LOGIN火曜日の放課後。神崎が研究テーマを発表する日となった。
万物研究会では既に研究会のメンバーが全員集まり、神崎が発表準備を進めているという状況だった。
流石にこれでもう、四回目だ。
発表までの流れを既に知っていた俺は、いつも先輩にその作業を任せるのも悪いだろうと思い「今回は俺がやりますよ」という言葉を残して、香月先輩が前回までそうしていたように、室内灯のスイッチ付近に立っていた。
先輩達二人は既にいつもの定位置に座っているので、後は神崎から準備完了の合図を待つだけだった。
配線作業が終わったのか、神崎の傍にあるノートPCの画面がスクリーンに映し出される。
それで準備が整ったのだろう、神崎がこちらに目線をくれたのを合図に、室内灯のスイッチをオフにする。
スクリーンに映し出された、スライドデータの表題に目を向ける。
そこには、こう書かれていた。【次元について】
「それでは準備が出来たので、私の研究テーマについて発表します。私が研究テーマとして選んだのが、このスライドの表題となっている次元についてです。次元については既に知っていると思いますが、簡単に説明だけします」
神崎がPCを操作し、スライドを次のページへと移動させる。
映し出されたのは、真っ白な背景の中央に直線だけが引いてあるページだった。
「そもそも次元というのは数学において、空間の広がりを示すための指標です。なので、一次元というのはその文字の通り、次元が一つしかない空間の事を言います。簡単に言ってしまえば、直線しかない空間が一次元です。一方向に伸びる長さだけがあり、それ以外の広がりを持ちません」
神崎によって、次のページが写し出される。
今度はページの中央に、縦方向と横方向に線が引かれていた。
「今度は縦と横に空間が広がりました。これが二次元空間と呼ばれているものです。一次元との違いは、直線的な移動だけでなく、面状の移動が可能になったという点です。現代的な意味だと、アニメや漫画といったメディア媒体に登場する人物を、二次元キャラと言ったりしますが、それは二次元という平面上で表現されているキャラクターである事から、そのように呼ばれています」
ここまで来るとあらかた予想は出来ていたのだが、神崎が写した次のページには、平面だった縦と横に奥行を表す線が一つ追加されていた。
それが三次元を表している図である事が分かった。
「平面に奥行を追加した空間が、三次元です。三次元については勘違いしている人も多いのですが、奥行を追加したものだけが三次元ではないです。例えば動画というコンテンツ、あれは平面上に時間という要素が加わっているので、数学的には平面の二次元プラス時間が加わっているので、三次元と言えます」
それは思わず、へえーと口に出してしまいそうな雑学だった。
再度、神崎によってスライドのページが次へと移動する。
一次元、二次元、三次元とくれば次は四次元だった。
先ほどの三次元図の横に大きく、はてなマークが追加されている。
「続いて四次元についてです。一般的には、三次元に時間を加えたものが四次元であると認識されていて、私達人間はこの三次元と時間という概念が加わった四次元空間に存在していますが、その構造については理論を通じて抽象的には理解ができますが、直観的には理解が出来ません。なぜなら、私達が生活している物理的な世界は三次元空間に限定されていて、そもそも私達の持つ五感や感覚器官は三次元空間に対応するように進化しているため、四次元目の方向というものを感知する手段を持っていないからです」
流石は学年主席の優等生というべきか、次元について説明する神崎には特に緊張する素振りもない。
思い出してみれば、神崎は新入生代表として全校生徒の前で話をしていたのだ。
その時にも特に緊張しているようには見えなかったのだから、三人の前で発表するなど彼女には朝飯前なのかもしれない。
そんな事を考えていると、四次元の説明を終えた神崎と目が合った。
俺は神崎の目を見て、意識することなく眉を顰めてしまう。
なぜなら彼女の瞳から、またしても多彩な色を感じとってしまったからだ。
「次元については奥が深く難解で、その全てを説明するには私自身まだ知識が全然足りていません。ただ、私はこれからこの次元というものについてもっと知識を深め、研究をしていこうと思っています。そして、そう思ったのには理由があります」
神崎の視線が、俺から離れない。
まるで発表はもう終わりで、これからする話は俺に向けたものであると、その目が言っているような気がした。
そして、次に神崎から発せられた言葉は、俺を混乱させるのには十分な内容だった。
「私はある日突然、得体の知れない何かの視線を感じ取りました。それは中学一年生の頃、秋の事でした。駅前にある本屋の前で、そこにいる岩倉君を通して、何かの存在がこちらを見ていると感じたんです」
……はあ?
何かって、なんだ?
神崎の言ったことがよく分からず、頭に入ってこない。
俺の脳裏に、過去の光景がフラッシュバックのように浮かんでは消えていく。
「私はその存在を、観測者と名付けました。二度目に観測者の視線を感じ取ったのが、この前の入学式でした。壇上で私が新入生代表挨拶をしている中、突如その視線は、またしても岩倉君の視点を通して、こちらへと向けられていました」
頭が混乱していた。
観測者?
なんなのだ、それは。
俺の存在を通してというのは、一体どういうことだ?
神崎は俺の混乱を意に介さず、俺へと視線を向けたまま言葉を続けていく。
「それ以降、観測者の視線を感じる頻度が上がりました。何が条件となっていて、なぜ岩倉君を通してなのか全く分かりませんが、観測者の視線は不定期に感じ取れました。今も……岩倉君の視線を通して、観測者は私達を見ています」
神崎の言葉に、香月先輩と朝山先輩が俺へと視線を向ける。
その目には、それぞれ違う色の感情が見えた。
一つは興味。
一つは驚愕。三人の視線に晒された俺は、何も言葉を発することが出来なかった。
急に非日常的な空間へと投げ込まれたような気分で、思考がまとまらない。
「私は岩倉君を通して、私達を観測している存在が何者なのか、知りたいと思いました。そして、色々と思考を重ねた結果、観測者が上位の次元に存在するものではないかという、仮説を立てました」
「ふむ、その仮説に至った根拠を聞かせてくれるかな?」それは、香月先輩からの質問だった。
神崎はその質問が来ることを、まるで予測していたかのように頷いた後、言葉を続ける。
「そう思った根拠は、知覚の異質性です。観測者は岩倉君の視点を通して、観測するという行為を行っています。その行為は、私達にある三次元的な制約を超えています。事実として、岩倉君の視点を通して、こちらを観測しているという理解できない方法で存在している観測者は、私達からすれば異次元的な存在です。異次元的な存在であるのならば、下位や同位ではなく上位の次元に位置している存在なのではないかと、そう思いました」
「なるほど……知覚の異質性か。確かにこちらに何か干渉するでもなく、岩倉君の視点を通して、こちらを観測するだけの存在は、私達からすると異質な存在だと知覚せざるを得ないね。ただ、やはり分からないな。なぜ、私達を観測しているのか。なぜ、岩倉君の視点を通しているのか」 「それは……私にも分かりません。ただ見ているだけの観測者とのコミュニケーションは成立しないので、何を考えているのかも。ただ、私達が三次元的な制約に囚われているように、観測者にも岩倉君の視点を借りなければいけないという制約があるのかも」 「制約か。ふむ……あ、口を挟んですまないね。話を続けてくれ」香月先輩に促された神崎は、コクリと頷く。
正直、その後の話については、あまり耳に入ってこなかった。
俺の脳裏では、神崎との過去のやり取りが再度思い返されていた。
思い出してみると、神崎は俺の事を岩倉君と呼ぶ事もあれば、貴方と呼ぶ事もあった。
貴方の存在が、必要不可欠だと言っていた。
貴方とはつまり俺ではなく、その観測者のことだったのか?
俺はあいつの目を、気味が悪いと感じてしまっていた。
その原因は、俺を見ているようで、俺ではない何かを見ていた、その違和感からか?
瞳から感じた多彩な感情の色は、正体不明の存在に対するものであって、俺がそれを認識した事で奇妙な感覚を覚えたということか?
神崎という人間の人となりについては、ある程度は理解できている。
香月先輩が言っていたように、神崎が話している内容は荒唐無稽に聞こえる。
しかし、神崎がよく分からない嘘を吐いて、皆の反応を楽しむような人間ではない事は知っている。
つまり、観測者という存在は本当にいるのか?
俺の中に?
色々な思考がグルグルと回って、うまく考えがまとまらなかった。
「ご清聴、ありがとうございました。質疑応答は、この後に」
最後にそう言って発表を終えた神崎の瞳は、変わらず多彩な色を見せたまま、こちらへと向けられていた。
それが俺を見ているのか、それとも俺ではない何かを見ているのかは分らなかった。
発表が終わり、質疑応答の時間となった。 皆がそれぞれの飲み物を片手に円卓へと集合した後、俺が発表した時と同様に会長特権を発動した香月先輩から発せられた質問は、このようなものだった。「岩倉君も妃那美も気になっているだろうからね。君の研究テーマである次元についてではなく、観測者という存在についてもっと詳しく話を聞かせてもらおう」「……はい。信じられないような話で皆さんを混乱させてしまっていると思うので、何でも質問してください」 それは、主に俺と朝山先輩へ向けられた言葉だった。 事実、朝山先輩の目と表情からは、困惑という感情が見て取れる。 それは、俺も同じなのだろう。「そうだね。君は観測者の視線を、岩倉君を通して感じ取ったと言っていたね。それは、どのような感覚なんだい?」「通常、人から感じる視線は一つです。でも、観測者が岩倉君の視点を持っている時、その視線を二重に感じます」「二重にか……人から視線を感じるというのは、まあ珍しいことではないだろう。しかし、それを一人の人間から二重に感じるというのは、想像し難い感覚だね。その二重の視線というのは、今も感じているんだよね?」「はい。今日、観測者の視線を感じたのは、私が発表の準備を進めている最中でした。それ以降も、まだ消えていません」 神崎の言う事を信じるのであれば、今も観測者とやらは俺の視点を借りて、皆に視線を送っているということだ。 その事実を改めて理解し、俺は全身に鳥肌が立つのを感じた。 俺の意思とは関係なく、よく分からない存在が勝手に俺の視点を借りているというのは、何とも気味が悪い。「あ、そっかー。私の発表の時に幽霊がいるかどうかって聞いてきたのって、それを確認する為だったってことかな?」 思い出したかのように言った朝山先輩の質問に、神崎は頷いて答える。「観測者の正体について、それが霊的な何かなのではないかという考えもありました。でも霊感があるといっていた朝山先輩の言葉で、その可能性は捨てました」 そういえば
火曜日の放課後。神崎が研究テーマを発表する日となった。 万物研究会では既に研究会のメンバーが全員集まり、神崎が発表準備を進めているという状況だった。 流石にこれでもう、四回目だ。 発表までの流れを既に知っていた俺は、いつも先輩にその作業を任せるのも悪いだろうと思い「今回は俺がやりますよ」という言葉を残して、香月先輩が前回までそうしていたように、室内灯のスイッチ付近に立っていた。 先輩達二人は既にいつもの定位置に座っているので、後は神崎から準備完了の合図を待つだけだった。 配線作業が終わったのか、神崎の傍にあるノートPCの画面がスクリーンに映し出される。 それで準備が整ったのだろう、神崎がこちらに目線をくれたのを合図に、室内灯のスイッチをオフにする。 スクリーンに映し出された、スライドデータの表題に目を向ける。 そこには、こう書かれていた。【次元について】「それでは準備が出来たので、私の研究テーマについて発表します。私が研究テーマとして選んだのが、このスライドの表題となっている次元についてです。次元については既に知っていると思いますが、簡単に説明だけします」 神崎がPCを操作し、スライドを次のページへと移動させる。 映し出されたのは、真っ白な背景の中央に直線だけが引いてあるページだった。「そもそも次元というのは数学において、空間の広がりを示すための指標です。なので、一次元というのはその文字の通り、次元が一つしかない空間の事を言います。簡単に言ってしまえば、直線しかない空間が一次元です。一方向に伸びる長さだけがあり、それ以外の広がりを持ちません」 神崎によって、次のページが写し出される。 今度はページの中央に、縦方向と横方向に線が引かれていた。「今度は縦と横に空間が広がりました。これが二次元空間と呼ばれているものです。一次元との違いは、直線的な移動だけでなく、面状の移動が可能になったという点です。現代的な意味だと、アニメや漫画といったメディア媒体に登場する人物を、二次元キャラと言ったりしますが、それは二次元という平
休日をどのように過ごすかは人それぞれだと思うが、こと俺に関して言えば、一駅隣にある大型のショッピングセンターに足を運ぶ頻度が高かった。 そこは日本一大きなショッピングセンターと言われており、店舗面積は日本最大。 一日では到底、全店舗を回りきれないほどの広さを持っている。 求めているものを探せば、大抵は見つかると言っても過言ではない。 その場所に足を運ぶ機会が多いのは、やはり子供の頃から隣町に住んでいるからという理由が大きい。 区画は大きく月エリア、星エリア、空エリアに分かれている。 その中でも俺がよく利用しているのが、月エリアの一階に店舗を構えている書店だった。 古めかしさの全くないその書店には、本のみならず家電や食べ物、子供用のおもちゃなど多様なものが販売されている。 本を買った後、それを読む空間まで用意されているのだから、是非ともこの書店内で存分に寛いでくださいという企業からの想いが伝わってくるかのような場所だった。 俺はこの店で気になった本を手に取っては流し読み、面白そうだと感じた本を購入しては、併設されているカフェでその本をゆっくりと読む時間が好きだった。 今日もそんな時間を過ごそうと、俺は書店内を歩きながら本を物色していた。 基本的に選ぶ本はミステリ小説やホラー、SF、ライトノベルといったエンタメ要素の強い本だ。 普段はそういった作品を好んで読んでいるのだが、今回は少し趣向を変えてみることにした。 自身での発表を終えた事により、俺にも研究会メンバーとしての自覚が芽生えてきたのかもしれない。 手に取った本はそれぞれ香月先輩、朝山先輩、そして俺が研究している内容の参考になりそうな本だった。 合計三冊の本を購入した俺は、書店内に併設されているオープンカフェでアイス珈琲を注文する。 店員が珈琲を用意している間、なんとなしにテラス席の方へと視線を向ける。 その視線の先に、見知った顔を二つ見つけた。 五つ用意されているテラス席の一つに、向かいあった状態で腰かける香月先輩と、朝山先
俺の発表が終わると、例の如く機材の片づけから始まり、香月先輩が入れた珈琲をお供に四人で円卓を囲む形となった。「さて、ここで会長特権を使わせてもらおう」 皆が珈琲に口を付けた後、いの一番に口を開いたのは香月先輩だった。「会長特権?」 首を傾げて疑問を投げた朝山先輩に対し、香月先輩はコクリと頷く。「妃那美も怜菜も、岩倉君に質問したい事があるのは分かっているが、ここは会長特権を使わせてもらう。つまり……質問は私からだ」「えー、なんだそれー。ずるいぞー!」 やんややんやと文句を言う朝山先輩を無視して、香月先輩は俺へと視線を向けた。 ちなみに神崎はというと、親指ってそんな速さで動くのかと驚かざるを得ない速度で、スマートフォンを弄っている。 また、何か調べているのだろう。「まずは岩倉君、発表お疲れ様。とても……本当にとても興味深い内容の発表だったよ。シナスタジア、私もその言葉自体は知っていたけどね。君の発表からは私の知らない新しい知識が沢山得られたよ。特に共感覚の知覚現象の例や、君自身に生じている現象については、とても興味深いね。なんというか、私達人間の感覚、知覚と呼ばれているものは想像以上に複雑で奥深く、どこか神秘的とさえ感じた」 そう話す香月先輩は、どこか楽しそうだ。 その瞳からは楽しい、関心といった感情の色が見えた。「さて、私からの質問だが、君は他人の目から感情の色が見えると言っていたね。いま私の目からも、その色が見えるのかな?」「はい、見えますね」「どんな感情の色が見えているんだい?」「今は黄色と橙色なので、楽しい、もしくは嬉しいかな。後は興味、関心といった感情の色も混じって見えます」「……ふむ、当たっているね。私自身の今の感情として、それが正しいと思う。楽しい、嬉しいと言った感情は喜びに付随するものだから、同じ色に見えるということかな。興味、関心に関しても類似した感情と言える……感情と色の結びつきについ
水曜日の放課後になった。 俺は緊張に弾む心臓の音を少しでも落ち着かせようと、一度だけ深呼吸をしてから、万物研究会への扉を開く。 部屋には既に、香月先輩の姿があった。 今日は俺が研究テーマを発表する日なのだが、彼女は機材の準備だけ既に進めてくれているようだった。「やあ、岩倉君。発表用のデータは持ってきてくれたかな?」「あ、はい。これです」 俺は学生鞄の中から、予め香月先輩から預かっていたSDカードを取り出し、それを彼女に渡す。 SDカードの中には発表用に使うスライドデータのテンプレートと、それを元にして俺が作成したスライドデータが格納されている。 香月先輩は俺から受け取ったSDカードを、彼女が持っていたノートPCにあるメモリースロットに差し込んだ。 SDカードから読み込まれたスライドのデータが、PC上に表示される。「ほう、興味深いね。これは、もしかして君自身の――」 そこまで言った所で、香月先輩は言葉を止めて緩やかに首を左右に振った。 ふわりと香ってきたシャンプーの香りに、一瞬だけ気を取られた。「いや、すまないね。発表前だというのに、つい質問してしまいそうになってしまった。質問は、後の楽しみにとっておこう。あとはこのケーブルをここに差し込めば、スクリーンにPCの画面が表示される。スライドのページ移動に関しては分かるよね?」「はい、大丈夫です」「よろしい。では、準備完了だ」 そんなやり取りから数分も経たない内に、朝山先輩がいつもの「やほー」という挨拶で登場した。 そのすぐ後に、神崎が無言のままペコリと頭を下げながら姿を見せた。 メンバー全員が揃い、それぞれが定位置へと着いた所で、香月先輩によって部屋の電気が消灯される。 そのタイミングに合わせて、俺は先ほど言われた通りにケーブルを配線した。 問題なくPCの画面がスクリーンに投影されているかを確認した後、皆の反応を伺う。 朝山先輩は首を傾げている。その様子から察するに、どうやら彼女はスクリーンに映し出
日曜日の午後、俺は学校からタブレットPCを家に持ち帰り、そのキーボードを叩いては、頭を捻るという行動をひたすらに繰り返していた。 香月先輩と朝山先輩、万物研究会の既存メンバーである二人の発表が終わった。 そのため、次は新メンバーである俺と神崎が研究テーマについて発表する運びとなったのがその原因だ。 香月先輩からは、今週どこかのタイミングで、簡単に研究テーマについての発表をしてほしいと頼まれている。 しかし、その研究テーマというものが、中々決まらない。 研究対象は何でも良いとは言われているものの、そこまで自由だと逆にテーマを選定するのが難しいと感じた。 いや、実を言うと一つだけ頭に浮かんでいる事が、あるにはあるのだ。 だが、それを研究テーマとして皆の前で発表するというのには、若干抵抗を覚えた。 なぜならそれは、自分自身に関連することだから。 幼少期にその事を他者に告げた事で、周りから奇異の目で見られたり、からかわれたりする事となった経験は、俺の中でまだ少しトラウマとして残っている。 これはあまり他人に吹聴して回る事ではないという考えは、そういった経験から来るものだった。 しかし、その一方でこうも思うのだ。 香月先輩や朝山先輩が俺の何かを知った所で、俺への態度を変えることなんてあるだろうかと。 まだ短い付き合いなのだが、俺はそう思えるくらいにあの人たちの事を信用しているし、好意的な存在だと捉えている。 神崎に関しては、正直よく分からない。 あの不思議系美少女に関しては、何を考えているか全く分からないからだ。 俺を困惑させる数々の発言や行為は、未だ留まる事を知らない。 そもそも、俺があいつの事をどう思っているのか、俺自身がよく分かっていない。 苦手である事は、間違いない。 あの非日常的な何かを感じる瞳が、好きになれない事は間違いない。 でも、だからと言って神崎の事が嫌いかというと、そういう訳でもない。 あいつの事を考えると発
万物研究会の室内は、シンプルな作りをしていた。部屋の広さは十四帖ほどで、中央には決して大きくはない、楕円形のテーブルが設置してある。その傍には、今まで使われていたと思われるパイプ椅子が二脚置いてあった。 扉から見た部屋の右側にはプロジェクターや何冊かの本、紙コップが入った袋、給湯器、電動のコーヒーミル、その他にも色々なものが乱雑に置かれた備品棚がある。 左側には教室でも使われている机と椅子が二つずつ並べられており、その上にはノートパソコンが一台ずつ置かれていた。「珈琲を淹れよう。私はブラックなのだが、君たちはどうする?」
それは、何とも仰々しい名前の研究会だった。 神崎の話では自由に研究する会ということだったが、自由を万物と言い換えているところに何か少し胡散臭さを感じてしまうのは俺だけだろうか。 神崎が更に扉へと一歩近づき、ノックの体勢に入る。 その瞬間、大きな音を立てて扉が向こう側から開かれた。「……あれ?」 扉を開いたその人物は、まさか外に人がいると思わなかったのだろう。 扉に手をかけた状態のままで固まっていた。 ノックをしようとしていた神崎も、その体勢を維持したまま、急に現れた人物のことをジ
入学式が終わり、配属された一年三組の教室。 五十音順に割り振られた座席に座り、HRの時間が始まった。 俺の苗字は岩倉なので、不幸な事に廊下側最前列の席となってしまった。 どうやらこのクラスに(あ)から始まる生徒はいないらしい。 そして、どうしても意識してしまう背後からの存在感。 このクラスの名簿は、最初に(い)から始まり、次は(か)が続くようだった。 担任の先生から今後のスケジュールについて記載されたプリントが手渡され、俺はそこから自分用のプリントを一枚だけ引き抜く。 それから背後を向き、手元に残ったプリントを後ろにいる生徒……神崎怜菜へと渡した。 プリントを受
入学式の日。 体育館の壇上に立つ神崎怜菜を見ながら、俺は彼女と初めて出会った日のことを思い出していた。 彼女の瞳。 俺を見ているようで、俺ではない何かを見ていた、あの気味の悪い虹彩。 俺が神崎怜菜との過去を回想している間、件の人物は壇上で優等生であることを証明するかのような落ち着いた佇まいで、新入生代表挨拶の文章を読み上げていた。 今日は俺が入学する事になった、家から徒歩十分もかからない場所にある県立高校の入学式だった。 新入生たちが詰めかけた体育館は、春の陽光が差し込むにも関わらず少しだけ薄暗い。 高い天井からぶら下がる白い照明が、その場を照らしている。 体育館特