แชร์

第5話

ผู้เขียน: 北野 艾
そんな過去を思い出しながらも、詩織は完璧な笑顔で応対する。辰巳は、詩織の返事を聞くと、残念そうにしながらも、どこか羨ましそうに言った。「賀来社長は本当に果報者だ。江崎さんのような逸材がいてくれるんだから、そりゃあ事業も成功するわけだ」

「いえ、とんでもないお言葉です。私からすれば、一代で会社を築かれた辰巳社長こそ、心から尊敬しております」

酒席での社交辞令に過ぎないと分かってはいても、辰巳は彼女の言葉にすっかり気を良くした。

「いやぁ、江崎さんと話していると、どうしてこうも気持ちがいいのかねぇ。こっちの言いたいことを全部汲んでくれる。さあ、この一杯は君にだ」

「辰巳社長は肝臓を労わらないといけませんから。この一杯は、私が代わりにいただきます。では、失礼して」

辰巳は、気風のいい人間との付き合いを好んだ。詩織のそういうさっぱりとした性格が、彼はことのほか気に入っていた。

彼女が杯を空にするのを見ると、慌てて声をかける。「おいおい、そんなに無茶するな。このプロジェクトの契約相手は、君しかいないと決めてるんだ。他の誰が来ても、ハンコは押さんよ!」

「……ありがとうございます、辰巳社長!」詩織はそう言うと、彼のグラスに丁寧に酒を注いだ。

その時、辰巳は彼女の顔色が普通でないことに気づき、気遣わしげに尋ねた。「江崎さん、君、もしかして具合でも悪いのかね? 顔色が優れないようだが」

「いえ、大丈夫です」

「無理はするな。なら、俺の運転手にでも病院まで送らせようか」

詩織が、それには及ばないと断ろうとした、その時。個室の扉が、コンコン、とノックされた。

ウェイターがドアを開け、中へと入ってくる。「辰巳社長。賀来社長が、辰巳社長がこちらにいらっしゃるとお聞きしまして。こちらのワインを、と」

辰巳は、ウェイターが恭しく差し出すワインに目をやった。

ロマネ・コンティ。――とんでもない代物だ。

だが、彼がそれ以上に不思議に思ったのは、柊也がこの店にいるのなら、なぜ詩織と一緒ではないのか、ということだった。

その疑問を口にする間もなく、柊也が、志帆を連れて姿を現した。

「辰巳社長、このワインはお気に召しましたか」柊也は、詩織の存在などないかのように、その視線を彼女の横を通り過ぎさせ、辰巳に声をかけた。

男が纏っているのは、清潔な白いシャツ一枚だけ。体に寸分違わずフィットしたそのシャツは、彼のすらりとした体躯と、どこか育ちの良さを感じさせる気品を際立たせていた。

では、その上着はどこにあるのかと言えば――

今、まさに志帆の肩に、ふわりと掛けられている。隠そうともしない親密さを見せつけながら。

皮肉なことに、そのジャケットは、かつて詩織が柊也のために自ら選んだ一着だった。

「これはこれは、賀来社長からの有り難いお心遣いだ。気に入らないはずがありませんよ。ところで、こちらは……」

辰巳の視線が、柊也に伴われてきた志帆の上で留まる。男が、自分の上着を女に着せかけてやっている。その関係性は、言うまでもない。

辰巳は、無意識のうちに詩織へと視線を送った。

彼女の表情は、驚くほど穏やかだった。ただ、その顔色は先ほどよりも一層、血の気を失っているように見えた。

「ご紹介します、辰巳社長。弊社の投資第三部ディレクター、柏木です」

柊也はそう言うと、今度は志帆に向き直った。「柏木さん、こちらはトレヴィ社の辰巳社長。我が社の古くからの友人だ」

志帆が一歩前に出て、辰巳に手を差し伸べる。「辰巳社長、はじめまして。柏木志帆と申します。これから、どうぞよろしくお願いいたします」

「いえいえ、柏木さん。こちらこそ」

トレヴィ社はエイジア・キャピタルとはいくつも案件を共にしてきた。だから、内情もある程度は耳に入っている。

投資第三部が設立されてまだ一年も経っておらず、そのディレクターのポストはずっと空席のままだった。誰もが、あの席は詩織のために用意されたものだと思っていたのだ。

彼女は本来の秘書業務と兼任しながらも、わずか一年で、第三部の業績を社内トップにまで押し上げた。その裏にあった彼女の尽力が、並大抵のものでなかったことは想像に難くない。

だが、まさか、その結末が……

彼女が懸命に育てた木に、別の人間が涼しい顔で腰掛けることになろうとは。

部外者である辰巳でさえ、詩織の境遇に同情を禁じ得なかった。

「ああ、そうだ辰巳社長。トレヴィ社とのこの共同プロジェクトの件ですが、今後は柏木の方で担当させていただきます。今日はそのご挨拶も兼ねて、彼女を連れてきました」

その言葉に、辰巳は思わず眉を顰める。「しかし、これまではずっと江崎さんが窓口だったが……急に担当が変わるというのは……」

だが柊也は、それを意にも介さない。「江崎はしょせん秘書ですから。以前は柏木がまだこちらに戻っていなかったので、一時的に代理をさせていただけのこと。本来の担当者が戻ってきた以上、持ち場を返すのは当然でしょう」

そう言うと、今度は辰巳をなだめるように言葉を続ける。「ご心配には及びませんよ、辰巳社長。柏木はM国のWTビジネススクールで金融学の博士号を取得し、海外のトップバンクでの実務経験もある。私が高給でエイジア・キャピタルに引き抜いた逸材です。その手腕は、疑う余地もありません」

辰巳が懸念しているのは、もちろん実務能力のことではない。彼が不憫に思ったのは、詩織のことだった。

彼女がこのプロジェクトのために、どれほどの心血を注いできたか。

それを、柊也はこうもあっさりと他人に引き渡してしまう。部外者である自分でさえ、見ていられないほどの仕打ちだった。

そんな辰巳の同情の視線を受けながらも、詩織の反応は、彼の予想に反して、驚くほど穏やかだった。

……ああ、そうか。柊也が自ら志帆を取引先に紹介して回る。彼女の将来のために、地盤を固めてやろうというわけだ。

本当に、手が込んでいる。

私が、一度も与えられたことのなかった、その気遣い。

そんな思いを押し殺し、詩織は、ただ静かに口を開いた。「……早急に資料を整理し、柏木さんに引き継ぎをいたします」

「ええ、よろしくお願いするわね、江崎さん」志帆は、どこまでも丁寧に応じる。

詩織は淡々と頷くと、立ち上がってバッグを手に取り、辰巳に会釈した。「辰巳社長。それでは、後は柏木さんと直接お話を。私はこれで失礼いたします」

辰巳は引き止めたい気持ちに駆られたが、自分にその資格がないことも分かっていた。

せめてもの抵抗として、彼は詩織のために、ささやかな反撃を試みた。「これは御社の決定ですから、私のような部外者が口を挟むことではありません。ええ、誰が担当でも結構ですよ。……ですが、賀来社長もご存知の通り、私は酒を酌み交わしてこそ、腹を割って話せるという古い人間でしてね。以前、江崎さんには強い酒を九杯も立て続けに飲んでいただき、その気骨には心底感服させられたものです。……それで、柏木さんの酒量は、いかがなものですかな?」

「江崎さんには及ばないかもしれませんが、辰巳社長にお付き合いする準備はできておりますわ」志帆はそう言って、臆することなく大胆に杯を手に取った。

しかし、柊也がその杯を、彼女が口にする前に奪い取った。「彼女は、体調が優れないんだ。この一杯は、私が代わろう」

そして、辰巳が何か言うより先に、それを一気に呷した。

辰巳は知っていた。柊也が、アルコールを受け付けない体質だということを。だからこそ、どんな酒席でも、常に詩織が彼の代わりに酒を飲んできたのだ。

彼と付き合い始めてから、柊也が誰かのために酒を飲むところなど、一度も見たことがなかった。

では、これまで詩織が彼のために体を張って飲んできた、あの無数の酒は、一体何だったというのか。

扉の外に佇む詩織もまた、同じことを考えていた。

……

家に帰り着き、薬を飲んでベッドに横になった、まさにその時。詩織のスマートフォンが着信を告げた。親友のミキからだった。

電話に出るなり、ミキは詩織の体を気遣う質問を立て続けに投げかけてくる。

最近ちゃんと休めているのか、体調は万全なのか、医者の言いつけを守って、決してお酒に口をつけていないか、など……

詩織は言葉を濁す。

するとミキは、それだけで全てを察したようだった。

「……また飲んだんでしょ」

「仕事の接待で……仕方がなかったの」

電話の向こうでミキが声を荒らげるのがわかった。「あんた、死にたいの!? 急性アル中で死にかけたこと、もう忘れたわけ!?ていうか、賀来柊也のやつ、なんであんたを飲み会なんかに参加させてんのよ!」

「……もう、しないから」詩織はなだめるように約束する。

だがミキは、そんな言葉を信じようとしなかった。「あんた、前も同じこと言ってたじゃない!」

「今度は、本当だから」

「……どのくらい?」

詩織は少し考えを巡らせてから、ミキに尋ねた。「ねえ、ミキ。知り合いに弁護士いないかな。エイジア・キャピタルの法務部と渡り合えるくらい、腕の立つ人が」

電話の向こうで、ミキが息を呑む気配がした。「……なにする気」

「エイジア・キャピタルとの契約を解除しようと思ってるの。でも、前に結んだ長期契約、覚えてるでしょ。条項が私にとってすごく不利なものばかりで……おまけに、あそこの法務部は強気だから、そこらの弁護士じゃまず引き受けてくれない」

そこでようやく、ミキは詩織が本気なのだと悟った。驚愕の声を隠せないまま、彼女は問いかける。「え……あんた、本当にあの詩織?」

「本物よ、正真正銘のね」

「今日はなんて記念すべき日かしら! 恋に目が眩んでた親友が、ついに目を覚ましたんだから!」

ミキは、心の底から詩織の決意を喜んでくれた。詩織が休まなければならないと分かっていなければ、今すぐにでも飛んできて一晩中語り明かしたい、そんな気持ちが声色から伝わってくる。

「弁護士のことは私に任せて。なんとかして腕の立つ人を探してあげるから」

電話を切る直前にも、ミキは「安心して」と念を押すのを忘れなかった。

親友に胸の内を話せたことで、詩織の心はいくらか軽くなった。そして、心地よい眠気が襲ってきた、まさにその時だった。

柊也から着信があった。

詩織は電話に出た。その声は、驚くほど平坦だった。

「社長、何かご用でしょうか」

「アレルギーの薬を届けてくれ」柊也は、いつものように当然といった口ぶりで命じた。

「かしこまりました」

通話を切ると、詩織はそのままスマートフォンの電源を落とし、ベッドに深く体を沈めた。瞼の裏に、柊也の顔が浮かんでくる。

どこかの誰かさんが、「か弱いお姫様」のために騎士よろしくお酒を呷あおり、アレルギー反応を起こしたかなんだか知らないけれど……

それが、今の私に何の関係があるというのだろう。

อ่านหนังสือเล่มนี้ต่อได้ฟรี
สแกนรหัสเพื่อดาวน์โหลดแอป
ความคิดเห็น (2)
goodnovel comment avatar
おすがさま
バカじゃないの? ここまでヤラれても、まだ目が覚めないの… いい加減離れれば、、、
goodnovel comment avatar
hime kichi
こんなクズ社長死んだらいいねん! でもヒロインにも責任ある!
ดูความคิดเห็นทั้งหมด

บทล่าสุด

  • 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した   第925話

    さらには詩織が入ってくるのを見計らって、わざ見せつけるように京介に擦り寄っていく。京介はさりげなくそれをかわし、「少しタバコを吸ってくる」と席を立った。霜花はすかさずその後を追う。一目散に元夫の機嫌を取りに行く気満々だ。「あの二人、結局のところ本当に離婚したわけ?それともただの喧嘩?」誰かが野次馬根性で尋ねた。すると、霜花に金魚のフンのようについてきた取り巻きの一人が、鼻高々に答えた。「あれは夫婦のちょっとしたスパイスみたいなものよ。わからないかしら?敬語で静かに過ごす夫婦もいれば、ああやって喧嘩しながら愛を深める夫婦もいるの」そこで彼女はわざとらしく言葉を区切り、ちらりと詩織を見下しながら口の端を吊り上げた。「だから、変な噂を流さないでよね。あの二人の絆は本物なんだから。どこかの誰かさんが、変な期待をして勘違いすると困るでしょ?」あまりにも露骨な当て擦りに、詩織は思わず眉をひそめた。その瞬間、太一の足がテーブルの下で誰かに蹴られた。彼は慌てて咳払いし、喋っていた女に向かって唐突に口を開いた。「いや、ちょっとごめん。俺、あんたを誕生会に呼んだ記憶はないんだけど? もしかして会場間違えてない?」女の顔が引きつった。這うように出た気まずい笑みを浮かべ、必死に取り繕う。「えっと、私は霜花ちゃんと一緒に……」「別に霜花さんのことも呼んでないけど」ここまで言われると、さすがの女も愛想笑いすら作れなくなった。しかし、彼女も面の皮の厚さには自信があるらしい。「……まあまあ、もう来ちゃったんだからいいじゃない。お祝いの席は賑やかな方が楽しいでしょ?まさか太一さん、席から追い出すような野暮な真似はしないわよね?」自分たちは常識のある大人なのだ。いくらなんでも太一がここで本気で追い払うような真面はしないだろう。女はそうタカをくくっていた。だが、残念ながらそれは大きな勘違いだった。もし先ほどのあの当て擦りがなければ、太一だって大人の対応でその「常識」とやらを保っていただろう。だが、相手はよりにもよって詩織に噛み付いたのだ。ならば、情け容赦などする必要はない。「あ、大正解。出口はあっちだから、気をつけて帰れよ」女の顔は真っ赤に染まった。怒りと屈辱で震えながら、彼女は逃げるようにその場を去っていった。「江崎、

  • 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した   第924話

    詩織という女は、そういう人間だった。貸し借りの境界線をきっちりと引き、少しでも不釣り合いな贈り物は絶対に受け取らない。相手にばかり負担をかけることを極端に嫌がった。高価なプレゼントをもらえば必ずそのことを覚えておき、後から自分なりのもっと心のこもった贈り物で返してくる。彼女は決して好意を無下にしているわけではない。人間関係における「バランス」の重要性を、誰よりも熟知していたのだ。一方的に甘えて、相手を利用していると思われるのを酷く恐れていた。かつて、彼女が恩師である高村教授に詫びを入れるため、彼が欲しがっていた書画をオークションで競り落とそうとした時のことだ。その時、横から強引に横取りしていったのが志帆だった。志帆は別にその掛け軸が欲しかったわけではなく、ただ詩織のものを奪いたかっただけだ。手に入れた途端に興味を失い、その後、柊也が裏で手を回したことなど微塵も気づいていなかった。彼が父の海雲の名前を借りて、それをこっそり詩織の手に渡したことなど。だがその後すぐ、詩織は自ら骨董屋で別の絵画を見つけ出し、海雲への「お礼」として贈ってきたのだ。自立しすぎていて、あまりにも潔い。だからこそ、彼が彼女に贈るプレゼントは、常に彼女が気負わずに受け取れる負担のないものばかりになった。――「五ヶ月と八日」。その正確すぎる数字の響きに、詩織は胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じた。急にこの狭い部屋が、ひどく息苦しい場所に思えてくる。彼女はふいと顔をそむけ、無意識に指をきつく握り込んだ。完全に塞いでいたはずの心の奥底に、また小さな波紋が広がっていくのがわかる。じわじわと込み上げてくる胸の痛みをどうにか押し殺すと、彼女は冷たい声を作って振り返った。「……どうして、そんな無意味なことをするの? 私が情にほだされて、よりを戻すとでも思ってるわけ?」「そんなこと、一度も考えたことはない」柊也は酔った瞳の奥に真剣な光を宿して答えた。もし今夜、酒に酔って正気を失っていなければ、こんな場所を詩織に見せるつもりなど到底なかった。彼はただ、彼女のかつての痛みを疑似体験したかっただけなのだ。彼女が歩んできた苦難の道を、自分も同じように歩いてみたかっただけ。これは、彼自身が背負った過去の罪に対する身勝手な精算だ。彼女にひけらかすための

  • 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した   第923話

    だが、まさか柊也が今そこに住んでいるなんて。実際に部屋へ足を踏み入れた瞬間、詩織の胸は激しく揺さぶられた。部屋のレイアウトは五年前と全く同じで、何一つ変わっていない。かつて彼女が大切にしていたトロフィーすら、元の場所に飾られていた。ピカピカに磨き上げられた表面を見れば、頻繁に手入れされているのは明らかだ。でも、あのトロフィーは間違いなくゴミ箱に捨てたはずなのに。手に取って確かめてみる。欠けた部分の傷跡まで、記憶と完全に一致した。間違いない、私が捨てたあのトロフィーだ。リビングの壁際には相変わらずデスクが置かれ、壁には色とりどりの付箋が貼られている。しかし、そこに書かれているのは彼女の文字ではない。柊也の筆跡だった。以前彼が落とした手帳と同じように、書かれていることの九割九分は彼女に関するものだった。部屋の至る所に、確かな生活の匂いがあった。テーブルには飲みかけのグラス。キッチンにはずらりと並んだ調味料に、オープンラックに収納された様々な鍋。冷蔵庫には新鮮な食材がたっぷりと詰まっており、今朝彼女が食べたばかりのオレンジまで入っている……それらを目の当たりにし、詩織の冷ややかな表情に複雑な色が滲んだ。彼女は深く探るような視線を柊也に向ける。「……どうして?」いくらエイジアが破産したとはいえ、彼は賀来グループの唯一の跡取りだ。豪華な別荘にだって、五つ星ホテルや高級マンションにだって住める。最悪、実家に戻ることだってできる。帰る場所に困るような人間ではない。それなのに、どうしてこんな狭いアパートに?あんなにこの場所を嫌っていたじゃないか。私が住んでいたあの七年間で、彼がここに来た回数なんて両手で数えるほどしかなかったのに。今になって、なぜ彼がここに住んでいるの?柊也はペットボトルの水を一本飲み干し、ようやく少しだけ正気を取り戻した。だが、まだ頭は重いのか、ひどく辛そうな顔をしている。彼はゆっくりと息を吐き出すと、さきほどの問いに答えた。「ただ……君が昔どんなふうに過ごしていたのか、俺も同じように感じてみたかったんだ」ここは本当に狭い。彼の実家のバスルームにすら及ばない。住人の層もバラバラで、セキュリティなど無いに等しい。環境も酷いものだ。訳ありの住人も多く、モラルなんて期

  • 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した   第922話

    それは単に、二度と志帆を入り込ませないためだった。当時は最も緊迫した局面に差し掛かっていた。何年にもわたり、血の滲むような思いで繋ぎ合わせてきた証拠の包囲網が、あと少しで完成しようとしていたのだ。ここでほんのわずかでも躊躇や弱みを見せれば、長年の苦労がすべて水の泡になる。だからこそ、彼は心を鬼にして、あの家を徹底的に破壊するしかなかったのだ。志帆を納得させる口実も十分だった。「ここにあるものはすべて詩織が整えたものだ。君に嫌な思いをさせたくないから、更地にして建て直すことにした」そう告げると、彼女は疑うどころか、自分のためにそこまでしてくれるのかと感激すらしていた。自分はこれほどまでに愛されているのだと、彼女は信じて疑わなかった。だが、真実は彼だけが知っている。建物が崩れ去るその瞬間、彼の心もまた、音を立てて瓦礫の山へと崩れ落ちていた。思えば、あの家の装飾を詩織に一任したときから、彼には下心があった。自分の好みなど一切気にせず、彼女の好きなように、彼女の理想を形にしてほしかったのだ。遠慮させないよう、あえて無関心を装い、「寝られればどこでもいい」などとそっけない態度をとった。ただ、彼女が思い描く「温かな家庭」がどんなものか、見てみたかったのだ。もし運が良ければ、三、五年ほど刑務所で服役したあと、彼女が作り上げたあの家で余生を静かに過ごせるかもしれない。運が悪ければ――その時は、それまでの運命だと諦めるつもりだった。......車がホテルのエントランスに滑り込んだ。詩織は、再び眠りに落ちかけた柊也を揺り起こした。回ってきたアルコールのせいで、彼の意識はさっきよりも混濁している。運転手が手を貸そうとしても、彼はそれが誰かも判別できないのか、ひたすらその手を拒絶し、振り払おうとする。見かねた詩織が、代わりに彼の身体を支えた。すると、彼は先ほどまでの抵抗が嘘のように大人しくなったが、代わりにその体重のすべてが彼女にのしかかってきた。詩織はドレスにハイヒールという格好だ。成人男性の重みを支えきる体力など、どこにもない。「……お願い、少しは自分で歩いてよ」詩織の声に、余裕がなくなっていく。「ここにも、泊まらない……」柊也は頑なにホテルに入ろうとしない。いい加減、詩織の堪忍袋の

  • 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した   第921話

    せり上がってくる苦いきしみから逃れるように、詩織は窓から顔を背けた。眉間を寄せ、冷徹なまでに淡々とした声で言い放つ。「何を今さら感傷に浸ってるの?自分で壊したくせに」柊也は気怠げに腕を上げ、自分の両目を覆い隠した。そして、重苦しい車内の空気よりもさらに沈んだ声で、ひと言だけこぼした。「ああ……俺が、この手で台無しにしたんだ」その瞬間、詩織の胸には訊きたいことが山ほど込み上げてきた。なぜ、あの家を壊したのか。志帆を愛したことなど一度もないと言うなら、なぜあの時、私を捨てて彼女を選んだのか。けれど、言葉が喉まで出かかっては、そのまま飲み込むことを繰り返した。今さら訊いてどうなる。未練があると思わせるだけではないか。彼女の心には、燻り続ける怒りと、どうしても拭えない不信感があった。一度私を捨てた男だ。二度目も、三度目も、きっと同じことを繰り返すに違いない。......「柊也くん、家が火事になっちゃって……しばらくの間、あなたのところに置いてもらえないかな?」そう訴える志帆の瞳は、悲劇のヒロインのように潤んでいた。柊也が、長期滞在用のホテルを手配しようと口を開きかけた、その時だ。佳乃が、まるで示し合わせたようなタイミングで助け舟を出した。「志帆は昔からデリケートでしょ?ホテルだとなかなか寝付けないのよ。一日二日ならまだしも、長期となると……家を直すのに一ヶ月はかかるっていうし」佳乃はわざとらしく自分を責めるような仕草を見せた。「ごめんなさいね。私の不注意なの。料理中に電話に出ちゃって、つい火の粉を……」当時、帰国したばかりの志帆を伴って現れた佳乃の言葉は、明らかに柊也を試すためのものだった。「ホテルには泊まれない」などというのは単なる口実で、彼がどこまで志帆を特別扱いするのかを見極めようとしていたのだ。柊也は仕方なく、志帆を自分の家に住まわせることを承諾した。本当は、適当なマンションの一室を自分の家だと偽って貸し出すつもりだった。詩織が心を込めて整えたあの家を、志帆に汚されたくなかったからだ。だが、志帆はすでに調べ上げていた。職場であるエイジアに近く、都会の喧騒を忘れさせるあの閑静な邸宅が、彼の一番の拠点であることを。あの日、柊也は車を走らせながら、同じ場所を何度も何度も回った。

  • 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した   第920話

    太一は、背筋に氷を押し当てられたような戦慄を覚えた。振り返るまでもない。この得体の知れない気配の主を、彼は嫌というほど知っていた。「太一くん、来てたなら挨拶くらいしてくれてもいいじゃない」ニーナが前に回り込んできた。顔中にべったりと笑みを湛えている。「……いやあ、今日のニーナさんがあまりに綺麗なんで、見惚れて誰だかわからなかったんですよ」太一は引きつりそうになる顔を必死で抑え、精一杯の営業スマイルを絞り出した。「もう、相変わらず口が上手いんだから。そういうところが大好きなのよねえ」ニーナは上機嫌で浮かれているが、太一の方はすでに表情筋が限界だった。今の太一が味わっている地獄とは対照的に、会場の反対側で「完璧なアシスタント」を演じている男は、まさに我が世の春を謳歌しているようだった。今夜、詩織に注がれる酒はすべて、柊也が鮮やかな手際で引き受けていた。宴も中盤に差し掛かっているが、詩織はまだ一滴もアルコールに触れていない。最初は、彼のアレルギーを心配して止めたのだ。だが柊也は「来る前に薬を飲んできたから大丈夫だ」と事もなげに言った。その言葉に、詩織の思考がふと止まる。――その手慣れた準備の良さは、かつて志帆の傍らで彼女を庇い、酒を代わりに飲み続けてきた経験からきているものだろう。そう気づいた瞬間、詩織の心は鉛を飲まされたように重く沈んでいった。結局、お開きになる頃には、柊也はすっかり出来上がっていた。詩織は彼を支えて車に押し込み、ひとまず送り届けようとして、ふと足が止まった。自分は今の柊也の住所を知らない。隣のシートに沈み込んでいる男に目を向ける。かなりの酔いようだ。二、三度名前を呼んでみたが、反応がない。詩織はためらいながらも、彼の頬を軽く叩いて促した。「柊也、起きて。家はどこ?住所を教えてくれないと送れないでしょう」「……ん……」柊也は何かをくぐもった声で呟いた。聞き取れず、詩織が耳をその口元へ寄せた。「どこだって?」しかし、彼はそれきり黙り込んでしまった。耳たぶにかかる熱い吐息に、詩織は思わず身をすくめる。彼女は小さくため息をつくと、運転席へ指示を出した。「……ひとまず、賀来の本宅へ向かってください」賀来家の本宅は帰り道からだいぶ外れていたが、詩織は構わず運転手にハンド

  • 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した   第383話

    それゆえに、彼がこれほどあからさまな口調で忠告をしてくるのは初めてのことだ。悠人は戸惑いを隠せず、本能的に志帆を庇う言葉を口にした。「先輩は本当にいい人なんです。以前、僕が海外にいた頃にも助けてもらって」だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。賢のスマートフォンが鳴り響いたからだ。賢は即座に応答し、通話が進むにつれてその表情は険しさを増していった。通話を終えた賢は、これから華栄キャピタルに向かうと告げた。それを聞いた悠人は、渡りに船とばかりに身を乗り出す。「ちょうどいい。僕も華栄に行くつもりだったんですよ。一緒に行きます」以前悠人が一人で訪れた際、詩織の秘書は「

  • 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した   第362話

    「どうしたの」詩織は足を止め、怪訝そうに問いかける。密は義憤に駆られた様子でまくし立てた。「今朝、長者番付が更新されたんですけど、女性富豪トップが入れ替わってるんです」詩織は指の関節でコンコンと密のデスクを叩く。「また仕事中にサボり?言ったでしょう、あんなゴシップ誌のランキングなんて気にするなって」「気にしないつもりでしたけど、一位がよりによってあの女なんですよ」「柏木志帆でしょう」密が一瞬、言葉を詰まらせる。「……どうしてわかったんですか」彼女は名前を出すことさえ憚っていたのだ。だが、詩織の反応は至って平然としたものだった。それどころか、皮肉めいた笑みさえ浮かべて

  • 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した   第358話

    悦子が個室に入ると、中は佳乃がいったい何の吉報を持って祝賀会を開いたのかという話題で持ちきりになっていた。佳乃はもったいぶってなかなか核心を話そうとしない。痺れを切らした一人が口を開く。「ひょっとして、お嬢さんと賀来柊也さんの婚約披露宴ってことかしら?」『賀来柊也』の名が出た瞬間、悦子の眉がぴくりと動いた。「あら、それはもう皆様ご存知のお話でしょう?」佳乃は余裕の笑みを浮かべてすかした。つまり、別の話題だということだ。「じゃあ一体なんなのよ。早く教えてちょうだい、気になって仕方ないわ」結局、自分から言いたくて仕方なかったのだろう。佳乃はついにその秘密を明かした。「実

  • 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した   第371話

    【誠、見たか?俺はやり遂げたぞ!】【電話にも出られないほどビビってるのか?】【長年のよしみだ、ラストチャンスをやるよ。『アーク』に戻ってこい。俺の下で働くなら歓迎してやる。お前の能力だけは評価してるんだからさ】しつこく通知が続き、陽介がさらに何か言いたてようとしているのは明白だった。誠は溜息をつく間もなく彼をブロックし、通知を切って心安らかにディナーの続きを楽しんだ。一方、メッセージが送信エラーになったのを見て、陽介の顔色が一瞬にして曇った。「身の程知らずが。一生負け犬でいろ!」吐き捨てるように毒づいていると、志帆から声がかかった。いよいよイベントが始まるようだ。陽

บทอื่นๆ
สำรวจและอ่านนวนิยายดีๆ ได้ฟรี
เข้าถึงนวนิยายดีๆ จำนวนมากได้ฟรีบนแอป GoodNovel ดาวน์โหลดหนังสือที่คุณชอบและอ่านได้ทุกที่ทุกเวลา
อ่านหนังสือฟรีบนแอป
สแกนรหัสเพื่ออ่านบนแอป
DMCA.com Protection Status