思い返すたびに、胸の奥が震える。好きな人がいるなら、なぜ最初から自分と結婚なんかした?なぜ中途半端の優しさをくれるの?紗雪にはその答えがどうしても分からなかった。そして、誰にもその答えを教えてもらえなかった。京弥は部屋を出たあと、主寝室には戻らず、そのまま車に乗って屋敷を出て行った。客間で寝ていた伊澄は、車のエンジン音を聞いて、口元に満足げな笑みを浮かべる。「やっぱりね。紗雪、あんたはきっと我慢できないと思っ

  • クズ男と初恋を成就させた二川さん、まさか他の男と電撃結婚!   第187話

    どれくらいその場に立ち尽くしていたのか、自分でも分からないまま、伊澄は呟いた。「信じられない......私は絶対に、あの頃の関係に戻ってみせる。私たちこそが一番だってこと、証明してやるわ」「前はあんなに好きだったのに......どうして?なんで前みたいになれないの?一体何が変わったというの......?」伊澄の顔に浮かぶ表情は徐々に歪み、先ほどまで京弥の前で見せていた従順さは跡形もなく消え失せていた。彼女の全身には陰鬱な雰囲気がまとわりついていた。一方、京弥は部屋へと戻り、ゲストルームの前を通りかかった時、中から微かに物音が聞こえた気がした。彼はふと立ち止まり、何か違和感を覚えた。扉を開けると、案の定、中では紗雪がシャワーを浴びていた。その光景に男の目がすっと細くなり、喉仏が色っぽく上下に動いた。ただ、彼が中へと足を踏み入れようとしたその時、ふと、思い出してしまった。彼女は、昔の態度とはまるで違った。そもそも、どうして急にゲストルームで寝ることにしたんだ?考えれば考えるほど、頭の中には答えが浮かばない。ちょうどその時、シャワーを終えた紗雪が出てきて、リビングに立っている京弥の姿を目にした。彼女はバスローブを羽織ったまま、一瞬何が起きているのか分からずに固まった。「出てって。もう寝るから」その表情には何の感情も読み取れず、声も淡々としていた。京弥は眉をピクリと上げた。やっと分かった。これは間違いなく怒っている。「どうしたんだ、さっちゃん?昨日までは普通だったじゃないか」男は一歩、また一歩と彼女に近づいていく。その大きな体が天井の灯りを遮り、影が紗雪の頭上に落ちる。彼女の身体はより一層、小さく見えた。京弥の困ったような顔を見ても、紗雪はぴくりとも動じなかった。「おかしなことを言うね。私のことなんてもう放っておいて」冷ややかな視線で彼を見上げると、美しい白目をひとつくれてやり、ドライヤーを取ろうとした。もう、彼にかまう気はない。しかし、京弥は気を利かせたつもりで、ドライヤーを手に取ると「俺がやるよ、さっちゃん」と言いながらスイッチに手をかけた。その様子に、紗雪の表情はついに完全に冷えきった。「要らないって言ってるでしょ」「さっさと出てって。こんなことして

  • クズ男と初恋を成就させた二川さん、まさか他の男と電撃結婚!   第186話

    男は部屋のドアに背を向けていたため、紗雪が外に立ち、すべてを見ていたことに気づかなかった。伊澄は視界の隅で紗雪の存在に気づいており、目が一瞬光を帯び、褒め言葉のトーンがますます大きくなる。紗雪はゆっくりと拳を握りしめ、最後まで何も言わずその場を立ち去った。よく見れば、その目には冷たい光が宿っていた。伊澄の視線は常に紗雪の様子を探っており、彼女が去っていくのを確認すると、口元に浮かぶ笑みがゆっくりと広がった。京弥は不機嫌そうに言った。「プロジェクトの話をするなら、それだけにして。近づくな」そう言いながら、体を右にずらす。伊澄は目的を果たしたと感じていた。京弥が距離を取りたがるなら、それで構わない。さっきの様子を紗雪がすでに見ていたのだから。「次から気をつけるよ」伊澄は素直に答える。その従順さを見て、京弥は少し目を細め、逆に違和感を覚えた。だが、どこに違和感があるのか、自分でもはっきりとは言えなかった。「他にわからないところはある?」素直な態度に、京弥もこれ以上は何も言えなかった。伊澄は小さく首を振った。「もう大丈夫。ありがとう、京弥兄。全部わかったよ」京弥は「そう」とだけ返事をし、立ち上がって部屋を出ていこうとした。本来なら、彼は伊澄にこれらを教えるつもりはなかったが、相手がしつこく頼んできたため、仕方なく彼女の部屋に入り、プロジェクトの説明をすることになった。それに、以前に伊吹が頼んできたことも思い出した。なにせ彼女は唯一の妹だ。ここに来てまで冷たくあしらうのも気が引ける。もしこの件を伊吹に報告されたら、自分も説明がつかなくなるし、両方に気を遣わなければならない。そのとき、プロジェクトの内容をざっと見たが、特に難しいところもなく、軽く指導する程度で済んだ。それが、先ほどの出来事の発端だった。伊澄は京弥の背中を見送りながら、今回は特に引き止めなかった。彼女の目的はすでに達成されていたのだから。紗雪があの一幕を目にして、なお京弥との関係を続けようとするはずがない。以前のように仲良くできるなんて、あり得ない。伊澄はその点に大きな自信を持っていた。ここ数日紗雪と接してきたことで、彼女の性格がどんなものかも、ある程度掴めていた。伊澄は笑顔で言った。

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