تسجيل الدخول――それにしても、体が鉛のように重い。
無理矢理着せられた『呪いの装備』がもたらす悍ましい倦怠感が、俺の全身を容赦なく蝕んでいた。 引きずるようにして前に進み、息も絶え絶えに迷宮の森の最深部へと辿り着いた俺の視界に飛び込んできたのは、まさに死闘のクライマックスだった。『――グオオオオォォォォォォォッ!』
森の木々を震わせ、青の暴君が咆哮を上げる。
サファイアのように煌びやかな青い鱗、深い瑠璃色の瞳と天を突く角……。 凶暴極まりないモンスターだと聞いてはいたが、絶望的なまでのその美しさに俺は一瞬だけ息を呑んだ。「決めるぜ。――『
勇者イグナスが剣を上段に構え、魔法剣を励起させる。
勇者の十八番とも呼べる、雷属性の剣技だ。 眩い閃光を纏った剣が横一文字に薙ぎ払われると、青の暴君の強固な鱗が紙切れのように切り裂かれた。『――ギャアアアァァァァァッ!』
断ち切られた皮膚から、大量の鮮血が宙を舞う。
それはさながら、巨大な一輪の青い薔薇が散りゆくような光景だった。 断末魔を響かせ、巨大な竜が地に伏す。 ――これにて、迷宮の森における討伐クエストは終了だ。「ふぅ……これでクエスト達成だな。あとは村に戻って報告するだけだ」
「お疲れ様、イグナス!」激戦を終え、傷だらけになったイグナスのもとへ、僧侶のミラが駆け寄る。
彼女が回復魔法『リカバル』を唱えると、温かな光が勇者の体を包み込み、瞬く間に傷跡を癒していった。「流石はミラの回復魔法だ。助かったよ」
「えへへ……イグナスのためだもん」イグナスに頭を撫でられ、ミラは嬉しそうに頬を赤らめている。本当にあいつのことが好きなのだろう。
そんな露骨な惚気を見せつけられ、俺の胸の内に虚しさが広がっていく。 死に物狂いで合流したというのに、結局、俺は何の役にも立てず、ただ彼らの栄光を見守ることしかできなかったのだから。「青の暴君、か。それにしても――」
魔法使いのジルが、沈黙したドラゴンの死骸を見下ろした後、ふと振り返って俺の『カタストハンマー』に視線を落とした。
その眼差しに得体の知れないものを感じ、俺は思わず尋ねる。「……どうした?」
「いや……何でもない」短くそう誤魔化すと、ジルは踵を返し、イグナスたちの輪の中へと戻っていった。
***
青の暴君を討伐した俺たちは村へと凱旋し、盛大な祝勝会が開かれていた。
「勇者様、本当にありがとうございました! これで村は救われます!」
「あの憎きドラゴンに、何人もの仲間が殺されましたからな……。なんとお礼を申し上げたらよいか」村長をはじめとする村人たちが、涙ながらに感謝の言葉を紡ぐ。
テーブルには豪勢な料理が所狭しと並べられ、ジョッキにはたっぷりとエールが注がれていた。「ハハッ! いいってことよ。これくらい、俺たち勇者パーティにかかれば朝飯前さ!」
イグナスは上機嫌で酒を呷り、英雄としての称賛をほしいままにしている。
片や、俺はというと――。「ところでイグナス様……あちらの、ひどく暗そうなお方は……?」
「ああ、あいつか。一応、俺の『仲間みたいなもん』だな」村人が恐る恐る指差した先には、俺がいた。
俺は今、呪われた装備のせいで、禍々しい瘴気のような雰囲気を垂れ流している。 下手をすれば、魔王軍の幹部か刺客としか思われないような、狂気の魔剣士といった出で立ちだ。 周囲からの怯えた視線にいたたまれなくなった俺は、宴の輪から離れ、部屋の隅でひっそりと一人酒を煽っていた。「……それにしても、体が重い」
装備しているのは、呪いの武具の一つ『ブラッドアーマー』。
こいつは防御力が跳ね上がる代償として、素早さが致命的なまでに低下する。鉛の鎧を着て歩いているようなものだ。 だが、呪われている以上、自力で脱ぐことはできない。早く教会の設備が整った街へ行き、解呪してもらわなければ。「お兄さん、一人で寂しそうですね」
ふと、鈴を転がすような声が耳を打った。
顔を上げると、いつの間にか隣の席に、黒いローブを目深に被った女が座っていた。 幼さを残す顔立ちでありながら、どこか妖艶な香りを漂わせている。 フードの奥から覗く、血のように赤い瞳が美しかった。 この村の住人だろうか?「あなた、勇者様パーティの戦士ですって?」
彼女はテーブルに肘を突き、片手で頬杖をつきながら俺を覗き込んでくる。
「ま、まあ……一応な」
「ヘェ……。じゃあ、あの青の暴君を倒したのはあなたですか?」 「いや、俺じゃない。あそこで囲まれてるイグナスさ」 「ふーん……」女は視線を動かし、静かにイグナスを見据えた。
その横顔と視線は、背筋が凍るほど冷たく、底知れない凄みがあった。 不思議な女だと思っていると、突然、部屋の反対側から大きな声が響いた。「おい、ガルア! 後でちょっと話がある。俺の部屋に来てくれ!」
「あ、ああ、わかった」イグナスの呼びかけに答え、再び隣へ視線を戻した時――俺は息を呑んだ。
つい先程まで言葉を交わしていた黒ローブの女が、煙のように消え失せていたのだ。「あれ……?」
幻でも見ていたのだろうか。
不可解な出来事に首を傾げたが、考えても仕方がない。 宴がお開きになった後、俺は滞在している宿の、イグナスにあてがわれた上等な部屋へと向かった。「……よく来たな」
「イグナス、この装備の件なんだが――」俺が真っ先に呪いの装備について切り出すと、イグナスはひどく面倒くさそうに、これみよがしな溜息を吐いた。
「ハァ……とりあえず、そこに座れよ」
イグナスの視線の先には、木製の簡素な椅子が置かれていた。
言いたいことは山ほどあったが、まずは要件を聞くしかない。 促されるまま腰を下ろすと、イグナスはベッドの上に胡坐をかき、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべた。「お前さ、あの時の戦闘で、まァーーるで役に立たなかったよな?」
青の暴君との戦いのことだ。
呪いの装備による絶望的なまでの重量と倦怠感。そのせいで合流に遅れ、俺は一度も武器を振るうことができなかった。 引け目を感じているのは事実だ。だが、そもそもこの呪いの装備を俺に押し付けたのは、目の前にいるイグナス自身ではないか。「それは、お前が俺にこんな装備を……ッ」
「俺のせいにすんなよなー。だいたいさ、前からずっと思ってたんだけど……お前、なんか特技ある? 冒険で役立つような、派手なスキルとかさ」その言葉に俺は唇を噛み締め、黙り込むしかなかった。
確かに、俺は戦士だが、特別な固有スキルや派手な魔法剣を持っているわけではない。戦い方は泥臭い肉弾戦のみだ。 だが、それでも。これまで幾度となくパーティの『壁』となり、魔物の牙から仲間を守り抜いてきたという自負があった。 戦士として、身を挺して勇者イグナスをサポートし続けてきたのだ。「俺は、俺なりに体を張って――」
「あー、そういうのいいから。これからの冒険でさ、『特技なし』『スキルなし』の足手まといを連れ回すのって、リスクが大きいんだよな」イグナスは爪をいじりながら、心底どうでもよさそうに吐き捨てた。
「……何が言いたい」
静かに睨みつける俺に対し、イグナスはあくまでヘラヘラとした態度のまま、決定的な一言を放った。
「だからさ、お前はもう『戦力外』。要するに――今日でパーティから追放ってこと」
――戦力外。
――追放。 あまりの理不尽な宣告に、俺はただ、自分の耳を疑うことしかできなかった。「今の魔王である、あの『勇者』もそうさ。何であいつは王道的に冒険を進めなかったんだ? 与えられた完璧なシナリオに逆らわず、お人形みたいに歩いていればよかったのに」 「……シナリオ……お前はさっきから何を言っているんだ?」 俺の追及に、ベルタは自嘲気味な笑みを浮かべた。 燃え盛る屋敷の炎が、彼女の顔に濃い影を落としている。 その瞳の奥には、長年抱え込んできた『世界のバグ』としての絶望が渦巻いていた。「あんたら、本当に何にも知らないようだね。滑稽なほどに盤上の駒を演じきっている。いいわ……教えてあげる。そもそも、この世界も魔王ドラゼウフも――」 俺は息を呑み、次の言葉を待った。 この歪んだ世界の根幹。 勇者が魔王になり、俺のような凡人が呪いの武具で戦場に立つ、この現実の真実が明かされる。 ベルタが重い口を開きかけた、その時だった。「お喋りが過ぎるぞ。役割を外れたエラーコードめ」 夜の冷気を凍らせるような、無機質で平坦な声が庭園に響いた。 振り返ると、そこにはターバンを巻いた異国風の男が立っていた。 足音など全く聞こえなかった。 まるで、空間の歪みから唐突に『発生』したかのような、ひどく不自然な現れ方だ。「この男……覚えている……」 俺はこの男に見覚えがある。 屋敷の地下で、あの忌まわしい選別試験が行われていた時、バルザットの執事の傍に控えていた人物だ。「お、お前は……ッ! なぜ、ここに……!」 ベルタは目を見開き、驚愕と恐怖の入り混じった表情で男を見ていた。 先程までの妖艶な余裕も、死を覚悟した達観もそこにはない。 あるのは、ただ絶対的な捕食者を前にした小動物のような純粋な『恐怖』だけだった。 どういうことだ? この男は一体何者なのだ。 単なる人間の護衛などではないことだけは、肌を刺すような異様なプレッシャーから理解できた。「なぜ、だと? 愚問だな。中ボスがまともに戦わずに倒され、あろうことかプレイヤー側に舞台裏の仕様を暴露するなど……大聖師様
「私は勇者に倒された。意識が少しずつ薄れていくのを実感したわ……死んだって」 ベルタは言った――ダミアンを殺したのは私ではないと。 彼女は言葉を続ける――真実は一体何なのか。 俺達はただ、ベルタの悲痛な言葉に耳を傾けるより他なかった。「私は与えられた運命通りにそこで『消える』はずだった」***「……目覚めたか」 ところが私は生きていた。 意識が戻った私の目の前に、プレイヤーの仲間がいたんだ。「……何故……殺さなかったの?」「お前は今まで戦ってきた魔族と違い、人を殺してはいない。だから助けた」 お人好しの戦士はそう言うと剣を抜き、私の首元に切っ先を向けた。「勇者が魔王ドラゼウフを倒すまで、俺がここでお前を監視しておく」「か、監視……?」「暫くの間、俺と暮らすのさ」 こうして、戦士は洞窟の近くに小屋を建て、私の監視を始めた。 最初は隙を見て殺そうと何度も思った。 だけど、あの戦士――ダミアンは強く、微塵も隙がなかった。 今度は逃げ出そうと試みたが気配を察知され、先回りされて捕らえられた。 得意の『誘惑の甘息』も、精神干渉を防ぐ蒼月鉱の腕輪を装備しているあいつには効かなかった。 最初はただ警戒し、隙あらばと睨み合っていただけだった。 でも、狭い世界で時を重ねるうち、少しずつ空気が変わっていったわ。 ふとした瞬間に視線が絡むと、あいつは気まずそうにパッと目を逸らす。 私も私で、あいつの無骨な背中や眠る横顔を無意識のうちに目で追うようになっていた。 魔族と人間。 決して交わらないはずなのに、お互いの些細な仕草ひとつで胸の奥がざわついてしまう――。 そんな甘くもどかしい日々が続く中、ある日、ダミアンの方から私を訪ねて来た。 見れば、
背後にあるバルザットの広大な屋敷からは赤黒い業火が夜空を焦がしていた。 太い柱や梁が焼け落ちてパチパチと爆ぜる音が絶え間なく響いている。 庭園を彩っていた美しい夜咲きの花々……。 先ほどの激しい戦闘とゼイクが放った真空の刃によって無惨に散り果て、焦げた土の匂いとむせ返るような血の匂いが立ち込めていた。 熱を帯びた空気に混じって、時折ひどく冷たい夜風が吹き込み、戦闘で火照った俺達の頬を撫でていく。「アハハ……痛いじゃない。少しは手加減というものを知らないの?」 片翼を根元から斬り落とされ、地に伏したベルタ。 彼女は自身の流した血で深紅のコルセットドレスをさらに濡らしながらも、艶然と笑ってみせた。 千切れた翼の断面からは絶え間なく鮮血が溢れ、夜露に濡れた庭園の石畳をどす黒く染め上げている。 誰の目から見ても致命傷に近い状態であるにもかかわらず、彼女は痛みを隠すように妖艶な仕草を作っていた。「黙れ、妖魔め。貴様の戯言を聞く耳は持たん」「あら、怖い顔。私をこんなにして、ただで済むとでも思っているのかしら? 私が本気を出せば、お前たちなんて一瞬で灰になるわよ」 上辺だけの空虚な挑発だった。 俺は太刀を握り直したゼイクを横に制止するように、ゆっくりと一歩前に出た。「虚勢を張るのはやめろ、ベルタ」「……何のこと?」「お前、さっきから反撃の魔法を一つも撃っていないじゃないか」「っ……それは……」「あれだけの膨大な魔力がありながら、お前は上空へ逃げ回るだけだった。俺たちを殺す気なんて、最初から無かったんだろう?」 俺の問い詰めるような声に、ベルタの余裕の笑みがピクリと引きつった。 剣を交え、命のやり取りをしたからこそ嫌でも分かるのだ。 ベルタの魔力には、俺たちを害そうとする決定的な殺意が完全に欠け落ちていた。 強力な精神干渉も、焼き尽くすような炎の魔法も、
沙帝夢楼の誰もいない食堂。 レッサーデーモンのマージルが、白いテーブルに置かれたグラスに静かにワインを注いでくれる。 その白い椅子に座っているのは、他でもないボクだ。「イオ様、ワインをお持ち致しました」「ありがとう」 マージルに笑顔で礼を述べ、ワインの入ったグラスを口に運ぶ。 今日は黒いフィッシュテールのドレスを着込み、藤色の髪も後ろで上品にまとめてみた。 偶には正装もいいものだ。いつまでも、この物語の役者を演じているがボクはボクさ。「これが魔王城周辺に自生する、ディアボログレープで作ったワインか」「なかなか甘美な味わいでしょう?」「うん、酸味も効いているね」 対する席に座っているのは、異形の魔物――サッドだ。 狼のような顔に水牛の角を生やし、深い青いの毛並みを持つ、悪魔族の上位に当たる高位魔族『グレーターデーモン』である。「サッドのその姿を見るのは久しぶりだね」「勇者様……いや、魔王様の鎧以外の姿を見るのは初めてです」「そりゃあボクだって女の子だもの、オシャレくらいはするよ」 サッドの言葉にボクは肩をすくめてみせた。 かつて勇者と呼ばれたボクは、今や魔王としてここにいる。「上手くやっているかな」「ガルアの他にも、ゼイク氏もいるのです。ご安心下さい」「ダミアン……彼は強く、優しかった」「昔のお仲間のことですか」 ボクの昔の仲間だった戦士ダミアン・ヒバート。 彼のことを思い出すと、自然と懐かしさが込み上げてくる。「ああ……彼は頼もしい仲間だった」*** まだ、ボクが勇者としての使命に燃えていた頃のことだ。 ――武闘家シンイー・イェン。 ――賢者クロノ・マクスウェル。 そして――戦士ダミアン・ヒバート。 彼らと共にパーティを組み、冒険していた時のことだった。
俺たちが武器を構えて歩みを止めると、ベルタは余裕に満ちた妖艶な微笑みを浮かべ薄い唇を開いた。「ボス戦には相応しい場所でしょ?」 ボスセン? 漆黒の翼を広げたベルタの口から出た妙な言葉の意味は分からなかったが、その表情はどこか余裕に満ちており自信ありげだった。 背後で燃え盛る屋敷から吹き付ける熱風が、彼女の金色の髪を妖しく揺らしている。「このときを待ちかねていたぞ」 俺の隣でゼイクが深緑の片刃剣をゆっくりと構えた。 ギリ、と柄を握りしめる音が静まり返った夜の庭園に異様に響く。 刀身から溢れ出す淡い緑色の魔力オーラが、彼の抑えきれない怒りに呼応するように明滅していた。「あら、貴方はあのときに集めた冒険者の一人よね? 私の誘惑の甘息が効かなかったのかしら。何か『高耐性』のアイテムでも装備しているのか……それとも……」 ベルタはゼイクの装備を値踏みするように眺めながら、憮然とした顔で言う。 まるで目の前の命のやり取りすら、盤上のゲームか何かのように捉えているような人工的で不気味な響きがあった。「黙れ……! 我が息子ダミアンの仇、ここで取らせてもらうぞ!」「ダミアン……?」 その名を聞いた瞬間、ベルタはピクリと眉をひそめた。 だが、ほんの一瞬見せた動揺の影をすぐに振り払い冷酷な妖魔の笑みを浮かべた。「ふふっ、そんなお人好しのバカな人間もいたわね。私を救うなんて『イベント』でもないのに」「貴様……ッ! ダミアンを侮辱する気かッ!」 全身を怒りに震わせ、首筋に青筋を立てて激昂するゼイク。 対してベルタは意に介す様子もなく、ピンヒールで庭園の石畳をコツ、と鳴らして淡々と続ける。「ええ、彼はいい男だったわ。私の見せる『夢』に溺れて……楽しい人だった。そんなお人好しだからこそ『ルール』を破って早死にしたわね。勇者
燃え盛るベルタの私室から、俺はラナンを抱え上げて窓を蹴破った。 鼓膜を打つ爆音と砕け散るガラスの雨を抜け、夜の庭園へと飛び降りる。 着地の衝撃を曲げた膝で殺して地面に降り立ち、背後を振り返った。 ゴルベガスの夜闇の中、豪奢なバルザットの屋敷は地下から噴き上がった業火に包まれ、赤々と燃え上がっていた。 熱風が頬を焼き、焦げた木材の匂いが鼻を突く。 火元がどこからかは分からない。 しかし、そんなことは俺にはどうでもよかった。今は逃げたベルタを追うのが先だ。「……いつまで抱き抱えてるのよ。さっさと離して」 腕の中にいるラナンが、俺の胸板を押しのけながら抗議してきた。 見れば、不機嫌そうに顔を背けるその白い頬が僅かに桜色に染まっている。燃え盛る火の熱で火照ったのだろうか。「すまんな。怪我はないか?」「気安く触らないでよね。人間ごときに心配される筋合いはないわ」 俺が腕を解くと、ラナンはそっぽを向いてローブの埃を払いながら急いで距離を取った。 怒ったような口調なのは、やはり俺が不用意に触れたからだろうか。「痴話喧嘩はそこまでにしておけ。ベルタを追うぞ」 不意にため息混じりの声が聞こえ、視線を向けると少し離れた場所にゼイクが立っていた。 燃え盛る炎を背にしながらも、彼の態度はベテランらしくひどく落ち着いている。 腰に手を当て、ヤレヤレといった表情を浮かべていた。「ベルタはどこへ逃げた? 飛んで逃げられたら、暗闇じゃ追いきれないぞ」「簡単なこと推理を展開しよう。あそこに足跡を追えばヤツに会える」 ゼイクが顎でしゃくった先。 手入れの行き届いた庭の芝生に、ベルタが履いていたヒールの足跡がはっきりと残されていた。 その足跡は屋敷の奥に広がる大庭園へと真っ直ぐに続いている。 空を飛べるはずのサキュバスが残した、わざとらしいまでの痕跡。 これは罠か、それとも誘い込んでいるのか――。「ところでゼイク。追う前に一つ聞いておきた







