로그인それは、何とも仰々しい名前の研究会だった。
神崎の話では自由に研究する会ということだったが、自由を万物と言い換えているところに何か少し胡散臭さを感じてしまうのは俺だけだろうか。
神崎が更に扉へと一歩近づき、ノックの体勢に入る。
その瞬間、大きな音を立てて扉が向こう側から開かれた。
「……あれ?」
扉を開いたその人物は、まさか外に人がいると思わなかったのだろう。
扉に手をかけた状態のままで固まっていた。ノックをしようとしていた神崎も、その体勢を維持したまま、急に現れた人物のことをジッと見ている。
突然目の前に現れたその人物を一言で表現するのであれば、ギャルだろうか。
緩くウェーブの掛かった茶色い髪、少したれ目がかった大きな目、左の目尻にはホクロが一つある。学校指定であるベージュのカーディガンを羽織っており、その下に着たワイシャツは第二ボタンまで開けられている。少し目のやり場に困る制服の着こなしだった。
「あれー、君ってあれだ。新入生代表挨拶してた子だ。めっちゃ綺麗な子だなーって思ってから覚えてるよー」
今にも抱きつくのではないかと思うくらいのテンションで、その女子生徒は神崎に柔和な笑顔を向けながら言った。
「んー? 君は……可愛い顔してるけど、ごめん、知らないや。誰かなー?」
神崎の次は、俺だった。男に対して可愛い顔というのは、あまり言われて嬉しいものではない。
初対面の異性だというのに、その女子生徒は構わず距離を近づけてくる。
反射的に俺は、一歩後ろに後退ってしまった。
「妃那美、バイトに遅刻するんじゃなかったのかい?」
その言葉と共に、扉の奥から新たな人物が顔を覗かせた。
その人物は、妃那美と呼ばれた女子生徒の肩に手を置いて、苦笑を浮かべている。
騒がしくてすまないねと、言葉にせず表情でこちらに伝えているような気がした。
神崎に負けずとも劣らないほどに、美人な女子生徒だった。
少しのクセも感じられない艶のある長い黒髪。
肌は仄白く、整った鼻筋と形の良い唇、大きな丸い目からは彼女の強い自信が溢れ出ているかのようだった。制服の上にはなぜか白衣を羽織っており、女性にしては高身長。目線の高さが俺と同じくらいだ。
「やば! ごめん、私バイト行くね! 君たちあれだよね、入会希望者だよね? そしたらまた今度話そーね! バイバーイ!」
その言葉を残して、妃那美と呼ばれた女子生徒はその場を嵐のように去っていった。
彼女がこの場からいなくなったことで、まるで祭りの後のような静けさが残った。
「このまま廊下で三人突っ立っていてもしょうがない。ここを訪れてくれたのだし、ゆっくりと中で話をしようではないか」
白衣を着た女性がその沈黙を破るように言いつつ、扉の中へと入っていく。
俺と神崎は一度顔を見合わせた後、彼女の後に続いて万物研究会の中へと入室した。
俺の発表が終わると、例の如く機材の片づけから始まり、香月先輩が入れた珈琲をお供に四人で円卓を囲む形となった。「さて、ここで会長特権を使わせてもらおう」 皆が珈琲に口を付けた後、いの一番に口を開いたのは香月先輩だった。「会長特権?」 首を傾げて疑問を投げた朝山先輩に対し、香月先輩はコクリと頷く。「妃那美も怜菜も、岩倉君に質問したい事があるのは分かっているが、ここは会長特権を使わせてもらう。つまり……質問は私からだ」「えー、なんだそれー。ずるいぞー!」 やんややんやと文句を言う朝山先輩を無視して、香月先輩は俺へと視線を向けた。 ちなみに神崎はというと、親指ってそんな速さで動くのかと驚かざるを得ない速度で、スマートフォンを弄っている。 また、何か調べているのだろう。「まずは岩倉君、発表お疲れ様。とても……本当にとても興味深い内容の発表だったよ。シナスタジア、私もその言葉自体は知っていたけどね。君の発表からは私の知らない新しい知識が沢山得られたよ。特に共感覚の知覚現象の例や、君自身に生じている現象については、とても興味深いね。なんというか、私達人間の感覚、知覚と呼ばれているものは想像以上に複雑で奥深く、どこか神秘的とさえ感じた」 そう話す香月先輩は、どこか楽しそうだ。 その瞳からは楽しい、関心といった感情の色が見えた。「さて、私からの質問だが、君は他人の目から感情の色が見えると言っていたね。いま私の目からも、その色が見えるのかな?」「はい、見えますね」「どんな感情の色が見えているんだい?」「今は黄色と橙色なので、楽しい、もしくは嬉しいかな。後は興味、関心といった感情の色も混じって見えます」「……ふむ、当たっているね。私自身の今の感情として、それが正しいと思う。楽しい、嬉しいと言った感情は喜びに付随するものだから、同じ色に見えるということかな。興味、関心に関しても類似した感情と言える……感情と色の結びつきについ
水曜日の放課後になった。 俺は緊張に弾む心臓の音を少しでも落ち着かせようと、一度だけ深呼吸をしてから、万物研究会への扉を開く。 部屋には既に、香月先輩の姿があった。 今日は俺が研究テーマを発表する日なのだが、彼女は機材の準備だけ既に進めてくれているようだった。「やあ、岩倉君。発表用のデータは持ってきてくれたかな?」「あ、はい。これです」 俺は学生鞄の中から、予め香月先輩から預かっていたSDカードを取り出し、それを彼女に渡す。 SDカードの中には発表用に使うスライドデータのテンプレートと、それを元にして俺が作成したスライドデータが格納されている。 香月先輩は俺から受け取ったSDカードを、彼女が持っていたノートPCにあるメモリースロットに差し込んだ。 SDカードから読み込まれたスライドのデータが、PC上に表示される。「ほう、興味深いね。これは、もしかして君自身の――」 そこまで言った所で、香月先輩は言葉を止めて緩やかに首を左右に振った。 ふわりと香ってきたシャンプーの香りに、一瞬だけ気を取られた。「いや、すまないね。発表前だというのに、つい質問してしまいそうになってしまった。質問は、後の楽しみにとっておこう。あとはこのケーブルをここに差し込めば、スクリーンにPCの画面が表示される。スライドのページ移動に関しては分かるよね?」「はい、大丈夫です」「よろしい。では、準備完了だ」 そんなやり取りから数分も経たない内に、朝山先輩がいつもの「やほー」という挨拶で登場した。 そのすぐ後に、神崎が無言のままペコリと頭を下げながら姿を見せた。 メンバー全員が揃い、それぞれが定位置へと着いた所で、香月先輩によって部屋の電気が消灯される。 そのタイミングに合わせて、俺は先ほど言われた通りにケーブルを配線した。 問題なくPCの画面がスクリーンに投影されているかを確認した後、皆の反応を伺う。 朝山先輩は首を傾げている。その様子から察するに、どうやら彼女はスクリーンに映し出
日曜日の午後、俺は学校からタブレットPCを家に持ち帰り、そのキーボードを叩いては、頭を捻るという行動をひたすらに繰り返していた。 香月先輩と朝山先輩、万物研究会の既存メンバーである二人の発表が終わった。 そのため、次は新メンバーである俺と神崎が研究テーマについて発表する運びとなったのがその原因だ。 香月先輩からは、今週どこかのタイミングで、簡単に研究テーマについての発表をしてほしいと頼まれている。 しかし、その研究テーマというものが、中々決まらない。 研究対象は何でも良いとは言われているものの、そこまで自由だと逆にテーマを選定するのが難しいと感じた。 いや、実を言うと一つだけ頭に浮かんでいる事が、あるにはあるのだ。 だが、それを研究テーマとして皆の前で発表するというのには、若干抵抗を覚えた。 なぜならそれは、自分自身に関連することだから。 幼少期にその事を他者に告げた事で、周りから奇異の目で見られたり、からかわれたりする事となった経験は、俺の中でまだ少しトラウマとして残っている。 これはあまり他人に吹聴して回る事ではないという考えは、そういった経験から来るものだった。 しかし、その一方でこうも思うのだ。 香月先輩や朝山先輩が俺の何かを知った所で、俺への態度を変えることなんてあるだろうかと。 まだ短い付き合いなのだが、俺はそう思えるくらいにあの人たちの事を信用しているし、好意的な存在だと捉えている。 神崎に関しては、正直よく分からない。 あの不思議系美少女に関しては、何を考えているか全く分からないからだ。 俺を困惑させる数々の発言や行為は、未だ留まる事を知らない。 そもそも、俺があいつの事をどう思っているのか、俺自身がよく分かっていない。 苦手である事は、間違いない。 あの非日常的な何かを感じる瞳が、好きになれない事は間違いない。 でも、だからと言って神崎の事が嫌いかというと、そういう訳でもない。 あいつの事を考えると発
朝山先輩の発表が終わり、機材の片づけを皆で協力して完了させた後、俺たち万物研究会のメンバー四人は中央のテーブルに集まって一息ついていた。 発表を終えた朝山先輩は何だかんだ緊張していたようで、その糸がほぐれたかのように脱力している。 香月先輩は優雅に珈琲の入ったカップを啜っており、その視線はテーブルに突っ伏している朝山先輩へと向いている。 神崎はというと、前回と同様にスマートフォンで何かを調べているようだった。「妃那美、発表について質疑応答の時間を取りたいんだが、いけるかな?」 香月先輩の言葉に勢いよく体を起こした朝山先輩は、どんと来い! とでも言わんばかりに両手を広げる。「では、私から質問させてもらおう。君は幽体離脱という体験を通して宇宙空間を進み続けたと言っていたが、それはどれくらいの時間、どれくらいの距離か分かるかい?」「うーん、時間に関しては正直、数値で出すのは難しいかなー。体感としては、凄く長かったとしか言えないんだよねー。距離に関しても、ぶっちゃけ分かんない! 凄い速さで周囲の星々が全部線になってビュンビュン後方へと消えていく、そんな景色を長い時間ずーっと見てた感じ。だから惑星の位置とか、そういうのも視認出来ないくらいだったんだよねー」「それって凄く……怖いですよね」 それは、俺の口から自然と出た言葉だった。 女性陣三人の視線が、一斉にこちらへと向く。「いや、想像するだけで怖いなーと思って。だって凄い速さで進み続けたとしても、宇宙の果てまで到達するのにどれくらいの時間が掛かるかも分からないじゃないですか。そもそも果てなんてものは無いのかもしれない。もしそうだとしたら、永遠に同じ景色の中を進み続ける事になる……それって、考えるだけで怖くないですか?」 俺の言葉に朝山先輩は同意を示すかのように、大げさにうんうんと頷いてみせた。「やっぱり、岩倉君もそう思うよねー。私も幽体離脱中は考えたよー。もしかしてこれ、一生終わらないんじゃない? って。そう考えたら、もう怖くて怖くて泣きそうになったよね」
そんなこんなで火曜、水曜、木曜日と日々は過ぎていき、あっという間に朝山先輩が発表する日である金曜日になった。 放課後に研究会へとやってきた俺は、既に三人揃っていた面々への挨拶を済ませた後、いつもの定位置へと腰かける。 今日の主役とも言える朝山先輩は「配線間違えたー」とか「あれー? スライドどこに格納したっけー」等と独り言を言いながら、準備を進めている途中だった。 そこから発表までの流れは、香月先輩の時とほとんど同じだった。 朝山先輩の「準備かんりょー」という言葉を合図に、香月先輩が室内灯のスイッチをオフにする。 室内が暗くなることで、ようやくスクリーンに表示された内容が視認できるようになった。 そこには、このように書かれていた。【幽体離脱体験についての報告】「えっと、じゃあ始めても良いかな? 私の発表内容は……これです!」 ビシっと音が鳴りそうな勢いで、スクリーンを指差す朝山先輩。 それから数秒、沈黙の時が流れる。 いくら待てども、続きの言葉が朝山先輩から発せられることがない。 どうしたのだろうと不思議に思い、彼女をよく観察する。 どうやら、朝山先輩は緊張で頭が真っ白になっているようだった。「妃那美……別に発表だからと言って、畏まる必要はないんだ。いつも私達と会話しているような感じで、普通に話を聞かせてくれれば良いよ」 香月先輩の助け舟に同調しようと、俺と神崎が同時に頷いて見せた。 それを見て、緊張の糸が少し解けたらしい。 朝山先輩は何度か大きく深呼吸をした後、屈伸運動をその場で何度か行ってから、ようやく口を開き始めた。「ご、ごめんねー。人前で話すのって昔から得意じゃなくて、頭真っ白になっちゃった。そうだよね、いつも通りで良いんだよね。んっと、実はわたし小さい頃から霊感っていうのがあってねー、そのせいか分からないけど、結構不思議な体験っていうのをよくする事があったんだよね。その中でも特に印象に残っているのが、この表題となって
「新メンバーの歓迎会をしよう」 研究会へ到着し、先に待っていた香月先輩から発せられたのは、そんな言葉だった。 見ると中央のテーブル上には、ペットボトル飲料やお菓子の類が並んでいた。 香月先輩が用意してくれたようだ。 お菓子類に目を輝かせた朝山先輩と神崎は、我先にと席へ着くと、好みのお菓子について談義を始めた。 香月先輩が俺を呼び出したのには、こういう理由があったらしい。 今日は研究活動ではなく、親睦を深めることが目的のようだ。 二人に続き、俺も席へと腰かける。 なんとなく、定位置というものが既に決まっているようだった。 俺の向かいに香月先輩、左手側に神崎、右手側に朝山先輩という形だった。「各自好きな飲み物は手に取ったかな? ではでは、岩倉君と怜菜の入会を祝して、乾杯といこう」 香月先輩の音頭に合わせ、四人でペットボトルを合わせる。 それが、歓迎会はじまりの合図となった。「あ、これ春季限定のやつだー。食べてみたかったんだよねー」「それ、私も気になってました」「おー、じゃあ二袋あるから二人で半分こしよー」「なんだ、二袋しかないのか。それは残念だ」「あ、小夜子も欲しい? じゃあ、はい。あーん」「え? ああ……あ、あーん」「おいし?」「うん……美味いな。だが、その、あーんといのは少し照れるんだが……」 女三人寄れば、姦しいという言葉がある。 その言葉通り、女性陣は和気あいあいとしていた。 大人しいイメージの神崎でさえ、好きなお菓子を前に、いつもよりかはテンションが高く見える。 適当なお菓子をつまみながらそんな事を考えていたら、神崎の目がこちらを向いた。 こいつがこの目をするのは、いつだって唐突だ。 俺の苦手な、あの目。「……何か言いたい事でもあるのか?」「別に。
入学式が終わり、配属された一年三組の教室。 五十音順に割り振られた座席に座り、HRの時間が始まった。 俺の苗字は岩倉なので、不幸な事に廊下側最前列の席となってしまった。 どうやらこのクラスに(あ)から始まる生徒はいないらしい。 そして、どうしても意識してしまう背後からの存在感。 このクラスの名簿は、最初に(い)から始まり、次は(か)が続くようだった。 担任の先生から今後のスケジュールについて記載されたプリントが手渡され、俺はそこから自分用のプリントを一枚だけ引き抜く。 それから背後を向き、手元に残ったプリントを後ろにいる生徒……神崎怜菜へと渡した。 プリントを受
入学式の日。 体育館の壇上に立つ神崎怜菜を見ながら、俺は彼女と初めて出会った日のことを思い出していた。 彼女の瞳。 俺を見ているようで、俺ではない何かを見ていた、あの気味の悪い虹彩。 俺が神崎怜菜との過去を回想している間、件の人物は壇上で優等生であることを証明するかのような落ち着いた佇まいで、新入生代表挨拶の文章を読み上げていた。 今日は俺が入学する事になった、家から徒歩十分もかからない場所にある県立高校の入学式だった。 新入生たちが詰めかけた体育館は、春の陽光が差し込むにも関わらず少しだけ薄暗い。 高い天井からぶら下がる白い照明が、その場を照らしている。 体育館特
神崎怜菜《かんざきれいな》の瞳は、美しかった。 だからこそ、気味が悪かった。 眼球の外部構造の一つに、虹彩と呼ばれるものがある。 角膜の奥にあり、瞳孔を囲む、色を宿した輪状の筋肉。 人はそこに感情を読み取る。 怒り、喜び、悲しみ、驚き。あるいは恋慕。 目は口ほどに物を言う、なんて言葉があるくらいだ。 人間は他人の目から、相手の心を想像する。 けれど、神崎怜菜の目は違った。 あれは、誰かを見る目ではない。 誰かに見られていることを、知っている目だった。 彼女のことは前から知っていた。 同じ中学に通っていたのだから当然だ。 別のクラスだった俺でさえ、神崎怜菜という名前
万物研究会への入会が決まった日から数日が経ち、翌週の月曜日。 予想通りではあったが、バスケ部に俺を誘ったクラスメイトからは、香月先輩との関係について教えろと詰められた。 面倒だなと思いつつも、とある会へ入会する事になり、彼女はその会の会長であることを正直に伝えた。 最初は興味を持ったクラスメイトだったが、活動内容について説明すると彼はつまらなそう、モテなさそうという感想を残し、すぐに興味を失ったかのように話題を転換させた。 変な波風が立たなかったことに、俺はとりあえず一安心だった。 その日の放課後、クラスの