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ここは、何処だ?それが、目を覚ました少女が最初に思った事だった。
目を動かし、天井に張り巡らされた、細い鉄のパイプを辿る。 次に首を動かして、四面の壁をじっくりと見渡した。「…………?」
室内の壁には掲示板のような物が設置されていて、幾つか張り紙がある。
業務的な文字だけのものや、野菜や果物と一緒に日用雑貨が描かれた広告など……掲示の種類は豊富だが、そこに書かれている内容や文章は、少女には理解出来ない。 他にも、壁のテーブルに置かれた文房具や何かの器具、床に置かれた箱の様な機械。 決して広くはないが、消毒液の匂い漂う整頓された部屋。 少女にとって、そこはまさに異世界そのものだった。「………………あー……」
声は出る。耳も聞こえる。次に少女はゆっくりと上体を起こし、己の手や身体を見下ろしてみる。
袖の無い、見慣れぬ白いヒラヒラとした衣服。そこから伸びる濃い褐色の腕に、これまた見慣れぬ半透明の管が伸びているのを見つけた。 その管を辿れば、銀色の棒に吊るされた、透明の液体が入った袋に行き着く。「…………」
少女は何故か、それが『身体に液体を入れるもの』とすぐに理解した。
確かこれは、血管から直接栄養や水分を入れるための装置だった筈……だとしたら、自分に繋がった管の先には針が付いている。 少女は顔に流れてくる長い紺色の髪を掻き分けながら、管を覆っていたシール状の包帯を剥がす。何処か慣れた様子で点滴針を引き抜くと、その針を小さな手の中に包み隠した。逃げなければ。
本能的にそう感じても、ここから出るには、まず何をすべきか。そんな事を考えた時、突然部屋に響いたノックの音に彼女は肩を飛び上がらせた。
最初に二回、一秒空けて、もう二回。 「失礼します」という低い声を聞いた少女は点滴針を握り締め、ベッドの隅へと身を隠すように詰めた。「入りますね」
ドアが外側に開き、知らない男が入ってくる。
手に乗せたトレーには、黄色く透き通った液体の入ったボトルと、グラスが一つずつ並んでいた。 灰色の髪をヘアバンドで上げた、厳つい見目をしたその男。上着を着ていても、その体格から筋肉質な身体をしているのが分かる。 背も高く、袖からは太い腕と、夜明け前の空の様な薄い青色の肌が覗いていた。己が立ち向かって、勝てる相手ではないだろう。
だが、怯ませ逃げる事は可能だろうか?少女は男の仕草や動きを見ながら、頭の中を懸命に動かして次の手を考える。
しかし彼女の思考に気付いたのか否か、男は少し苦笑を浮かべた。「カメラで確認していたら、貴女が目を覚ましたのを見かけましてね。気分はどうです?」
柔らかく、優しい口調。そして聞き慣れた言語に、少女はほんの僅かに眉間の皺を緩めた。
男はその大きな背を堂々と彼女に向け、グラスとボトルをトレーからサイドテーブルへと移す。 相手に敵意は無いと感じた少女は、その小さな口を恐る恐る開いた。「……ここは、何なんだ」
「!」言葉を返してくれると思っていなかった男は、驚いた様子で少女に振り返った。
視線が合い、男の反応の速さに少したじろいだ様子を見せた少女だったが、それを相手に悟られないよう、健気に男を睨み返してくる。男はすぐに柔らかく微笑み、落ち着いた声で「救護室です」と答えてやった。
彼はボトルからグラスに液体を注ぎ、少女にそっと差し出す。
強く警戒していた筈の少女が何故か素直に受け取ったのを見て、男は、彼女が本来は危険の無い人物なのだろうと悟った。点滴針を隠し持っている事に気付いていたが、彼女がそれを『武器』として扱う方法を知っているとは思えない。
少女が怪我をしないよう、彼女から針を取り上げるべく男は隙を伺う。「さぁ、どうぞ。一気に飲まないよう、少しずつ飲んで下さい」
「……これは?」 「ウチの船員が作り置きしているレモネードを、更に希釈したものです。元気が出ますよ」最初に匂いを嗅いだ少女は、恐る恐るグラスに口を付ける。
少しずつグラスを傾けて、ほんの僅かに液体を舐めた。「!」
瞬間、年相応にぱっと明るくなった表情に、男も彼女の顔を見て満足気に口元を緩ませた。
「……甘くて酸っぱい」
そう言いつつも、少女はグラスを離さず二口目を飲んでいる。
いつの間にか手から離れて膝に乗る点滴針を見つけた男は、苦笑しつつも「お気に召したのなら良かった」と笑い掛けた。点滴チューブを手繰り寄せ、点滴台を片付けながら自然を装って針を回収する。
少女は気付いていないのか特に気にした様子もなく、寧ろ少し機嫌良さ気に男を見上げてきた。「お前、名はあるのか?」
「ユズリハと言います」 「ユズリハ……ユズリハか。覚えたぞ」 「どうも。……それと、もし貴女が許して下さるなら、その腕を手当したいのですが」 「腕?」少女がふと己の腕を見下ろせば、白い衣服が自分の腕から滴った血で赤く染まっている。
同時に点滴針から漏れ出た輸液が布に染み込み、少女は「うわっ」と声を上げて驚いた。ユズリハ、と名乗った男は、これ以上濡らさないようにと慌てて少女からグラスを受け取る。
すぐに備え付けのフェイスタオルを彼女に渡すが、少女は戸惑うばかりでタオルを持ったまま動けないでいるようだ。彼はグラスをサイドテーブルに置き、腰のポーチから取り出した薄いゴム手袋を履くとベッド脇に膝を着く。
目の前で跪き、真っ直ぐに見上げてくる大男に少女は思わず自身の胸元を掴んだ。「では、宜しいですか?」
「………………」黙って頷いた少女の手を取り、彼女からそっと受け取ったフェイスタオルを、褐色の細い腕に乗せる。
もう一方の少女の手をタオルに乗せ、彼女に押さえているよう指示を出したユズリハは、サイドテーブルの下にある棚からもう一枚フェイスタオルを出した。彼女が着る白いワンピースの濡れた部分に、新しく出したフェイスタオルを乗せる。
少女の腕に乗るタオルをそっと浮かせてみれば、既に血は止まっているようだった。「思いの外、濡れてしまいましたね。船長が戻ってきたら、新しい服を出してもらいましょうか」
「『船長』……ユズリハには、主が居るのか?」 「そうです。その船長に貴女の事を報告したいのですが、貴女のお名前をお伺いしても宜しいでしょうか?」 「……名前。私のか?」 「そうです。何とお呼びしましょうか」 「………………」しかし、その時に見せた少女の反応は、唖然とも呆然とも取れない不思議なものだった。
「……『何と』……?」
そう呟いた少女は質問に答える事なく、眉を顰め喋らなくなってしまう。
無言でユズリハから目を逸らし、床を見つめたまま思い悩むように首を傾げる。動かない彼女に、彼女が己の名を『知らない』、もしくは『思い出せない』のだろうとユズリハは悟る。「……では、仮に『胡蝶(こちょう)の君』と呼ばせて頂きましょう」
彼女の細く幼い腕をタオルで拭い、点滴針の刺さっていた箇所に絆創膏を貼る。
呼ばれ慣れない仮の名や、初めて見るであろう絆創膏を見つめながら、少女はやはり、訝しげに首を傾げた。「……それは、私の名か? 私は『胡蝶の君』というのか?」
「いえ、あくまでも仮の名前です。今後の事が決まり次第、貴女だけの名前が貰えると思いますが……思い出せそうには、ありませんか?」 「何を?」 「貴女が生まれ持った『全て』です。他にも出生や身分、貴方が何処から来て、何をしていたのかも分かれば、後々に役立つかも知れないのですが」しかし、少女の反応はやはり芳しくはない。
ユズリハはそれでも笑みを絶やさず、少し落ち込んだ様子を見せる少女に「ご心配なさらず」と優しく声を掛けた。「まぁ、焦らずとも何とかなるでしょう。今は体調を整えるのが先ですね」
少女は立ち上がったユズリハを目で追うが、再び俯くと悲しげな顔でぽつりと呟く。
「……私は、役立たずだな……」
「……………」何処か上から目線で、態度も大きい、比較的『問題児』の部類には入るであろう少女。
そんな彼女が、『自分に出来ない事』を『役立たず』だと嘆くとは。ユズリハはそっと寄り添うように、膝を抱える彼女の傍、ベッドの上へゆっくりと腰掛けた。
「……貴女が、責任感の強い方という事は分かりました」
「………………」 「ですが、貴女が役に立つか立たないかを決めるのは、貴女ではありません。我々はまだ、出逢ったばかりなのですから」彼の言葉に顔を上げた少女は、その大きな瞳を潤ませてユズリハを見つめる。
本当に小さく呟かれた「ありがとう」の一言に、ユズリハはただ、彼女に優しく笑みを返した。 ※※「よく聞け、クミン。それらは、今は教える必要が無いんだ」「……何?」「私が若い頃は、『そんな教育』が必要だった時期もあった。大人達は皆が疲弊し、子供達を守る人間がとても少なかったからな」「………………」「でも、今は違う。あの子達は何に怯える事もなく、のびのびと暮らせている。危険から身を守る方法は中学部でも習うから、今のあの子達には、まだ必要無い。それだけの事なんだよ」 避難訓練は欠かさず週二で行っているけどな! そう胸を張ったローズマリーに、クミンは訝しげな目を向ける。 しかし同時に、少しだけ悲しくも思った。「…………」 己は何故、『身を守る術を学ぶべき』と思うのか。 どういう経緯でそう思うようになったのかも、自分自身には全く分からない。 ローズマリーの言う事は、きっと間違ってはいない。 この世界は確かに『平和』で、幼子が護身を学ぶ必要など無いのだろう。 だが、それでも、その平和を疑う心が、得体の知れない『不安』が、どうしても拭えないでいる。 かつての自分はどんな生活をしていて、どのように生きていたのか。 もっと純粋で、何も知らない子供だったなら……あの子供達のように、ユズリハに「一緒に遊ぼう」と強請る事も出来たのだろうか。「………………」 視線の先には、楽しそうに笑う彼等の姿がある。 いくら考えてみても答えは出ず、ただ静かに、クミンはカーペットへと視線を落とした。「……クミンも、一緒に遊んできたらどうだ?」「……知らないんだ。どうすれば良いのか……」「皆が教えてくれるさ」 すると、二人の下へ数人の女の子達が声を掛けてきた。 彼女達の内、一番背の高い子がローズマリーの袖を軽く引く。「院長先生」「やぁヒナゲシ。どうした?」「その子は、『どこ』の子なの?」 どこ、というのは、三つの孤児院の内、何処に所属しているかを問う質問だ。 指を差されたクミンは目を丸くし、ローズマリーは幼い少女の頭を撫でた。「ヒナゲシ、この子はクミンだ。リンと同じで、『友達に怪我をさせない訓練』をしなくちゃいけなくてな」 それを聞いた少女達は、クミンを見上げて少し悲しげな顔をした。「大変だね。リンちゃん、泣いてたの知ってる」 少女の言葉に、今度はクミンが戦慄する。「……『友達に怪我をさせない訓練』とやらは、そんなに厳しいものなの
※ 多目的教室に突然入ってきた青い肌の大男に、賑わっていた教室は一瞬にして静まり返る。「こ……こんにちは。先週振りの子もいますが……」 覚えていますか? ユズリハがそう問おうとした瞬間、教室内は瞬く間に阿鼻叫喚の『大合唱』が始まってしまった。 ユズリハはがっくりと肩を落として俯く。「……やっぱりなぁ……」「な、何故……」「毎月の恒例行事なんですよ」 毎月、というのは、月初めに必ず、新しく入所してくる『新入生』がいる為だ。 彼等が一人、二人と泣き出すと、皆がつられてパニックを起こしていく。 どうしてユズリハがこんなに怯えられるのか理解が出来ないクミンも、戸惑った様子で彼の背後からその光景を覗いていた。 そんな時、二人の後ろから入ってきたローズマリーがユズリハに座るよう促すと、突然子供達に向けて声を張り上げた。「皆、見ろ! 皆が泣くから、ユズ君も泣いてるじゃないか!」「!?」 その言葉にクミンが驚いてユズリハの顔を覗き込むが、ユズリハは「またかー……」とうんざりした顔でカーペットの床に腰を下ろす。 その間にもローズマリーはユズリハを指差し、子供達に向けて芝居がかった口調で訴えている。「早く友達になってあげないと、ユズ君は『独りぼっち』になってしまうぞ!」 すると、その言葉を聞いた子供達は、少しずつ声を抑えて泣き止んでいく。 鼻を啜る子、しゃくり上げる子、皆が様々に心を落ち着かせ、ユズリハを見つめている。「な……何が起こってるんだ?」「……彼等も元は『独りぼっち』でした。この孤児院で信頼できる大人や友達と出会えたからこそ、『独りぼっち』がどれほど悲しく辛い事なのか、ここにいる子供達で知らない者はいません」 ユズリハの説明を受け、胸を締め付けられるような息苦しさを感じたクミンは思わず胸元を掴む。 一方、「ユズ君が『寂しがって』るぞ!」と子供達を煽るローズマリーは、ぱっとユズリハに顔を向けた。「何してるんだ、ユズ君! 早く泣いたフリしろ!」「やっぱ『こうなる』のかー……」「ほら照れてないで、早く!」 急かすローズマリーの言う通りに、意を決したユズリハは俯いてわざとらしく目を擦り始めた。「……『えーん、寂しいよー』」「!?」 突然泣き真似をし出したユズリハにギョッとしたクミンを他所に、ローズマリーは子供達の反応を見な
※「院長先生!」「院長先生だ!」 マーガレット学習院。 『チャーチグリム』の一行が玄関での受付を行っていると、中庭で遊んでいた年長の子供達がローズマリー達を見つけて騒ぎ始めている。「みんなー! 元気かーっ!?」 気付いたローズマリーが中庭に手を振れば、ハキハキとした声で「元気ーっ!」と叫ぶ子供達の声が響いた。「うんうん、元気だな」 一行は受付で来院者名簿に名前を記入し、靴を脱いで上履き用のシューズに履き替える。 子供達に危険な装備や所持品は全て事務室に置かせてもらい、皆は決まった色の薄手の帆布で縫われたエプロンを着た。 順番に手を洗い、消毒液のスプレーを持つローズマリーに皆が手を差し出していく。 一人ずつ掌にスプレーを吹き付けていく彼女は、戸惑うクミンに近付き『消毒』の説明と必要性を説明した。「子供達は元気だが、同時に風邪を引きやすい。私達が守ってあげないとな」「……守る……こんな事で、守れるのか?」「当然だ。バイ菌から子供達を守るには、これが一番効果的なんだぞ」「ばいきん……」 クミンはローズマリーのスプレーを受け、言われた通りに手指全体に消毒液を馴染ませる。 『消毒液』という物に興味を唆られたのか、自分の手を嗅いだクミンは次亜塩素酸ナトリウムの独特な匂いに思わず「うっ」と身体を仰け反らせた。 それを見ていたユズリハが、小さく微笑んだ。「ローズマリー、彼女は『何処』へ?」「年長組さんだ。歳が近い方が学べる事も多いし、おままごとに混ぜてもらえたら社会勉強になる」 ユズリハは「成る程」と唸る。 確かに、おままごとは子供達にとって『人生で最初のコミュニティ』だ。 クミンにとっては、最高の『疑似社会』が体験できるだろう。「リンは外遊び担当、ユズ君と私は、年中、年少組さんを中心に屋内担当だ」「了解。フェンネルは今回も?」「アイツほど乳幼児組が得意な人間もそうは居ないからな」 ローズマリーは少し得意げに笑った。 ユズリハが視線を向ければ、既にフェンネルは長い髪を後頭部に結い直し、事務室に常備してある簪でしっかりと固定している。 何も分からないクミンは、そっとユズリハに近付き、彼のエプロン裾を掴む。「……不安ですか?」 そう問えば、彼女は言葉も無く頷く。 苦笑したユズリハに、ローズマリーもつられて微笑んだ。「さ
※ バスを乗り継ぎ、一行は『マーガレット学習院』を目指して足を進める。 その間、クミンには常に誰かが声を掛け、街の風景、人々の暮らし、歴史的な建造物や文化を、彼女に教えながら移動時間を過ごしていた。 『フェンネルに礼を言いたい』という彼女の気持ちも尊重しつつ、しかしフェンネルの心も知る他の乗組員達は、ローズマリーの指示でクミンが迂闊に近寄らないよう注意を払う。 そのお陰か、リンデン曰くフェンネルは落ち着きを保ち、クミンもそわそわしたり落ち込んだ様子を見せながらも、気ままにフェンネルに近付いたりせず大人しくローズマリーの引率に従っていた。「……どいつも、妙に気を回しやがって」 途中、リンデンの剣を調整するため寄った整備店で、受付を待っていたフェンネルが呟いた。 腕を組み、休憩用のベンチに腰掛けて壁に凭れる彼の横で、立ったまま商品棚を眺めていたリンデンが微笑む。「そんな事してないよ。クミンは『人間初心者』っぽいから、暴走しないように皆で注意してるだけ」「それが『余計だ』っつってんだよ。結局テメェも店まで付いてきやがって」「元々は俺の剣だもん。フェンネルだって、いきなりクミンがこっち走ってきたらビックリするでしょ? 先住猫ちゃんと新入り猫ちゃんは、お互い慣れさせてから合わせないと喧嘩するっていうし」「誰が『先住猫』だクソゴリラが」「ゴリラは猫ちゃん達を守りたいの!」 リンデンはフェンネルの隣に座り、眉間に皺を寄せて目を伏せる彼の横顔を覗き込む。「……フェンネルもさ。実はちょっと気付いちゃってるんじゃないの?」「……何が」「クミンは『バジルさん』と同じかも、って」 『バジル』。 その名を聞いて、フェンネルは更に険しい表情を浮かべた。 最後に逢ったのは五年前、リンデンが口に出した『バジル』とは、フェンネルにとって唯一の異母妹だった。 リンデンは目を細め、「大丈夫」と囁く。「怖くなんかない。人は変われるよ、フェンネル」「………………」「バジルさんも、ちゃんと変われたじゃん」「……アイツは俺の『異母妹(いもうと)』だからな」「クミンも俺達の『妹』だよ。ローズマリーさんが決めたんだから、大丈夫」「……ふん」 相変わらず視線は床を見つめたまま、フェンネルは鼻を鳴らす。 だが、それでも彼は、確かに彼が少しずつ警戒と『恐怖心』を解
※ 準備を終え、全員が荷物を確認して船外へと集合する。 ローズマリーが最後に船を出ると、ハッチを締めて掌紋認証でロックを掛けた。 皆が船から数メートル離れたのを確認し、ユズリハが舗装されていない土の地面に長い釘のような鉄の棒を突き刺す。 登録したリストベルを持っていない者が船に近付くと感電するよう設定した、防犯機材のスイッチを最後に入れた。「みんな、忘れ物は無いな?」「マリーさん!」 リンデンが元気良く手を上げた。「どうした、リン」「行き掛けに、コリアンダー整備店へ寄ってください!」「分かった、途中で寄っていこう。出発だ」 各自の予定も確認し、ローズマリー達は船を後にした。 全員で最寄りのバス停を目指し、徒歩数分の距離を並んで歩く。 初めて船を降りたクミンは辺りをキョロキョロと見渡し、全てを不思議そうに眺めている。 時折ローズマリーに質問したり、リンデンに教えてもらったりと、数百メートルの距離でも彼女は楽しそうに過ごしているようだ。 そんな彼等を、五メートル程後ろに下がって付いて行くユズリハとフェンネルが、並んで様子を眺めていた。「……心境の変化が?」 ふと、ユズリハが隣を歩くフェンネルに声を掛けた。「……そんなんじゃねぇです」「『残る』って言い出すのかと思ったんだが」「言いましたよ。……アイツに脅されたもんで」 そう答えた視線の先には、リンデンの後ろ姿がある。 ユズリハは意外な理由に笑みを零した。「へぇ、脅されたのか?」「『逃さねぇ』って言われました」「はは、そりゃアイツは『気配』を追う事に関してはプロだからなぁ」「そういうのを『キモい』っつーんですよ」「言いたい事は分かる。だが、お陰で助かってる面もあるんだぞ」「……ふん」 ユズリハは、フェンネルが背負うリンデンの剣についても質問してみる。 すると彼は「ついでです」としか答えず、まったく正直に話さないフェンネルを微笑ましく思い目を細めた。「また絆されたか。お前も丸くなったなぁ」「失礼な、俺は元々丸いでしょうよ」「何処がだよ。今だって『表面』はサボテン並みにトゲトゲしてるぞ」「まったくユズさんは酷い人だ。サボテンに謝罪を要求します」「はっはっ、サボテンにかよ。フェンネルは俺と違って優しい男だもんな?」「白々しいにも程があるでしょ」 不機嫌そ
※ 一方。 剣を背負ったリンデンは、整備室へと階段を降りた。 すると、後部ハッチの近くで床に直接胡座をかき、部品を磨いているフェンネルの背中を見つける。「フェンネルー! おはよう!」「うるせぇ」 彼の周りは、『グロキシニア』と銘が打たれたガトリング銃の部品が広げられている。 分解した部品を踏まないよう、足の踏み場を探しながらリンデンはゆっくりと歩み寄る。 しかし、フェンネルはそんなリンデンを無視したまま、持っていたスパーギアをウエス代わりの布巾へと置いた。「朝ご飯、ありがとう! 美味しかったよ!」「……どうも」 リンデンの笑顔も見る事無く、フェンネルは次のギアを手に取り、ホワイトガソリンを染み込ませた布でギアを丁寧に磨き始める。「今日も早いね。部屋から出ていったの気付かなかったよー」「あっそ」「ユズさんが『明日の朝はゆっくりしてて良い』ってさ。夕食の下拵えまでしてくれてたの、お礼言ってたよ」「そうか」「マリーさんは『早起きし過ぎだ』って、ちょっと心配してた。今日のご飯は、クミンも気に入って完食して」「黙れ」「……むー……」 食い気味に言葉を遮ってきたフェンネルに、リンデンは少しだけ困ったように眉を下げた。 彼がクミンと顔を合わさないように早起きをしていた事は、リンデンも気が付いていた。 皆の分の朝食を作って準備してあったのも、誰かに頼まれたクミンが、自分に朝食を持ってきたりしないようにする為の対策だった。 『先日の一件』で、フェンネルは徹底的にクミンを避けている。 昨日一日、クミンはずっとリビングで勉強していたため、フェンネルは船の外壁や監視台の点検、搭載してある重火器等の整備と補充を行っていた。 フェンネルへの用がある際は、リンデンが率先して皆の橋渡し役を担っていたが。「……テメェも暇じゃねぇんだから、いちいち行ったり来たりしてんなよ。リストベル使えってローズに言っとけ」 視線をギアに落としたまま、フェンネルは呟くように文句を垂れる。 しかし、そんな彼にリンデンはきっぱり「嫌だ」と答えた。「そんな事したら、フェンネルは絶対顔見せなくなるじゃん」「テメェは同室だろうがよ……」「嫌だ。俺は寂しいの!」「……じゃあ勝手にしろ」「うん! 勝手にする!」 どれだけ突き放しても、冷たくあしらっても、フェンネル







