LOGIN「長岡京」それはもう、この世には存在しない 忘れじの都──── 「長岡京って、完成からわずか十年で無くなった都でしょう?」 「そうよ、そこがあたしの理想郷だもんっ」 白の少女は顔を真っ赤にして、憤っている。そんな風に叫んでも、もうこの世にはない都なのに。 長岡京は「不運の都」だった。 世の平安を望まれて都を移したにもかかわらず、藤原種継さまの暗殺事件。飢饉や流行り病。桓武天皇が流刑して、恨みのままに憤死した「早良親王」(さわらしんのう)の事件が起こった。 果ては桓武天皇の親族が次々と亡くなったり、重い病にかかったのだ。 世は荒れた。 「祟りだ! 早良親王が怨霊となり、長岡京は祟られたのだ!」と人々は噂した。その上、川の氾濫など天災も加わって、人々も桓武天皇も、すっかり怯えてしまったのだと聞く。 結果……桓武天皇は長岡京を捨てた。 都を移し「平安京」を新たに作ったのだ。 だから、長岡京はもうこの世には存在しない。 だって、祟りのあった都だから。 世の人々は誰しもが忘れたい。忘れてしまった都だと思っていた。だから、とても意外だわ。あたしは白き少女に目線をあわせ、説得を試みることにしたの。 「あのね、今の都は『平安京』よ。もう、長岡京はここには無いの」 「あたし達の都は、長岡京なの!」 「あたし達って……」 「夕月夜とあたしの都だった! 雪椿はね、あそこに帰るんだからーーっ!」 彼女はあたしをドン……っと突き飛ばす。その紫紺の瞳には雫が滲んでいた。はずみで背面にクラっと倒れそうになったあたしを、千年さまが抱き止める。 「危ねえ!」 「千年さま……っ」 彼の腕の中、だ。……吐息がかかる。 えっと、顔が近いんですけど……っ。 「大丈夫か?」 「はい、あの……っ、だいじょぶっです……っ」 としか言えないぃぃぃ。 めっっっちゃ顔、近い。 今、唇に触れそうだった……。 頬がほんわり熱をもち、火照っているのがわかる。心臓がトクンと弾んだ。金色の前髪が、あたしの頬にかかりそうになる。思わずうつむいて、そっと……彼の腕から離れる。 「ありがと……」 「おう」 白き少女がなぜか仁王立ちして、こちらをギラーンと凝視していた。 「ちょっと、そこの二人! 今、雪椿のこと忘れてたでしょ!」 「あ、はい」 忘れて
「この武器、おもしろいでしょー? 峨嵋刺《がびし》っていうの。藤の花の里で流行ってるんだよー」 「あたし、その武器知ってるわ」 藤の花の里の武器? どうして私は知ってるんだろう。 確かに稀有な武器のはずなのに。 この武器は中指を通し、手のひらの中でクルクルと回転させて使う。使う……はずだ。白き少女の右手には、鋼であつらえた峨嵋刺が、今も風車のようにクルンと旋回していた。 右手より大きい小枝のような鋼は、先端が矢尻のように尖っている。ちいさな武器だといっても、侮ってはならない。そんな気がしたの。 「人の身で、この武器を知ってるの?」 「どこで見たのか、覚えてないんだけど。知ってるわ!」 「ふうん」 「何よ」 「お姉ちゃん、変わってるね。あはは」 白き少女は一見儚げなのに、強い眼力がある。 白椿のように愛らしい笑みをこぼすと、タン……! と弾みをつけて跳躍した。身長は低いけれど、身軽だ! あたしの眼前ギリギリまで、一瞬にして迫った。 「この武器、心臓くらいは刺せるよ」 そう呟くと同時に、瞳を貫こうとする。 シュン────── あたしは咄嗟に背後へ、飛びずさった。あっぶな! もう少しで右目が裂ける所だったわ……! 避けられた白き少女は、にっこりと花のように振り返る。 「ふふっ。この河童さんにね、あたしお願いをしたんだー」 「お願い?」 「青龍の結界に入って欲しいって」 「そんなこと、頼んだの……?」 白き儚き少女は、満面の笑みを浮かべる。 いちめんの桜を背に、軽やかにタンと跳ねた。 「うん! あの紅の札を〜、剥がしてきてって」 なんて、無邪気な声。 「だって結界の中になんて、入れないでしょう?」 「あの河童さんは、ここで徳を積んでたんだって。あと、数珠を身に付けてるでしょ?」 数珠────── 倒れている河童の右腕には、たしかに数珠があった。黒曜石のようだわ……! 漆黒の球の中に、かすかに梵字が描かれてる。ああ、この数珠は……! 「秋華、この数珠は呪詛をはね返す力があるみてーだぞ」 「だよね、梵字が記されている……!」 白き髪の少女は愉快そうにタンタン、と跳ねている。 峨嵋刺をクルクルと回転させながら、右手を振って華麗にひらひらと舞った。雪の如き髪と着物が、ふわりと風を纏う。それはまるで、白き蝶の|
「ああ、陰陽師だ……!」 凛とした印の切り方 桜の龍を模した術 そう、あなたは立派な陰陽師だ もう、「死化粧師のなりそこない」じゃない 満開の桜の下 蒼天に花びらが舞い踊る 真紅の狩衣に漆黒の袴、金色の髪をはためかせ 愛しい横顔に花弁がすり抜けていく 彼の術は疾風 華やかに渦となる さながら桜の龍のごとく、河童の瞳を襲った──── 「すごい……っ」 術を放ったのは、まだ無名の陰陽師だ 千年さまは死化粧師より、才能があったのであろう。花びらが、龍のカタチとなり。音を響かせて桜の竜巻を起こす。シュルルルルルルルル──── 「ぎゃあああああああああああああああ」 河童の目が、花びらで目隠しされる! 竜巻の中でフワッと浮き上がると、上空からヒュンと落ちてきた。 ゴッ──── 「邪を祓い、調伏せよ。オンアビラウンケン!」 地面に落ちた河童から、漆黒の煙がブワッと立ち昇る。黒い霧が一瞬、あたりを包むと風にスウッ……とかき消えた。あるのは桜とあやかしと、私たちだけ。静かになった庭園に、しんしんと花びらが降り積もる。 「千年さま、河童は……浄化されたの?」 「ああ、邪のみを祓った。おそらく悪いのは此奴じゃねーからさ」 「そう、だよね。元は穏やかな河童だったって、話してたもんね」 気を失った河童の元へ、お坊さんたちが駆け寄ってくる。 「霜花、大丈夫か霜花ーー!」 「え、河童ってメスだったの!?」 勝手にオスだと思ってたわ! お坊さんたちは、濡れた布で顔を拭いてやったり、名前を呼んだりしている。先刻も思ったけれど、この子……妖怪だけど愛されてたんだな。てっきり「悪しき河童を退治する仕事」だと勘違いしてた。 この人たちは、元の優しい河童に戻ってほしかったんだ。 今の今まで、気付かなかった。 まだまだ鈍感だなあ、あたしも。 そんな想いに駆られていると、千年さまが河童の目が覚めるようにと、印を切り、気を放った。 ドクン──── 脈打ち、大きくのけぞる。水かきのついた手の平が、ピクリと動いた。「じき、正気に戻ると思うぜ。邪気、祓ったからさ」 千年さまの言葉には、優しさが滲んでいた。 紫の袈裟を纏いしお坊さんは、どうにも腑に落ちないといった顔で問いかける。 「感謝いたします。……ですが、いまだに
「四神の結界って、何?」 あたしは千年さまに尋ねる。 しだれ桜の大樹の根元にちょうどいい桜の虚木の空洞があったから、二人してそこに身を潜めた。河童は樹を横切り、あたし達を探している。 その姿を横目で確認しつつ、千年さまは耳元で囁いた。 「この平安京は、四神が守護してるんだ。四方の方角に『聖獣』を置くことで、悪しき魔物から、京の都は守られてんだ」 えええええ、全然知らなかった。 確かにこの京の都は、地震や天変地異が昔から少ない土地だとは、聞いたことがあった。この平安京に、四匹の聖獣が配置されていたなんて……。 「そうなんだ。ね、四神についてもっと教えて?」 「ああ。この京の都は北に玄武、東に青龍、南に朱雀、西に白虎が守護してんだ。くわしく説明するとさ」 千年さまは足元にあった枝を拾うと、サラサラと土に絵を描きだした。 タテに真っ直ぐの線がいっぱい ヨコに真っ直ぐの線がいっぱい まるで、囲碁の盤みたいだわ。 「まず北の船岡山、ここは玄武が守護してんだって」 「へ〜こっちの南は?」 「南は巨椋池。朱雀だな」 ふーん。誠、四つの神がそれぞれの土地を守ってるんだ。河童の動きが気になるところだけど、まだみつかっていない様子だわ。あたしは気配を押し殺しつつ、千年さまの話に耳を傾けた。 「それで西の守護神は?」 「西は山陰・山陽道に白虎が配置されている」 「白虎、白い虎ってこと?」 「そうだ」 「えー、かわいいよね! 見てみたいっ」 白いモフモフの虎が、京の都を守っているなんて! 四神の聖獣、素敵すぎっ! 自分も化け猫だけど、猫の姿って神の生みたもう傑作だと思うもの。かわいさと雅さと心強さで、人の心をキュンキュンにさせるものね。えー白虎見てみたいな〜。大きいのかな、お腹の毛は柔らかいのかしら。 「白虎のお腹、ナデナデしてみたい」 「いやちょっ、それはどうだろう」 「無理かしら?」 「神様だからな、無理かもなー」 「うにゃー」 残念、撫でたかった……! 残るは東よね。ちょっと気になってる。この太い線って……川じゃないかしら? 「ねえ、東のこの線って、川?」 「そうだ、鴨川だ」 「鴨川ってこの近くを流れてるよね」 「そうだな、走っていける場所にあるな」 やっぱり、鴨川だった! 嫌
「か、かはっ……ぐっ!」 河童が苦悶の声を上げながら、ゆるりと起き上がる。 その瞳は虚ろで、焦点があっていない。 どうしよう。爪とかは無いけれど、その体躯は大人の男性ほどだ。私よりも大きい。 全力で殴られたら、けっこうな打撃をくらうだろう。危険だわ……! まずは、寺のお坊さんたちを逃さないと。 背後を見わたすと、部屋には住職、千年さま、河童の世話にやってきたであろう小坊主が一人。みんな、河童の動向を見守っている。 縁側でゆらゆらと、闇を孕んだ瞳でそのあやかしは立ち上がった。 その瞳は、虚空にまどい その唇に、泡がながれ その手は、宙を彷徨う 「ごぉぉおっ」 咆哮──── 河童が床板を蹴る。弾みをつけ、こちらに向かい襲ってきた! 「危ねえ!」 「千年さま!」 あたしの肩を素早く抱くと、縁側を駆け抜け、広い中庭へサッと走り去る。部屋の中には住職と小坊主くんが残されてしまった。 「グルるるるるるる」 河童の標的が、残された二人に定まってしまった。これ、まずい! あたしは危険だと判断して、変化する。 「転身! 化猫遊女・蒼・月・乱・舞」 爪に海の色を灯して 尻尾は二股に分かれゆく 髪は紅から瑠璃色へ 瞳も蒼へと染まりし時ぞ 今こそ変化を遂げましょう! 私は術を使い、黒猫から蒼き化け猫へと変化した。この術を会得するのに一年もかかってしまったわ。髪も瞳も蒼き姿の時は、戦闘能力がいつもより上昇する。 ただし「短時間で解ける」変化術なの。 ここぞという時しか使えないけど、今は危機的状況と判断して、使うことにしたわ! 「河童よ、お前の敵はあたしよ!」 「か、ごるるるるるるるるる」 河童は中庭の、あたしの方へと振り向いた。 正気は失ってはいるが、殺気には気付くみたいね。本能的な反射で動いてるって感じかしら。 外は、いちめんの桜 おりしも庭の桜花は、爛漫の時を迎えている。 しだれ桜が幻想的で、さながら幽玄の森のよう。さやさやと風に揺れる花びら。千年さまはあたしが心配なのか、そっと肩を抱く。顔が触れそうなほどに近い。 え、ちょっと待って。 こんな顔、近かったっけ? 息遣いも届きそうなほどの距離に、突然胸がキュッとなる。美しい横顔の輪郭。その向こうには
「秋華、枯山水《かれさんすい》って知ってるか?」 「枯山水、何それおいしいの?」 「いや、食べ物じゃねーんだ。なんでも水を使わずに、石を立て、砂や砂利だけで『水を表現する庭園』なんだってさ」 「へ〜水、使えばいいんじゃない?」 「いやまあ、そうなんだけど! そこをあえて使わず表現するところに、美学があるんだろうさ」 「ふーん」 全然わっかんないわ。 まあ、直接見たら分かるかも〜と思って、本日依頼のお寺に行ってみたの。木製の重たい門をひらくと、お庭の右半分くらいに「枯山水」と呼ばれし庭園があったの。 凄い……まるで白き大河だわ。 真っ白な砂利が、水面に浮かぶ波紋みたいに描かれてあったの。 「え───なんか綺麗! 白き河の流れみたい」 「これは一服の水墨画の世界なんだ。絵画的な意味があるらしいぞ」 「え、そうなんだ! この波紋うつくしいよね」 この紋様を完成させるの、大変だったろうな〜。波紋様に見えるよう、敷き詰められた白き玉砂利。もんのすごい細やかで丁寧な作業なんだろうなって、想像ができた。あたしと千年さまは、枯山水からわずかに離れた場所、地面が土の庭園から眺めることにしたんだ。 「これは、波紋じゃなくて砂紋っていうんだってさ」 「さもん!」 「砂の紋様って意味なんだって、キレイだよな」 「へ〜」 雪の如き白い玉砂利は、水面や河のうねりのようで、実によく出来ていた。 「あのデッカイ岩は、蓬莱島に見立ててるって聞いたなー」 「蓬莱島って、あの『竹取物語』に登場する島?」 それなら聞いたことがあるわ。 かぐや姫が結婚したくなくて、貴族たちに無理難題をいって、あきらめさせたお伽話だ。たしか、その無理難題の一つが『この世にあるとも知れぬ、幻の蓬莱島に行き、玉の枝を取ってこい」っていうお話だったわ。 千年さまは庭園に詳しいのか、生き生きとした口調で語ってくれる。 「そう、それ。遙か東方の海上にあるという、幻の島だ」 「ふーん。庭の砂にも、物語があるのね」 そう言われると、ただの白い砂の河にも、壮大な物語が秘められてるような……気がした。私はかすかな感動を胸に覚えたの。 「これ、こんな雅な砂模様にするのって、時間かかるんだろうね〜」 「ああ、実は死化粧師の才能に自信がなかったからさ、近くの寺







