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岩倉優雨の研究③

Penulis: 彩珠那由正
last update Tanggal publikasi: 2026-06-24 17:00:48

 俺の発表が終わると、例の如く機材の片づけから始まり、香月先輩が入れた珈琲をお供に四人で円卓を囲む形となった。

「さて、ここで会長特権を使わせてもらおう」

 皆が珈琲に口を付けた後、いの一番に口を開いたのは香月先輩だった。

「会長特権?」

 首を傾げて疑問を投げた朝山先輩に対し、香月先輩はコクリと頷く。

「妃那美も怜菜も、岩倉君に質問したい事があるのは分かっているが、ここは会長特権を使わせてもらう。つまり……質問は私からだ」

「えー、なんだそれー。ずるいぞー!」

 やんややんやと文句を言う朝山先輩を無視して、香月先輩は俺へと視線を向けた。

 ちなみに神崎はというと、親指ってそんな速さで動くのかと驚かざるを得ない速度で、スマートフォンを弄っている。

 また、何か調べているのだろう。

「まずは岩倉君、発表お疲れ様。とても……本当にとても興味深い内容の発表だったよ。シナスタジア、私もその言葉自体は知っていたけどね。君の発表からは私の知らない新しい知識が沢山得られたよ。特に共感覚の知覚現象の例や、君自身に生じている現象については、とても興味深いね。なんというか、私達人間の感覚、知覚と呼ばれているものは想像以上に複雑で奥深く、どこか神秘的とさえ感じた」

 そう話す香月先輩は、どこか楽しそうだ。

 その瞳からは楽しい、関心といった感情の色が見えた。

「さて、私からの質問だが、君は他人の目から感情の色が見えると言っていたね。いま私の目からも、その色が見えるのかな?」

「はい、見えますね」

「どんな感情の色が見えているんだい?」

「今は黄色と橙色なので、楽しい、もしくは嬉しいかな。後は興味、関心といった感情の色も混じって見えます」

「……ふむ、当たっているね。私自身の今の感情として、それが正しいと思う。楽しい、嬉しいと言った感情は喜びに付随するものだから、同じ色に見えるということかな。興味、関心に関しても類似した感情と言える……感情と色の結びつきについて、もっと詳しく聞きたいな。分かる範囲で教えてもらえるかい?」

「香月先輩の言うように、嬉しいや楽しいといった喜びの感情は黄色、悲しみは紺色、怒りは赤、恐怖は緑、驚きは青、嫌悪が紫、興味が橙色、信頼が黄緑色……ざっと俺が把握している中では、大体こんな感じです」

「なるほど……それ以外の色が見える事はあるのかい?」

「いえ、見える色はこれで全部です。全部で八色ですね」

「ふむ、そうか。うーん、その色の組み合わせ、どこかで見たことがあるような……」

 何かを考えこむように、香月先輩は口を閉じる。

 その隙にと言わんばかりの勢いで、朝山先輩が手を上げる。

「はいはーい、次は私から質問!」

「あ、はい。どうぞ」

「えっとねー、私が気になったのはね、岩倉君が見える感情の色っていうのは、岩倉君がそう認識した感情の色であって、実際にその感情をその人が持っているかどうかは分からないってことだよね?」

 この人、実は普通に頭が良いのではないだろうか。

 普段はぽやぽやーとしているが、先ほどの俺の発表だけで、そこまで理解してくれているという事実が俺をそう思わせた。

「はい、その通りです」

「なるほどなるほどー。例えば私が岩倉君の事、本当は凄く大好きなのに、岩倉君の事なんか大嫌いーって嘘を吐いたとして、岩倉君がその嘘を本当の事だと認識したら、その時には嘘の感情の色が見えるってことだよね」

「まあ、そう……ですね」

 全くもってその通りなのだが、なぜこの人はそういう例を出すのだろうか。落ち着かない気持ちになるからやめてほしい。

「でもそっかー。岩倉君って、なんとなくそういうのが分かっちゃう人のイメージあるー」

「そういうの?」

「なんていうのかなー、心の機微ってやつ? さっき小夜子の感情も当てていたし、そういうのが分かっちゃう人なのかなーって。なんとなく、私のイメージなんだけどねー」

 そうなのだろうか。自分では、人の心がよく分かるなどとは思っていない。

 寧ろ人の心や感情など、簡単に分かるものではないのではとさえ思っている。

 だからこそ、俺はこの共感覚現象に対して、絶対的な信頼を寄せているとは言えない。

 あくまで、俺がそう認識しているだけのこと。

 そこは絶対的なものとして、日常を歩んでいるつもりだ。

「岩倉君は、EQが高いのかも」

 今までずっと黙っていた神崎が発した言葉だった。EQとは、聞き覚えのない言葉だ。

「EQってなにかな?」

 朝山先輩が、俺の疑問を代弁してくれた。

「EQっていうのは、心の知能指数のことです。自分や他人の感情を理解して、それを適切に管理、調整する能力のことで、EQが高い人は他人の気持ちに敏感で、対人関係でもうまくコミュニケーションがとれるって言われています」

「あー、それかもねー! 岩倉君はEQが高いんだ!」

 初めて覚えた言葉を、楽しそうに口にする子供のようにニコニコ笑顔な朝山先輩。

 そんな朝山先輩の姿に和みつつも、EQという指数については正直計測したこともないので、高いかどうかは分からないよなというのが正直な感想だった。

「まあ、岩倉君のEQが高いかどうかはさておき、人の目というのは人間の部位の中で一番感情を反映する部分とも言われているからね。目は口ほどに物を言う、目は心を映し出す鏡とまで言われているほどだ。目から感情を読み取るというのは、そう珍しいことではない。そこに色を認識するかどうか、それが共感覚を持っている岩倉君と、共感覚を持っていない私達との違いなのだろうね」

 香月先輩の言う通り、俺と他人の違いなんてその程度でしかないのだ。

 何も特別なんかではない、ただ色が見えるだけだ。

 きっとここにいる三人は、それを理解してくれているのだろう。

 普通の人とは違う部分がある、そんな事で俺への態度を変えるような人達ではやはりなかったのだ。

 ただの杞憂だったなと思いながら、俺はカップに少しだけ残った珈琲を飲み干した。

 ◇   ◇   ◇

 全員が珈琲を飲み終えたのを合図にするように、その日の活動は解散となった。

 帰り支度を済ませたところで、不意に制服の袖を軽く引かれる。

 見ると、神崎がすぐ隣に立っていた。

 何か話があるらしい。

 俺が無言で廊下の方へ視線を向けると、神崎もまた小さく頷き、そっと手を離した。

 部室に残った先輩たちへ挨拶を済ませ、俺たちは並んで部室棟の廊下を歩き始める。

 人気のない廊下には、俺たちの足音だけが静かに響いていた。

「で、話って?」

「うん。ちょっと、聞いてみたいことがあって」

「研究発表のことか?」

「それもあるけど……昔のこと」

 昔。

 その言葉だけで、なんとなく察してしまう。

 神崎と初めて話した、あの日のことだ。

 そこから先は、お互いに口数が減った。

 廊下を抜け、部室棟の外へ出る。

 西日が、やけに眩しかった。

 思わず足を止める。

 目を細める俺とは対照的に、神崎は夕焼けの中をそのまま歩いていく。

 その後ろ姿を見た瞬間、不意に記憶が重なった。

 中学一年の秋。

 駅前の本屋。

 夕暮れ。

 そして。

 神崎怜菜の瞳。

 あの日、初めて見た時から、ずっと違和感があった。

 綺麗だった。

 でも、それだけじゃない。

 あの目は、何か別のものを見ていた。

 数歩先を歩いていた神崎が、ゆっくり振り返る。

 夕日を背負ったその姿に、一瞬だけ息を呑んだ。

 神崎の瞳が、多彩な色を宿している。

 多くの感情が、混ざり合っている。

「私と初めて話した日のこと、覚えてる?」

「……ああ、覚えてるよ」

「岩倉君の発表を聞いて、気になったから教えてほしい。あの日、私の目からはどんな感情の色が見えた?」

「……橙色、青、黄色、黄緑、緑」

 そう、そもそもおかしな話なのだ。

 初対面ではなかったにしろ、初めて話をする人間に、そこまでの多種多様な感情を向けることなどあるだろうか。

 そもそも、なぜ俺が今現在においても、神崎の瞳からそのような色を認識しているのかが分からない。

「うん、当たってると思う」

「……は?」

「岩倉君はやっぱり、人の感情を読み取る力に長けているんだと思う。あの時の私の感情の発露はそれで合っている。言語化するなら、そう……驚嘆、信頼、容認、敬愛、恍惚、喜び、警戒、期待、関心、不安、そして恐怖」

 そんなのおかしいだろうという言葉は、何故か口から出てこなかった。

 夕日を背景に様々な色を見せる、彼女の瞳から目が離せない。

 その虹彩の美しさに、見惚れてしまう。

「私はあまり、感情を表に出すことが得意じゃない。でも貴方の存在を認識すると、冷静ではいられなくなっている自分にも気づいている。感情がごちゃ混ぜになって、胸がドキドキとして……貴方の事をもっと知りたいって思う」

 まるでそれは、言葉だけを取り出せば告白のようにも聞こえた。

 でも何なのだろう、この感覚は。

 未知の領域へと、足を踏み込んでいってしまっているような不安感。

 そういった感覚が、どうしても拭えない。

「ありがとう」

 神崎は小さく笑う。

「聞きたかったこと、聞けたから」

 それだけ言うと、彼女は俺へ背を向けた。

 夕焼けの中へ伸びる長い影。

 俺はその背中を、しばらく見つめ続けることしかできなかった。

 俺が見ていたのは、本当に感情だったのだろうか。

 神崎という存在の前では、その認識がズレているような、そんな気がした。

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